神里ΩB②後編 布団と育児日記 意外にも、神里家における第二性という特異体質は歴史が古い上に、大分解明が進んでいるようであった。
神里家には侍医はいるが、終末番に属する組織の中に隠されており、神里家の者と終末番に所属する者しか診ない。また、産婆の存在はなく、侍医が出産時に立ち会う。
そして神里家本家の者は婚姻の儀を基本的には行わないし、お披露目もしない。おそらく見た目同性の者同士が夫婦関係にあり、子も成すものだから、一般的ではないそれを隠すためだろう。
トーマが居を構えている神里屋敷内の庵には、先々代の伴侶が記した指南書だけでなく、十数冊もそういったものが見つかったそうである。神里家の日記の地下書庫にもそういう区画があった。
あの、綾人をやたら甘やかすトーマでさえ、なにかもう伴侶にメロメロですごいと言わしめる内容なのだそうである。
トーマは、負けていられない。俺も傑作を書く、と、何年か前に意気込んでいたが、・・・・・・やめてほしい。なにか怖くて、あれからその傑作とやらが完成したのか聞けないでいる。
一方の神里家の第二性側が記した指南書だが、それらは稲妻城内の神守室兼社奉行府にひっそりと隠されていた。伴侶には見せないでほしいと必ず記されており、綾人も書くのを忘れてはいけないと思っている。
それらを読むと、総じて大まかな傾向は同じように見える。
ほとんどの例において、初めての発情でうなじを噛まれ、関係が成立する。逆に初回で成立しなかった場合は、神里家の第二性が変死体で見つかる。・・・・・・実際、凄惨な状況で若くして亡くなっている者もよくよく神里家の歴史を辿ると数名だけではあるが、かなり昔の記録には残っている。
神里家の初期にしか見られないことから、神里家の先祖たちは相当に苦心したのだろう。ただでさえ、すぐ没落の危機に瀕する家系なのに、稲妻国の伝統を後世に伝えることが主な役目なのだから、困ったものである。
できるものならやりたい者がやってみればよろしいと思うことはあるが、社奉行府を一番まともに運営できるのが、今のところ、神里家当主の綾人なのだから話にならないとも思う。
失敗はゆるされないのだ。口やかましく好き勝手に騒ぎ立てる者たちは、それをわかっているのだろうか。
・・・・・・わかっていないのでしょうね。まったく、露ほども。神里家が神里家の血脈をなにがあっても絶やさないその理由も、そういった者たちを守るためだとは想像もつかないことだろう。
その子孫を絶やさないためであろう第二性の初めての発情は、神里家では14〜18歳のときにみられ、ほとんどが16歳で17歳になるすこし前頃らしい。大抵、初めての発情で身籠もり、出産して半年後にまた発情反応がみられて・・・・・・。
いやなことを思い出しそうになり、綾人は目を閉じて思考を一旦頭の中から押しやった。
綾人のお相手は、年齢や既婚の有無を考えなければ、実は複数良家の子息の中にいたようなのだ。けれど思うに、相性は最悪と思わざるを得ない者たちが大半だ。だから、結局、トーマは綾人が選んだのだ。綾人が、トーマの・・・・・・。
「あ、手が止まってる。キリがいいなら、今日のお仕事はおしまいにしようか。綾人」
そう言いながら開いていた参考資料にしおりをはさんで閉じたのは、綾人の伴侶で神里家家司のトーマである。
「先に下がっていいですよと申し上げたはずです。私は、まだ眠くないので・・・・・・」
「あぁ、それがね。そろそろ拙宅においでくださらないと、お布団が筵になっちゃうんですよ。旦那さま」
新緑の瞳に悪戯な光を灯して、役目的には夫の男がかしこまってのたまった。
「家司がそんなことを言ったのかい?」
「厳しいんです。そういうところ」
「それは困りましたね」
なにか筵が入用なことでもあったかなと綾人はすこし考える。実際、冗談かと思って聞き流したこともあったが、この男、本当に寝具を筵に変えた実績がある。反省して筵が布団に戻った時は、筵は漬け物用の実を乾燥させるのに転用されていた。
「あぁ、漬け物・・・・・・」
「それと、小さな子が入り込んでるみたいで、2階から、たたん、たたんと音がするんです。俺は舞踊のことはよくわからないのでなんとも言えないのですが」
綾人は黙って筆を置いた。観念したと言ってもいい。
「わかりました。参りましょう」
トーマが悪戯が成功した子どものように笑った。つぎの瞬間には障子を開き、縁台から庭に降りて綾人の履き物を手に持ってしまう。
「トーマ」
