つかんだ右腕
・原作イメージとそぐわない表現を含む場合があります。
以上をご了承いただけましたら、どうぞお楽しみ下さい。
コーネリア軍最高司令室。
ペパー将軍は、先程連絡を取った人物を待っていた。
元コーネリア空軍士官でかつての自分の部下であり、
先の作戦で繰り広げられたアパロイドマザーとの壮絶な戦いで、命を賭して自分を守ろうとした男。
彼は空軍に所属している時にも、時間はきっちりと守る質だったので、
こうして車椅子の上で書類仕事をしていても、安心して待っていられる。
「ペパー将軍、失礼いたします。」背丈の高い、部下の一人が部屋に入ってきた。
「うむ、どうしたのかね」
半ば期待をしながら返事をする。指定した時刻より五分前だ。きっと彼がやって来たのに、違いなかった。
「ペッピー・ヘア元空軍少尉殿が、お見えになりました。」
「違う違う。わしはもう20年以上も前に退役して…」部下の後ろの方で、声がする。
元気の良い老年らしい男性が、部下の後ろからひょっこりと顔を出す。
ペパー将軍と目が合うと、居住まいを正して背筋をすっと伸ばし、将軍の座している机の目の前まで歩みよった。
「ペパー将軍、ただいま参りました。お久しぶりです。…お加減はいかがです」
「おお…ペッピー君。よく来てくれた。…君の顔が見られて嬉しく思うぞ。」
ペッピー・ヘア。
若き頃は、コーネリア軍所属の空軍少尉としてペパー将軍に尽くし、
よく笑い、よく人に話しかける明るい性格と責務に対する誠実さは
いつもペパー将軍の目に留まり、覚えもめでたい事であった。
そんな頃から知る身にしてみれば、よほど苦労が多かったと見え、
上官だった自分と同じぐらいに老け込んでいる彼を、労いの気持ちで見るほかはない。
「座ってくれたまえ。今、何か飲むものを持ってこさせよう」
ペパー将軍は座っている車椅子を客用のテーブルへ移動させる。
その様子を見、車椅子の軋む音を聞いて、
ペッピーの表情が一瞬、悲しそうに歪んだようだったがすぐにいつもの彼に戻る。
「急なご連絡があったので驚きましたが…ですがお顔の色も良い。だいぶ回復されたご様子で、安心しました。」
ペッピーはペパー将軍と客用の円卓を囲み、紅茶を共にしながら会話を交わす。
こういう時に見せる笑顔は、彼の若いころとまるで変わらないと思い、ペパー将軍は微笑している。
しかし、ペッピーの言葉と表情は明るいものであったが、彼はペパー将軍の仕草や声の張りが
以前会った時よりもより一段と、衰えているのを感じていた。
感じていてなお、口にする事を避け何とか励ましたいと願ったのだ。
おそらく、先だっての負傷や加齢だけが理由ではない。
ペパー将軍に微かに漂う、病に特有の雰囲気のようなものを、ペッピーは敏感に察知していた。
ペッピーには、病に倒れ療養中の妻ビビアンがいる。
同じだった。優しく、元気に振る舞ってくれていたのにどこかしらおかしいと感じたその時。
お転婆だった娘もようやく婚約が決まり、妻とはこれから静かに共に年を重ね、
ゆっくりと幸せにしてやりたいと、そう思っていた矢先だった。
衰弱した身体で今も笑顔をくれる妻の気遣いが、ペッピーの心には痛かった。
何もしてやれなかった。その後悔は、ペッピーを人知れず苦しめている。
そう、かつてのあの時と同じに…。
「ああ…先の作戦で私は、君に命を救われた。今こうして、将軍として職務をこなしていけているのも」
君のおかげだ、ありがとう。そう言って、紅茶を口に運ぶ。
「いえ。わしも、もう少しいいやり方があったかと今なら思いますが…
…何しろあの時は、あの方法しか思いつきませんでな。
将軍にかえってお気を遣わせたものかと、お言葉痛み入ります。」
将軍を救うために身体に刻まれた負傷の跡は、今も彼の右腕にあるはずだった。
軍人らしいと言えば軍人らしい。ペッピーは自分の痛みについては一切触れようとしない。
ペパー将軍は、その傷がつけられた時の生々しい記憶を辿り、しばし瞑目してから応える。
「いや、そんな事はない。あれが最善だったと、私もそう思っている。」
寛いだ時の中で、他愛なくも安らぐ談笑もちらほらと始まる。
将軍との久々の再会に引き締められていたペッピーの気も、いくらか緩んだと見えて、
ゆっくりとカップを持って紅茶を飲み始めた。
そうして緩んでいたせいだろうが、その時に見せた本当に美味しい、といった風の
ペッピーの表情がペパー将軍にはとても愛くるしく思えた。
彼の上官を担当していたあの頃、背が小さく尉官であってもどこか少年兵のような
佇まいのあったペッピーを時折、こうして可愛らしいと感じながら、
穏やかに見つめていたものだった。
今はあの時よりも、こんなにも近くに彼がいる。
