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    明日のはなしは明日しようか。0DAY-night 焼き鮭のお茶漬けと困惑と1DAY-morning フレンチトースト、スクランブル1DAY-noon 和風パスタと攻防1DAY-night ドリーミーナイトアンドオムライス2DAY-morning ホットケーキメランコリー2DAY-noon きつねうどんアンド白菜のつけものウィズ昼間に飲む酒2DAY-night リベンジ・お茶漬け(アベンジではなく)3DAY-morning フライアウェイ・目玉焼き3DAY-Afternoon ヘブンリィ・生チョコレート3DAY-night お好み焼き、謎がいっぱい4DAY-morning ふわとろハムスクランブルチーズトースト、ランランラン4DAY-noon 焼きそば・フォーリング4DAY-night 鍋で踊っておでんたち5DAY-morning みりんかれい・ミソスープ・エトセトラエトセトラ5DAY-noon 弁当を巡るロンド5DAY-midnight 味付き卵と焼きおにぎり、願う通りに粉々に砕いて6DAY-morning 卵のサンドイッチと消そうとしても消せないもの6DAY-noon ロコモコ弁当とマリッジリンクラプソディー6DAY-night シチューオンザライス?7DAY-morning あさぼらけ、離さない手とクロックムッシュ7DAY-afternoon トライフル、乗せる思惑はそれぞれ違う7DAY-night 親子丼とマリッジリンク・ファンファーレ8DAY-epilogue また日々はめぐるから、明日のはなしは明日しようか?DAY-morning おにぎり、豚汁。そしてつけもの0DAY-night 焼き鮭のお茶漬けと困惑と「おめぇ、まーだカップ麺が主食なのかよ。昔っから寂しい食事しかしねえやつだとは思ってだけどよ、そこまで筋通さなくたっていいんじゃねえのか?」
     お湯を注いで3分が売り文句の商品の、パッケージを指先でつついている男は、とっくの昔に桐生の前からいなくなってしまった男だった。にしき、と桐生の乾ききった喉がなんとか言葉を絞り出す。錦山は、あの日いなくなったときの姿で、兄弟と笑い合っていた頃の笑みに、近い表情を浮かべた。
     呆然としている桐生をほったらかしにして、錦山は勝手に冷蔵庫を漁っている。
    「……カップ麺の他にはレトルトのレンチン飯と冷凍のチャーハンしかねえとかおまえ健康管理なめてんのか? お、その割に立派な鮭があんな」
    「死んでる奴に健康云々言われたくねえよ。その鮭は冴島から貰った。ああ、冴島ってのは、」
    「知ってる、あの真島の兄弟分だろ。お、茶と一丁前に急須がありやがる」
     錦山は手慣れた様子ですでに切り身になっている鮭を二切れ取り出しレンジにかけた。流れるようにやかんでお湯を沸かして、それが終わるとフライパンを温めて、今はレンジにかければ食べれるパックご飯を取り出し、説明を読んでいる。
    「おい、錦」
    「説明だろ? そん前に飯にしようぜ、幽霊も腹が減るんだよこれが」
     レンジがなると今度はパックご飯をレンジで温め始め、レンジの時間を確認すると、錦山は解凍が終わった鮭を焼いていく。やかんが音を立て、皮を取って小さくきってよく焼き目をつけた塩鮭の、香ばしい香りが部屋に漂う。もとより腹が減っているからカップ麺を作っていたため、桐生の腹は素直に空腹だと騒ぎ出した。錦山はご飯を茶碗に盛って鮭を乗せると、やはり持て余していた貰い物の焼きのりや白胡麻を好きにかけていく。
     そして煎茶を適量、というには少し大雑把に急須に入れると、やかんのお湯を急須に注ぐ。
     お湯を入れてすぐには注がずに、しばらく待ってから錦山はお茶をすでに用意のできていたごはんのうえから注いだ。
     錦山は散々ほったらかした桐生に割り箸を要求すると、仏壇に備えるご飯にするようにできた茶漬けに箸を刺せと言う。状況が飲み込めないなりに、変なところでごねたところで意味はないと理解した桐生は、錦山の言う通りにした。
    「で、説明だったな。好きで憑こうと思ったわけじゃねんだが、いっしょうつきまとってやるつったのが悪かったんだろうな。俺は今、憑いちまってるんだよ、おまえに」
     茶漬けを流し込んでいる錦山の声に険しい色はない。そこに安堵しながらも、桐生は最大の疑問を発した。
    「憑かれるようなこともした、おまえの言葉は疑わねえ。けどな、なんでもおまえが茶漬け食ってんだ?」
    「おめぇにやるなんて一言も言ってねえだろ。それにいったろ、幽霊だって腹減るんだよ。特に俺みてえに参ってくれる奴がすくないやつは、な」
     いくら説明されても釈然としていない桐生がカップラーメンを啜る音が部屋に響く。だが、と桐生は思う。
    「なあ、俺たちは兄弟ってことでいいのか?」
     あっという間に鮭茶漬けを平らげた錦山は、桐生のことばに「さあな、」といやに勿体つけた言葉を返した。けれど、違うともいっていない錦山に、桐生はそうか、と返した。今はそれで十分すぎる答えであった。
     時計は深夜を指している、突然現れた幽霊は、昔の悪童の笑いを浮かべて、おまえ変わらねえなあと呟いた。

    1DAY-morning フレンチトースト、スクランブル 滅多にいかない少し遠いが野菜などは格段に安いスーパーで、錦山の指示のもと買い求めた生鮮食料品を桐生は冷蔵庫に詰めていく。四人家族が一週間食べ凌げる大きさの割には何も入っていなかった冷蔵庫が、今では食料品や調味料で満杯だ。
     食料品を全て冷蔵庫や冷凍庫に収めると桐生は隣の台所で食パンの耳を切り落として、さらに半分にして、箸でパンにいくつも穴を開けている錦山に目をやった。食料品を買いに行ったついでに調理器具も安いものだが別に買い揃えていて、金属製の調理用バットやらボウルやら新しいまな板やら。今までの桐生に必要なかった調理器具を、錦山は器用に使う。
    「なあ、ほんとにお前は俺にしか見えねえのか?」
    「見えねぇよ、見えてたらスーパー大騒ぎだろ、人間が浮いてんだぜ」
     錦山はボウルで合わせていた卵や牛乳、砂糖を混ぜ合わせた液体を皿の上に乗せたパンに漬ける。できるだけ早く食いてえからな、と言って錦山は液体に浸したパンをレンジにかけた。
     そしてバターを少し切り取って、熱したフライパンに乗せる。溶けていくバターをフライパンを軽く回して全体に馴染ませた。レンジは小気味良い音を立てて、温め終わったことを錦山に伝える。昨日も思ったことが、なかなか手際がいいと桐生は思った。料理したことあるのか、と桐生が聞くと見たらわかんだろと言葉がかえる。
     気安いそれの声に、桐生の顔が歪む。懐かしくて、けれど目の前の錦山がまぼろしでないということにどう反応していいか、桐生はわからない。百億に執着した神宮と一緒に消えた、あのときの顔が桐生の中で再生させる。もうおぼろげになりつつあるその記憶の姿に、薄情者だな、俺はと桐生は自嘲した。
     そうこうしているうちに、部屋に甘い香りが満ちてくる。桐生なりに気を利かせて二人分の皿を取ってくると、錦山は出来上がったフレンチトーストを桐生の皿に乗せた。
    「コーヒー欲しかったら自分で作れよ、やかんの使い方くらい知ってんだろ」
    「なんだ、せっかく台所にいるのに作ってくれねえのかよ」
    「……おめえってやつはほんとによう、」
     文句を言いながら、自分が食べる分のフレンチトーストを作っていた錦山はやかんを取り出し水を注ぐ。お湯はすぐに沸き、そのお湯で二人分のインスタントのコーヒーをつくり終わるころには、錦山の分のフレンチトーストも出来上がった。
    「いただきます、」
    「いただきます」
     錦山はフレンチトーストに突き刺されたフォークを手に取ると、一口目はそのまま食べて、二口目はシロップをかけて食べている。甘くねえのか、と桐生が聞くと、甘くしてんだよと言葉がかえってきた。錦山はコーヒーにいれる牛乳を求めて一旦立ち上がろうとした。桐生はその手首を引き止める怪訝な顔をした錦山を見つめながら、桐生はその唇を舐めた。確かに甘えなというからかいの答えとして、錦山の拳が何の呵責もなく桐生の腹にめり込んだ。

    1DAY-noon 和風パスタと攻防「桐生、おい桐生。ひっついてんじゃねえよ暑苦しいし危ねえだろ」
    「これくらいいいだろ別に」
    「ほーん、今茹でてるパスタ床にぶちまけてもいいのか? お前御用達のカップ麺はもうねえ、お前の昼飯の生き死にはおれが握ってんだぞ」
    「お前だって飯食いっぱぐれることになるだけだろ、大体カップ麺食い尽くしたの錦、お前だろ」
     錦山は舌打ちを一つすると、それ以上桐生には何も言わないことにしたらしくザルに茹で上がったパスタを入れると、パスタにサラダ油をかけて菜箸でかき混ぜ油をまとわせながら、桐生の存在を意図的に無視する構えに入った。すでに切ってある具材に手を伸ばそうとする錦山の手をからめとって、叩こうとする手を封じた桐生はようやく自分をみた錦山の怒気をはらんだ視線に、満足そうな笑みを浮かべた。
    「やっとこっちを見たな」
    「あ?」
    「せっかくお前が俺の前に出てきてくれたってのに、お前料理ばっかりでたいして俺の方を向きゃあしねえ。ちょっとは俺のことを見てもいいんじゃあねえか? なあ、錦」
    「馬鹿言ってる暇あんなら皿出してこい皿、大きめの平皿とついでにフォークも……飯、終わったらうるせえおめぇの言うこと聞いてやるよ。なんでもな」
     なんでも、と言う錦山の言葉に桐生は笑みを深めた。
    「そうか、なんでも、か」
     名残惜しいが錦山から手を離し、桐生は食器の準備をするとこにした。その場で桐生が満足するまで錦山を堪能することはできなかったが、言質はとった。錦山は錦山で吐いた唾を飲むような男ではないし、その後どんな経緯をたどり決別に至ったたしても、そもそも錦山彰という人間は、明らかに桐生に弱い。
     皿は台所に、フォークはテーブルに。熱されためんつゆの香ばしい匂いが桐生の鼻をかすめる。具材に火の通りを過分に気にしするべき材料はない。錦山は両手に持った皿を桐生と自分の座る席の前に置く。
     ほうれん草、ベーコン、しめじに缶入りのコーンなど。彩りもなかなかで、なんとも食欲をさそう香りがする。
    「いただきます」
    「いただきます」
     桐生と錦山は手を合わせると、和風パスタを食べ始めた。
    「めんつゆは偉大だな、入れれば大体なんとかしてくれるし」
     桐生よりずっと量の多いパスタを錦山は軽々と攻略していく。桐生もパスタを食べながら、主に錦山の食いっぷりを観察していた。完全にパスタに意識を集中している錦山に、桐生は「なあ、錦。お前なんでもしてくれる、ったよな」と心底悪い顔をしながら、苦虫を噛み潰したような顔をしている言葉をかけた。
    「そんな顔すんじゃねえよ。第一、言い出したのはお前だろ」
    「言質とったのはおめぇだろがよ……」
     桐生は錦山の髪に手を伸ばす。どこまでも小狡く錦から言葉を発するのを待っている桐生を見て、錦山は不機嫌をあらわしてフォークを何度も噛んだ。

