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    【小説】恋フルエンサー「恋と死はどう違うの?」
     それが最後の投稿だった。少女はビルから飛び降りた。瓶入りの手紙を海に流すように、SNSに奇妙な噂を遺して。
     少女は得体の知れない蔓草が自分自身の身体からざわざわと芽吹く夢を見ていたという。やがて瓶入りの手紙に尾鰭が付いて、それはお喋りな魚になった。少女と同じ口紅を塗った女達も同じ夢を見たという噂。その唇でキスをされた男達も同じ夢を見たという噂。噂がバズった。夢もバズった。人から人へ、あっという間に伝染した——


    ***


    「唇から、恋がバズる。ルージュ・インフェクション、登場。いいね!」
     駅前の大型ビジョンの中で、モデルの庵野蜜子が口紅を持って微笑んでいる。大手化粧品会社のCMだ。最後の「いいね!」という庵野の声に企業ロゴのクレジットが重なるように編集されている。

     俺は上司の甲斐警部を車の助手席に乗せて、次の現場に向かって運転していた。普段なら化粧品のCMなどに興味を示さない警部が、神妙な顔で大型ビジョンを眺めていた。
    「あの口紅には妙な噂があるらしいな。知っているか? 紅田君」
    「ああ、変な植物の夢を見るって噂ですよね……知っています。先日の飛び降り事件の少女も、その夢を見たとか」
    「そんな噂があっても、発売中止にはなっていないんだな」
    「まあ、その少女は元々不思議な言動を繰り返していた子らしいですし、口紅との因果関係が証明できませんからね……発売中止どころか、むしろ在庫切れになるほど売れているらしいですよ。みんな、庵野蜜子みたいになりたがっている……女性ってのは、綺麗になれるなら何でも良いんですかね?」
     往年の外国女優のような彫りの深いコケティッシュな顔立ち、手足がすらりと長く、それでいてグラマラスなスタイル——確かに彼女には、男も女も魅了するような存在感がある。
    「人気モデルの影響力はすごいな。カリスマ的存在ってやつか」
    「警部、その言い方はもう古いですよ。今はそういう人物の事を、インフルエンサーって言うんです。ネット上で人々に与える影響が大きい人物……今は、情報源がほとんどネットですからね」
     実際その通りだ。テレビCMだけではなく、SNSを利用したプロモーションでも彼女をよく見掛ける。例えばさっきの口紅の企業は、専用のハッシュタグを付けてレビューを投稿すると、抽選で庵野蜜子コラボデザインの限定商品が当たるキャンペーンを実施している。

    「蜜子カラー買ったよ〜。限定デザイン欲しい!」
    「オーバーぎみに塗ると蜜子風になっていい感じじゃない?」
    「私もあの夢見たら蜜子みたいになれるかなー、なんて(笑)」

     ハッシュタグで検索するとこんな投稿ばかりだ。いつの間にか「あの植物の夢を見ると恋が叶う」という都市伝説まで広まっているらしい。たかが夢で恋が叶うなんて、俺は嘘だと思うが、あの手の噂はたぶん、嘘か本当かなんてどうでも良いんだろう。
    「紅田君、君は夢の植物の正体は何だと思う?」
    「最初に噂を聞いた時には、口紅に何か幻覚作用のある薬剤でも混入しているのかと思ったんですが……どうもそんな単純な話じゃない。夢を見た人達の話をネットで検索すると、夢の細部は異なるものの、植物の見た目はおおよそ一致していたんです。薬剤による幻覚だとしたら、人によって異なるものを見るはずだ……具体的な特徴としては、蔓性と思われる長く柔らかい茎、対生の紡錘形の葉、花弁が五枚の小さい花……色に関しては白だったりピンクだったり様々ですが、まあ、夢の中の色の認識って曖昧だから、それはあまり重要ではなく……要するに、彼らはイメージを共有しているんです。これは一種のサブリミナル効果だと私は思っています。CMの映像に何かあるんじゃないでしょうか?」
     サブリミナル効果——映像の中にごく短いカットを挿入し、人間の潜在意識に働きかける手法。映画のフィルムに一コマだけ飲料の画像を挿入すると、映画館でその飲料の売上が上がったとか——真偽はともかく、そういう話は有名だ。
    「実は別の部署がその線で調べたが、結果はシロだった。映像を解析しても、怪しいものは何も出てこなかったらしい。ちなみに、薬剤の混入についても調査済だが、こちらもシロだった。」
    「……となると、どうにも手出しできませんね。夢の世界は我々の管轄外ですから」

