まるであの人のような「さあ、スレッタ先輩、こっちですよ」
スレッタが地球寮の談話室でそうリリッケに促されて座ったのは、大型モニター前のソファだった。それも真ん中。特等席である。
「おっ、例のドラマ鑑賞会、やるのかね」
弾んだ声のアリヤを皮切りに、他の寮生たちがモニターが見える位置に引っ張ってきたスツールや床に座った。所々塗装の剥げたローテーブルにはスナック菓子やジュースが用意され、さながらパーティーのようである。
それじゃあいっきま〜す! と、掛け声と共にリリッケは自前の端末を操作した。瞬間、モニターには映像制作会社のロゴが踊り、寮生たちを物語の世界へ誘った。
ドラマ鑑賞会が開催されたきっかけは、とある人気ドラマの第二期が始まることが寮内で話題になったことからだった。
そのドラマは、税務系の監査機関の調査部に配属された新人女性調査員が活躍する群像劇である。綿密な取材を重ねて練られたという、実際の企業の脱税事件や汚職事件を元にした重厚なストーリーや派手なアクションと、キャラクターの日常や主人公と男性の先輩調査員の恋愛という硬軟の差がクセになると半年前の第一期放送当時、フロント七十三区近隣のフロントで人気を博していた。それは地球寮でも例外ではなく、有志で今日のように毎週鑑賞会を開いていたほどだ。
そのドラマの第二期が放送されると地球寮の面々が話しているところに、入寮したてのスレッタが首を傾げて、「それってどんな話なんですか?」と訊いたのだった。無理もない。彼女はドラマ放映時、水星に住んでいたし、入学してからは波乱続きでドラマ鑑賞どころではない。当時視聴していたニカや入学初期に遅れて夢中になったリリッケたちがあらすじや、見どころを上げていたが、百聞は一見にしかずと、ドラマを全話購入していたリリッケが音頭を取り、休日にドラマ第一期の鑑賞会を開くことと相成ったのだ。
スレッタたちの目の前のスクリーンでは、主人公が先輩調査員の男と格闘訓練をしている。先輩は手加減せずに、新入隊員の主人公と組み合っていた。
「うわ〜容赦ねえな。パイロット科の最初の訓練でももうちょっとマシだったぜ?」
チュチュが苦った顔で突っ込んだ。
「先輩の親心ってヤツだよね。死んでほしくないっていうさ」
ニカのフォローを聞いて、スレッタは幼い頃、自分の母がエアリアルのコックピットでシューティングゲームを教えてくれたときのことを思い出した。
母・プロスペラは操作方法を教えた後、初級から始めさせてくれた。初級が簡単に感じられたら、中級、その次に上級と、スレッタの技量でギリギリクリアできそうなクラスで遊ばせてくれた。ミスをしても、優しく反省点とコツを教えてくれた。
だが、画面の中の先輩は、格闘指導員から技の掛け方の指導をされていたとはいえ、最初から主人公に中級レベルの要求をしているように見えた。
『技の掛け方が甘すぎる!』
『お前の力じゃ倒せねえぞ!』
『それで教官の手本見てたのか?!』
主人公に対する口調も刺々しいし、それにさらされた主人公も仇を見るような目で先輩をにらんでいる。私ならやめたくなっちゃうなあ。と心の中でスレッタはつぶやいた。
回が進むに連れ、スレッタは物語に魅了されていった。前向きで優しい主人公の人柄も、女子同士のカフェでの女子会も、輝いて見えた。同僚との絆が深まった交渉術の実習はワクワクした。
とりわけ心に残ったのは、格闘訓練で厳しかった先輩と行った内偵先での信頼関係構築の訓練のシーンだった。
調査員側になった先輩は、格闘訓練の厳しさとは打って変わって、柔和な表情と声で内偵先の社員役の主人公に世間話を振った。
『昨日遅くまで残業してたんだってね』
『そうなんです。もう今日朝なのにすでにしんどくて』
『うわー。それはつらいねえ。これ、お裾分け』