    1DAY-night ドリーミーナイトアンドオムライス「おい桐生、お前卵半熟派?」
    「いきなりなんだ? 茹で卵でも作るのか?」
    「卵って点ではいい線いってっけど今日の飯はオムライスだ。で? 半熟か、しっかり火が入ってるやつのどっちがいいんだよ」
    「任せる」
    「……おめぇよう、二択の質問に曖昧な答え返すんじゃねえよ。半熟にするからな、後で文句言うんじゃねえぞ」
     そう言って、錦山は台所へ向かった。普段は浮いていることが多いが台所に立つ時は地に足がついている。触れられる喋りかけると応答がある、食卓を囲んでいる。その事実で桐生は時折、錦山は生きているのだと、錯覚しそうになる。
     半分にした玉ねぎに一定の間隔で横と縦に切れ目を入れから、錦山は玉ねぎを切っていく。まだ大きめであるが簡単にできていくみじん切りの玉ねぎを見つめながら、手際のいいもんだなと桐生はなんとなしに呟いた。見てるだけじゃなくてちょっとは手伝えよ、冷蔵庫からひき肉だせというやや照れを帯びた錦山の声に指摘する事は控えて、桐生はいわれたとおりに冷蔵庫からひき肉を出してみじん切りが終わった玉ねぎを炒めている錦山に手渡す。
     玉ねぎが透き通ったところでひき肉をいれ、ひき肉にも火が通ったら錦山はケチャップ、中濃ソース、砂糖と塩胡椒で玉ねぎとひき肉に味をつけて完成したミートソースに白米を投下した。白米にミートソースが馴染んだところで錦山はご飯を火から下ろし、すでにそばに置いてあった卵のパックから三つ取り出し、卵をボウルに割り入れ、本当に手際良くかき混ぜた卵を熱したフライパンに流し込んだ。
     要領の良し悪しが調理にも反映されているのか、それとも単純に育った施設で当番制だった飯炊きで、覚えたことが身についているかいないかの差か。どちらにせよ、玉ねぎを普通に切ることも時間をかけないと難しい桐生とは比べ物にならないほど錦山は調理を簡単に進める。
     火がほどほどに入ったところで錦山は火を止め、皿にご飯を乗せ、その上にゆるく火が通った卵を乗せた。自分の分だと言って錦山が卵を四つパックから出したのを見た桐生は、コレステロールと口に出そうとしたが、もはや死んでいる身である錦山には無用の心配だろうと口をつぐんだ。
    「いただきます」
    「……いただきます」
     明らかに桐生よりもご飯も多く盛っている錦山を見て、お前は昔からそうだったなと言うべきかどうするべきか、今の桐生には何もわからない。口からついて出たのは、お前は成仏できないくらいに俺が憎いのかと言う、今聞かなくたっていい言葉だ。
    「ちげえよ、今の俺は地獄にすら落ちらんねんだよ」
    「……何?」
    「詳しく言ったところでお前にはわかんねえだろうけどよ、今の俺は地獄にすら行けずにふらふら現世を漂うしかねえんだよ。神宮のやつだって地獄に行けたっつうのに、ままならねえよなあ」
     桐生の手が止まるのを見て、錦山は笑った。
    「けどよ、お供えもんなけりゃ俺は悪霊になるしかねえ。なら、今まで散々奢ってやったお前にお返しでもしてもらおうと思ってな」
     食べる手を止めた錦山の言葉に桐生は彼を見る。決別した時の姿形で、過去のような口振りをする錦山を、目に焼き付けるように見る。
    「言っただろ、一生つきまとってやるってな。ま、少なくとも成仏なり地獄に落ちるなりができるまで、俺はお前のそばから離れねえからな」
     それなら。それなら、ずっと俺のそばにいればいい。その言葉を桐生は飲み込んだ。またオムライスに手をつけ始めた錦山が消える光景を桐生は想像しようとして、やめた。らしくない自分の女々しさを噛み砕くように、桐生はオムライスをかきこむ。温かくて美味い料理の味だけを、桐生は今感じていたかった。
    2DAY-morning ホットケーキメランコリー 焼けつつある証明の、熱したフライパンに流し込んだホットケーキの生地に開く穴を見て桐生は理由のないかなしさをどう処理したものか、決めかねていた。ホットケーキを焼いている錦山の背中はやけに真剣だ。さっき抱きつこうとしたら顎に本気の掌底をくらった。火を使っているときに錦山にちょっかいをかけてはいけないと、桐生は学習せざるをえない。
     ホットケーキが焼ける匂いを感じながら、桐生は食卓と揃えて買った椅子に座って錦山を待っていた。皿に目を移すと、焼けて狐色になった生地が鎮座している。飯かと思って立ち上がろうとすると、錦山は卵とベーコン、サニーレタスを冷蔵庫から取り出した。
     ベーコンを数枚、ややカリカリするまで焼いたそれを錦山はさらに盛ってさらにスクランブルエッグとレタスを乗せる。
    「おい桐生、飯できたぞ」
     桐生の前に皿を置き、錦山も桐生の前に座る。ホットケーキは甘い食べ物だとさして食べ慣れているわけではない桐生は思ったが、昔遥にねだられて入ったクレープ屋に食事系クレープと銘打って甘くないクレープが売っていたのを桐生は思い出す、これもそういうものなのだろう、おそらく。
    「いただきます」
    「いただきます、」
     いつも錦山の声につられるよう桐生は手を合わせて、その言葉を言う。戸惑いが微かに語尾震わせているのには気づいていたが、錦山はそれを指摘せず、いつも食べ物に取り掛かるため、いまだ抜けない桐生の戸惑いはそのままだった。
    「お前の方、やたらと量多くねえか?」
    「お前、俺より少食だから配慮してやってんだよ」
    「俺が少食じゃねえ。お前が大食らいなんだよ」
     サニーレタスとベーコンをフォークに刺して口に運びながら、桐生は錦山の言葉に軽く気安い否定を投げた。まるで、昔に戻ったかのようだ。桐生がホットケーキにも手をつけると、ふかふかの生地の中にはとろけたチーズが仕込まれている。
     桐生が半分まで食べ終わるときには、錦山の皿からすでにほとんどの具材とホットケーキが消えていた。思い返した記憶でも、錦山は食べるスピードも早ければ食べる量も多いやつだった。解けつつある記憶と変わらない仕草で、あの日焼けついた記憶と同じ姿で錦山は桐生の目の前にいる。ホットケーキのチーズが冷めないうちに平らげるために、桐生は食べるスピードを上げた。とっくに食べ終わった錦山はコーヒーを淹れるために台所に立っていて、今その背中になにも背負うものがないことに、桐生は奇妙な安堵を覚えてしまう。
     レタスとベーコンとホットケーキ最後のかけらをまとめてフォークに刺して口に運ぶと、桐生の前にコーヒーが置かれた。錦山は宙に浮きながら、コーヒーをすすり新聞紙を読んでいる。どこまでも夢のような、けれど現実としてそこにある錦山を見つめながら、桐生はコーヒーに口をつけた。

    2DAY-noon きつねうどんアンド白菜のつけものウィズ昼間に飲む酒 桐生は面倒に巻き込んでしまった事への礼だといって渡された酒がなみなみ入っている一升瓶を担ぎながら、そういえば錦山は桐生が帰ってきてもおかえりとは言わずにおうとかようで済ませるなとぼんやりと思った。
     扉の鍵をあけ、中に入ると錦山はすでに台所に立っていた。出汁の香りと一緒に、甘い香りがする。鍵の音で桐生に気づいたらしい錦山は、振り返らずによう、今日の昼飯はきつねうどんだと桐生に告げた。
    「……ああ、ただいま。なんだ、揚げから煮てるのか?」
    「おう、ってなんだその瓶。まーた厄介事に巻き込まれたなお前」
    「いいじゃねえか、結構いい日本酒なんだと。昼間に飲む酒も、悪くねえんじゃねえか?」
     桐生は瓶をテーブルに置くと、グラスを二つ取り出した。桐生の部屋には杯やらお猪口なんかといった気の利いた食器など存在しない。
     錦山は乾麺を茹でながら、いつのまにか仕込んでいたらしい白菜のつけものを小鉢というには大きすぎるし形も違う平たい皿につけものを乗せていく。別の鍋にはすでにつゆができていて、茹で上がった麺を錦山はラーメンの器に盛るとつゆは自分でかけろと桐生に言った。
    「いただきます」
    「いただきます、なあ錦、お前酒飲めるのか?」
    「食いもんとおんなじで、お供物ってくくりにすりゃあ飲める」
     そういうものなのか、と桐生は思いながら錦のグラスに日本酒を注いだ。とろみを帯びた、濃厚な味のする日本酒に舌鼓をうちながら、桐生は揚げに口をつける。ふっくらしたら揚げはかむとだしと甘味を舌に残す。貰い物の酒だが、幸運なことにうどんとよくあっている。錦山も上機嫌でいい酒もらったじゃねえか、と微かに笑みさえ浮かべる。
     もとが酒飲みの二人である、低ペースであってあっという間に一升瓶の中身は空になった。潰れかかってテーブルに沈んでいる錦山におい大丈夫かと桐生は声をかけたが、酔っ払いの支離滅裂で細切れの言葉しか返ってこない。たまには食器くらいはあとで洗ってやろうと桐生は心に決めて、酔っぱらった錦山を抱えると、桐生は寝室に向かった。触れられる幽霊とはおかしなものだ、酒で火照った体温すら感じる。けれど、空気を吸って吐いている様子はない。それに、桐生は何度目かもわからない錦山は幽霊なのだ、という事実を突きつけられる。
    「なあ、錦。なんでお前は地獄にも落ちられなかったんだ?」
    「んあー……んー、かざまのおやっさんがよう、」
    「何? おやっさんが? おい、どういうことだ錦、」
     しかし、規則正しい寝息を立てはじめた酔っ払いが何を言えるというのだろう。錦山を背負いながら、桐生は寝室の扉を開ける。放り投げるようなことはせず、桐生はやや丁寧に錦山を寝かせた。桐生はそっと、その頬に額に触れる。錦、と呟いた桐生の声は消えない戸惑いに満ちていた。