     警部とこの会話をしてから約二週間後、俺は意外な角度からその「管轄外」の事件に関わることになる。しかし、この時の俺には知る由もなかった。


    ***


     安野蜜子(芸名:庵野蜜子)
     日本人のデザイナーの父とフランス人のシャンソン歌手の母の間に生まれる。
     九歳の頃、自宅がガス漏れによる火災で全焼、両親を失う。その後養父である青柳国芳に引き取られ、彼と同居。
     十四歳の頃からティーン向け雑誌で読者モデルとして活動を始める。
     十八歳で養父の元を離れてパリに渡り、二十歳までアートスクールの映画科に通いながら、現地でもモデルを続けた。この頃から女優としても活動を始め、パリ在住時にプロアマ併せ四本の映画に出演。
     その後日本に帰国。現在はファッション誌やCMの仕事が多いが、ドラマ、映画への出演もしている。


    (参考資料として添付された雑誌のインタビュー記事の切り抜き)

    「では、庵野さんにとって、恋と愛の違いとは?」
    「愛は恋より思い遣りがある……みたいなのが、その質問の正解なのは知っています。でも、みんな、そんなの聞き飽きているでしょう? そうね……恋も愛も、どちらも美しく、それでいて怖ろしいもの……でも、恋は死ぬことに似ていて、愛は殺すことに似ている……それだけ。私にとってはそれだけの違いです」


     その日、俺は車の中で庵野に関する資料を読みながら、コンビニで買ったツナマヨコッペパンを齧っていた。資料の封筒には彼女の経歴などの書類と、子供時代から今に至るまでの数枚の写真が入っていた。彼女の華やかな人生に安っぽいマヨネーズの匂いが染み付くのがなんだか情け無くて、俺は車の換気のスイッチを押した。

     なぜ俺が庵野の資料を読んでいるのかというと、数日前、庵野が自宅マンションの玄関で養父の青柳に首を締められる事件が発生し、俺が捜査を担当することになったからだ。
     青柳は彼女の首を絞めている途中で躊躇ったのか、すぐに手を離した為、彼女の命は無事だった。殺人未遂の容疑で捜査が開始された。事件当日のマンションのエレベーターの監視カメラには青柳の姿が映っており、確かに彼女のマンションを訪れたことは確認できた。被疑者として身柄を拘束された青柳は容疑を認めているが、どうも錯乱しているようで、意味不明な供述をしている。捜査は、まず庵野への事情聴取と現場検証で証言と証拠を集め、情報を整理した上で後日改めて青柳への取り調べをする予定となった。
     このショッキングな事件はまだ世間には公表されていない。公表されたらマスコミが津波のように押し寄せて、捜査どころではないだろう。目立つのを避ける為、捜査にパトカーは使わない。
     こんな状況でありながら、庵野は今日も雑誌の撮影の仕事に行っているらしい。タフな人だと思う。もっとも、それぐらいタフでなければ芸能界ではやっていけないのかもしれない。

     俺は資料の写真を確認した。子供時代、ティーン向けの読者モデル時代、パリ在住時代、最近撮影されたオフショット——全てに目を通したが、両親と一緒に写っている子供時代の一枚がふと気に掛かり、もう一度手に取ってよく観察した。背景に古い洋館が写っている。これが後に火災で全焼した自宅らしい。俺が気になるのは、その洋館に絡んでいる蔦のような植物だ。それはどこか、噂の夢の植物に似ていた。蔦なら葉が三方向に尖っているはずだが、その植物の葉は紡錘形だった。茎や花の特徴も噂と一致する。
     SNSで検索すると、夢の植物の品種に関する憶測が既にあれこれと飛び交っていた。自称植物学者が「あれはハゴロモジャスミンではないか」と投稿し、その投稿が拡散されていた。ハゴロモジャスミンの画像を検索すると、確かに写真の植物に似ている。葉と葉の間隔が僅かに違う気もするが、残念ながら写真の画質があまり良くない為、細かい部分までは判別できない——
     俺は検索するのを止めた。今はこんなことを調べている場合ではない。夢の植物は今回の事件には関係無いだろう。そろそろ庵野が仕事を終えて帰宅する予定だ。俺は資料を封筒に戻し、運転し始めた。


