神里なくして残るもの 後編② 愛ってなんだろう。
密かにおつきあいするってなんだっけ。
そもそも、若と俺が体の関係を持ってそれを続けてるってどういう意味があったんだ? そして、その関係を続けたいと本当に俺は思っているのだろうか。いや、それは思っている。
それを抜きにしても、俺は若とお嬢をなんらかの形で助けたいし守りたい。俺は、それができているのだろうか。
わからない。どうしたらいいのかも実際どうなのかもわからない。
本当に理解できたと思ったことはないけれど、若の気持ちも分からない。
あ~、いや、実は、なんかこう限りなく美味しそうな見た目の、無味無臭で食感も団子じゃない見た目が三色団子の食品が、あの日の翌日に若から届いたんだ。絶雲唐辛子の実が添えられて。
そう、つまり次の逢瀬についての内容を含んだメッセージがその中に入っていたんだけど、内容が、<塵歌壷 これで最後に>だけだった。
それでなんかこう心の奥底で混乱してしまって、客人を離れに迎えるための準備や、お嬢の時間捻出のための手伝いや、普段の仕事に邁進してやりすごしたというか、そちらのことは考えないようにしてやってたつもりなんだけど、若が・・・・・・。惚れた弱みではないと思う。若がどんどん浮き世離れしていっている気がするんだ。突風が吹いたら攫われてしまいそうというか、神隠しにあっても文句は言えないみたいな雰囲気がある。
「おや。そんなことがあるわけないだろう。邪魔だと思われることはあっても、このようなどこにでもいる何の取り柄もない凡人など、攫う価値もない。ほらほら、もうあまり日もないのだから休んでいる暇はないよ。綾華、トーマ」
なんて若は言うけど、本当なんだ。というか若の自己認識ってどうなってる。若みたいな凡人がいてたまるか。取り柄しかないだろ?!
・・・・・・まぁ、もうすぐ縁を切られるかもしれない俺が言えることでもない気がするけど。いやいや、そう思いこむのもどうなんだろう。旅人に頼んで荷物持ち込みのため、俺は先にひとり中に入らせてもらったけど、実質、塵歌壷内の時間でいうと2泊若と2人きり、2泊後の昼にお嬢が合流して3泊になりそうなんだよな。つまり逢瀬は2泊もあるんだ。予想がつかない。でも、俺、なんか泣きそうな予感はあるんだよな。神里家には今まで通りいられる自信もなぜかある。・・・・・・どうなるんだろうなぁ。まぁ、俺と若の場合、化かし合いは意味がない。当たって砕けるしか道はない気はする。とりあえず、まずい食品に入っていたメッセージの真意は確認しなくちゃならない。楽しみだけど、憂鬱だ。せめて、若にすこしでもお休みいただくように準備だけはしておこう。
***
あっという間に予定の日になってしまった。
「ほう」
若は物珍しそうに辺りを見回し、島の縁に立って雲海をご覧になられた。
旅人から借りた洞天は翠黛の山という形態の洞天で、璃月の仙人たちが多く住まう地域の地形を再現したものらしい。
仙人が実際に住まう洞天や、海に囲まれた洞天、稲妻風の洞天も用意できるということだったが、若が見たこともない実際存在するような形態がよいと言って、この洞天になったそうだ。
「ふむ」
ふいに若が璃月の詩歌を朗読した。
「なるほど、そういう・・・・・・」
詩の理解が深まったらしい。
俺はただ、朗読する若の後ろ姿に見惚れ、その声に聞き入ってしまい、璃月の山を詠んだ有名な詩歌だな、くらいしか認識できなかったが、そういうのがさらっとお口からでてくるあたり、やはりあなたは凡人ではないと思います。若。
「これ、落ちたら死ぬんでしょうかね?」
と思ったら、とんでもないことを口にする。
「ちょ、若!」
思わず俺は若の腰を両手で抱いて、若を縁から島の内側に無理矢理移動した。
「あはは。冗談なのに、トーマったら」
「笑い事じゃありません!」
「ごめんなさい」
若があっさり謝ってくれたので、喧嘩にはならなかった。こういうところは結構素直なんだよな、若。
それから俺たちは壷内を管理するマル殿に挨拶をして、ひとまずマル殿の近くにそびえ立つ邸内に入った。