    2DAY-night リベンジ・お茶漬け(アベンジではなく) 深酒をしても幽霊だから、という言い訳は通用しないらしい。酷く頭が痛むらしく、錦山は夜になっても頭痛に対して少し文句を言いながらベッドに沈んでいた。
     桐生は錦山のそばで何をするでもなく、ただ隣にいた。今の桐生は一応真っ当な職にありついてはいるが、今日は休みだ。唸っている錦山は、なんでお前は平気なんだよと桐生に怒りの矛先を変えた。
    「普段よりはたらふく飲んだとはいえ、おまえよりは飲んでないからな。あの酒、ほとんど飲んだのはお前だ、錦」
    「俺はいいからお前が飲めったのはお前だろが……腹減った、今日は問答無用で茶漬けだ」
     錦山はベッドから鈍い仕草で起き上がり、宙に浮いた。流石に桐生も何か重たいものを食べたい気は全くしないため、扉を開けてリビングに向かう錦山のメニューに特に異論はない。
     最初、姿を見せた時と同じメニューを作るらしく、錦山は冷凍庫から最後の鮭を取り出した。鮭を解凍する間、錦山はやかんでお湯を沸かし、解凍し終わった鮭を取り出すと冷蔵庫に入れていた冷や飯を今度は軽く温める。鮭は皮を取ると小さく切り、温めていたフライパンで焼いていく。鮭が焼けると温め終わった冷や飯を丼に盛りつけ、上に乗せる。頭が痛いと言ってはいたが、錦山の食欲にさほど影響はないようだった。急須に茶葉とお湯を入れ、香りと味が抽出されるまで少し待つ間、錦山は海苔をちぎり白ゴマを袋からそのまま適当な量を丼に入れ、どうせ包丁をもったついでと言わんばかりにネギを切ってこれも丼に雑に放り込んだ。
     急須からお茶を注ぐと、煎茶の良い匂いが立ち上った。二人分の箸を出していた桐生はどんぶりを受け取ると、錦山が席に座るのを待った。
    「いただきます」
    「いただきます。錦、話したいことがある」
    「聞いてやるから後にしろよ、飯が冷める」
     桐生は錦山の言葉に従うことにした、さらりと温かさが優しく胃に落ちる感覚に、桐生は聞こうとしていることの後押しをされているような気分になる。
     茶漬けはお互い、あっという間に食べ終わった。胃に落ちて、腹がひどくぬくい。
    「錦、いいか」
     錦山はいいぜといった。桐生は珍しく言葉を選ぼうとしたが、結局取り繕うことなど苦手な性質である。思ったことをそのまま口に出すことにした。
    「お前、酒で覚えてねぇかも知れねえが、お前が地獄にすら落ちれなかった理由が風間のおやっさんにある。そういった」
    「……そうかい、俺はそういったのか」
    「錦、どういうことだ?」
    「詳しい話はできねえ。……んな顔すんなよ、こっちにだって理由はあんだ。ただよ、」
     言葉を切った錦山は、ほんの一瞬だけ、感情を無理矢理に押し込めた顔をした。
    「俺が地獄にも落ちれなかった直接的な理由は風間のおやっさんだけどよ、俺が地獄にも行けないのは、桐生、お前のせいでもあんだよ」
     桐生は錦山との間にある隔たりが、いま牙を向いたような感覚を覚えた。錦山の目が、桐生を見ている。そんなに俺が憎いのかと桐生が声を漏らすと、錦山はそういうことじゃねえよとそっぽを向いた。

    3DAY-morning フライアウェイ・目玉焼き 夢を見た。錦山が由美でも麗奈でもない女と、幸せそうにわらっている夢を。錦山は素朴な服を着て、顔の見えない女が抱えている赤子をあやしている。桐生はああ、と息をついた。もしも彼が極道にならなければ、もしくは桐生がいない年月に、女のような存在がいれば、止まらないもしもは暗い方へと伸びていく。もしも、もしも桐生があのとき身代わりになるなんて、言わなければ。かわいいなあと顔を綻ばせている錦山に、桐生は罪を突きつけられている心地になる。ふくふくした赤子の指が、錦山の指をとらえる。錦山の口が赤子の名を象る。その名前は、よく知った。
    「おい桐生、いい加減に起きろよ」
    「にし、き」
    「なんだ、悪い夢でも見たのか? とにかく起きろよ。俺は腹減った」
     夢の錦山と、いまここにいる錦山の格好は全く違う。桐生は錦山の腕をとらえて、そのまま抱き込んだ。生きていれば骨が軋むほど強く抱きしめて、その存在が自分のそばにあることを桐生は確かめる。自分のそばにあるのだと、その存在を抱きしめる。
    「桐生、桐生! いい加減にしろよ腹減ったってんだろ、俺が悪霊になってもいいのか?」
    「……すまねえ、もう少しだけ、このままでいさせてくれ」
     桐生の求めに、錦山が歯がみした気配がする。施設にいた時からなんだかんだ、錦山は桐生という存在に甘い。結局桐生が離すまで、錦山は抱擁する腕を振り解かなかった。
    「たっく、今日は目玉焼きとパンだからな!」
     台所に向かう錦山を視界から外さないまま、桐生はただああといった。桐生は自覚してしまった。今更、錦山のことを、兄弟分以上の、なくてはならず失ってはいけない存在であったことを。
     錦山は目玉焼きを作りながら、出来合いの冷凍ハンバーグとレンジで温めてトマトを切りレタスをちぎる。トースターで焼いたパンの片面に少しマヨネーズを塗り、レタス、トマト、ハンバーグの順に乗せ、焼き上がった半熟の目玉焼きを乗せてさらにもう一枚パンを載せる。桐生の方にはないが、錦山の方にはさらっと溶けるチーズが挟まっていた。作ってる奴の特権だと桐生の視線に気づいた錦山は、悪童の笑みを浮かべた。
    「いただきます」
    「……いただきます」
     中身だけ見ればちょっとしたハンバーガーのようだ。ボリュームがあるパンに二人はやや悪戦苦闘しながら食べ進める。卵半熟は無茶だったか、と潰れた卵から流れた黄身に苦戦している錦山に桐生はおまえが考えたんだろと、少しわらった。自覚した感情と、すでに薄れつつある夢の内容をパンを食べるのに集中することで遠ざける。
     俺はお前のそばにいたい。お前はきっとそんな事ごめんだろうが、そう思いながら桐生はすっかり皿に流れてしまった卵の黄色から、苦闘を終わらせつつある錦山に目を当てた。俺のせいであっても、お前は俺の前に姿を見せてくれた。この時が終わらなければいい、明日はまた続く今日と同じであって欲しい。
     女々しいな、と自嘲しても桐生はすでにこの時間を手放せない自分を受け止めた。


    3DAY-Afternoon ヘブンリィ・生チョコレート「なあ、純ココアってのはどこにあるんだ?」
     指定されたオーブンシート、純生クリームと板チョコレートを数枚籠に入れた桐生は、錦山にキツく言いつけられた通りに店員に声をかけて純ココアなるものの場所に案内してもらう。純ココアだからな、お前普通のココア買ってくるから絶対に店員に聞いて買ってこい、いいな。そういっていた錦山の目はいい年をした男を買い物に送り出すには、錦山からの信頼感が足らなすぎた。まるで初めてのお使いのような心持ちで送り出しているらしかった錦山に、桐生は心配しすぎだと笑っていいのかお前は俺をなんだと思っているんだと苦言を呈していいのかわからないまま、錦山の用意したメモを片手にスーパーを訪れていた。
     これですね、と渡された黄色く細長い缶を籠にいれると、桐生はメモを再確認して全て揃っているかみた。メモに漏れがなければ全て揃った。これがないと言われたらお前のメモに書いてなかっただろということにして、桐生は会計を済ませて部屋へ戻った。
    「おう、買ってこれたか?」
    「おまえな……いや、なんでもねえ。それよりこんなもんで何作る気だ?」
    「そいつは作ってからのお楽しみって奴だ」
     そう言って、錦山は鍋に蜂蜜と生クリームを入れ、中火で沸かし始めた。生クリームに注意を払いながら、バットにオーブンシートを引いて、それが終わると買ってきたビターの板チョコを刻む音が部屋に響く。刻んだチョコレートはボウルに入れ、ちょうどいい塩梅らしい生クリームをチョコレートのボウルに流し込む。湯気がたたなくなってから、錦山は泡立て器でボウルに入った二つの食材を混ぜ合わせ始め、滑らかになったそれを用意してあったバットに流し込む。
     表面を平らにして、錦山は数回バットを軽く持ち上げ落とし、できたものを冷凍庫に入れた。
     それで終わりかと思ったが、錦山は牛乳を冷蔵庫から取り出すと、先ほど使った鍋で牛乳を温め、少しブランデーを落とすと、ボウルに入れてまた泡立て器でかき混ぜた。ボウルに出来たやや薄いチョコレート色の液体を錦山は二つ用意したマグカップに入れた、洗い物を済ませると、桐生にもう一つのマグカップを押し付けた。
    「少し甘いが、なかなか美味えな」
    「当たり前だろ、俺が作ってんだからよ」
     一口飲めばブランデーの香りとチョコレートの香りが混ざりあう、少し入った酒精で味が引き締まっているようにも感じた。
     ゆっくりと飲んでいるうちに、会話も少なくなっていく。けれどその沈黙は重たくはない。
     マグカップの中身を全て飲み干し、時計を気にしていた錦山は冷凍庫を開け、冷やしていたチョコレートの様子を確かめた。納得する出来らしく、錦山はバットから取り出してオーブンシートを取ったチョコレートの塊を、あらかじめお湯で温めてよく水気をとった包丁で切って行く。切ったそれに純ココアを全体にまぶしつけると、出来たそれを桐生と錦山用と思わしき二枚の皿に盛り、沸かしていたお湯でコーヒー粉をとくと、出来たぞと桐生の前に生チョコとコーヒーを置いた。
    「なあ、錦。おまえどうやってレシピ調べてんだ?」
    「お前のケータイ」
     帰ってきた身も蓋も何もない答えに、桐生は顔を険しくした。錦山は「お前だって俺のライターパチってたろ、おあいこだおあいこ」という。フォークで生チョコを口に入れ、勝ち誇った顔で少しコーヒーを口に入れている錦山を桐生は、なんとも言えない表情で見つめる。そしてふとわいた悪戯心に突き動かされるまま、また一口生チョコを口に入れた錦山の唇を、桐生は奪った。逃げる舌にチョコを押し付ける甘ったるい口づけに癖になりそうだと思いながら、鬼の形相をし始めた錦山に、桐生はおまえに対する今の俺の好きは、こういう事だと桐生はキスした時に感じた甘さより、なお甘ったるい声で告げた。