「大事な奥さんと俺の子をお運びしますよ」
「まったくもう」
綾人がトーマの首に腕を掛けると、トーマは綾人の体をすくい上げ横抱きにした。
綾人だって高身長で妊娠できるとはいえ男である。それなりに重いはずなのに、トーマは鍛えてますからと言って人目のないところではだっこしたがる。たしかに言うほどには鍛えているらしく、トーマの胸はふかふかであるが、自分の足で歩けるのに甘やかしすぎではないかと綾人は思うのである。
ともあれ、庵に到着すると本当に2階から足音がした。少し耳を澄ましてから2階に上がると、トーマの言うとおり、扇を持って舞踊の練習をしている息子の姿があった。
「リョーマ」
「母上!」
もう寝ている時間のはずだが、頬を上気させ元気いっぱいである。
「ええと、どうしてもここのところが上手にできなくて、なんでなんだろうって眠れなくて、それで、ええと、母上にお聞きしたくてお待ちしておりました」
にっこり笑ってトーマと綾人の長男は告白した。
綾人は神里流の宗家であり、息子はなんでも綾人から習いたがるが、過度に厳しくなってはいけないと手取り足取り教えることは門弟に任せて避けていた。けれど、どうしてもうまく行かないときには手をさしのべるのが常である。しかし、綾人は公務が忙しく、なかなかリョーマのために時間を作ってやれない。リョーマもわきまえており、当主の私室に乗り込んだりはしないので、結果、庵に潜んで綾人を待ち伏せることがあるのだ。
それと怖い夢をみてしまったときにも潜り込む。むしろトーマと綾人はそれを歓迎していた。
「怖い夢を見ましたか?」
綾人が畳の上に膝を着いて腕を開くと、リョーマは綾人に抱きついた。
「遅くなってごめんなさい。リョーマ」
「ははうえ・・・・・・」
傍らでは、家司顔のトーマがささっと畳の上を掃除して大きな布団を広げている。
「ほぉら、舞踊のことは明日の朝でいいでしょ。いいから寝て寝て」
得意顔でトーマが母子を布団に押しやるので、あっという間に一つの大きな布団の中親子が川の字に横になった。
「まだ眠くないのに・・・・・・」
往生際悪く綾人がひとりごちると、リョーマが懐から冊子を取り出して綾人に手渡してくれる。
「父さまのかわいい日記ならあります」
「あ、俺の育児日記。こらー、神里家ではいいけど、よそでは他人様の日記は読んじゃだめだからね?」
「だって、ひとりでさみしかったから・・・・・・」
ふにゃっと父子がそっくりの目元をゆるめてひしっと抱き合った。
「リョーマ、きみってなんてかわいい子だろう」
「とうさま〜」
そんなじゃれ合う猫みたいな2人を横目に、夫の日記を開く妻である。
今日は珍しいくらいの快晴。洗濯物がよく乾いていい。
今日は綾人も外出の公務はないみたいで、姿がよくみえてうれしい。
そういえば、今日も綾人はとっても綺麗ですてきなんだ。それにかわいい。
どのあたりが育児日記なのかよくわからない日記である。
ほとんどの内容が、妻・子ども・義妹のことで、かわいいだのすてきだったの惚れただのといった内容である。時々、育児日記らしい文言もあるけれど、トーマなりの愛の詩集かと思わないこともない。毎日毎日よく書けるものだと思う。・・・・・・いや、正直に言うと、綾人のせいである。
トーマが儀礼的に、綾人のことを心身共に綺麗だのかわいいだのキスしたいだのと言っているものだとしか思えなくて、根拠を求めてしまったときがあったのだ。トーマは具体的に選べなくて、じゃあ、思ったときにメモするよと言ったのが最初である。10年以上経つのに続けるなんて・・・・・・。もう、どうしたらいいのだろう。これは。
「綾人、綾人」
ちょいちょいと寝間着の袖を引かれた。視線を落とすと、息子は父の胸を枕にしてすでに寝入っている。呼んだのは夫だ。
「俺ももうそろそろ寝るから、キスしてよ。綾人」
綾人は言われるままに、トーマの顔の横に手を着いて、ついばむようなキスをした。
「愛してるよ、綾人。もっとして」
十分にしたはずなのに、空いている方の腕が綾人の後頭部に伸びてきてまたキスをさせられた。
「もう。ふざけていないで早くおやすみなさい」
苦情を呈するとトーマは幸せそうに笑って目を閉じた。
トーマは、リョーマは、幸せなのだろうか。綾人は2人の寝顔をみる度に問いかける。
どうか家族が心安らかにすごせますように。稲妻がこの人たちが生きる間はせめて安泰でありますように。
綾人もいつものように心の中で願いながら眠りについた。