君とデート 昼食はようやく見つけたファストフードに近いどこにでもあるコーヒーチェーン店だった。
いつもはどこでもカッコつけているけれどコイツもこんなサラリーマンがたくさんいるような店で、ただ食事をすることだけを目的とした店に入るんだなぁ、なんて自分が遅刻して待たせたくせに明神冬悟は感心した。座席は元々プラチナが明神を待つために入ったので外から入ってくる人がすぐにわかるよう道路に面した入口横のカウンター席だった。しかし彼に言わせると「え、向かい合って食事したくないし」と冷静な反応を返された。
「こういうところ、普通に来るんだな」
「こういうところ?」
店限定のポイントカードを出して会計していた彼に、横並びで座ったところでそういうとプラチナはキョトンとした顔をした。
「あんまりファーストフードみたいなの、好きそうじゃないだろ」
「いや、どんなイメージなのよ。来るって。マックも行くし、ケンタも行くし、モスも行くって」
「オレ、マックと松屋と吉野家くらいなんだけど……」
「それは知らないけど」
「でも湟神連れてかねーじゃん、そういう安いところ」
「当たり前でしょ……って、なんで知ってんの!?」
「本人から聞いてる」
まさにぎょっとした表情で明神の顔を睨み付ける。
「はあ? とんだところに伏兵がいたもんだな! 正宗くんよりも君を先に潰しておくべきだったか?」
「いや、お前らもう結婚してるだろ。血迷うなよ」
あと少しで襟ぐり掴まれて怒り出しそうな勢いである。
もうすでに夫婦となっているのに、今でも彼女に近づく異性には少し強い警戒心がむき出しになるプラチナにはもうとっくに慣れているものの、うたかた荘にはヒメノと雪乃、アズミがおり、茶飲み友達としてよく顔を出しにくる湟神の話題は別に一緒にいなくとも彼女たちを通じて話題はよく聞かされているので知りたいわけでもないのに、詳しくならざるを得ない。特にヒメノは年上のお姉さんとして仲良くしているが、同時に「初めての恋人」の話題を心置きなく話せる相手なので姉妹のように仲が良い。湟神は湟神で女友達が少ないためか、ヒメノには姉のような威厳を崩さない程度に夫婦間の相談をしたり、年相応の「恋バナ」をしているようだった。
いつもこの店のホットドックを頼むと、マスタードだけがついてきてケチャップを頼むのを忘れるということを商品を受け取ってから気が付くのだが、今日も同じことを繰り返し、量だけは奮発して一番大きいアメリカンを口に含むと、セットになっているもう少しちゃんとした肉の入っているサンドを食べていたプラチナが自分の左手の薬指を確認していた。
「いや、まあ、そうなんだけど、万が一ってこともあるじゃん……」
「あいつ、愛されてんな~」
「君に言われるって、世も末だよね」
「うるさいな」
「そんなこというと、もう俺帰るけど」
「うそ、待って。ここ奢るから」
「もう払ってるよ」
しかし、寄せた眉根は、出来の悪い弟を見る兄のような視線がきっと似合う。少し薄暗い店内でもサングラスをしているプラチナの見えにくい視線に、少し明神は照れくささを感じた。
***
明神冬悟はバレンタインを一日遅れでもらった。
そのお返しは三倍だという。世間ではそういうことなのだそうだ。
彼女がくれたチョコレートは一粒しか入っていなくてキョトンとしたら、つまり、三倍であっても彼に返せるような金額という設定らしい。いくら自分の収入が安定しないとはいえ、年下の女の子がそんなことまで慮ってチョコを用意してくれたことに違う意味で涙が出そうになった。あまりにも、侘しい。
初めての、付き合って、バレンタインなんだし、世間のことはよくわからないが、それでも明神はなにか彼女に返礼をしたかった。
世間っぽいことを。
あまりにも世間ずれしている自覚もある。しかし、彼女には「普通」の生活をしてほしいと望んでいるのはなによりも自分のほうだし、「当たり前」の恋人のようなことくらいさせてやりたい。
「なにか、ほしいものとか、してほしいこととか、ある?」
それを聞くだけでも三月に入ってから明神は心の臓を何度も叩いてからヒメノに確認した。
「え? ないよ?」
なのに、彼女の返事は釣れないものだ。本当にキョトンとしている。
「え、別にいいよ。いや、そりゃチョコは三倍返しって言ったけど、冗談だから。あんなの今頃無いって!」
ケラケラと笑われてしまうが、さすがにそれでは引き下がれない。
「いや、大丈夫。なんでも言って。がんばる。いや、なんでもは厳しいけど、いや、善処する」
「それ、出来ないパターンでしょ」
そういうと、彼女は本当に申し訳なさそうに言うのだった。彼の手を取って。
「毎日、無事に、帰ってきてくれたらいいよ」
三日三晩、それが夢に出た。
うれしいのと、彼女に小さなくだらない希望を言わせる甲斐性がない自分への怒りと情けなさと、自分の仕事が彼女にかけている負担の大きさに、頭を抱えた。この仕事は天職だから、替えることも出来ないし、彼女もそんなことを望んでいない。でも年頃の女の子の望むことがわからない。なにをしても、生きているだけで「よかった」と微笑んでくれる少女が恋人では、もうなにをしたら喜んでもらえるんだ。生きてるだけでいいって、ハードルが低すぎるだろ!