    3DAY-night お好み焼き、謎がいっぱい 台所で焼けていくお好み焼きが全て焼き終わるのを桐生は待ちながら、キスをしてからも錦山の態度が表面上は何も変わらないのに桐生は焦れていた。何か変わってくれと思い詰めてした口づけではないが、さらりとかわされてしまってもいいと思っての口づけでもない。数枚の皿に次々焼けたお好み焼きが乗せられていくのを見ながら、桐生は沈黙を酷く重苦しく感じていた。
    「おい、飯できたから持ってくの手伝えよ」
    「ああ、」
     桐生は机の上にお好み焼きを運びながら、錦山の顔をのぞく。何もない、ように見える。見えてしまう。
     テーブルに運び終えたすでにソースもマヨネーズもかかっているお好み焼きは、一見すると全て同じ味に見える。錦山も特別これがこの味とは説明しない。
    「いただきます」
    「いただきます」
     お決まりになりつつある言葉を手を合わせて唱えながら、桐生は目の前にあるお好み焼きから手をつける。断面からのぞく緑色、桐生は嫌な予感しかせず、そのまま箸を引こうとした。
    「お前、いい歳してまだピーマンダメなのかよ。大人だろ?」
    「大人になったから食いたくねえもん食わねえんだよ」
    「なんだそれ。なあ桐生、それ食ったら、なんで俺が地獄に落ちれねえ理由の一つがお前のせいか、教えてやるよ」
     よく冷えた缶ビールを飲みながら、錦山は桐生を挑発した。正直一口もいらないと言いたいが、ここで引くと、桐生の欲しい答えが手に入るのは相当先になるような気がした。
     お好み焼きを切り取って、桐生は一口でピーマン入りの豚玉らしきお好み焼きを口に押し込んだ。錦山は桐生の様子を見て、笑いが隠せていない。
     よく噛むごとに苦味がソースの旨味と一緒に口に広がる。けれど習慣とは厄介なもので、よく噛んでからお好み焼きを飲み込むと、桐生はビールに口をつけた。
    「食ったぞ、」
    「お前、何にも変わんねえんだな」
     まだビールをあおっている桐生を見つめながら、錦山はビールを片手に、少し感情が曖昧な笑みを浮かべた。
    「地獄に落ちられねえ理由の一つは、お前が昔の俺のことも、今の俺のことも、忘れてくれねえからだよ。蜘蛛の糸って話知ってるか? 蜘蛛を一匹を助けて、天国にいける可能性があった話。まあ、結局話は天国に行けねえで終わるんだけどよ、」
     そこで錦山は言葉を切った。そして桐生に視線を向けると、再び言葉を紡ぐ。
    「お前がよ、俺にとっての蜘蛛の糸なんだよ。おまえが俺なんかをすきでいるから、天国なんかいく資格のねえ俺は、かと言って地獄にいけないで宙ぶらりんだ」
     そう言葉を切って、錦山は俯いた。桐生はビールを置くと、錦山を見つめる。
    「なあ、なんでおれのことなんかを、おまえは、ずっとすきでいるんだよ、」
    「……そうだな、俺は自覚がなくて、お前は俺がいない間に変わっちまって、しまいには拳向けあって。けどよ錦、俺が気持ちに嘘をつけねえの、お前が一番よく知ってるだろ」
     錦山は、かすれた声でただ「そうだな」と呟く。今は沈黙は優しい、桐生は錦山から視線をはずさない。桐生が錦山の蜘蛛の糸だというなら、天国に押し上げて、彼の亡くした妹に会わせる。そのくらいのことは、きっとしてやれる。そう願いながら、桐生は錦山の名前を読んだ。
    4DAY-morning ふわとろハムスクランブルチーズトースト、ランランラン 昨日の晩から、ずっと錦山は桐生と視線を合わせない。昨日の告白が本人には相当恥ずかしいものであったらしい錦山は手の届かない天井近くまで浮き上がって、捕まえようにも捕まえられない。錦と桐生が声をかけても降りてくる気配も顔を合わせる気配もない。桐生はそんな錦山の素っ気ない照れを隠す態度に、頬がゆるむのを感じた。
    「飯にしねえのか、錦。食わねえと悪霊になっちまうんじゃなかったのか?」
    「うるせ、こっちはそれどころじゃ……」
    「どうした? 昨日はあんなに可愛かったってのに、」
    「うるせえ! 飯作るから近寄るんじゃねえぞ桐生!」
     桐生の出した甘い声、に錦山は少し大袈裟に声を張り上げた。けれど耳はかすかに赤く染まっていて、桐生はそれに言いようのない達成感を覚えた。
     錦山は取り出した食パンにピザ用チーズとハムを乗せるとトーストに入れ、パンを焼き始めた。パンを焼くのを待つ間、ボウルに卵を割り入れ、塩胡椒を入れるとサラダ油を少し入れたフライパンに混ぜ合わせた卵を注ぎ、それを菜箸でかき混ぜると、スクランブルエッグを作る。
     そしてトースターの中で溶けていくチーズがちょうどいい塩梅になったらしく、錦山は皿の上に乗せたパンにスクランブルエッグを乗せた。
     不承不承という顔を一切隠さず、錦山は桐生の前にパンを置くと、桐生の前に座った。視線は合わせない、けれどかすかに赤みを帯びた耳が、その感情を雄弁に語っている。
    「……いただきます、」
    「いただきます」
     とろりとしたスクランブルエッグと、熱々のチーズの組み合わせはとても美味いがなかなか危険だ。コーヒーをすすりながら、桐生はパンをゆっくり食べていく。そんなに焦って食べずとも、チーズはまだ熱い。
     視線をパンに落としている錦山に、桐生はパンを食べる手は止めないまま、意図のある視線を送り続ける。錦山は送られる桐生の視線に、眉間に深いしわを寄せた。
    「なんだよ、」
    「なんでもねえよ」
    「なんでもねえって面じゃねえだろうよお前」
    「ふっ、どうだろうな?」
     桐生はそう答えをはぐらかしながらも、かわいい、愛しいものをみる、あまったるい視線を送り続けるのをやめない。
     最後のパンのかけらを桐生が口に納める頃には、錦山の食べる手は完全に止まっていた。
    「珍しいな、食欲ねえのか?」
    「うるせえ。お前がそんな目でみるからだろ、」
    「どんな目だ?」
    「どんな目って、そりゃ、」
     言葉を濁す錦山に、桐生は短く笑う。そしてこう告げた。
    「お前かわいいなぁ、錦」
     コーヒーをすすりながら、桐生は勝ち誇った顔で文句すら言葉にならないらしい錦山に、別の意図を込めた視線を送る。ずるいことをしているのは承知の上で、けれどずるいのはお互い様だ。桐生はコーヒーを飲み終わるとまた錦山に違う、けれど同じ意味をもつ言葉をかけた。

    4DAY-noon 焼きそば・フォーリング 長ネギ、ひき肉、卵が二つ。そして一袋に三つ麺が入ってる焼きそばは二つ、台所に鎮座している。錦山は長ネギを適当な大きさに斜めに切ると、先に炒めていたひき肉を一度皿に移してから炒め始めた。桐生は錦山の指示で、焼きそばの麺を1分ほど温めては取り出してまた新たに麺をレンジに入れて温めることを繰り返している。横を見ると、錦山は桐生の存在より料理に集中している。桐生は慣れない行為を上手くこなそうとして逆に緊張してしまうが、料理は人によっては無心になれるらしいから、錦山は後者なのだろう。
     しかし、思いを告げた相手の思考に入れないのは気にくわない。しかし、調理している錦山にちょっかいをかければしばらく口を聞いてもらえない可能性もあるので桐生は最後の麺をレンジから取り出すと、焼きそばの麺をフライパンにどんどん入れていっている錦山に、このちょっとした高さになっている麺の山はほとんど錦山の腹に入るのだと思うと、桐生は昔からなかなか痩せの大食いだった錦山の食欲にまつわる、桐生がまだ覚えている記憶が芋づる式に引き摺り出される。
     錦山は調味の粉の上部をハサミで切ると、水でほぐれた麺の上に大雑把に振りかけた。もう一袋分の粉も入れると、焼きそばに粉を馴染ませる。やはり錦山の方が圧倒的に多く盛り付けられた麺に、同じフライパンに少し油を足して焼いた目玉焼きが一つづつ乗っかる。桐生はビールを取り出し錦山に差し出すと、酒でこれ以上口を滑らせるのを警戒しているのか、錦山はビールを拒否した。
    「いただきます」
    「いただきます」
     最初の一口はそのままの味を楽しみ、次は目玉焼きの黄身を割って、黄身が絡まった麺を炒めて甘みの出た長ネギと一緒に口に運ぶ。くたくたのネギと麺をビールで胃に運びながら、桐生は錦山にそろそろ今勤めいる仕事の連休が終わることを告げた。
    「そういやお前働いてるんだったな、堅気と一緒に」
    「堅気と一緒ってより、俺くらいしか堅気じゃ無かった奴はいねえよ」
    「へえ、随分の真っ当な職についてんのな……俺が言えた義理じゃねえけど、お前、極道になったり堅気になったり忙しいやつだよな。ていうかよ、その仕事、まさかまたなんかに巻き込まれて、から勤め始めたんじゃねえだろな?」
    「…………」
    「おいなんか言えよ桐生。お前安請け合いしてんじゃねえよ」
     錦山の渋い顔から桐生は目を逸らした。職場自体は真っ当で金払いもよく定期的に休みも取らせてもらえる。ただ、入った経緯は錦山の言う通り、やや特殊だった。桐生は焼きそばを口に運ぶことで自分は今しゃべれないと示していたため、錦山がため息をついてなら弁当でも作ってやろうかという言葉に、お前俺の嫁さんみてえだなと失言するのは危ういところで免れた。

