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    春眠。あるいは、感情研究の一端 眠い、ただ眠い。
    春眠暁を覚えずとは、よく言ったものだ。三月末。気温差が少なくなってきて、ぽかぽかとした日差しが窓から入ってくる。
    いや、ダメダメ。タキオンは「大阪杯」を勝利したばかりで、次のレースの「宝塚記念」に向けてトレーニングスケジュールを組まなくちゃいけない。「宝塚」は「大阪杯」より若干距離が長い。そのため、彼女のスタミナをさらに強化したいのだ。そうすることで、年末の「有マ記念」への備えにもなる。
    この週はプールトレーニングに重点を置いて、この週は筋力を高めるために腹筋を多めに……この週はお休みで、この週はリフレッシュするためお出かけを挟もう。手を動かして、眠気に支配されないように努力するが、やはり生理的欲求にはなかなか逆らえない。
    「三十分、三十分だけなら……」
    トレーニングスケジュールを保存し、一旦パソコンをスリープにする。ソファやハンモックは危険だ。仮眠を取るなら、デスクに突っ伏すのが一番安全に短時間で済ませられる。私は仮眠用の穴開きクッションに腕を通し、しばしの休息を始めた。
    ――タキオン、ちゃんと授業出たかな? お弁当にピーマン入れたけど、残さず食べてるといいな。今日のトレーニングは、ウッドコースのランニングだったよな。ちゃんと彼女が来るまでに起きなくちゃ。
    そんな思考は、ふわふわと温かいものに包まれて、眠りの世界へと溶けて行った。

    「おはようトレーナー君。……ん? 返事がないねぇ」
    トレーナー室に入り、いつもの挨拶をする。いつもなら、私の声を聞いた途端に、挨拶が返ってくるのだが。今日は、返事の代わりに寝息が返ってきた。トレーナー君のデスクを見る。
    私のモルモット君は、デスクで枕に突っ伏し、間抜け面で涎を垂らしていた。
    「……やれやれ。君の言いつけ通り授業に出て、嫌いなピーマンもカフェに押し付けることなく食べたというのに。君は呑気にお昼寝か」
    思わず、むっとしてしまう。普段なら、モルモット君が寝ているうちに、その間抜けな口に薬品を流し込んでみたりなどと考えていただろう。そのとき、ドサッ、という冊子の類が落ちる音がした。
    「おや、何だ? ……スクラップブック?」
    これは、私がまだ見たことのない冊子だ。
    好奇心は猫を殺すというが、可能性を無視するよりはマシ。好奇心の赴くままに、私はその冊子を手に取って開いた。
    最初のページは、ウマ娘新聞のほんの小さな切り抜きだ。デビュー戦の、着順だけが記されている、文字だけの切り抜き。その隣には、手書きで「タキオンのデビュー戦、四バ身差勝利! でも私が紅茶を買うの忘れて不満げ……」と少し癖のある文字が書かれていた。新聞や雑誌の切り抜きは、G1への力試しで挑んだ「ホープフルステークス」、「皐月賞」の前段階として挑んだ「弥生賞」と続く。
    「ホープフルステークス一着! 先輩も多い中ですごい!」
    「弥生賞一着! やっぱりタキオンなら上を目指せる!」
    嬉々とした文字が、切り抜きの横に並ぶ。無論、その次は「皐月賞」だった。
    「皐月賞一着!タキオン まず一冠! でも、プランBって何だろう」
    「日本ダービー一着! 二冠目! やっぱりタキオンの走る姿が好き! 走り方は、どう変わったのかな……」
    「ダービー」の次は「菊花賞」ではない。新聞に取り上げられた、「アグネスタキオン、直前で月桂杯辞退」の文字が目立っていた。
    「タキオンに、どんな心変わりがあったんだろう……」
    添えられた文字は、それだけだった。
    「なるほど……つまり、これは君の想いの軌跡なのだな。トレーナー君」
    好奇心は、止まらない。次のページを、私は捲った。
    記事の切り抜きが、途端に大きくなる。横の太字で、「タキオン 菊花賞V ルドルフ以来の無敗三冠達成」と印刷された記事だ。
    「夏には、『月桂杯』辞退などで一部メディアから批判されていたアグネスタキオン。しかし、その走りは全身全霊、真剣そのもので、彼女は本当に問題児なのか? と疑問視する声もファンから挙がっている」
    「タキオン、ニュース番組xxxにて、『まずは三冠』と強気なコメント。『被検体募集中』と発言するなど、お茶目な一面も」
    これらの切り抜きの側にあった書き込みは、何かで滲んだ跡があった。
    「タキオンを信じてよかった。タキオンはいっぱい頑張って、戦ってただけだった。私は、彼女が担当で誇らしい」
    そして、その次には、聞き覚えのある言葉があった。
    「私はこれからも、タキオンを信じ続ける。困ったちゃんだけど、本当は頑張り屋だって知ったから」
    その文字を指でなぞる。私の頬に、何かが伝っていた。その何かは、私の顎を伝って、彼女の文字に落ちる。私は、ペンを取り出す。そして、彼女の文字の下に、こう書き加えた。
    「任せたまえ。泣き虫のトレーナー君」
    スクラップブックを閉じて、元の場所に戻す。トレーナー君は、まだ寝息を立てていた。幸せそうに眠る彼女を静かに抱き上げて、私はソファへと運ぶ。起こさないように気を付けて、ゆっくりと横たえ、無防備なモルモットの身体にブランケットを掛けてやった。
    「風邪を引かれると困るからな。今はおやすみ、トレーナー君」
    春眠暁を覚えず。今だけは、泣き虫で頑張り屋な彼女にも、一時の休息を。
    離蝶 Link Message Mute
    2022/06/20 20:33:25

    春眠。あるいは、感情研究の一端

    (22/3 執筆)シニア大阪杯後のタキオンとトレーナー♀

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