【小説】アーグの軍事研究と王子の話 四つ葉のシロツメクサを見付けると幸運が訪れる。そんなありふれた験担ぎがアーグ帝国にもあった。シロツメクサの葉は普通なら三つ葉である。四つ葉は珍しい。
しかし、五つ葉のシロツメクサはもっと珍しい。ダルチニはこれまでに何度か四つ葉のシロツメクサを見た事があったが、五つ葉のシロツメクサを見たのは今日が初めてだった。
「すげーなぁ、四つ葉のシロツメクサが幸運なら、五つ葉は超幸運って事だ。超縁起が良い。今日は超吉日だ!」
ダルチニは何がおかしいのか分からなくなるほど笑いながら、弟のハルディの肩をしつこく揺さぶった。けっこう酔っている。
今日はハルディの結婚式だった。ダルチニは普段、異国を気儘に放浪しながら絵を描いて暮らしているが、この日は弟の新しい門出を祝う為に故郷に帰っていた。盛大な式を上げ、夜まで宴会を続け、やっと席を離れて兄弟でゆっくり話す時間ができた――というところで、ハルディに五つ葉のシロツメクサを手渡されたのだ。
「兄上、せっかく楽しそうなところでこんな話、すみませんが……実は、東のアルン鉱山の周辺には、五つ葉や六つ葉のシロツメクサがたくさん生えていて、決して珍しくはないんです。それも、アルン鉱山の麓の村で採取したものなんです。」
「はぁ? 五つ葉や六つ葉がたくさんって、ちょっとありえないだろ……それってその地域の固有種とかじゃないの?」
「それが、どこにでもあるごく普通のシロツメクサなんです。よそから種を持ってきて撒いても、アルン鉱山の周辺ではそうなるんです。」
「だとしたら、その鉱山にはとんでもない幸運の神が居るんだな! はははっ……」
「それが……たぶん、逆なんです。」
「逆って?」
「すみません、本当は、お祝い事の日にこんな話はしたくないのですが……」
先程から、ハルディは結婚式には似つかわしくない深刻な表情だった。宴会で気疲れでもしたのかと思っていたが、どうやら彼は久しぶりに会った兄にどうしても話したい事があるらしい。
「アルン鉱山で発見されたアルン石は、これまで玻璃の染料として使われてきました。アルン玻璃です。我々の生家にもありましたよね、アルン玻璃の果物皿。」
「うん、あったな。」
ダルチニは生家の食卓にあった黄緑色の玻璃の果物皿を思い浮かべた。あの黄緑色は目が覚めるように鮮やかすぎて、主役であるはずの果物より目立ってしまうので、内心気に入らなかった。果物を乗せるならやはり白い陶器か銀の器に限る――しかし、果物が乗っていなければアルン玻璃は確かに美しい。宝石の、平面的にぎらりと反射する鋭い光とはまた違った、ぼんやりと内側から溢れるような、柔らかい光がある。あの柔らかく光る独特の黄緑色は、ごく微量のアルン石を染料として混ぜる事によって発色するらしい。ダルチニも、アルン石から同じ色の絵の具を作れないかと考えた事があるが、ダルチニは画家であって絵の具職人ではない為、作り方がまるで分からずに断念した。
ともかく、アルン玻璃はアーグ帝国が世界に誇る工芸品だ。異国に持って行けば高値で売れるし、女の子に贈れば喜ばれる。しかし、それがこのシロツメクサと何の関係があるのか。
「実は、アルン石はただの玻璃の染料……という程度のものではなく、『とんでもない禁忌の石』だったんです。」
「なんだよぉ禁忌って……さっきからキミの話なんか怖いんだけど……」
「すみません。本当に怖い話なんです。でも、兄上に会ったら話しておかなければいけないと思いまして。兄上はいつ帰ってきていつ出掛けるか分からない方ですし……本題に入りますね。現王の代から、王宮でアルン石を利用した妖術の研究が長らく行われていたんですが、その研究に関わった者達が、次々と死んでいるんです。しかも、みんなおおよそ似通った病気で。」
「えぇ……キミ、それ結婚式でする話じゃないだろ……なんだよぉ、ちょっとした怪談とかかと思ってたら、がっつり現実の話かよぉ……」
「とても大事な話なんです。私の結婚式ですから、私の無作法は私が許します。」
ハルディの性格は子供のころからこうだ。いかにも紳士的な物腰ではあるが、一度思い込むと遠慮というものが無くなる。そして、よく分からない理屈でも相手を気押してしまう威厳がある。現在は兄以上に背丈が伸びてかなり体格が良くなったから猶更だが、小柄な少年だった頃からこのような威厳は確かにあった。
