【小説】市吾の過去編 賭場に現れた上品な装いの者達は、普段そこに居るやくざ者達よりも容赦が無かった。
一流の勢力の臣下と思わしき彼らは、有無を言わさず客を外に追い出し、残った一人の男を手際良く縄で拘束していた。拘束された男は盲であった。顔には両目の端から端までを一度に斬られたような大きな横一文字の傷があり、瞼は閉じていた。男の傍らには杖が転がっているが、よく見るとそれは刀が仕込まれた杖であり、拘束される寸前に抜こうとした形跡があった。男は縮れ毛を頭に沿って編み込んだ変わった髪型をしていた。
「あんたら素人じゃねえな。将軍か王家の精鋭ってとこでしょ。それもこの部屋だけで六人、外にはもっと居る……盲一人捕まえんのに、ちょっと大袈裟すぎんじゃねえかい。」
盲の男には部屋に居る者の人数など見えていない筈だが、確かにその男を除いて六人の者がその部屋に居り、外にも仲間が控えていた。そのうちの一人、片翼の烏天狗の男が一歩前に出た。
「無作法お許し下さい。しかし、あなたを無傷で捕えるには、こうするしかありませんので。おそらくあと一瞬でも間があれば、ここに居る全員を斬っていた程の強者ですからね……その能力を王家で役立てて頂けませんか。私達がここへ来たのはその件の為です。王家では現在、強い仙術師が不足していますので。」
「なんでぇ……そんな要件かい。てっきり、あっしを処刑しに来たもんだと。あっしが仙術師だったって知ってんなら、駿江に居らんなくなった理由も知ってんでしょ?」
「存じております。駿江守護大名松実、およびその臣下十八名の殺害……もしこちらの申し出を受け入れて頂けなければ、その理由で処刑させて頂きます。」
「そんなら処刑して下せえよ。只ねえ、神聖な賭場を血やら何やらで汚すのは勘弁して貰いてえんでさ。やんなら外だ。」
「……分かりませんね。なぜ、弁解すらせずに、そう易々と処刑を望むのですか。」
「御上が弁解なんて聞く気もねえ癖によく言うね。」
「体制に対する尋常ならざるその猜疑心……やはり、あなたの反逆には何か譲れない理由があったのでしょうか。そうでなければ、駿江城で最も教養のある男と言われていたあなたが、あんな事をする筈がありません。」
「そんな下らねえ噂は知ってる癖に、肝心な事は知らねえんだな……まあ、無理もねえか。城の奴らは誰も外に話してねえだろうからな。なら死ぬ前に話してやりまさ。あの日、駿江城で何があったのか……」
――――
その男、市吾は代々続く仙術師の家系の生まれであった。彼の父は将軍に仕える一流の仙術師で、市吾も将来は将軍か大名に仕える仙術師になる事が決められていた。幼い頃より詩歌を詠み、史学、算学等あらゆる学問の教育を受け、やがて仙術の修業をする為、九歳の頃に稲羽道場に入門した。稲羽道場の仙術は剣術を組み合わせた流派である。市吾は生まれ付き仙術骨を持っており、素質も十二分であった。市吾は十五歳の頃には既に、その頃の師範代と互角の試合をする程に強くなっていた。入門前から学問に親しんでいた為か、座学においても秀でていた。
十六歳の頃、市吾と同齢の神酒という少年が道場に入門した。神酒は宮大工の息子で、生まれた時には仙術骨を持っていなかったが、玉兎から仙術骨の移植を受けて適合した者だった。
神酒は十六歳にして既に酒飲みで、度々街に出て酒を買ってきては宿舎に持ち込むような大胆な性格であった。市吾は神酒に勧められて初めて酒を飲んだ。また、神酒はいつも賽子を隠し持っており、宿舎の同輩達に博打を教えた。それまで上品な娯楽ばかり嗜んできた市吾は博打など打った事はなかったが、意外にも素質があり、神酒と博打を打つのが何よりの楽しみになった。生まれ育ちも性格も違えど、市吾と神酒は不思議と馬が合い、やがて互いに最も親しい友の間柄になっていた。