    4DAY-night 鍋で踊っておでんたち 出汁のいい香りがする一番大きな鍋の中には、数種類の練り物、大根、茹で卵やこんにゃくにじゃがいもがいる。よく煮込まれて、一旦冷めたおでんは今頃具材によく味が染み付いてるだろう。おでんに合う酒を買いに出ていた桐生は部屋に満ちている出汁の香りに出迎えられて、かすかに破顔した。
    「いい匂いだな」
    「おう、帰ったのか」
     温めているおでんの鍋の調子をみていた錦山は振り向いて、桐生に視線を合わせた。しかしどこか不機嫌そうに眉を寄せた桐生をみて、錦山は怪訝な顔をする。
    「なんだよ」
    「帰ったか、じゃなくておかえりでいいだろ」
    「どっちだって意味は同じだろうが」
    「確かに意味は同じかもしれねえが、俺はお前に帰ったか、じゃなくておかえりって言われてえんだよ、錦」
     さまざまな感情が入り混じった顔をしている錦山の瞳を、酒をテーブルに置きながら、桐生はじっと見つめる。
    「帰ったとき、一言でいい、おかえりって言ってくれよ錦」
    「断る、お前子どもじゃねえんだからいちいち声かけくらいで、」
    「錦」
     桐生のその声に、錦山の顔に浮かぶ感情はさらに複雑怪奇になっていく。桐生のわがままに酷似した懇願のせいだけでないらしいその表情に、桐生は錦山に近づいて畳み掛けるように「お前に、俺はおかえりと言って欲しいんだよと」と身をかためた錦山を抱きしめて、その耳に直接言葉を吹き込んだ。
    「きりゅ、」
    「なあ錦、言ってくれ、おかえりってよ」
     錦山が突っぱねようともがくのを力づくで桐生は封じ込める。桐生はなんとしてもおかえりと、錦山に言わせたかった。おかえり、ただいま。それすら言い合うことが叶わない関係になってしまって、けれど今は違う。違うから、どうしても、桐生はその言葉を求めた。
     にしき、と誰に対しても放ったことのない甘い声を桐生は出す、温度の変わらない肉体に触れ、桐生は錦山を追い詰める。
     そんな時、ふと錦山が慌て出した。桐生に抱きしめられたままガスのつまみをひねって、火を止める。
    「火ぃ使ってる時は寄るなって言った意味、お前わかってなかったな?」
    「錦、」
    「うるせえ飯だ飯! さっさと離れろ! 皿と箸出せ!」
     桐生から逃れると、錦山は適当な新聞紙を引っ張り出してその上に鍋を乗せた。その耳は真っ赤に染まっていて、あともう一押しだったか、と桐生の思考に不埒な考えが上る。
    「いただきます!」
    「いただきます、そんなに怒るなよ錦」
     うるせえと、酒でなく水を飲む錦山に、桐生は大根を箸で割りながら苦笑した。よく味のしみた大根に、錦山が用意した味噌だれをかけて桐生は日本酒を飲みつつ食べ進める。
     ふと、錦山の方を見ると、食が進んでいないようだった。真っ赤に染まった顔、口がなにかを言い淀んでいるように開いては閉じている。
    「……えり、」
    「錦?」
    「おか、えり。きりゅう、」
     呟きに似た言葉を桐生は聞き逃さなかった。錦山を見つめて、桐生は晴れやかな声でこういった。
    「ただいま、錦」
     今帰ってきた事実だけでなく、錦山を置き去りにして、拳を交えてついには今目の前に座る錦山を失って、それでも、それでも俺はお前のところに帰ってきたと、いう幾つもの思いを込めて、桐生はただいまと返した。
     錦山は、それ以上なにも言わない。それはそうだ、と桐生は考えながらどこか晴れやかな沈黙を、自分から破ることはしなかった。

    5DAY-morning みりんかれい・ミソスープ・エトセトラエトセトラ 特売で少々量が多く入っていたみりんかれいが焼けるいい匂いと、味噌汁の香りが混ざり合って桐生は自分の白飯を器にもりながら、今にも鳴りそうな腹をさすった。錦山は焼き終わったみりんかれいを皿に盛り、袋に入れてもらったはいいものの死蔵されていた昆布茶で軽く揉んだキャベツも盛る。器に注がれている味噌汁は茄子だと言っていた、盛り終わった料理を食卓に並べて、桐生は錦山が白飯を盛りおわるのを待つことにした。そこそこの山といった印象の白飯を持って錦山は食卓についた。茶碗をテーブルに置き、錦山が手を合わせると桐生もそれにならう。
    「いただきます」
    「いただきます」
     桐生はみりんかれいを一口食べ、白米に箸をつける。白飯泥棒のメインであるから、否応なく白米が進む。時折キャベツで箸を休め、ちょっとだけ濃い味噌汁をすする。
    「桐生、お前今日から仕事だったよな」
    「ああ、帰ってこれるのは夕飯ごろになる」
    「………………弁当、冷蔵庫にあるから忘れずに持ってけ」
     そういうが早く桐生から顔を逸らして、錦山は無心に白米を口に運んでいる。錦山のみりんかれいは、白米の山を半分減らした時点で無くなっていた。
     出勤までまだ時間はある。錦山の弁当の中身が気になるが、桐生はゆっくりとごはんを食べ進めることにした。楽しみとして、後にとっておいてもバチは当たらない。
    「そういやなんの仕事してんだ? 真っ当な職場なんだろ?」
    「ああ、おれがバブルの時、不動産の社長任されてたの知ってるだろ? その人の知り合いがやってる貸し物件に人案内したり、まあ色々だ」
    「へえ、お前事務仕事できるようになったのな」
     いつのまにか錦山が挑んでいた白米の山は無くなっていて、食後の煎茶を飲みはじめた錦山と離れたくはないが、出勤の時間は近づいている。桐生はスーツの上着に袖を通すと、冷蔵庫から弁当と思わしきタッパーとラップに包まれたおにぎりを取り出す。
    「じゃあ、いってきます」
    「おう」
    「おい錦、」
    「…………帰ってくれば、ちゃんとおかえりは言ってやる。……今は無理だ」
     錦山はそう言って煎茶を煽ると、湯呑みを台所に持っていき、片付けを始めた。背中に視線を当てながら、桐生はまだ、錦山の中に存在するらしいいくつかの迷いと、本人に理由を聞いていないからまだおそらくの当て推量でしかないその理由に、かすかに頬が緩む。
     もう一度いってきます、と言って桐生は錦山の背中から視線を外すと外に出た。空は高く、快晴である。慣れた道を歩きながら、桐生はいつもなら鞄には存在にしない重さを、まぶしく感じた。

    5DAY-noon 弁当を巡るロンド「あれ? 今日はお弁当なのかい」
     品のいい老紳士という形容がよく似合うこの会社の社長は、業務が立て込んでいて遅めの昼食となった桐生が鞄から取り出した素っ気無いタッパーとラップ入りのおにぎりに目をあてて、少々驚いた声を出した。
    「ああ、申し訳ない。桐生さん、いつもコンビニかカップ麺だから驚いてしまって、自炊し始めたのかい?」
    「……いえ、同居人が。最近、一緒に暮らし始めたんです、」
     桐生の言葉に、社長は柔らかい笑みを浮かべて髪同様真っ白なあごひげに手をあてて、桐生によかったねと言葉をかける。
    「幸せかい……って聞くのも野暮だね、実際幸せそうだし。うんうん、いいことだ。とてもいいことだよ、桐生さん」
     普通にしていても円やかな印象を他者に与える社長が穏やかな笑みを浮かべると、福を呼ぶかみさまのような雰囲気を纏う。
     すまないね、食べるのを邪魔してと退いた社長に桐生は頭を下げて、タッパーを開けた。唐揚げ、漬け物、卵焼き。学生の弁当かよ、と桐生は呟いた。隠しきれないいとしさが滲む声に、周囲で仕事をしている女子社員の意識は自然と桐生に集まる。
    「いただきます」
     桐生はしっかり手を合わせ、決まり文句になった言葉を紡ぐ。まずはおにぎりを一口、塩がきいた米をかみ、唐揚げも一口食べる。唐揚げをよく噛んで飲み込み、もう一度、今度は別の唐揚げを一度に半分口に収めると、桐生は漬物に手を伸ばした。
     どんな顔をして、この弁当を錦山は作ったのだろうか。しかめ面か、それとも。桐生にとっては、どちらでもよかった。どちらにせよ、これを作っている間、錦山の頭は桐生で満ちていただろうから。おかずは学生の弁当のようだが、量はちょうどいい。買ってきていたペットボトルの茶を飲みながら、桐生は弁当を平らげていく。仕事が終わって部屋に帰ったら、おかえりと言葉が返ってくるだろう。まだいってらっしゃいはいえない錦山の返答を桐生は想像する。素直でない、いや、素直になるには絡まった因果と結末が彼の素直になるという行動を阻害する。
     けれど、桐生のただいまに錦山のおかえりがかえる。いまはそれで我慢してやろうと、桐生はどこまでもふてぶてしい思考をした。変化を急かすのは、桐生にとっても本意ではない。
     全て平らげて、桐生はタッパーを鞄にしまった。ペットボトルに残った茶を飲んでいると、最近入ってよく話しかけてくる、新卒だという女性の社員が桐生に声をかけてきた。
    「桐生さん、もしかして……彼女さんのお弁当ですか?」
     どこか探るようなその女性の視線を桐生は見つめ返しながら、錦山のことを考えた。彼女という括りは彼に似つかわしくないような気がしたのだ。
    「いや、彼女じゃあない」
    「え? じゃあ……奥さんですか?!」
     桐生は目を瞬かせた。奥さん、嫁さんみてえだなと思ったことはある。桐生は目を伏せて、あの真っ赤に色づいた錦山の顔を思い浮かべる。
    「……そう、だな」
     それは目の前にいる同僚に向けた言葉ではなく、桐生自身が、己の気持ちを確認して、こぼした言葉だ。灰になりつつある女子社員を気遣えるほど桐生は他人の機微に鋭くない。家で錦山を奥さん扱いすれば腹に幽霊になろうが重く鋭い拳が飛んでくるのは間違いない、その事実がなんだかうれしくて、桐生は顔をほころばせた。