「でもなぁ、王宮の妖術の研究が俺らに関係あるか? ヤバそうなら詮索しない方がいいんじゃないの?」
「その研究というのが、軍事目的なんです。うちは軍事貴族ですから、大いに関係ありますね。」
「あぁ、そうなの、はい……でも、石で病気ってどういう事なんだよ?」
ダルチニとハルディは宴会の席からだいぶ離れた中庭に居て、近くに人の気配は無いが、自然と声が小さくなっていた。
「それが、どうしてそうなるのかが分からないのに、確かに無視できないほどの人数がそうなっているから、怖ろしいんですよ。なんでも、アルン石を消費すれば、ほんの少しの妖術力でも大きな爆発を起こせるという事で、当初はその爆発の動力をあらゆる分野の技術に応用しようという研究だったんですが……ある時から、その爆発を兵器に利用する研究も並行して進められるようになったそうです。それで実験中の爆風に巻き込まれた者が負傷した、という話なら単純です。しかし、そうではないんです。研究者だけではなく、石を採掘した者、加工した者、更には研究施設の近くに居ただけの者等、あらゆる関係者が病死しています。風邪に似た発熱から始まりますが、風邪薬を飲んでも一向に治らず、やがて体のあらゆる部位が崩れて死ぬ。崩れる部位には個人差がありますが、おおよそその経過を辿ります。」
「それ、妖術じゃなくて呪術の間違いじゃないの? 無茶な呪術を使うと後遺症が残るらしいだろ。エリヤくんの右目だってそうらしいし……」
「それが、呪術ではないんですよ。一般には知られていない事ですが、この研究が始まるより前から、アルン玻璃の製造関係者達も同じ病気で大勢死んでいるんです。おそらく、あの石自体に何か祟りのような力があるのではないかと言われています。」
「おいおいおい……思った以上にヤバそうだな……でも、なんでキミがそこまで知ってるんだよ?」
「私の友人の研究者が、私に遺書を残して死んだからです。遺書に添えられていた資料に関係者の情報があり、念の為私の方でも調査したところ、資料の内容は全て本当でした。そして……遺書を残した彼は、病死ではなく自殺でした。」
「自殺……」
それ以上の言葉が出なかった。弟は、もはや引き返せないところまで、この国の暗部に首を突っ込んでしまったのではないか。
「兵器の設計図を書いたのは、その彼だったんです。彼は自責の念に堪えられなかった。研究に協力したのは過ちだった、と思ったのでしょう。前任者から続く長年の研究の完成が、やっと見えてきた段階だったそうです。兵器が完成したら、一瞬で都市を丸ごと吹き飛ばせるほどの威力になる計算でした。戦場向けの対兵士兵器ではなく、民間人まで巻き込む無差別兵器です。戦に勝って適地を占領してもせっかくの土地を破壊してしまっては自国にも利益が無いので、使う事自体が目的のものではなく、あくまでも他国を牽制する事を目的とするものでしょうね。しかし、牽制する為にはまず威力を見せる事が必要なので、嫌でも一度は使わなくては意味が無い……そんなものができてしまったら、あの野心旺盛な王子が黙っていられるでしょうか。おそらく王子は、何かしら理由を付けて、どこかの国の人口の少ない都市を一度破壊するでしょう。そうなれば、我が国の方も無事ではいられません。」
ダルチニの裡に、王子の姿が思い浮かんだ。ダルチニは軍事に直接関わった事はないが、貴族の一人として何度か謁見した事がある。シャラーブ王子。腕が四本、すなわち二臂であり、風貌は男なのに女の乳房を持っているという、珍しい体の王子である。彼はその他人と違う体を恥じる事はなく、それどころか、自身の体は神の生まれ変わりだと豪語している。文武両道で見目も美しい王子だが、それを鼻に掛けて高慢なところがある。更にはかなり性格が苛烈で、機嫌を損ねただけで従者を処刑してしまう事もある暴君らしい。兄弟が無く、たった一人の王子である彼は、いずれこの国の王となる事が決まっている。決して誰も言葉には出さないが、彼が政権を握る事に不安を感じている者は多いだろう。兵器が完成したら威力を見せる為にどこかで使う、というハルディの予想も当たらない保証は無い。