外観は璃月でよくみる建物だったが、旅人が気を遣ってくれたのか、内部にはところどころ稲妻で特徴的な建築様式が見られ、若はなにやら感心していた。特に寝室はベッドではあったが、稲妻の様式がきちんと守られていて、1階に3部屋分用意されていた。1階のホールには若やお嬢が日課の朝の鍛錬ものびのびできるように板間の修練場まであった。お嬢には悪いけど、俺は若の真向かいの部屋に陣取って、とりあえず背負ってきた荷物を下ろす。調理場は外にあり、さらに井戸や市場を模した場所があり、食材も卓や椅子も食器もなんでもそろっていた。吊り橋を渡りながら上へ上へと登っていくと稲妻式の露天風呂もあるそうで、あとで若と行ってみようと思う。実は、神の目を持っている者ならなんとなく感覚で使えるワープポイント?とかいうものも設置してあるそうなので、徒歩で長時間歩く必要も本当はないそうだ。
「トーマ、入ってもよろしいですか?」
「あ、はい。どうぞ、お入りください」
ひょこっと扉から若が顔を出した。
「うん。やはり神櫻の香りがするね。何かお香か香水でも持ってきたのかい?」
ちょこんとベッドに腰掛けて、若が言う。俺には咄嗟に思いつくものがなくて、首をひねっていると、若が俺が背負ってきた荷物に「失礼」と手を入れた。
若の手に握られていたのは、八重宮司に持たされた謎の液体が入ったガラス瓶だった。
「あ、それは」
「・・・・・・香水?」
別に若に飲んでもらうつもりはさらさらなかったが、宮司から渡されたものではあったので、あとが怖いと思って持参だけはしたのだ。
飲んでもらうつもりも、隠すつもりもないので、俺は若に鳴神大社にいった際に八重宮司から渡されたものであることを正直に話した。
「そうですか。飲み物、ということですね?」
きゅぽんと若が栓を抜いた。
「だめです! 若っ」
なんの躊躇もなく口元に持って行くので、俺は若からガラス瓶を奪い取って一気飲みした。感覚的にはただの水だった。ただ、飲み干した途端に瓶から俺でもわかるくらいの強い櫻の香りがした。
「・・・・・・あぁ、これは、・・・・・・困りましたね」
「!? 若っ」
神櫻の香りに包まれてほろりほろりとベッドに座る若の目から涙がこぼれおちる。
「大丈夫です」
「だっ」
大丈夫に見えないんですが。
「ですが、すこし心細いですね。トーマ、隣に座って肩を抱いてもらえますか」
「は、はいっ!!!」
俺が若を抱きしめると、若は俺の首元に顔を埋める。
「ごめんなさい。濡らしてしまう」
「そ、そんなの大丈夫ですから。あの、ひとまずお部屋を出ましょう。お運びしますから」
「そんなに変わりはしないのでこのままでいい。それよりも横になっても構いませんか」
俺はそっとベッドに若を横たえらせて枕を若の頭の下に敷く。どうみてもおつらそうだ。涙も止まる様子はない。俺は、手荷物から手ぬぐいを出してそっと若の涙を拭い続ける。
「・・・・・・はぁっ・・・・・・。綾華も、トーマも、神櫻にお参りした後、神櫻の夢を見るでしょう? 私も見ることがあります。もう私は眠っているんでしょうか。頭の中で夢が流れて・・・・・・。トーマ」
「こ、ここにいます」
泣きながら、若は小さく笑った。
「・・・・・・いまなら、私はなんの隠し事もできません。気になっていることがあるんでしょう? 優しいトーマ、最初に申し上げますと、私は、あなたを縛り付けたくないんです」
どくんと大きく心臓が脈打つ。
それはどういうことだろう。
「私から神里を取り上げたら、私には何もない。元より神里家の所有物は私のものではなく、神里家の所有物のひとつが私なのです」
「え・・・・・・と」
若は何を言っているんだろう。このひとは、だって、誰に聞いたって神里家当主であり、社奉行さまだ。
若は止まらない涙をそのままに、ゆっくりまばたきする。すこしまどろみかけている。
「トーマ」
「は、はい」
「あなたには神里家を去る自由がある」
頭を殴られた気分だった。
「そ、それは、それは、俺が神里家にはいらない人間だという・・・・・・」
ぼたぼたと俺の目からも滝のように涙が流れ落ちる。
見返りがほしかったわけではない。若やお嬢の力になりたくて、いままでがんばってきたのに。若は、俺を・・・・・・。
「泣いているのですか・・・・・・? どうして?」
「だって、綾人が、俺をいらない、って・・・・・・」
「おや。私はトーマにそんなことを言いましたか?」
・・・・・・・・・・・。
「言ってはいない、けど。じゃ、じゃぁ、綾人は俺のことなんだとおもってるんだい?」
若はゆらりと俺の方に手を伸ばす。その手を両手で包むと、指の腹で俺の手をなぞってくる。
