⑤やっぱり君のことが好きすぎる
「わ、うまくできた!」
嬉しくなって声を上げてしまった。けれどそのくらい、今しがた油から上げたどおなつは美しい黄金色をしていたのだ。村雲はそれを敷紙の上に置く。
「サッと揚げるって難しかったな、加減が全然わからないし」
村雲は物事にはきちっと数字がついていたほうが安心する質であった。少々だとか、適量だとか、あんな表記はやめてほしい。確実に成功する量を書いていてほしい。
念のため、とつまようじを村雲はどおなつに刺して抜いてみる。何もついていない、しっかり揚がっているようだ。すんすんと匂いを嗅ぐ。ほんのり甘い香りがした。きっと美味しいだろう。村雲はついにんまりしてしまう。
「雲さん」
急に声を掛けられて、村雲は皿を持ったまま振り返った。
「主!」
厨の入り口に彼女が立っている。ちょうどよかった、食べてもらおう。村雲はそちらに駆け寄る。
「主が好きだって聞いたから、どおなつ作ったんだ。食べて」
「わ、ほんとだ。パン粉のドーナッツだね」
「うん! 揚げたてだから、食べて」
そう言うと、彼女は顔を上げて村雲の方を見つめる。つい、村雲はどきりとしてしまった。いつまで経っても、彼女にじっと見られると緊張する。
「……今は食べられないな」
「えっ、どうして?」
「雲さんが帰ってきてくれないと、食べられないよ」
帰るって、どこに。村雲はここにいるのに。
だが彼女はそのまま踵を返し、厨の暖簾を捲って行ってしまう。
「まっ、待って! 主!」
まだ行かないで。
どおなつだけじゃない、肉じゃがもまだ食べてもらっていない。実は料理番組を毎週録画しているから、他にも。
「待って主! 主!」
バッと暖簾を捲る。すると途端に、目の前が明るく、真っ白になった。
「主っ!」
勢いよく体を起こす。えっ、ここはどこだ。自分は横になっていたのか。
何も理解できなくて村雲はひとまず自分の手元を見た。布団だ。布団に寝ていた。服装も寝巻である。なんで。
「……起きて一番に言うのがそれってどうなの」
「わっ」
横からげんなりしたような声がしたので、村雲は驚いて飛びのいた。両腕を組んだ加州が胡坐をかいている。
「え、加州? なんでここに」
「あんたが丸二日くらい寝てたからだけど?」
「えっ丸二日っ?」
ひっくり返った声で復唱する。
なんで。呆然として村雲は布団の柄を眺めた。どうしてここで眠っていたんだっけ。なんで寝巻なのだろう。直前に何を。あれこれ考えてそれでハッと気づいた。
そうだ、敵襲、彼女を迎えに行って、それで。
「あっ、主はっ?」
腰を浮かして村雲は加州の肩を掴んだ。
「主無事っ? えっ、二日っ? なんで」
がくがくと加州の肩を揺さぶると、加州は迷惑そうに眉間に皺を寄せる。
「ちょっと落ち着きなって。座って、座れ、お座り!」
「はいっ!」
ぴしゃりと加州が言ったので、村雲は反射で布団の上に正座する。乱れた髪を手櫛で整えながら加州は溜息を吐いて座り直した。加州はどこにも怪我をしていないようだった。それに安堵して、ひとまず村雲は腰を下ろす。
「主はあれからすぐ政府の病院送られたの」
「びょ、病院?」
「頭打ったから検査。今日帰ってくるから」
「そ、そっか、無事なんだ。……よかった」
脱力して、背筋が曲がる。ひとまず彼女が無事だと知れただけで万々歳だ。しかし加州のほうは、それで終わりにする気はさらさらなかったらしい。据わった眼で村雲を見ると、すうと息を吸った。
「お前さぁ、近侍が真っ先に折れてどうすんだよ!」
「はいっ!」
再びピンと背を伸ばす。崩れかけていた正座も直した。
「何考えてんの? 丸腰じゃなかっただろ、なんで敵さんの目の間に飛び出しちゃうわけ?」
「だっ、だってもうそれしか思いつかなくて」
「はい失格ー、近侍失格ー。負傷前提で行動するな!」