もし、世界中に兵器の事が知られてしまったら、製造方法が流出しただのしていないだの、どこかの国が同じ兵器を所有しているだのしていないだの、本当か嘘かも分からない情報が飛び交い、仮に兵器をこの世から一つ残らず消滅させたとしても、実体の無い情報だけが一人歩きし続けて、もう二度と兵器が無かった頃の世界には戻れなくなる――ダルチニはそんな未来を想像した。爆風も怖ろしいが、永遠に消えない情報の渦こそが最も怖ろしく思えた。
「設計図は燃やしましたが、研究はまだ進められています。他の誰かが新しい設計図を書くのも時間の問題でしょう。そして、王子は研究者に自殺で逃げられた――王子から見れば裏切りでしょう。その件でかなりご立腹です。」
「うわぁ……キミ、遺書絶対に隠しとけよ。いや、もう全て知らなかった事にしろ。せっかく結婚してこれから幸せな家庭を作るって時だろ。家族の為にも、危ない事にはこれ以上関わるなって。」
「なりません。家族や大切な人の為を思えばこそ、私はこの件を無視できません。私の子供や孫の世代の為に、そして、私を信頼して遺書を残した友の為に、あの研究はやめさせなければ……そうするには、政権を交代するしか方法はないでしょう。」
「はぁ……キミらしいな。考える事のスケールがデカい。引き返せって言っても、もう引き返さないんだろうな。」
「ええ、引き返しません。大きな声では言えませんが、王子は近頃益々ご乱心です。もはや話し合いが通じるお方ではない……そして、これは私の勘ですが、王子自身が、既にアルン石の影響を受けているのかもしれません。」
「王子自身が? どういう事だよ……」
「アルン石の影響は、あの謎の病気だけではないんです。もう一つあるんですよ。そのシロツメクサをお見せしたのは、その話をする為です。」
「ああ、これね。」
手に持っている、五つ葉のシロツメクサ。話に夢中ですっかり忘れていたそれを、ダルチニはもう一度眺めた。
「アルン石の周りでは、シロツメクサだけではなく、我々の種族を含めあらゆる生き物に同じ事が起こっています。」
「それって……」
背筋がぞっとする。ダルチニはすっかり酔いが覚めていた。ハルディがこれから話す事が、おおよそ予想できてしまった。
「四肢の本数が四本でない者、目の個数が二つでない者、頭蓋骨が極端に小さい者、性別が男とも女ともつかぬ者……アルン鉱山の近くの村や、アルン石を扱う場所の近くでは、そういった特殊な体を持つ者が多数産まれています。大抵は赤子の頃に死んでしまい、死なずに大人になっても人目に触れないように隠れて生活する者がほとんどで、しかも結局は短命なので、これまであまり広く知られていなかったようですが……」
「おい……要するに、キミが言いたいのは、王子も……」
「そういう事です。王宮がアルン石の軍事利用の研究を始めたのは21年前。ちょうど、その頃の王妃が現王子をご懐妊された頃です。王妃も近頃病床に伏しておられるとの事で、詳細は公にされていませんが……王妃のご病気も、王子のお体も、アルン石の影響だと私は思っています。王妃が何かの機会に研究施設を訪れたりしていたら、ありえない事ではありません。」
「……キミ、オレ以外にその話絶対するなよ。相手によってはぶっ殺されるぞ。オレは王家への忠誠心とか全然分かんない方だからいいんだけどさ。」
「そうでしょうね。ですから兄上に話しています。」
「だよなぁ……でもさ、王子の性格はともかく、体は産まれ付きなら仕方ないだろ。」
「それはその通りですね。体の形が違う事や、短命である事自体が悪いのではありません。しかし、明らかにアルン石が生き物に影響すると分かっていながら、その影響を無視するのは賢明ではありません。そして、どうやら王子の近頃のご乱心は、お体の不調による不安が原因となっているようなのです。研究者のような症状が、王子にも出始めているのかもしれませんね。何でも、先日処刑された従者は、突然胸を抑えて蹲った王子を気遣った為に、却って王子の逆鱗に触れたのだとか。それ以来、王宮でその事を口にする者は居ません……気遣われて怒る、とは私には理解し難い感情ですが、神の生まれ変わり、完全な肉体だと信じているご自身のお体が思い通りにならない事や、それを気遣われる事は、王子にとっては屈辱という事でしょうか。何にせよ、王子が何かに焦りを感じて足掻いているのは確かです。」
「えぇ……ヤバいだろそれ……」
「そうなんです。ですから、大事になる前に政権を交代すべきだと私は思っています。」
「交代するったって、誰がやるんだよ……」
「私がやります。」
(未完)