そんなことに日々頭を抱えた明神に助け船を出したのは、少女の母親であった。
「それなら、いいものあげるわよ」
様子がおかしいと買い物ついでに呼び出され、カクカクシカジカと緊張しながら伝えると、娘さながらあっけらかんといいものをもらった。
某有名ホテルのデザートビュッフェのチケットだった。
「そうなのよ、これ、前に町内会でイベントの時に頂いたんだけど、ヒメノ連れて行こうと思ってたのよね~。でも、冬悟さんいるしな~って悩んでたのよ。それならやっぱり冬悟さん、ヒメノ連れて行ってあげて~」
「え、でも、それならお母さん一緒に行かれたほうが……」
「喜ぶのは、あなたとだと思うわ」
明神には、甘いものを一緒に食べてあげることが出来ない自分より、母親との女子トークのほうが嬉しいんじゃないだろうか、と思ったものの、「ね」と言って顔と雰囲気はまだどこか少女のような面影があるが、指先は年齢が彼よりも上だということを現している手からチケットを断りきれなかった。
結局受け取ってしまったのは、自分が知らない「母親」が「娘」を思う気持ちに負けた、ということにしている。
が、それでもまだ問題は解決していない。
場所が問題だった。カップルが集まる有名な港町の繁華街など、行ったこともないし、興味もない。
いつもは汚い山やら廃墟やら、繁華街でも裏道とか飲み屋街とかのほうが見慣れているし歩き慣れているが、恋人を連れていったことなど当然ない。
再度頭を抱えた。やばい。いつもなんやかんやで案内屋の仲間が出来てからはそこそこ安定して仕事が入ることが多くなっていて、仕事が増えると当然昼夜逆転の生活が多くなり彼女との逢瀬は短くなる。元々欲の少ないヒメノと一緒に出掛けるにしてもファミレスや近くの喫茶店とかがほとんどで、歩いていける範囲内だし、一番一緒に行っているのが公園という無料スポットで碌々「デート」をちゃんとしたことがないのだ。思いを伝え合い、確認しあってから、もう三か月以上経つのに。
着ていく服がわからない。ていうか、持っていない。この一張羅に中を着込んで冬は越してしまったし、ズボンなんてジーンズとジャージくらいしかない。
食事をするところがわからない。ホテルってなんだよ。食事だけ出来るの? ここ、25階とか書いてあるけど、どういうこと? 大体「チケット」ってなんだ。牛丼屋の前券みたいなもんか? どうすればいいんだ?