     日が落ちた頃に辿り着いた庵野の自宅マンションは、左官が手作業で塗ったような跡のある壁で、ベランダの手すりが黒っぽい金属でレリーフが付いている、レトロな外観だった。六十年代のフランスが好きだという彼女の趣味が表れている。しかしエレベーター等の設備は新しい。きっと、意図的にレトロにデザインされた新築マンションなんだろう。
     呼び鈴は鳴らさない。俺は指定された部屋の前で、予め電話番号を伝えておいた業務用のスマートフォンを使って彼女を呼び出した。彼女はすぐに玄関を開けた。テレビで見るより化粧は薄めだが、確かに、あの庵野蜜子だ。テレビや雑誌の中だけじゃなくて、本当に生きている人なんだな——しかし、有名人だからといってジロジロ見るのは失礼だろう。警察手帳を見せ、所定の手順を済ませると、俺はすぐに捜査を始めた。

    「被疑者はあなたと血は繋がっていないが、あなたが九歳から十八歳まで同居していた養父だそうですね。失礼ですが、ご家庭で何か揉め事があったという事でしょうか?」
    「揉め事というか……もう過去のことですけれど、彼は私を愛していたんです」
    「えっ? あ、そう……ですか……」
     出端から、俺は随分と間抜けな受け答えをしてしまった。どうやら、事情は予想以上に複雑らしい。彼女は伏し目がちで、物憂げな顔をしていた。あんな意味深なことを言われた直後にそんな顔をされたものだから、ついあれこれと下世話な想像をしてしまう。
    「すみません。確認ですが、その『彼は私を愛していた』とは、要するに家族としての愛情などではなく……」
    「ええ、男女の愛として」
     彼女ははっきりとそう答えた。隠すつもりはないらしい。
    「で……では、後日、被疑者への取り調べで、そういった動機についても確認します。それから、事件当時あなたが着ていた服を提供して頂き、DNA鑑定に回します。ご協力をお願いします」
    「はい……」
    「それで……思い出すのはお辛いと思いますが、事件当時の状況を、覚えている限り正確に教えてください。首を締められた時、被疑者とはどのような位置関係でしたか?」
    「私が、そちら側の壁に押し付けられて、彼は目の前に居ました」
     彼女はクローゼットの反対側の壁を指差した。その壁にはサイズの異なる幾つかの近代アートがぽつぽつと飾られていた。
    「要するに、このあたりにあなたが居て、被疑者がこう……こういう感じですか?」
     俺は壁から一歩ほどの位置に立ち、近代アートの隙間——おそらく彼女が居たであろう場所に両腕を伸ばした。
    「ああっ……」
     突然、彼女は苦しそうな声を出しながら顔を両手で覆った。しまった。トラウマを思い出させてしまったか。
    「すみません、大丈夫ですか?」
     俺は咄嗟に彼女の側に駆け寄った。
    「ええ、確かにその位置でした……大丈夫です。どうか気にしないで……」
     そう言いながらも、彼女は目が泳いでいて、呼吸が荒く、明らかに動転した様子だった。まずい。この調子だと、正確な証言が得られないかもしれない。
    「紅田さん、絶対にマスコミには漏らさないでくださいね。スキャンダルになるから」
    「ご安心ください。あなたのプライバシーは守りますから」
    「本当に? 本当に守ってくださるの?」
    「俺があなたを守ります」
    「紅田さん……」
     縋るように、彼女は俺にもたれ掛かってきた。デパートの一階みたいな匂いがする。女であることに遠慮のない女の匂いだ。確かに彼女はこの匂いが似合う女だと思う。もし、世間の男達にこの話をしたら、大抵の男は「でも、俺はもっと清楚な子が好きだけどね」という一言を付けるだろう。そんなの嘘だ。彼女が目の前に居ればそんな建前は忘れるんだ。
    「ねえ、キスしてくださらない?」
     もう何度もそうしているかのような自然な仕草で、俺は彼女の背中に腕を回し、唇を重ねていた。もちろんこれはルール違反だ。仮にルールが無かったとしても、普段の俺ならこんな大胆なことはできない。しかし、生温いピンク色の波に足を取られて、そのまま沈んでしまえば、できないことができてしまうんだ——