……怖い、これが怒涛の時代を走り抜けた幕末刀なのか。泰平の世で比較的ぬくぬくとしていた村雲は慄いて体を引いた。お腹がしくりと痛み始める。何故自分は手入れ部屋で説教を受けているのだろう。おかしい。
だが確かに、反射で何も考えずに飛び出してしまっていたのは間違いない。村雲はしゅんと項垂れて小さく呟いた。
「……ごめんなさい」
しょぼくれた村雲の様子で加州も我に帰ったのか、捲し立てていた口を止める。一度か二度、呼吸をしてから居住まいを正し、こほんと咳払いをした。
「あー、もう、以後気を付けて」
「はい……」
スンと鼻を鳴らす。加州の言う通りだ。事実村雲は疲労が重なっていたとはいえ、短刀のたった一回の攻撃で行動不能になってしまった。もしあのとき周囲に他の刀がいなければ、村雲はともかく主の命は無事では済まなかった。
しょぼくれて村雲が小さくなっていると、するすると衣擦れの音がする。首を僅かに擡げれば、何故だか加州も正座していた。村雲と目が合うと、加州は静かに、深く頭を下げる。
「でもそれより……約束、守ってくれてありがと」
「……加州」
「俺がどれだけ頑張っても、間に合わなかった。だから、ありがとう。主を庇ってくれて、本当にありがとう」
形のいい加州の頭頂部が見える。村雲は慌てて首を振った。
「いっ、いいよ、加州が怒るのも当然だし」
「それはそうだよね。滅茶苦茶怒ってる」
「え?」
今のは許してくれる流れではないのか。ぽかんと村雲が口を開ければ、ちょっとだけ顔を上げた加州がにやっと笑った。それから体を起こし、足を崩す。はあと加州は息を吐いた。
「……主は何にも言わないけどさ。主が刀剣男士に恋しないって決めたの、たぶん俺のせいなんだよね」
「加州の……?」
細い眉を下げて、加州は小さく頷いた。
「かっこ悪い話だけど。……主が怪我したとき、俺が大怪我して。たぶん、そのせい。あれから主は意固地になって、息抜きだとか羽休めとか全部無視して、あんな風になっちゃった。そりゃあ、いい主なのは変わりないよ。でも……誰にも寄りかかれない主になっちゃったと思って、ずっと申し訳なかった。別に恋するのって、悪いことじゃないのに。自分の大事な部分、預けられる誰かに出会うってことでしょ?」
悪戯っぽい、しかしどこか寂しそうな笑みを加州は浮かべる。
きっと、彼女ががむしゃらに努力し続けた何年間かは、その分だけ加州が苦しみ続けた年月でもあったのだ。どうするのがいいのか、彼女のために。
「だから俺は正直、相手が誰だってよかった。主がもし、誰かを好きになるなら、誰かが主を好きになったなら。ここの誰だってよかった、あの人のこと幸せにしてくれるんなら……誰だってよかったんだ。誰でもいいから、あの人に寄り添ってほしかった。それであんたが料理始めたとき、しめたって思ったんだよね。諦めなかったあんたならもしかしたらって」
長く、ゆっくりとした瞬き。ほうと息を吐いて、小さく加州は呟く。
「……あんたでよかった」
じんわりと胸が温まる。涙がこぼれないように村雲は唇を引き絞った。
「あんたでよかったよ、村雲。……ありがとう」
きっと情けない顔をしていたと思う。泣くのを我慢していたから、顎には力が入っていた。けれど何とか笑って、村雲は一度だけ頷く。
「うん……」
頑張って、よかった。ああ本当に、よかった。
ズッと鼻を啜って、加州は首を左右に振る。それから勢いよく立ち上がった。
「俺からのお説教は以上終わり! あとは帰って来た主に怒られなよ」
「えっ、怒ってるの?」
体を強張らせた村雲を一瞥して、加州はにやっと笑う。薄い唇から八重歯が覗いた。
「当たり前じゃん。怒られて来いよな」
「えぇー」
嘘、勘弁して。ぐでっと村雲は布団の上に倒れこんだ。今の加州のお説教だってかなり怖かったのに。村雲は彼女に怒られたことがない。一体どうなるのだ。