こういう言い方が許されるのなら、まるで旧い友人のように言葉を交わしあっている…。
「君ともっともっと、話をしていたいものだ。こうしていると、元気も出てくる。
…傍から見れば、きっと茶飲みの老人同士だろうがな」
いつもと違い、茶目っ気を込めた声で、ペパー将軍が冗談めかす。
「ははは、違いありません。あれから傭兵稼業は引退して、今はいくらか閑になりました。
わしのような話し相手で良ければ、喜んでお付き合いしましょう。」
かつての想いが、花のように綻ぶ。
君は戻ってきてくれた。私のもとへ。
君が軍を去り、私の目の前からいなくなって寂しかった。
もしかすると、こうまでしても、君と接点を持っていたいと私は感じていたのか。
今まで、己でも気付かないうちに。
ペパー将軍は、かつてペッピーの隣にいた、もう一人の男の事を思う。
ジェームズ・マクラウド。一身上の都合でコーネリア空軍一等軍曹を退役後、
傭兵遊撃隊スターフォックスを設立し、そのリーダーとして第一線を駆けた男だ。
彼に撃墜される側に立つ者達からは、しばしば「傭われ」と揶揄されたが
その戦闘技能はこの上なく確かなものだった。
彼はペッピーの親友であり、共に戦場を生き抜いた戦友でもあり、
その人生のかけがえない相棒でもあった。
だが、ある事件を調査中にペッピーとともに災禍に巻き込まれ、
親友の命を救うべく、自ら犠牲となった。
ペッピーは彼の死後、その半生を擲って傭兵遊撃隊スターフォックスの再起に尽くし、
ジェームズの息子フォックスを守りながら、一流の戦士となるまでに育て上げてきた。
死んだ彼が命の証として残していったものを決して手放さず、
生かすために必死に戦ってきたのだ。
ジェームズ君。
君は、私が職責でしか縛れなかった彼を、悠々と私の前から連れ去ってしまった。
一等軍曹だった君を、士官の彼が追って退役するなど、前代未聞の事だった。
こんな筈はないと思いながら、いや、君なら…君達ならば、
何の不思議もないのだろうと…どこか、嫉妬めいた感情も抱いた。
君達のその絆を、その生き様を、私は真似ようとて出来ぬ。
私は、ただここに居る。そればかりだった…。
空を翔ぶ風切り羽を切られて。
ペパー将軍は、哀惜とも謝罪ともつかぬひりつく気持ちを、ペッピーを前に抑えられずにいた。
10年以上も前、アンドルフ博士を惑星ベノムに追放し、君達に任務を背負わせたのは私だ。
__それは、実は必然性のない任務だったのだよ。
私は、アンドルフ博士に罪を着せた。彼は、禁忌を侵したかったわけではない。
人の住めぬ惑星を楽土とするため…そのために尽力していたに過ぎない。
私は彼が恐ろしかった。その、全宇宙を支配するとも知れない可能性が。
私の目論見通りに、彼は狂人となった。
そして…依頼に対して実直だった、君の大切なジェームズ君は、
アンドルフ博士により私に与するものと見做され、命を落としてしまったのだ。
ここまで、私の目論見に入っていたかは、解らない………。
全て、こうなるために、君とこのように過ごすために仕組んだのだろう、卑怯者と
今も、あの時の私が私を嗤うのだ、ペッピー君。
君の心から、その人生から、彼の存在を消してしまう事など出来はしないのに。
そうしてしまったのもまた、私だというのに…。
ペパー将軍の眼が、涙で曇る。
だが、その身に負う責務にふさわしく、決して零さないように上方を仰いだ。
ペッピーは将軍が疲労を見せたかと思い、席を立つ。
車椅子へ駆け寄ると、将軍の顔を近くで覗き込んだ。
「失礼、将軍…どうされました。ご気分がすぐれませんか?今、人を…」
「…良いのだ、ペッピー君」そう、こらえながら伝えると、将軍はペッピーの右腕を、
負傷したと記憶している箇所を避けて、弱々しく掴んだ。
「良いのだ、少し、君の顔をよく見せてくれ、今でも…ジェームズ君が、君のすぐ近くにいるようで…
君を見ていると、堪らなくなる…」
まっすぐにペッピーの顔を見つめ、将軍は胸の内を吐露した。
ペッピーには、その言葉の意味が掴みかねたが、将軍の目の涙を見てはっとする。
将軍はペッピーの右手を取り、そっと口づけた。
「…将軍…あ」
取られたままの右手は離れない。将軍は今度は、ペッピーの両頬に軽くキスをした。
将軍としての挨拶程度の、儀礼的な短い動きの中に、ペパーは積年の恋情を込めた。
「済まない…済まなかった…ペッピー君…。」
視線を落としてまだ、その手の中にあるペッピーの右手を離そうとはしない。
「何を言われます。将軍、お気を確かに。やはり、看護の者を呼んできましょう。
ここで待っておられると良い。」
少しの戸惑いを隠しながら、自分の涙を拭ってくれるペッピーの仕草に、
将軍はわが想いの再び燻る音を、聞いたのだった。
了