     胸の奥で、ざわざわと何かが膨れ上がるような音がしていた。その音はずっと聞こえていたような気もするが、いつから聞こえていたかは覚えていない。


    ***


    「……それで、被害者の証言によると、過去にあなたは被害者に恋愛感情を抱いていたということですが、これは事実ですか?」
    「恋愛感情なんて言葉で片付けられるとは思っていないが……まあ、一般的な言葉で言えばそうなる。それが事実ということで良い」
    「その感情は動機に関係ありますか?」
    「関係あるどころか……見えるんだよ。今でも俺の手に絡み付いている……いつからか、夢の中だけじゃなく、起きている時にも見えるようになった……」
    「見える、とは?」
    「知らないのか? 妙な蔓草の噂を……ほら、この手を見ろ。これだよ」
    「何もありませんよ……まあ、その噂は一応知っていますが、しかし、存在を証明できるものではない。その供述は、客観的に言えば、あなたがある種の幻覚を見ていた、という意味に取られますよ」
    「幻覚……言い換えれば、そうとも言える。要するに、実在するかしないかに関わらず、脳が『見える』と認識すれば見えるんだ」
    「その話は、動機と何の関係が?」
    「最初は、綺麗な夢だと思ったさ……しかし、蔓草は際限無く成長した。俺の身体中に伸びて、寝ている時も起きている時も、がんじがらめになるほどに……それで結局、耐えられなくなったんだ。蜜子が居なくなれば、この蔓草も無くなると思って、首を絞めた……」
    「要するに、あなたの言い分としては、その蔓草を止めようとしたのが動機だったと」
    「ああ……でも、殺せなかった。あと少しというところで、蔓草が邪魔して、俺の手を緩めたんだ……」
    「うーん……どうも、具体性の無い話ですね。オカルトの域を出ていない」
    「動機に関しては、俺が幻覚を見ていたということで処理して貰って構わない……しかし、これはあながちオカルトとも言い切れない話なんだ。さっき話した、脳の認識によるものだとすれば、一応説明は付く……例えば、蜜子の表情や声の波長が、それを見た者の脳に影響を与えて、蔓草の映像を見せていると仮定すれば、CMを見た人々が一斉に同じ夢を見ることだって、あり得るだろう? いわばミームだ」
    「ミーム……聞いたことはありますが、実在するかどうかは……」
    「ミームはそこらじゅうに存在する。流行も言い換えればミームだ。例えばジーンズ……当初は単なる労働者の作業着だったものが、人気のハリウッド俳優が映画の中で着用して以来、ファッションアイテムになった。今じゃ、何十万もするジーンズをわざわざ買う者も居る。作業着がミームによって高級品になったということだ……人から人へと情報が伝わるうちに、共通のイメージが確立されていく、これがミームだ」
    「はあ……」
    「ところで刑事さん、あんた、古文の成績は良かったか?」
    「古文? いえ、あまり……」
    「……だろうな」
    「何ですかそれ、失礼ですよ」
    「まあ良い……平安時代に、藤原定家という歌人が居てな。百人一首を編集した人物であり、彼自身の歌も百人一首の一部となっている。この藤原定家は、テイカカズラという蔓草の名前の由来でもある。そして、蜜子が幼少期を過ごした家には、このテイカカズラが絡んでいた……どうだ、話が繋がってきただろう?」
    「例の夢の植物は、テイカカズラだと?」
    「ああ、蜜子が広めているミームの正体はそれだ……」
    「ちょっと待ってください……この写真の植物が、そのテイカカズラですか? ハゴロモジャスミンではなく?」
    「ああ、それだ。ジャスミンに似ているが違う。テイカカズラだ……さっきの話には続きがある。なぜ、テイカカズラの名前の由来が藤原定家なのか。それは、定家の逸話に関係がある。定家は皇族の女性と人目を忍ぶ恋をしていて、その女性を想うあまり、死後に蔓草に化けて彼女の墓に絡み付いた……この言い伝えから、その蔓草がテイカカズラと名付けられた……」
    「それでは、まるで、藤原定家の情念が呪いになって、その呪いが現代で蜜子さんに受け継がれてミームになった……みたいな話になってしまう。やっぱりオカルトなんじゃ……」
    「いや、逆だ。逆に考えてみろ。昔の人間は、ミームという言葉を知らなかったから、それを『呪い』と呼んだ……あり得るだろう? それに、定家は実在の人物だが、恋愛話については史実ではなく、後世の創作だと言われている。定家自身に情念があったかどうかは不明だ」
    「それなら、そもそも嘘か本当か分からないじゃないですか」
    「だからミームなんだ。嘘か本当かなんてどうでも良い……重要なのは、実在するかどうかではなく、多くの人々が『ある』と思い込むこと……だから、ミームはアイコンを必要とする。多くの人々に影響を与えるアイコンを……蜜子は、まさにアイコンに最適な存在だ」
    「アイコン……」
    「俺はこのミームを『恋草』と名付けた。定家の時代よりもっと前から存在した、万葉集に出てくる言葉……恋心が燃え上がる様子を、草が萌え出づる様子に喩えた言葉……」