しかし心構えをする前に、部屋の外からかなり大きいドスドスとした足音が響いてきた。まさかこれは彼女か。青ざめた村雲を加州は楽しげに眺める。あの顔は絶対そうだ。
「か、かしゅう、たすけ」
村雲が思わず加州に縋ったとき、シャッと音を立てて勢いよく襖が開いた。ぎろりと三角に吊り上がった目が村雲を見据える。
「馬鹿!」
開口一番、大声で怒鳴られる。さっきまで我慢していたのに、一気に村雲は涙目になった。
「ご、ごめんなさ」
「主おかえりー」
震えた声で言った村雲の謝罪は加州の挨拶に遮られる。彼女は怒った顔のまま返事をした。
「清光ただいま! 私お説教するから」
「はいはーい。じゃまたね村雲」
「ま、待って加州」
助けを求めるも空しく、加州はそのまま彼女と入れ違いに部屋を出て丁寧に襖を閉める。
あとには硬直した村雲と、仁王立ちの彼女が残された。怖い。あまりにも怖い。
「何か申し開きは?」
「ありません……」
結局、村雲は再び布団の上で正座をした。彼女も膝詰めである。本当に、怖い。片眉を上げて、彼女は村雲を見据えていた。表情が加州に似ていると思った。
「私より強くなるんじゃなかったの?」
「はい……」
「それなのに向こう見ずに飛び出して、私のこと庇ってどういうつもり?」
「あの……主、怪我は」
頭を打って検査を受けていたと聞いた。どこか怪我だとか、傷でも残っていたらどうしよう。村雲はまずそれが気になったのだが、彼女の目はますます吊り上がる。火に油を注いだらしい。
「コブにしかなってないって。私強いって言ったじゃん」
「そ、そっか」
強いのは物理の話ではないと言われていた気がする。
けれど怪我はないのか、そうか。安堵したらやはり背筋から力が抜けた。やや前傾姿勢になって、村雲は繰り返す。
「そっか……よかった」
怒られているのは怖いけれど、でも彼女は無事だったのだ。怪我もない、今元気で村雲の目の前にいる。……怒っているけれど。
はは、と力ない笑いが漏れる。彼女が無事で、今元気で目の前にいる。それだけで十分、よかったと思える。
だが村雲が感慨にふけっている間も、彼女は両腕を組んでいた。やっぱりものすごく怒っている。
「私叱ってるんだけど」
「は、はい、ごめんなさい」
しゅんと頭を垂れて村雲はもう一度謝罪する。
だが……もちろん怖いし、お腹も痛いのだけれど。村雲はそれでも涙目でにへらと笑ってしまった。ああ、なんだか嬉しい。彼女が怒っている。
「……俺、主が怒ってくれる価値があるんだ」
村雲が折れそうになったら、彼女は怒ってくれるのだ。
「……当たり前だよ」
小さく、彼女が答える。その声が今までより柔らかいものだったので、村雲はそろそろと視線を上げた。ついでに額のあたりも確認する。本当に怪我はコブで済んだらしい。肌色の湿布が見えた。彼女は息を吸って何かを言おうとしたけれど、やめてはああと長く息を吐く。
「……ごめんね」
「え……?」
「ごめん」
彼女は両手で顔を覆って俯いた。泣いているのかと焦って村雲はそちらに手を伸ばしたけれど、ずるずると彼女は指を滑らせる。その顔は無表情だった。
「……地下室に一人だけ避難してる間、ずっと考えてた」
眉間にしわを寄せ、足を崩す。酷く疲れた様子で彼女は落ちてきた髪を掻き上げた。
「あのときとは違う。皆もうずっと強くなって、私の指示なんかなくたってしっかり動いてくれた。だから私は本当に、安全な場所でただ外の様子を確認して、じっとしてるしかできなかったけど」
「違う」
村雲は慌てて首を振った。それは違う。
「主が安全なところにいると思ったから、俺たち皆、敵を追い返すことだけに集中できた。そんな風に言わないで」
もし、彼女が母屋の、どこか部屋に隠れていたら。村雲たちは室内も守らねばならなかった。今回は何とか押し寄せてくる敵を押し返すことができたけれど、守る範囲が広まれば当然気を払わねばならない箇所が増える。そうなれば攻撃にのみ集中することはできなかっただろう。村雲たちは常に、彼女の安全を頭に置かねばならなくなる。