    5DAY-midnight 味付き卵と焼きおにぎり、願う通りに粉々に砕いて 桐生はふと目が覚めた。時計は深夜をさしていて、もう一度寝直そうかとも思ったが、目が冴えて寝付けそうにない。しょうがないから一度起きて水でも飲むかと桐生は寝室から出ると、リビングの方に微かな灯が付いていた。
    「錦?」
     幽霊だから錦山に睡眠は必要ないだろうし、桐生も錦山が寝ているところは一度も見たことがない。声をかけても返答はないが、いないことはないだろうと周囲を見渡す。
    「……錦、なんだ寝てるだけか」
     桐生はソファで目を閉じている錦山を見つけて、いつの間にか自分が深く安堵してることに気がついた。その温度のない頬にそっと触れる。つめたくも熱くもない、生きていないことを示す虚無を返す皮膚を、桐生は確かめるように触れる。頬、鼻筋、額。確かに錦山は、いまここにいた。
    「桐生、寝られねえのか」
    「…………ああ、そうだ」
     目を閉じたまま、錦山は桐生に言葉をかけた。桐生の声が震えることはなかったが、言葉を発した錦山に、何かいい知れない違和を感じる。
     そんな時、ふと桐生の腹がなった。
    「味玉と焼きおにぎりでいいか」
    「まかせる」
     錦山は浮かび上がると、台所へ向かった。その背中はやけにさみしく、何かを決めたような気配を漂わせている。ご飯を温めて、おにぎりを作ると錦山は味噌とみりんを混ぜて、にぎった白米の上に塗った。オーブントースターの天板にアルミホイルを乗せ胡麻油を塗って、味噌を塗ったおにぎりを焼き始めた。
     桐生が寝た後に仕込んだと思わしき味玉を錦山は半分に切ると、小さめの皿に乗せて桐生の座る席の前に置いた。錦山は食べるつもりがないらしい。
     オーブントースターが定めた時間がきたと告げる小気味のいい音が、重苦しい空気に、やけに調子良く鳴り響く。
     錦山は焼きおにぎりを桐生の前に出すと、ずっと下げていた顔を上げた。
    「なぁ、桐生。ずうっと思ってたんだけどよ、やっぱり、お前は俺をばらばらにするべきだよ」
    「錦、お前何言って、」
    「俺の存在はそんなにつええもんじゃねえ、清めのつもりで塩をかけられりゃ四散する。実際そうなったことはねえから分からねえけど、意識がばらばらに崩れればいずれ存在も霧散すんだ、お前は、そうするべきだ」
    「錦!」
     暗い瞳に、最後に笑ったあの光景が浮かぶ。笑って爆弾に銃を、そして。桐生は思わず錦山を抱きしめていた。存在が解れて消えることを許さないように、生者であれば痛みを訴える力で、桐生は錦山の存在を抱きとめる。
     錦山の微かな震えを、桐生は掴んで離さない。もう失いたくない。二度と、目の前から消えて欲しくない。
    「錦、俺といるのは辛えか」
    「俺はお前から奪いすぎてる」
    「錦、俺はお前を離してやる気なんざねえ。俺はお前が、大切だ」
     錦山の手が、桐生の寝巻きを強くにぎった。痛みを堪える手つき、桐生は嗚咽を漏らし始めた錦山をただ、抱きしめる。
    「おれは、おれは。お前にばらばらにしてもらうために、お前の前に出てきた。おれは、お前に取り憑いてなんかいねえ。地獄から放り出されて、俺の方からお前の前に姿を見せろなんて言われた時、俺は消滅しろってことなんだと思った。出て行けといわれると確信してた、そうなりゃいいと、思ってた」
     けどよ、と錦山は言葉を紡ぐ。
    「いまお前を前にして、出てきたのは虚言だった。お前に取り憑いてるなんて言って、昔みたいに振る舞って、お前と一緒にまた、なんて都合の良いことをおれは、」
     桐生は錦山から腕を外すと、その顔を見るために、下げてる顔をそっと上げた。泣いている、桐生に無残な死を遂げて欲しくないと銃口を向けたあの時のように。桐生はその涙を拭わない。ただ、流すままにさせた。
    「錦、いったろ。俺は、お前のことが好きだ。由美に対する感情とは違う。俺は、そうだな。俺はお前に執着してる、お前を俺に縛りつける鎖が俺であればいいと、思ってる」
     錦山の目が桐生を映してる。瞳に映り込んだ桐生は笑っていた。
    「なあ、錦。一緒に飯を食おうぜ。今日も、また明日も明後日も」
     桐生は錦山の涙を拭ってやると、桐生の席に錦山を座らせて、桐生は錦山の席を持ってきて、横に座った。
     桐生は焼きおにぎりに手を伸ばし、少し冷めたそれを一口でほうばる。錦山も、同じように焼きおにぎりに手をつけた。
     桐生は錦山に声をかける。俺はお前と一緒にいたい、と。台所についた頼りない電気だけが光源のリビングで、桐生は指輪でも送れば味玉に手を伸ばしている錦山は桐生のもつ執着の強さを理解するだろうか、なんて悪い考えを錦山に気取られないように思考の隅に仕舞い込んだ。
    6DAY-morning 卵のサンドイッチと消そうとしても消せないもの 桐生は夢を見ていた。風間と、錦山が何か口論をしている。口論、と言ったがよく見ると反論を激しく重ねる錦山に、風間は辛抱強く言葉を送っているらしい。言葉を聞こうと、桐生は途切れ途切れに聞こえる二人の会話に耳を澄ました。
    「錦山、俺は、お前がもう崩れそうって時に、何してやれなかった。お前の進んだ修羅道までの道行きを、舗装したのは結局俺だ」
    「……すまなかった、彰。お前のことを、俺は見ちゃいなかった、誰も彼もがお前を通り越して、そこにいない一馬を見ていた。生きながらの地獄に、俺はお前を叩き落とした。だから、」
     風間はそこで言葉を切って、錦山の肩を撫でる。
    「俺には、もうこれくらいしかしてやれねえ。彰、一馬のところに行け、お前の蜘蛛の糸にあいにいけ、お前自身の手で積んだ罪業のせいで天国なんかに行けるもんかっていうなら、俺がまとめて引き受ける。泣くな、どうせ行く場所は決まってるんだ、お前の分が増えたところで、どうってことはない」
     二人を見ていた桐生の視界を光が包み込む。起きろ、と声がする。錦山の声だ。ゆっくりと浮上する意識に従いながら、桐生は風間にもう一度視線を当てる。風間と目があって、桐生は思わず息を呑んだ。風間の口が開く。
    「一馬、彰の手を、離さないでやってくれ」
     風間の言葉に、桐生は強くうなづいた。光が全てをかき消しているなか、風間がかすかに微笑む気配がする。
    「しあわせにな、」
     そう聞こえたのが、確かな夢のおしまいであった。
    「桐生、起きろよ。いい加減飯食わねえと遅刻すんぞ」
    「あ、ああ」
    「なんだ? 悪い夢でも見たのか?」
     悪い夢、と言われた桐生は頭を振った。薄れてしまった夢の記憶、何を見たか説明しようにも、もう何も思い出せない。
    「飯、卵サンド作ってあるから食え。あとまた弁当作ったから持ってけよ」
    「ああ、わかった」
     桐生はベッドから起き上がると、身支度を整え始める。整え終わって、リビングに向かうと食卓には茹でた卵をマヨネーズで和えた卵サンドと、湯気のたつコーヒーが置いてあった。
    「いただきます」
    「いただきます」
     卵サンドは辛子を少し使っているのか、辛味が効いていた。たっぷり中身の入った卵サンドは、一つだけでも結構な食べ応えがある。
    「そうだ錦、今日は少し帰るのが遅くなる。夜にはならねえと思うが」
    「そうかい、なら帰ってこれそうになった連絡しろ」
     そう言った錦山の側には、ケータイがある。桐生が契約してきた、錦山専用のものだ。
     桐生はああ、とだけ言った。錦山がケータイを受け取って、桐生の連絡を拒絶しない。その事実に、桐生は口元をほころばせる。
    「じゃあ、行ってくる」
    「…………行ってこい、」
     まだ、いってらっしゃいとは帰ってこない。けれど、けれど例えようのない幸福に桐生は満たされていた。
     扉が閉まり、鍵のかかる音がする。桐生は職場へ足を進めたながら、しあわせだと、その感情をかみしめた。