「そうですねぇ。綾華のように血のつながった肉親ではないし、終末番のように手足の一部でもない。私にとって二度と得られない至宝のような友なのは確かですが、だからといって、友と言い切ってしまうと何か足りません」
俺はその言葉だけでなにか満たされてしまって、多幸感にどこかぼんやり浸ってしまう。
でも若は継続的に考えていて、何かに思い当たったのか、口をつぐんでしまった。
「綾人、何か思い浮かんだなら教えて」
「・・・・・・言いたくありません。聞かないで、トーマ」
「だめだよ。隠さないってさっき言ってただろ」
綾人は、近くに転がっていた手ぬぐいで涙に濡れた目元を隠してしまう。
「だめ。だめです。だって、きっと優しいトーマを縛り付けてしまう。そうなってしまったら、私は、どうしていいか・・・・・・」
俺は綾人から手ぬぐいを取り上げて、ほろりほろりとこぼれ続ける
涙を拭う。
「綾人」
名前を呼ぶと、綾人は観念したように目を閉じて、俺の手の甲に自分の手を添えた。
「トーマは、私の・・・・・・影法師」
「ん?」
綾人は、きゅっと口を閉じた。意味が伝わらないならそれでよし。もう言わないとその様子は語っていたが、俺は少し乱れた綾人の髪を整える風を装ってなでる。綾人は、俺から視線を外して、すこし困ったようにゆっくりと口を開いた。
「・・・・・・逢魔が時に出会う妖魔には影がない。私を此方に縫いつけているのは影法師。もしも影法師を失ったら彼方に還ってしまうでしょう」
「綾人は妖魔じゃない」
「ふふ。そうですね。私のようなものが妖魔などと名乗ったら、妖魔に怒られてしまうかもしれません」
「いや、そこじゃないだろ」
綾人はきょとんとして、なにが違ったのかとこちらを見上げる。泣きながら。あぁ、もう。このひとは。
俺が言葉にならなくて悶絶してると、若はまたうとうとし始めた。
「綾人、そのまま寝ちまいなよ。どうせぐっすり寝ても若の場合、4時間ぐらいしか眠れないんだし」
「でも・・・・・・」
構わず背中をとんとんしてやると、呼吸が3回も終わらない内に若は眠ってしまった。
若の寝顔を見守っていてもよかったけど、俺は外にでて食材を物色していた。若の言葉を反芻してはにやにやしながら。
だってそうだろ?
俺には若が俺に謎の食品にメッセージを忍ばせてからどんどん浮き世離れしていった理由がわかった。多分、俺を神里家に縛り付けていると思った若が、俺を解放しようと心に決めてしまったからそうなったんだ。お嬢や俺に指摘されるまでもなく、綾人自身も自覚してたってことになる。綾人はでも、俺を縛り付けてしまうと思ってその理由を言いたがらなかったし、俺を宝物のように大事に思ってるって言ってくれた・・・・・・んだよな?多分。
お。若が目を覚ましたときに、軽く食べられるように雑炊か何か作ろうかな。結構、いい食材がある。あの様子だと、1、2時間で起きそうだし。
「頭が痛いです。トーマ」
1時間経たない内に若は起きてきた。後ろから肩に額をつけてぐりぐりしてくる。
「そりゃあ、結構泣いたから仕方ない」
「・・・・・・神櫻の香りで目から水が出続けただけなのに。トーマが水をのんでしまうからいけないのですよ」
「え? あ。雑炊食べる?」
「・・・・・・そろそろ昼餉の時間ですか。いただきます」
若は口の中に食べ物が入っている時はしゃべらない。だから、気になる言葉を聞いたが、食後のお茶の時間まで俺は待った。
「鳴神大社の神櫻の香りに対する感受性は神里家に所属する者は比較的高いのが常ですが、お恥ずかしい話、私は特に影響を受けやすいのです。鳴神大社の大鳥居の前に、手水があるでしょう?」
ある。お参りの前の簡易的なお清めで、手と口を濯ぐためのものだ。
「あれは湧水なんです。不作法なのは承知していますが、手と口を濯いだ後、私はこっそり湧水を飲みます。今度試してみるといい。理由はわかりませんが神櫻の影響をかなり薄めてくれるのです。神櫻の記憶のような夢を見る確率は格段に減ると思います」
「あ~。うん。確かにいつも泣かされるけど、あれが見られなくなるのは勿体ないような・・・・・・」
「もう。トーマまで綾華と同じようなことをいう。まぁ、夢ぐらいにしか影響を受けないというのなら些細な問題なのでしょうね」
若はすこしうんざりしたように小さく息を吐いた。