神酒は修業を始めるのが他の門下生達よりも遅かったにも関わらず、鍛錬法を独自に工夫し、僅か二年程で周りと同等以上に強くなった。その次の年にはかつての師範代が師範となり、市吾と神酒が並んで師範代となった。
ある時、市吾は神酒に尋ねた。
「神酒、あなたはどうして、移植を受けてまで仙術師になろうと思ったのですか? 習得の早さも尋常ではありません。まるで何かを急いでいるかのような鍛錬の仕方ですが。」
「俺の親父な、宮大工だけど、腰がどうも良くないんだな。それで、できる仕事が裏方ばっかりになって稼ぎも減って、うちの一家はカツカツって訳だ。俺が仙術師になって偉い奴に仕えれば稼げるだろ。だから急いでるんだ。」
市吾と神酒の実力はほぼ互角であったが、他者に指南する事にかけては神酒の方が長けていた。神酒が考案した、目隠しをしたまま床に描いた線の上で素振りを続ける鍛錬法は、無意味な曲芸ではないか、との声が上がっていたものの、その鍛錬法により門下生全体の実力が底上げされたのは事実である。足の裏が乱れれば全ての動作が乱れる、すなわち、思いのままに剣を振る為にはどんな状況下でも狙った場所から足の裏が離れないようにする事が肝心である、という原則を、神酒は自身の鍛錬の経験から学んでいた。
神酒と肩を並べるようになってから、市吾は自身の怠慢を思い知った。幼い頃から自身の強さを誇っていた市吾は、強くなる為の原則を知ろうとしなかった。知る必要が無いと思っていた。その怠慢の為に、後から入門した神酒に追い付かれてしまったのであろう。市吾は神酒を妬みこそしなかったが、強くなり続ける神酒に置いて行かれる事には焦りを感じていた。市吾があらゆる動作の正確さを意識し始めたのは、この頃からである。
二十一歳の頃、市吾と神酒は駿江城の専属仙術師として召し抱えられ、駿江全域を治める守護大名松実に仕え始めた。
五十五万石の石高を誇る松実の恩恵により、駿江城の待遇は十分過ぎる程であった。市吾にも神酒にも、多額の給金、また良質な武器や防具が与えられた。神酒は喜んで生家に仕送りをした。
松実はその実力の反面、異様に残酷を好む嗜癖があり、この嗜癖が厄介であった。罪人の処刑にあらゆる趣向を凝らしたり、寝所で粗相をした側室は全身を大根のように切り分けられた姿で生家に突き返される事もあったという。駿江城に仕える者は常に松実の機嫌を損ねないよう気を張っており、市吾と神酒も例外ではなかった。
しかし、ある日、怖れていた事が起こってしまった。神酒が投獄されたのである。市吾がその場に居た武士に訳を聞いたところ、松実が娯楽の為に真剣を用いた御前試合を計画しており、神酒はその試合に反対した為、反逆者として投獄されたらしい。
真剣を用いた御前試合とは、確かに常軌を逸している。試合なら木剣で十分であり、真剣を用いれば、戦った二人のうち少なくとも一人は凄惨な死を遂げるであろう。神酒が反対したのも当然である。
市吾は居ても立っても居られなくなった。試合も気掛かりであったが、それよりも神酒を放っておけなかった。言うべき事を言った神酒だけが犠牲となり、自分は黙ってやり過ごして助かるなど、あってはならない事だと思った。
足がすくむ思いであったが、市吾は松実に、神酒の解放を嘆願した。筋道を立てて説得すれば聞き入れて貰えるのではないかと期待していた。しかし、その期待も虚しく、結局市吾も神酒と同じ牢に投獄されてしまった。
「お前もかよ、市吾。」
神酒は突き放すようにそう言ったが、その顔は僅かに笑っていた。
「すみません、殿を説得できるかと思っていましたが、甘い考えだったようです。」
