いつもより遅く起きた朝。壁にかかっている時計を見るなり飛び起きて急いで支度を済ませる。
街の見回り飛行は、この曜日だけいつも別の人に代わってもらっていて特に目ざましもかけていなかったのだが大切な日課を忘れていた。
分厚い革の飛行服ではなく、白いシャツとサスペンダー、ネクタイを締めてジャケットを羽織る。ズボンに歩きやすい靴、髪は固くきめて。
待ち合わせをしていた。時計を見ながら、朝食は簡単に済ませて、革製の大きなトランクを引き寄せる。壁にかかっていた商売道具の機械をゆっくりと持ちあげて、トランクに入れる。後はその隣にある、階層ごとの通行証をポケットに入れて扉に手をかける。
「いってきます」
玄関の壁に貼られた一枚の写真に笑いかけながら、ハンチングを手に取り急いで出掛けた。
週に一度、大切な機械のメンテナンスを依頼している人のところを訪れる。場所がゴールドステージにある研究所の為に早めに家を出なければならない。
ブロンズの端の地区から、路面電車乗り場までは徒歩で、その後はいつも同じ時間の電車にギリギリで飛び乗る。途中顔なじみに声をかけられると厄介だが、今日は誰にも捕まることなく列車の停留所へ。もう列車は到着していたが、ギリギリで飛び乗り顔見知りの運転手に笑われる。回数券を差し出して、トランクを置ける場所へ移動する。窓の外の人の波は、蒸気の煙の中であちらこちらへと向かっていく。
午前中のまだまだ早い時間だが、仕事を始める人々の息吹で街が起きていく。眩しそうに向こう側の日を見つめるように過ぎ去る影を追う。
「今日は飛んでなかったなあ」
「夕方には旦那の家の辺りを一周するよ」
「そうか」
列車を降りる時に運転手と短めの会話をするのもいつもの通り。子どもたちに伝えておくよと言われ、ありがとうと手を振った。
ブロンズからシルバーに上がるために通行証が必要になったのはいつごろか。少なくとも数年前までは自由に行き来が出来ていた。一部の地域を除いてだが、下層の者ほど生活が苦しくなっているのも確か。
シルバー行きのモノレールに乗るために通行証を入口で差し出す。ここの厳つい顔の受け付けも顔なじみだった。
「毎週大変だな」
「それはお互い様だろうに」
勢いよく背中を叩かれて思わず足がよろける。文句の一つでも言ってやろうかと思ったら後ろの方で騒ぎが起きていたのでそのまま目的地へ向かうモノレールを探した。
ゴールド地区への入口まで、一本で向かえる。他の車両とは違い、人は殆ど乗っておらず、景色のよく見える席を選んで腰かける。重いトランクは足元に置いてぼんやりと外の景色を眺めていた。
空の向こうから、いつしか巨大な飛行船が現れるようになっていた。時には口汚い言葉が書かれたビラをまき散らし、ある時は風船の先にお菓子のついたものが落ちてくる。飛行士が何人も徴収され、戻らなかったと聞いている。日の光が、突き刺すような色を纏い雲を割る。蒸気の煙に覆われたこの都市に、何本もの矢が突き刺さるように。
終点を告げるベルが鳴った。
荷物を持って、ホームに降り立つ。
いつものように黒服の男が待っている。近づくと、向こうも気が付いたようで目も合わせずゆっくりと向こう側に歩きだした。
ゴールドの入口で通行証を差し出し、軽やかな声に行ってらっしゃいと告げられる。通りに出ると人はおらず、先程出迎えに来ていた男が、車の扉を開けて待っている。
「荷物はこちらへ」
「ああ、やっぱり自分で持ってもいい」
「駄目」
男は強い口調で告げると重そうなトランクを軽々と抱えて、車の荷台へと置く。派手な音がしたので、丁寧に扱えよと思わず叫んでしまう。
「サイトウが、これくらい大丈夫だと言ってたけれど」
「サイトウさんが良くても、俺はいやだっ」
カタカタと動くたびに小さな音が聞こえる。目深にかぶった帽子に隠れていた自分そっくりな容貌にいつも驚きながらも、お前なあと肩をすくめる。運転席に乗り込んだ男は表情も変えずに淡々と作業を続ける。
「あ、そうだ」
「何だよ」
「この車、調子が悪いから発進前に煙まみれになるかもって言われた」
何だそれはと問いかけようとした時に、爆音が響いて辺り一面が黒い煙に包まれた。
豪華な屋敷の建ち並ぶ路地を走り抜けて、暫くすると鉄製の扉が見えてくる。一旦扉の前で車を止めて、運転席の男が合図を送ると重い扉は開かれる。
静かな無機質な形の建物がある場所にはそぐわない蒸気の車の音が響いて敷地の更に奥へと進む。いつも車を停める場所が違うような気がするが気にせず荷物を受け取り少し古びた建物の入り口をくぐる。人はおらず廊下を右に左に曲がりようやく目的の場所に辿り着いた。
木の扉をノックしてドアノブに手をかける。扉の向こう側からは柔らかな日差しと、油の匂いがいつも漂ってくる。
「サイトウさん」
呼びかけに、ふりかえった人物は二人。
椅子に腰かけた小柄な男と、金色の髪に碧の目を持つ青年だった。
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インテの無料配布の書き下ろし部分です。
いつも機械羽根のメンテナンスをお願いに行くのですが、乗り継ぎの様子と日常に色んな人と会話しているおじさんが見たくて。街の風景とかもう少し詳細を出せたらよかったなと。
思いついたら、またのんびり書きますね^^