だが彼女は村雲しか知らない、仮に全振が破壊されつくしたとしても簡単には見つからないような場所にいてくれるとわかっていたから。生存を最優先すると言ってくれたから。だから後ろを気にせずに、村雲たちは前へ前へと攻められたのだ。
「安全なところで待っててくれてありがとう」
ぐっと彼女が唇を引き絞った。それから彼女はやはり首を振る。
「……違うの。皆が精一杯敵を追い返してるのを見て、私は自分がやってきたこと、間違ってなかったって思ったの」
彼女の、やってきたこと。「強い主になること」を目指して、脇目もふらずに努力すること。
「うん、だから皆、安心して戦えたよ」
だからそれで、よかった。彼女の言う通り、間違っていなかった。努力は十分、実ったではないか。
しかし村雲がそう言っても、彼女はもう一度首を振った。
「でもそれだけじゃなかった」
弱々しく、今まで村雲が一度も聞いたことのないようなか細い声で彼女が呟く。
「短刀の子が傷つくたびに、もっとかくれんぼでも、鬼ごっこでも、誘われたときに仕事なんか後回しにして一緒にすればよかったって思った」
予想もしていなかったことを言われて、村雲は黙りこくる。
項垂れて、力無く彼女の肩が落ちた。
「堀川君が傷つくたびに、厨もっと手伝えばよかったって思った。清光が傷つくたびに、もっと素直に言うこと聞いて、一緒に出掛けたりすればよかったと思った」
ぽたぽたと布団の上に丸い涙の雫が落ちる。どんどん声が濁る中で、最後に振り絞るように彼女は言った。
「雲さんに、頑張ってくれてありがとうって言えばよかったって思った……」
嗚咽しながら彼女は繰り返す。布団を握り締めて、頭を垂れた。
「ごめんなさい、意固地になってごめんなさい。本当は他にもやり方はあるんじゃないかってわかってたのに。意地張って、ごめんなさい、全然私は、強くなんてなかったし、間違ってた……」
一人でずっと、同じ本丸で暮らす刀たちの負傷度合いを見つめるというのはどんな気持ちなのだろう。生存を優先すると決めた、その方がいいからそうと判断した。けれど何もできずに、ただ傷ついていく刀を見るのは。
もちろんそのおかげで、村雲たちは自由に動くことができた。戦いにも勝った。結果として誰も折れなかったけれど。
暫く、村雲は彼女のしゃくりあげる泣き声を聞いていた。それからゆっくり手を伸ばして、彼女の肩に触れる。
「……ううん、主はやっぱり、強かったよ」
彼女の体を起こして、村雲は両手を握る。やっぱり村雲よりもずっと小さい手だった。
「俺だったら、誰かちょっと怪我したってだけでいつもお腹痛くなって帰りたくなってた。俺が怪我するより、他の誰かが怪我したほうが吃驚するし、怖くなる。でも主は約束通り、安全な場所で待っててくれた」
「……でも」
遮ろうとした彼女を、首を振って村雲は制する。
間違ってない。何も、間違ってなんてなかった。
「それに、強い主でよかった。だって俺は、強い主が好きになったから。今は少し、違うけど」
「違うって、なにが……?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、彼女が尋ねる。握っている手が熱いのは、きっと泣いているからだろう。
「俺は最初、君のことを好きでいるだけで幸せだと思ってた」
気にかけてくれる彼女のことが、好きだった。
何か特別なことができるわけではなく、その上二束三文の負け犬。そんな村雲をいつも快く受け入れて、優しくしてくれる彼女のことが好きだった。どれだけ甘えたって彼女は怒らなかったし、卑屈になれば正しい言葉で否定した。彼女の目指した「強い主」の姿が、村雲は好きだった。