     赤信号で停車し、俺はそこでICレコーダーの停止ボタンを押した。青柳への取り調べを録音しておいたデータだが、やっぱり何度聞いても青柳の供述を信じることができない。ミームが脳の認識に影響を与えている、という理屈は一理ある気もするが、青柳の作り話と言われればそうとも思える。
     信号が変わる前に、俺はICレコーダーを業務用のスマートフォンに持ち替え、庵野に電話を掛けた。
    「取り調べは終わりました。やはり意味不明な供述が多かったのですが、動機に関しては、あなたの証言と辻褄が合っていた……DNA鑑定の結果からも裏付けられたので、これで容疑は確定でしょう」
    「そう……ありがとうございます」
    「ちょっと待ってください。電波が悪い……」

    「紅田です。さっきと番号は違いますが……これは私用のスマホなんだ。監視されていない」
    「監視されたらまずい話?」
    「青柳から聞いた話が個人的に気になっているんだ。君が伝染させている夢の植物の話だよ。心当たりはあるだろう?」
    「ああ、あれね……あれは恋の象徴なのよ。恋を可視化したイメージ、と言えば分かりやすいかしら。私には、それを人に見せる力があるみたい」
    「青柳は、その力をミームだと言っていたけど、君はどう認識してる?」
    「どういうしくみなのかは、私自身にも分からないわ。でも、きっかけは覚えているの。両親と暮らしていた家には、テイカカズラという蔓草が絡んでいて、火事で家と共に焼失した……その頃からよ」
    「要するに、君が幼い頃に見ていたテイカカズラは、実物が焼失した後も『恋の象徴』として君の中に残って、それが人にも伝わるようになった……ということ?」
    「ええ、きっとそうよ……生前の父に教わったの。テイカカズラは、昔の歌人があまりに激しい恋をして変わり果てた姿だって。その頃まだ少女だった私は思ったわ。『なんて素敵な恋なのかしら!』って……そう強く思ったから、この奇妙な力が身に付いたのかもしれないわね」
    「素敵な恋……かな? 怖ろしいと思わない? 現に、君のその力が青柳を狂わせて、君は殺されかけたんだぞ」
    「それほど想われるって素敵なことよ」
    「首を絞められても?」
    「そうよ……実はね、現場検証であなたが壁の方に手を伸ばした時、私、あなたに首を絞められる想像をして、つい、キスをしたくなってしまったのよ」
    「そうかな? 君はきっと、恐怖心と恋愛感情を混同しているんだよ。いわゆる吊り橋効果って現象だ。そうでなければ、君の方が狂っている……いや、ごめん。俺が言えたことじゃないな。あの日、キスをしたのは俺の方だ……しかし、言っておくけど、俺はいつもあんなことをしている訳じゃない」
    「あら、いやだ。私だって、いつもあんなことをしている訳じゃないわ。そんな女だと思った?」
    「でも、君は人の心を惑わすものを世界中にばら撒いているってことじゃないか。その行為を取り締まる法律が無いのが、なんだかもどかしいな……」
    「私を監獄に閉じ込めたい?」
    「できるならそうしたいよ……でも、できないんだ。夢の世界は管轄外だからね」
    「管轄外だとしても、他人事とは限らないわ」
    「それはどうかな。俺はまだ半信半疑だよ」
    「それはどうかしら。今夜、あなたはその手で、私のマンションの方向にハンドルを切るわ。あなたが決めなくても、あれが行き先を決めてくれるから……」
    「あれって……まさか」
    「ねえ、会いたいのよ」