「え~と、綾人は、どんな風に影響を受けるんだい? 涙が止まらなくなるのと、白昼夢と・・・・・・」
「いえ。あれは、どうやったのか濃縮されたような香りでしたので、反応が強く出てしまったようです。私も驚きました」
若も驚いたんだ。
「そうですね。世間で言うところの猫をかぶれなくなる、でしょうか。仕事モードに入れないというか。どこか頭にもやがかかったようになってしまって、思考がまとまらないんですよね。神里家当主らしい振る舞いに少し難儀するというか。それと夢は見ます。毎月神守として神櫻にご挨拶がわりの祝詞をあげにいくのですが、湧水を飲んでもそれでは情けないと神子さまにお話しすると、雛鳥はそれでよいとおっしゃるんです。お優しいのかお厳しいのかわからない方ですよね」
綾人、普段猫をかぶっている自覚があったのか。ほとんどかぶりっぱなしだけど。いや、それよりも・・・・・・
「毎月、祝詞をあげるって、俺しらないんだけど」
「そうでしたか? 満月の日の昼か夜に、綾華が鳴神大社に必ずひとり詣でるでしょう? 私は大抵出先から大社に向かいますので気づかなかったのかもしれませんね。社奉行の方ではなく神里家の方の義務なのですが、神守の任は私が拝領していますので、神里家当主代行として綾華が立会人を務めるのです」
あぁ、そういうことだったのか。そういえば、綾人のご両親がご存命だったころも、決まって満月の日にご両親と綾人が鳴神大社に詣でていた。
「あ、じゃあ、神守の任は綾人のお父上がされてたんだ」
「いえ。2歳を過ぎたあたりから私が務めています。その前は祖父がその任に当たっていましたが、祖父が亡くなってからは神里の血脈の中で神守として神櫻に認められる者がなく、八重宮司さまがやむを得ず代役を務められていたそうです」
「2歳!?」
思わず驚きの声をあげた俺見て綾人が笑った。
「ふふ。私も神櫻の好みはより幼い子どもかと思って、綾華が2歳になったら引き継ぐものかとばかり思っていたのですが、綾華に譲ろうとしたら、両親にも神子さまにもそれは違うといわれまして。言われてみれば、話に聞く祖父はご老人でしたし。私も幼かったとはいえうっかりしてしまいました」
「いやいやいやいや。俺が言いたいのはそこじゃぁ・・・・・・」
「それでも懲りずに3歳になる前の綾華にお願いしてみたら、泣かれてしまって。そこで初めて、神櫻が任命するものであって、勝手に譲ることはできないのだということを知ったのですよ」
「若・・・・・・」
自分にもかわいらしい一面があったみたいなかんじで言われても困る。 2歳から神里家の義務とやらを課されるなんて、2歳なんて、そんな・・・・・・。大体、務まるのか? 2歳で。後々思い返すとかわいらしいが、いやいや期とご婦人方の間で悪名高い2歳だぞ?
「できましたけど」
あっさり若はのたまった。
「すこし舌足らずなのは仕方ないでしょう」
「いや、そこじゃなくて」
当時のご両親のような反応だと言って若は笑う。
「そうですね。私の一番古い記憶になるのですが、神子さまが神櫻の前にお座りになられて、こちらを振り返り、雛鳥よ、こちらに来いと手招きされるんです。普段、言われなければあまり動かない子どもだったので、まず神子さまに招かれてまっすぐ神櫻の前に向かった私に驚かれて、神子さまが祝詞をあげる様を横に座して見守った後、そなたもやってみるがよい。そなたは八重神子ではなく、神里綾人ゆえ、そこは間違えるでないぞとおっしゃるので、そこは注意して真似をしたら、神子さまには褒められましたが、両親には泣かれました。桜吹雪がとても綺麗で、両親はそれを見て泣いているのかと思っていましたが、詳しくは教えてくださいませんでした」
すこし寂しげに言う若に、
「そりゃ、泣くよ。俺でも泣くかも」
と、俺はぽつりと言ってしまった。若はさらにしゅんとして、
「そうですか。私が両親を困らせてしまっていたのですね」
とか言うから、
「いや、それも違うと思う。誇らしく思う気持ちもあったかもしれないけど、う~ん、なんて言ったらいいかな。2歳の保護者としては、まだ早いと思うと思うって話」
と率直に言うと、若は懐から扇を取り出して、自分の鎖骨あたりをぽんぽんと軽く叩いた。納得していない。
「でもさ。俺は、若のご両親があの方たちでよかったなって思うよ」
そう言うとやっと若は花がほころぶように笑った。
「ふふ。そうでしょう? 私もそう思います」