そもそも、デートって、なに。
怒られることを知りつつ、明神は、一番ちゃんと教えてくれそうな相手の携帯番号を、仕事以外の件で初めて連絡をした。
***
とりあえず、腹ごしらえは終わったので長居は無用とばかりに二人そろって歩きだした。
街はもうすぐ来るお返しの祭りの色や文字があちこちに飾られているが、明神にとってはそんなもの気にしたことがないので、まるで世界は初めてみるような有様だった。
いや、本当に初めて見た。知らなかった。世間がこんなにも騒がしいことなんて。それにこんな大きなビルばかりが建っているところになんて来る用事がなかった。
「ねえ、ほんと、お上りさんみたいで恥ずかしいからやめて、キョロキョロしないで。一応東京生まれ東京育ちなんでしょ?」
「知らねーよ、生まれた時の記憶ねーもん」
「そこじゃない」
それなら俺もだよ、なんて律儀に返すプラチナは、動揺して電話をかけてきた明神にとりあえずチケットの写メを送れと指示し、チケットを確認してから予約を入れさせ、ホームページでどれくらいの値段の、階層のホテルなのかを説明し、毎年その時期になると特にバレンタイン時期はそこのビュッフェは予約を取るには二ヵ月以上前の予約が必要だが、ホワイトデーはそこまでの倍率ではなく、無事に予約をすることが出来た。
さらには雪乃に連絡までして、服装の下合わせまでしたのだった。
雪乃のテンションも上がり、せっかくだから少しくらいいいワンピースでも買ってあげようと母親が乗り気になり、プラチナは明神の勝負服を購入しに、今一緒に丸の内に来たのだった。
「で、なに買うの?」
「全部だよ」
「はい?」
「俺、先週電話で説明したよね? ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたけど、なに言ってるかよくわからなかった」
「この~!!」
メンズの階まで真ん中が吹き抜けになっている高いビルのエスカレーターを昇りながら、プラチナがもう今日何度目になるかわからない青筋を立てた。
「全部! 一式! 買うの! 上から下まで! ジャケットとボトムとシャツとベルトと靴と靴下とインナーとパンツだよ!」
「ほんとに全部じゃん!」
「今の恰好でデートに行かせられないからだろ!」
そう怒られてしまうと、自分の服装を改めて見直してしまう。
黒い着古したコート、白いインナー、穴の開いたジーンズ。いつもの恰好に、コートの中には薄いダウンを忍ばせ、首元はマフラーを巻いている。
「でも、コートも湟神が結界張ってくれて普通の人からは普通に見えるんだろ? 耐久力も上がってるし」
「耐久性の問題じゃないの。TPOの問題だから」
「正宗だっていつも同じ格好じゃないか」
「あの人のあれは軍用の服を卸してるだけだから。あれはああいう趣味嗜好の人の服装だからね。あれでデートは行かないからね。あと、意外とあの人の服高いから。アウトドア系とか、高機能系の服は高いかわりに見た目を捨てても命を守るだけの耐熱耐冷、速乾撥水防水機能があるんだよ」
「オレの恰好ばっかり安っぽいみたいに言いやがって……」
「はい! そのシャツいくら!」
「千五百円くらいかな……」
「ダウトー!!」
「えーー!!」
そうして、長い旅が始まった。
*
「高くない?」
「高くない」
コソコソと明神がそわそわしながらプラチナの後ろを背を縮めて店内をついてくる。
色々と本人に着せてみるが、丈が合わない。腕周りが合わない。本人が素材感を嫌がる、となかなか何一つとして決まらないまますでに二時間ほど経過していた。
「いや、ありえなくないか。このパンツ、オレの今着てるシャツより高いのかよ……パンツだろ……嘘……」
「君、百貨店行ったら卒倒するね。
で、そのシャツは?」
「高い」
「値段の話じゃない! きついかきつくないか! 首回りは? 胸周りは!?」
「なんか、二の腕と胸の辺りがパンパンなんだけど」
「もう霊力で全部足に回せよ、筋肉!」
三件目の店でも値段に納得できず、疲弊したまま二人は次の店へと向かう。ありがたいことに平日の昼間なので休日よりは人は少ないのだろう、時折二人の目立つ外見に興味本位の視線を感じるものの、今のところはそれほど気に入るものがない、以外の苦労はない。店員の接客はすべてプラチナが断っていた。
「で、結局なにを基準に選んでるんだよ。全然わかんないんだけど」
「いや、俺、ここに来る途中でちゃんと説明したよね?」
「聞いたけど、よくわからなかった」
「いい加減殴るぞ。ったく、いいかい、もう何回言ったか忘れたけど、ここで気に入ったデザインとか、似合うものがあったら、それと同じものをもっと君に届く値段の店で探すために冬悟くんが気に入りそうなものを探してるんだからね? まずは、気に入るものを探して。それからサイズが完璧に身体にフィットしてたら流行とか関係なく長く着れるから、とにかくぴったりのサイズ感を覚えてほしいの。だから面倒でも何回も試着してるんだから」
「でも、こういうクタクタしたのが着やすいんだもん」
「もん、じゃない。かわいくない。
あのねえ、一応ホテルに食事しに行くの。わかってる? ヒメノちゃんは雪乃さんが誂えた新品のかわいいお洋服来て、お化粧して、おしゃれしてくるの!!