     音が聞こえる。ああ、まただ。あの、ざわざわと何かが膨れ上がるような音だ。音はだんだんと大きくなった。ハンドルを持つ手に何かが這うような違和感を覚えた。ふと手元を見ると、スーツの袖口から「あれ」が——恋草が芽吹いて、異様な早さで伸びながら、俺の手に絡み付いていた。






    ddccori Link Message Mute
    2022/12/28 17:05:42

    【小説】恋フルエンサー

    某古語コンテスト用に書いたけど応募しなかったものです。供養。

    お題「恋草」

    【あらすじ】
    人気モデル・庵野蜜子を起用したCMで爆発的に売れている口紅。
    その口紅には「使うと謎の植物の幻覚を見る」という奇妙な噂もあった。
    そんなある日、蜜子が元養父に首を絞められる事件が発生する。
    捜査に当たった刑事の紅田は、やがてこの首絞め事件と謎の植物の意外な関わりを知る事になる。

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    • 【小説】メイの過去編【用語】
      ・妖呪仙術→妖術、呪術、仙術を一語にした今作中の造語
      ・●●一家→侠客の組織の名称。●●の部分が親分の呼び名になるが、これは本名ではなく通称で、代々襲名するシステム
      ・バラキ楼→ウロマチ一家が仕切る妓楼
      ・ミカエ楼→ジュウゾウ一家が仕切る妓楼(本編時間軸のメイとテンミィはここに居る)

      【設定】
      ・作中の「刺青師」はよその子をお借りしました

      【オマージュ元】
      ・尾崎紅葉著「金色夜叉」
      ・F・スコット・フィッツジェラルド著「グレート・ギャツビー」
      ・映画「ゴッドファーザー」
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    • 【小説】市吾の過去編【用語】
      ・駿江(スルエ)→大和にある地域
      ・松実(マツザネ)→回想に登場する人物、駿江を治める大名
      ・稲羽(イナバ)道場→大和にある仙術修業施設の一つ、表向きは剣術道場
      ・神酒(ミキ)→回想に登場する人物、市吾と同じ道場出身の仙術師

      【設定】
      ・過去の市吾の口調は敬語
      ・作中の「烏天狗の男」はよその子をお借りしました
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    • 【小説】アーグの軍事研究と王子の話【用語】
      アーグ帝国→架空の国
      アルン鉱山→架空の鉱山
      アルン石→架空の鉱石
      アルン玻璃→架空のガラスの一種
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    • 【小説】テンミィの過去編、ドゥシャとの出会い【カプ】
      ドゥテン、ジアテン

      【用語】
      盤、悠→暫定で書いた架空の国(正式な設定ではない)
      ジアン→回想のみ登場のキャラ
      赤茶色の長髪を束ねた男→モブ
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