    6DAY-noon ロコモコ弁当とマリッジリンクラプソディー 桐生は錦山が作ったロコモコ弁当をつつきながら、人知れず危機に直面していた。他者と縁を結べば結ぶほど、お前はセンスがないセンスがないと言われ続けている桐生に、逆にセンスを磨くことを怠らない錦山がよしとする指輪を選ぶことができるのか。というか、まず出来ないだろうということが目に見えていた。錦山に選んでもらうことはできるが、指輪買うからついてこいと言った時点で錦山が桐生から逃げ出す可能性が捨てきれない。というか、多分錦山の方の感情は多分だが、桐生が指輪を用意してさらなる告白をしようとしていることなど想定などしていない。
     逃すつもりなどさらさらない、逃すきっかけを与えるつもりも桐生にはない。俺はお前に執着をしている、という言葉を錦山がどう受け取ったかは桐生にはわからないが、自覚はなかったがおそらくひまわりにいた時にはすでに萌芽していた感情の重さを桐生は自覚していた。今の錦山に全てを晒すと多分重すぎると引かれる、錦山に引かれるのは少々傷つく。噛めば肉汁のでる細かく切った野菜が見え隠れするハンバーグを食べながら、桐生は考え抜いた。けれど妙案はそう簡単に出るものではないし、そもそも指輪を送った経験はあるが、選んだのは自分だとしても、品物は麗奈からのアドバイスだ。桐生は給料三ヶ月分とか言ってダイヤの指輪はどうだろうかとか思考したが、何故か引きつった錦山の顔が浮かぶ。どうしたものか、どうしたものかと悩む桐生を見兼ねたのか、社長が桐生に声をかけた。
    「桐生さん、何か悩みでも?」
     相談に乗るよ、と心配そうに声をかける社長に、桐生は全てを吐き出すことにした。
    「……同居人に、指輪を渡そうと思って」
     そう言った瞬間、周囲の女子社員の視線と意識が全て桐生に集まる。居心地は悪いが、殺気でないそれに今はかまっている暇はない。白いあごひげを撫でる社長に、桐生はあれそれ考えていたプランを話す。
    「なるほど、サプライズにしたいわけなんですね。でも桐生さん、同居人さんがとてもセンスの良い人なら、一緒に買いに行った方が、おそらく無難ですよ?」
    「それはそうなんだが……なんだ、俺の気持ちを渡したくて」
     なるほど、なるほどと社長は莞爾として笑う。
    「なら、桐生さん。同居人さんに、似合うと思ったり、つけて欲しいと思うものを選ぶのはどうでしょうか? 今、石言葉とか、人気がある石やデザインだとか、いろんな判断材料はあります。その中で、同居人さんにこれを身につけて欲しいとおもうものを選ぶのが、きっとよろしい」
     桐生は社長に後光がさしているように見えた。錦山に、身につけて欲しいもの。桐生は錦山の指に、自分が選んだ指輪が光るのを想像する。指に輝く指輪はまだ想像がつかないが、何か霧が晴れたような気持ちになった桐生は社長にありがとうございます、と頭を下げた。
     まだ半分ほど残って居るロコモコ弁当を食べながら、桐生の目は優しく細まる。撃沈してる女子社員、少なからずショックを受けている女子社員。その他もろもろの外野の惨状は今の桐生の視界には全く映っていかなった。

    6DAY-night シチューオンザライス?「おかえり」
    「ただいま、錦」
     ややぶっきらぼうな錦山の声に、桐生は正しく言葉を返した。鶏肉に人参、かぼちゃ、玉ねぎにその他大勢エトセトラ。錦山はすでに切り終わっている全ての材料を彼が調理する時やりやすい位置に置いて、熱した鍋にバターを落として溶けたのを確認すると、玉ねぎを入れた。桐生はそれを眺めながら、スーツから家で着ている服に変えるためにリビングから離れる。
     桐生は鞄から、包みを取り出して、しばらく眺めてから、また鞄に戻した。渡すべき時は今ではないと、桐生の直感が囁いている。小さな包みの中には、指輪がある。もう縁がすっかりきれて滅多に訪れなくなった宝飾店にいき、悩み抜いた末に選んだ指輪は、華美を期待すると素っ気なさを感じるプラチナの台座に、控えめな印象を持たせる小さなダイヤが光るややカジュアルなものだ。桐生に、錦山のようなセンスはない。けれど、これならきっと錦山もそんなに抵抗なくつけられるのではないだろうか。そう思いながら、桐生は服を着替え直して鞄をしっかり閉めたことを確認すると、リビングへ戻った。
     調理の工程はすでにかなり進んでいて、お湯で煮込まれているにんじんとかぼちゃに錦山は箸を刺して煮込み具合を確認していた。問題はなかったらしく、錦山はシチューのルーを鍋に入れ、ルーを溶かしていく。しばらく煮込んでいるうちに、溶けたルーがちょうどいい、よりややかたくなってしまったらしくかぼちゃのオレンジに染まったシチューに錦山は少しだけ牛乳を注いでゆるめ、塩胡椒で味を整えると桐生に皿とスプーンを用意しろと指令を出す。
     指示に従って皿を出し、スプーンをそれぞれの席に置くと桐生はシチューを皿に盛りると錦山を待った。あたたかなうす橙のスープが食欲を誘う。そんなことを思っていると、錦山の用意も終わったらしい。シチューと、いつ用意したのか白米を乗せた皿をテーブルに乗せると、錦山は手を合わせた。
    「いただきます」
    「いただきます」
     そういえば人によってはごはんにシチューはありらしいとは聞いたことがある、桐生はどちらでもなかった、というかシチューにごはんをつけるという発想がなかった。錦山はシチューのかかった白米を小気味いいスピードで平らげている。桐生もシチューを食べながら、そんな世界もあるのだなとやけにグローバルな感覚でシチューごはんの存在をとらえた。
    「ああ、明日は会社自体が休みだ」
    「なんだ、お前のところやけに休み多くねえか?」
    「社員旅行なんだと、俺は行かないが」
     怪訝そうな顔をしている錦山に、桐生は「いくら堅気になったとはいえ刺青は入ってんだ、温泉旅行らしいから、余計に、な」と返す。
    「なあ錦。今度、風間のおやっさんの墓参りに一緒にいかねえか」
     風間の名前を聞いて、錦山はほんの少しだけ身を固くした。けれどそれもほんの少し、意識して見ていなければわからない程度の体の強張りだった。
    「……行けれねえよ、どんな顔して行きゃいいんだ」
    「錦、俺はいまお前をどう暮らしてるか、おやっさんに報告したい。お前がいてくれてることをな」
    「うるせえ、冷めるだろ、早く食え」
     露骨に話題を変えた錦山に、桐生は微かに微笑む。照れんなよ、という桐生に錦山は照れてねえと赤い顔で、反論をした。

    7DAY-morning あさぼらけ、離さない手とクロックムッシュ 覚醒しつつある意識のなか、桐生は腕の中に錦山がちゃんといることを知覚した。錦山の温度のない肉体には桐生の温度が移ることもない、より一層強く、桐生は錦山を逃すまいとでもいうように錦山を抱き込んだ。肉体の隆起に触れても、触れている感覚は手にかえるが、手にかえる感覚も、どこまでも虚だ。
    「桐生、起きてんだろお前」
    「起きてない」
    「返事できるなら起きてんだろ、お前の触り方どうにかなんねえのか」
    「どうにか、ってのは?」
     桐生は錦山の言葉に短い笑い声を出すと、手に乗せる意図を変えた肉体を這う桐生の不埒な手を、錦山は調子に乗るなと叩いた。
    「朝っぱらからお前はよう……まだ飯には早えな、お前ももう寝れねえだろ。どうする?」
    「どうせ仕事は休みだ、今から食事でも俺は構わねえ」
    「そうか、なら飯にするか」
     そう言って錦山は台所に向かうと、まずバター小麦粉そして牛乳を取り出した。バターはレンジで溶かして小麦粉を入れて泡立て器で混ぜ、牛乳を少しづつ加えて溶かしていく。全ての牛乳を入れる終えると、器にラップをつけ、レンジで温める。温まったそれを一度取り出し泡立て器でかき混ぜると、錦山はもう一度レンジにまたラップをつけ直したそれを入れた。とろみのついたホワイトソース、それを塩胡椒で味を整えると錦山は取り出したパンにホワイトソースを塗り、ハムを敷き、パンを上に乗せるとまたホワイソースを塗って、そしてたっぷりとピザチーズを乗せるとオーブントースターで焼いていく。ホワイトソースとチーズの焼ける匂いで、さほど減っていなかった腹は正直に腹が減ったと主張し出す。
     錦山はやかんでお湯を沸かすと、コーヒーを作った。自分の分にはちゃっかり牛乳と砂糖を入れてカフェオレにしている。別にブラックコーヒーでも桐生は構わない、というか別にカフェオレが飲みたいわけでもないが、桐生は昔から錦は要領いいんだよな、とコーヒーを受け取りながら思考する。
     焼けた料理、錦山曰くクロックムッシュというらしいパンが鎮座する皿を桐生は受け取り、錦山が座るのを待つ。
    「いただきます」
    「いただきます」
     焼き立てで熱々のホワイトソースとチーズで火傷をしないように注意しながら食べ進めると、自然とペースは遅くなる。ホワイトソースとチーズはやはり難敵だ、油断をすると口に痛手を残そうとする。錦山もゆっくり桐生同様食べ進めているが、幽霊も火傷をするのだろうか。考えても仕方のないことのようなきもするが、桐生は気になった。
    「錦、熱いのか?」
    「熱いに決まってんだろ」
    「そうか、お前から温度も何にも感じねえから、てっきり何にも感じねえかと思ってな」
     桐生はそこで言葉を切って、ふとわいた悪戯心に従って、錦山に言葉を投げる。
    「ってことは、お前、俺の体温も感じるのか?」
     俺は感じないってのは、イーブンじゃねえが。そう畳みかけるように桐生は言葉をかけると、錦山は桐生を睨みつけている。錦山が怒るラインをわざと踏み越えた桐生は、なあ錦、俺と寝ててどう思ったというと、調子に乗ってんじゃねえと脳天に手加減のない手刀が落とされた。