「二束三文の負け犬の俺が、君にしてあげられることなんてないから。だから、君のことを見ていられるだけでいい、たまに忙しくないときに傍にいさせてもらえれば、それだけで十分だって。君が刀剣男士には恋をしないって聞くまでは、本当にそう思ってた。……でも今は違うんだ」
あれから、色んなことを考えた。色んなことができるようになった。
今の村雲はある程度なら料理もできるし、パソコンも使えるし、本丸内の内番や編成を組んだりすることができる。朝の散歩に出る五月雨よりはゆっくりだけれど、頑張れば早起きができるようになった。
そして同じだけ、彼女のことを知った。
「今は君が頑固なのも、生活能力がないのも、朝に弱いのも知ってる」
それは陰から見つめているときは、知らなかったこと。
「ちょっと口が悪いのも、ものすごく……ものすごく、頑張って、俺たちの主でいてくれることも知ってる」
でもやっぱり、村雲は彼女のことが大好きだったのだ。
「君のことが好きで、大好きで、諦められなかったから。色々やってみて、俺は君のことがもっと好きになった」
がむしゃらにただ進み続けたことは、確かに間違っているところもあったかもしれない。一人で待っていてくれた彼女は、それに気づいたのかもしれない。
けれどそれでも、村雲にとってはよかった。それだけは間違っていない。
「だから君が強い主を目指してくれて、よかった」
新しくもう一筋涙が流れて、村雲は左手だけ離し、寝巻の袖で彼女の頬を拭う。すると彼女がまた顔をくしゃりとしたので、村雲は慌てて弁明した。
「よっ、汚れてないから。あっ、でも丸二日俺が着てたのか」
「う……」
「でも汚れてない大丈夫! 絶対これ、洗い立てのやつだから」
ぐす、と彼女が鼻を鳴らす。なんだかいつもとあべこべだ。いつもは村雲がべそをかいて、彼女の方がそれを励ましていて。主として、ちゃんと支えてくれて。
……ああ、そうだ。もう一つ答えを出さなくてはいけないことがあった。村雲はこれ以上彼女の涙が流れないように、寝巻の袖で両頬を押さえながら聞く。
「前に、俺は君のことを主だから好きになったんじゃないかって、言ったよね」
「言った……」
あの問いは、無理に村雲の告白を断ろうとして言ったものではなかった。彼女が本心から、そうかもしれないのだと伝えていたものだ。だから村雲だって真剣に考えたのだ。
「俺も最近、そうなのかなって悩んでた。だって君は最初から今まで、ずっと俺の主だったから。そんなの判別付かなかったよ」
「……じゃあ」
彼女の視線が伏せられたので、村雲は首を横に振った。それはまだ、答えではない。
「確かに最初は主だから好きになったのかも。だって俺は主のこと大好きだから」
最初からずっと、大好きだったから。きっとそれは間違いない。
「でもそれなら……主は君じゃなきゃ、嫌だ」
頑固で、生活能力がなくて、朝に弱くて。ちょっと口が悪くて、細かな作業な苦手。そんな主の君がいい。
主という名前の人間なら、誰でもよかったなんてことは絶対ない。
「君のことが大好きだよ」
今度こそ、はっきり告げる。あの夜言い返せなかったこと。村雲の中で形にならなかった気持ち。でも今はちゃんと言える。だからそれでいい。
目を真ん丸に見開いて瞬きをした後、彼女はまた眉を歪めてぎゅっと目を閉じた。暖かな涙がぼろぼろ落ちてくる。村雲は慌てて両頬に添えていた袖でそれを拭った。
「うぅー……」
「ぅわ、主泣かないで、お願い。お腹痛くなっちゃう」
だがそう言ったものの、村雲のお腹は全く痛みを訴えてはいなかった。
むしろ元気すぎるほど元気で、嬉しくて幸せで、胸がどきどきしている。その証拠に、口調とは裏腹に村雲は笑顔であった。
だってやっと、ちゃんと好きだと言えたのだ。
「絶対痛くないじゃん……」
あは、と彼女が村雲の顔を見て少し笑う。えへへと村雲もつられて笑った。
そうだ、目も覚めたからパン粉があるかどうか厨で確認しよう。今度こそ、彼女にどおなつを作ってそれで、彼女に食べてもらうのだ。