「なんでお前が謝るんだよ……」
暫くして、市吾と神酒は見張りの者により、牢から城の南側の庭へと連れ出された。庭に松実が現れ、とうとう処刑されるのかと二人が覚悟したところで、松実から直々に命令が下された。
「お前達の望み通り、御前試合は取り止めとしよう。その代わり、お前達がこの場で真剣試合をせよ。そして、勝った方を無罪とする。」
よりによって、真剣試合に反対した二人に真剣試合をさせるとは、悪趣味の極みである。市吾は腑の煮え繰り返るような思いであった。神酒も同じであろう。しかし、二人にその試合を拒む権利など無かった。
「市吾、分かってるよな。やるからには、絶対に手加減するな。もしお前が手加減して俺が生き残ったりしたら、俺はすぐに自害する。お前を信頼して全力を尽くすぞ。」
「私も同じ思いです。どうか互いに後悔無きよう……神酒、あなたのその誇り高き精神、どんな結果になったとしても決して消えはしないでしょう。」
それ以上言葉を交わす時間は与えられなかった。手早く大小の真剣が用意され、二人は白砂の庭の中心で向かい合った。
市吾は下段、神酒は中段に構えた。間髪入れず、一太刀で勝負は付いた。市吾の太刀が一瞬早く神酒の胴を逆袈裟に斬り、斬られて仰け反った神酒の太刀は狙いを外れた。突然、市吾の眼前が真夜中のように暗くなった。光の代わりに焼けるような熱と痛みを感じ、市吾は両目を横一文字に斬られた事に気が付いた。白砂を染めた血と腑の赤さはもう見えなかったが、その臭いは鮮明だった。
「よくやった市吾! 大層見応えのある試合であったぞ! お前は無罪、神酒は有罪。これにて決着。その目ではもう武士の勤めは無理だろうが、当道座の職屋敷を紹介してやっても良いぞ。」
松実の上機嫌な笑い声が聞こえた。市吾は声のする方へ静かに歩み寄った。
「殿、有罪は私でございます。」
松実の笑い声が絶叫に変わった。市吾の振り下ろした太刀が命中したのである。すぐに四方八方から激昂した臣下達の気配が迫ってきたが、それらの気配も全て斬った。やがて庭に市吾以外の気配が無くなると、市吾は無我夢中で走った。行く当ては無かったが、只遠くへ遠くへと走っていった。
市吾の目から流れ落ちるのは血ばかりではなかった。手加減をするなと言った筈の神酒自身が、最後の最後に僅かに躊躇った事に気付いていた。
――――
市吾が話し終えると、彼を拘束していた縄が切れた。刃物の音はしなかった。鴉天狗の男が妖術で風を発生させ、縄だけを器用に切ったのである。突然開放された事に市吾は驚いた。
「こりゃ、一体どういう事で……」
「その話が本当だという証拠は現時点でありませんが、確かにそれなりの動機が無ければあなたがそこまでの事をする筈が無いという事は、確信致しました。当時から城に勤めていた者に真剣試合の計画について聞けば、きっと事実が裏付けられるでしょう。後日正式に調査致しますが、今はあなたを信じます。万が一食い違いがあれば、また改めて参りますが……それまで、あなたへの勧誘も処刑も延期という事に致しましょう。」
「待ちな。」
去ろうとする鴉天狗を市吾が呼び止めた。
「延期ってやつは気が進まねえな。あんたに付いて行きまさ。あんたみたいな腕と器を持った奴が居るなら、もう一度御上を信じてやっても良い。」
「王家への勤めの件、考え直して頂けたという事ですか。」
「まあな。只、その調査が済んで裏取れたら、神酒の家族にも何かしら補償してやってくれやせんか。そしたらあっしはその後ずっとあんたらに従う。それが条件って事でどうですかい。」
「分かりました。そうしましょう。」
こうして市吾は王家の仙術師となったのである。
(終)