    7DAY-afternoon トライフル、乗せる思惑はそれぞれ違う 桐生は手で生クリームを泡だてながら、ときたま悪態をついている錦山に手伝いを申し出たが、すげなく断られたなかなか泡立たないらしいクリームに難儀しているその背中を見つめることしかできない。ボウルには四角く切られた出来合いのスポンジ生地と、葡萄や林檎などと言った果物のほか、栗や蒸した芋、栗やかぼちゃなどがそれぞれ違う皿に乗せられている。昼食を取った後、たまたま見たテレビがトライフルという菓子の作り方を視聴者に伝えていた。洗い物をしていた錦山がぽつりと食いてえなあと呟くのを桐生は聞き逃さず、なら材料買ってくるかと錦山に声をかけ、それならあれそれとこれが欲しいという錦山にメモを書かせ、桐生はこの七日間でもうすっかり馴染みになりつあるスーパーに向かった。桐生ができたのはここまでで、後はなかなかツノが立たない生クリームに台所番が苦心するのをコーヒーを飲みながら見つめていた。
    「ちくしょう、ちょっと行動の文明を退行させるとこんなに大変なのかよ」
     かと言ってハンドミキサー買ったって使わねえしとぼやきをもらす錦山は、ようやくクリームが出来上がったのかボウルの縁に泡立て器をぶつけて泡立て器についた生クリームを落とすと、桐生に準備できたから好きなの乗せてけと告げる。桐生は少量のスポンジとそれに同じ程度の生クリーム乗せて、葡萄と変色しないようにはちみつに漬てあった角切りのリンゴを乗せる。錦山は錦山でいつのまにか滑らかにしたかぼちゃと少し取り分けた生クリームを混ぜてかぼちゃクリームを作っていた。スポンジ、かぼちゃ、生クリーム、かぼちゃクリーム、さらにその上に栗と細かく切った栗を乗せる。錦山はブラックコーヒーを入れると、できたトライフルをテーブルに置き、桐生の前に座った。
    「いただきます」
    「いただきます」
     桐生はやや甘さ控えめの生クリームに、錦ほどは必要ないが、もう少しだけトッピングを乗せるべきだったかと思案した。特盛り気味のトライフルを錦山が確実に減らしていくのを見つめながら、幽霊である錦山の食べたものはどこに消えるのかという今更な疑問が湧いた。
    「なあ、錦。お前の食ったもん、どこにいくんだ?」
    「知らねえ、消えてるんじゃねえか? 消化してるはずもねえしよ」
     簡潔だが曖昧な錦山の言葉に桐生は眉根を寄せたが、本人がわからないものはどうしもない。それにつついたところでおそろしいものしか見えないような気もする。
    「なあ、錦。夜、飯食った後話がしたい」
    「なんだ? 話なら別に今でもいいだろ」
    「いや、夜がいいんだ」
     桐生の言葉に錦山は釈然としない様子で首をひねった。桐生は錦山があごに当てている指に、鞄にしまっている指輪の形を頭の中で重ね合わせる。コーヒーをすすりながら、桐生は降り積もった執着の形を突きつけられた錦山がどんな顔をするか考えて、なに笑ってんだよと不機嫌そうな声を出す錦山に、お前のことを考えてたんだよと言葉を返した。

    7DAY-night 親子丼とマリッジリンク・ファンファーレ 夜に話がしたいといってから、錦山の様子に取り立てて変化はない。桐生はポケットに忍ばせた小さな箱の存在を確かめながら、めんつゆで煮込んだ具材に卵を流し入れている錦山の背中を見つめた。しばらくそうしていると、錦山から「飯できたぞ」と声がかかる。桐生は白米を茶碗に盛りつけ、いつもとなんら変わりない、むしろ何かの覚悟を決めたような、感情を潜めた錦山の視線を受け止める。桐生は、錦山の語ったことを思い出す。ばらばらにして存在を解いて欲しいと告げたこと、桐生の存在が錦山を天へ引き上げられる可能性を持つ蜘蛛の糸だということ、それとは別に、錦山が地獄に行けない理由を作ったという風間のおやっさんの存在、多分、と桐生は頭の中で前置いてから、多分風間のおやっさんは錦の罪を代わりに背負ったのでないかと桐生は思う。そうなのかと錦山に直接聞いたわけでないし、風間に聞けるわけもない。ただ、あの人ならそうするだろうという確信が桐生の中にあるだけだ。
     錦山もたっぷり親子丼の具を山盛りのご飯に盛って、桐生の前に座った。
    「いただきます」
    「いただきます」
     七日、たった七日の間にずいぶんといろんなものが変化した。もう二度と声など交わせないと思った存在と声を想いを交わせた。けれど桐生はそれだけでいい、と終われない程度には強欲で、錦山という存在に対して貪欲だ。出汁を足したのだろうか、めんつゆの風味だけではない親子丼を咀嚼しかながら、時は静かに過ぎていく。
    「ごちそうさま、美味かった」
    「そうかい。で、話ってなんだよ」
     茶碗も全て洗い元の場所へ戻し、もう一度食卓に座りながら、錦山は桐生の言葉を待っていた。それがたまらなく嬉しい、桐生はテーブルに置いていた錦山の左腕を取る。
    「桐生?」
    「俺は、お前に執着してる。そう言ったの、覚えてるか」
     桐生の言葉に、錦山は左腕を引こうとした。けれど、指をからめとって掴み、桐生は錦山が逃げるのを許さない。
    「俺はお前に執着してる、お前の存在が俺のそばにあるのが、また当たり前になりゃいいと思ってる」
    「きりゅ、」
    「綺麗に言い表せる感情でもない。恋と愛とかじゃねえかもしれねえ。だが、お前の手を掴んだまま離したくねえんだ、だから、受け取ってくれ」
     桐生はポケットから箱を取り出し錦山の左薬指にはめた。プラチナの台座にはまったダイヤが、控えめなサイズの割には、やけに光り輝いている。錦山は絶句した、という顔をしている。形として示された執着を、信じきれないという顔をしている。
    「桐生、お前がこれを送っていいのは、由美だけだろ」
     錦山は、あの指輪を思い返しているのだろう。ダイヤではなく、ルビーのあしらわれたあの指輪を。左手首を握ったまま、桐生は冗談ですませないとは解ったらしい錦山の顔に宿る焦燥を見つめる。時間がゆったりと、二人の皮膚を撫ぜるような錯覚すら覚え始める頃、錦山は声を発した。
    「桐生、お前なんで、」
    「お前に側にいて欲しいからだ、他の誰でないお前に」
     首輪だと思うなら、枷だと思うのならば、今はそう思えばいい。けれど、恋と愛と呼び表すには一言では形容できない感情が邪魔をする、強い執着を受け止めさせる。桐生はそんな気持ちでいる。生半可な覚悟で渡しているわけではない、錦山の喉から、引きつった声が出る。桐生は、ただ錦山の言葉を待つ。
    「きりゅう、おれは、おれはほんとうにおまえのそばにいて、いいのか。ゆるしをこえるたちばでもねえ、おれがしたことを、おまえはおぼえてるだろ」
    「ああ、全部覚えてる。兄弟と呼び合ってた時のこと、お前が兄弟じゃねえと言って、俺もお前のことを理解しようともせずに、手を離しちまったことも」
     桐生は手首から手を滑らせて、錦山の手をそっと握り込む。
    「俺といてくれ、錦」
     錦は俯いて、うなづいた。桐生はそっと握った手の力を強める。束縛でいい、今はまだ。愛情と呼べるその時まで、桐生は絶対にその手を離さないから。
    「なあ、錦。一緒に、風間のおやっさんの墓参りに行こうぜ。お前の墓も一緒にあるから、お前は妙な気分になるかもしれねえが」
     桐生は俯いた錦山の、真っ赤に染まった耳に微笑んだ。温度をうつすように覚えさせるように、桐生は錦山に触れたまま、錦山が言葉を発すまで、そのままでいた。

    8DAY-epilogue また日々はめぐるから、明日のはなしは明日しようか 桐生は錦山を伴って、風間の墓を参っていた。空中に浮いている錦山から全て聞いている、錦山の罪も背負ってより深い地獄に風間が落ちたこと、錦山を桐生の元に向かわせたのも風間の言葉であること。桐生は手を合わせて錦山と過ごした七日間にあったことを全て報告して、それから風間の墓に深々と頭を下げた。桐生の中で渦巻く感情をどう言い表していいものかもわからない。いまの桐生にできるのは、墓前でもう会えない人に感謝することくらいだ。
     桐生は錦山の手をそっととる。ここ外だぞ、と難色を示す錦山の手には、桐生と同じデザインの指輪が、陽の光を浴びて輝いている。桐生はその輝きに目を細めた。錦山は桐生のものだし、錦山がそう思っているかどうかはわからないが、桐生も錦山のものだ。
     そのまま手を引っ張り、桐生は上着のポケットに錦山の手ごと自分の手を入れた。これなら不自然じゃねえだろ、とささやくと地に足をつけた錦山は色々諦めたようなため息を履いた。
    「桐生、お前ってやつは無茶苦茶だよな」
    「なんだ? 今更気が付いたのか」
     桐生は墓前でもう一度風間に頭を下げてから、錦山に視線を移す。ポケットに入れた手を握って、桐生は錦山を連れて帰路に着く。
    「桐生、今日の飯は何がいい」
    「あー……夜はカツ丼が食いてえ」
    「さらっと面倒くせえもん頼みやがるよなお前、今日の昼は出来合い買うとして明日は……」
    「錦、明日のことは明日考えたっていいだろ」
     明日はまためぐりくる、去る今日と地続きの、新しい日は必ずやってくる。錦山と桐生の元にも、必ず。急ぐ話でないのなら明日のはなしは明日すればいい、もう何にも追い立てられず、もう何にも苛まれない明日が今日と入れ替わりに訪れるのだから。
     明日のはなしは明日しよう、これは錦山が望んでいた日々でないかもしれないけれど、桐生はポケットに入れた手を、離してやるつもりなんて、これっぽっちも存在していなかった。

    ?DAY-morning おにぎり、豚汁。そしてつけもの「おい、弁当は冷蔵庫の中入ってるから忘れんなよ桐生」
    「……たまに思うんだが、お前は俺を幼稚園児かなんかだと思ってる時ないか?」
    「この前弁当忘れたやつが言うな」
     拗ねたような口調で紡がれた桐生の言葉を、錦山は一刀両断した。忘れたのは事実であるため、桐生はそれ以上反論できず、具沢山の豚汁をすすった。茄子の漬物でいったん口直しをすると最後のおにぎりの破片をかじってよく咀嚼して呑み込む。桐生はそろそろ出勤しないと危ないと判断して、冷蔵庫から弁当を取り出すと鞄に入れた。
    「いってらっしゃい。あ、玄関にあるごみ出すの忘れんなよ」
    「……ああ、行ってきます」
     錦山に背を向けているから、桐生が頬を緩めたことは気付かなかったらしい。縛られて一か所にまとめられたゴミの袋をもって、桐生は扉を開ける。桐生が出ていくと、鍵が閉まる音がした。ごみを捨て、桐生は会社に向かう。ふと太陽がまぶしくて、さえぎるためにかざした手に光る銀色の証明が、鋭い陽をやわらかに照り返した。
    夜船ヒトヨ Link Message Mute
    2022/06/17 19:31:48

    明日のはなしは明日しようか。

    幽霊の錦山が桐生のもとに現れて、から始まる桐錦がご飯を食べる話。Twitterで短期連載していたものです。一日三話上げたはず。
    支部版は分割していますがこちらは全話収録しています。
    #龍が如く
    #桐錦
    #腐向け

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