先輩は主人公に小さな菓子を渡した。
『残業つらいとかさ、仕事の内容がハードすぎるとかさ、相談したいとか、世間話でもなんでも言ってね』
案じるのが伝わってくる真摯な声だった。これが調査のための方便だとは思えないほどである。最初は怪訝な顔だった主人公は、話終わる頃にはすっかり信頼しきった表情になっていた。
「ここまで鮮やかだとすげえなあ」
「まーこの二人の場合、先輩の厳しさとのギャップも加点されてる気がするけどね」
オジェロとアリヤが批評する側で、スレッタは主人公と同じく先輩調査員に対する信頼が生まれている自分に驚いていた。
画面の中ではロールプレイ後のデブリーフィングを行っている。先輩からコツを聞いている主人公は先輩に対する尊敬を全身で表していた。
そしてついに第一期の佳境の一つである、主人公の内偵調査の回となった。疑惑のある会社に入社し、今まで身につけた交渉術や調査方法で脱税の証拠を掴み取った。だが、情報の受け渡し直前で、そのことが脱税の主犯である重役に気付かれて、帰宅途中で主犯に差し向けられた暴漢に襲われた。
かろうじてサポート役に携帯端末で連絡を入れたが、暴漢と戦うことになってしまった。体当たりしてきたのを抑え込んだが、力が足りずに押しのけられて転んでしまう。
「うわッ! 早く起きろ!」
「痛えなこれは」
主人公の戦いぶりはオジェロやヌーノが声援を贈るほど鮮やかだった。勢いを生かして起き上がると向かってきた暴漢をいなす。
だが、時間が経つにつれ、体格差、体力差のある暴漢が有利になっていく。主人公が暴漢に捕まりそうになったとき、暴漢に勢いよくタックルした人影があった。
様々な訓練で主人公を鍛え上げたあの先輩だった。
彼は訓練の時の何倍も容赦無く、鬼気迫る様相で暴漢を追い詰めていく。
「ぶっとばせ!」
「行けッ!」
チュチュは先輩の戦いに乱暴な声援を贈り、いつもは物静かなティルでさえも声を上げた。
画面の中では主人公は先輩から遅れてやってきた同僚たちに保護され、先輩の戦いを注視していた。スレッタも両手を胸の前でギュッと握り拳を作り、固唾を吞んで勝負の行方を見守った。
先輩が暴漢を絞め落とすと確保するために同僚たちが雪崩れ込んだ。確保されたことを見届けた後、先輩は主人公の元へふらつく足取りで歩み寄った。殴られた頬は腫れ、顔や手に無数の引っ掻き傷がついている。
なんと声をかけたらわからない、と表情で語る主人公を、先輩は倒れ込むように抱きしめた。主人公の生を確かめるように固く閉じた瞳と強く抱いた腕からは、彼の主人公を案ずる心が痛いほど伝わった。
『おーい、お二人さん、イチャつくなら機会を改めてくれませんかね〜』
後処理中の同僚が二人をからかった。
『お前ほんと彼女のこと好き、』
『これは、その、兄貴が妹の無事を喜ぶみたいなもんで、好きとかそういうのじゃねえから!』
スレッタの脳裏に一人の青年の顔がよぎった。
勘違いするなよ、俺はお前のことなんて全然好きじゃないんだからな!
エラン! 貴様こいつに……こいつに何をした!
……いい親なんだな。
グエル・ジェタークとドラマの先輩調査員が重なる。先輩調査員は、主人公には面と向かっては優しい言葉なんて一つもかけないのに、いざとなったら彼女のために労も命も惜しまなかった。誰が見ても──画面を隔てたスレッタから見ても、主人公に想いを寄せているのは明らかだった。
……まさか、あの人も?
あの人がエランさんと決闘したのと、このドラマの先輩が主人公を守ったのは、同じ理由から?
画面の中では、ラストの庁舎での穏やかな日常が流れている。一緒に観ている友人たちも満足げに登場人物たちの雑談を見守っている。だが、スレッタの心は、たった今気づいた事実に近い仮説に翻弄されていた。