イルージョンマリッジ「あんたずっとそれでいたらいいじゃない」
騒動が落ち着いて各自寮に戻るまでの間に、背後からじろじろと品定めをするような視線を飛ばして来ていたヴィルにそう言われて、思い切り顔を顰めて振り向いた。既に背中は丸まって、『いつものイデア・シュラウド』となったイデアは、もったいない、と言い募る同級生に目を細める。
「百戦錬磨のプレイボーイさながらね」
「はっ、確かに。カイワレにゃ見えねーな」
ヴィルの後ろから追い越して行ったレオナが笑い、その背中を目で追ってから溜息を吐いた。
「冗談、拙者この通りキモヲタゆえ〜」
「だからそれをやめなさいって言ってんの」
呆れたようにそう言ってイデアを追い越して行くヴィルも見送って、のろのろと歩き出す。ふと隣に人の気配を感じて目を上げると、いつの間にかアズールが並び立っていた。
アズールはヴィルと同じように頭の先から爪先まで値踏みするような視線を投げて、やっぱり、もったいない、と呟いた。
「この服着替え大変だから手伝ってくれない?」
「いいですけど……ああ、オルトさんはもうスリープの時間ですね」
何だかんだと時間を食ってしまって、充電ギリギリで頑張っていたオルトを先に部屋に返したもので手伝いの手が足りない。アズールとしてももう休みたい時間ではあったけれど、思う所あって手伝いを快諾して彼についてイグニハイドへと向かった。
かっちりと着飾るなど何年振りか。ジャケットを脱いだイデアがうんと伸びをする間に脱ぎ捨てられたジャケットを拾ってハンガーに掛ける。
「ヴィルさんの言う通りですね」
「?」
「そういう格好をしてると、到底キスもまだには見えません」
揶揄うようにくつりと笑ってそう突き付ければ、くるりと丸まった満月の目が悪戯に欠けた。
「そう? それはそれは〜」
賛辞と取ったのか冗談と取ったのか、軽く流したイデアが近くにあったゲーミングチェアにどさりと腰を下ろし、わざとらしく大きく足を組んだ。どう、とでも言いたげな仕草に両手を広げて肩を上下させてから、ジャケットをハンガーラックに引っ掛ける。
内心、嫌味なくらい絵になるな、とアズールは舌打ちをしたけれど、それはおくびにも出さずにイデアを振り向いた。
「実際どうなんです? 童貞なのは嘘だったりして」
「拙者そんなに信用ないの? ぴえん」
「はいはい」
アズールの質問に肩を揺らして立ち上がった彼の、きいろの瞳がアズールを見たまま、黒い手袋の指先がするりとネクタイを緩める。見慣れないその仕草に思わず喉が鳴った。
「……貴方本当に」
「アズール氏、こういうの好き?」
「は?」
一歩、二歩、歩み寄るイデアが首を傾げる。質問の意味がわからずに眉を寄せると、んん、と小さく唸った彼がアズールの目の前に到達した。わずかに腰を屈めて、わざとアズールを見上げるように。
「ほら、緊張する」
「……」
口端を持ち上げたイデアの手がアズールの肩を過ぎ、そのまま壁に触れる。閉じ込めるように両手をそうして、じとアズールの空色を見詰めれば、じわじわと頬から耳からが赤く染まっていくのがわかった。
「あ、貴方、絶対未経験じゃないでしょう!?」
追い詰められたアズールの、鼻の先。蒼く縁取られた深い二重の眼が近付いた。
「んん……心はね、あと」
気付けば唇に柔らかな感触と、アズールの頭を包むように撫でる手のひらに思わずきつく目を瞑る。
「人魚は初めて」
接吻けの合間に囁かれた低く掠れたその声に、アズールは心の中で思い切り叫んだ。
(だまされた!!!!)