君が不格好じゃ、女の子に失礼なんだよ!」
「……はい。それに関しては返す言葉もございません」
*
「これ好き」
「ああ、悪くないね」
ようやく、サイズ感のちょうどいいパンツを見つけた。グッグッと屈伸をしてひざ裏の伸びを確かめるがすぐに窘められた。
「そこ、戦闘準備しない」
「お客様、サイズはいかがですか?」
「一応もう一つ上のサイズも試着していいですか?」
「はい。かしこまりました」
「えー、これでいいじゃん」
「ライン見えすぎ。太ももパンパンじゃないか、ふくらはぎも形がちょっと見えすぎるかな。一応大きいのも履いて確認するだけしてみて。あとついでにこのシャツも試着」
「はーい」
だんだんと着せ替え人形のようにさせられることに抵抗がなくなってきたが、プラチナの視線がふと気になった。
「どうかしたか?」
「君、それ、折らずに履けるんだな」
「え?」
「他の商品よりは気持ち短めなんですけど、やっぱり大抵は折るか切るかするんですよね~。お客様、丈感までジャストフィットでスタイルの良さが際立ちますね~」
「はあ」
「あー! これだから体格に恵まれてるくせに自覚がない奴は! ほら! さっさとこっちも着て!」
「わ~! 怒った~!」
店員の忍び笑いが、カーテンの向こうからうっすらと聞こえた。
ポイントカードを作れば初回に二十パーセントの割引があるとのことを言われ、二人で予算を突き合わせてOKが出た。
ようやくズボン(ボトムと呼ぶらしいが明神はかたくなにズボンと呼んだ)を買ったことでプラチナの顔にも余裕が出てきた。
「身体の多くを占めるからとりあえず最低でもボトムスさえちゃんとしたのはいてりゃまあ、なんとか見れるもんになるでしょ」
「ふうん」
「色も紺だし、大体なんでも合うから」
「へえ」
「よし! 次!」
「え?」
もうすっかり終わったつもりになっていたが、終わってはいなかった。
*
「あれ? ここでいいのか?」
「いいの、ここで」
こんな大都会の真っただ中に、明神でもよく買い物に来る廉価洋品店が入っていた。いままで散々一桁違う商品ばかりが置いてある店ばかり回っていたので、急に見慣れたロゴに落ち着きを取り戻す。
「いや、もう、君、シャツが壊滅的に似合わないから、セーターにしようと思って。それならデザイン選ばないし、ジャケット羽織ればいいんだし……」
「じゃあなんでシャツにそんなにこだわってたんだよ」
これでもかと色々と着させられたのに、結局似合わないといわれてしまうと、それはそれでこちらとしても納得がいかない。
思わずムッとして言い返すとプラチナは真顔で応えた。
「一年中着れるからだよ」
「あ、はい」
色違い買えばもっと持つし、という声は聞き流しつつ、よくよく考えなくても、この年までろくな服の着方についてわかっておらず彼に引っ張りまわされているとはいえ、あまりにも時間をかけているのを思うと、確かにその選択肢は正しいのかもしれない。
「でもなんでシャツなんて似合わないんだ……? 当然だけど学生の時は制服で着てたぜ? いくらオレだって全く着た事がないわけじゃないよ」
「あのねえ、それは昔の話でしょ? 人の体形は変わるの。君は明神さんについて修行をしたことと、この数年間の実地経験の中で筋肉もついて大人の体型になったんだよ。使えば使うほど筋肉は大きくなる。俺と君の体型が全然違うのは、使う筋肉が違うからだよ。持って生まれた性質だけの話じゃないの」
「へー」
「首も、肩も、腕も、筋肉ゴリラな空の案内屋の人はだからそんなおんなじような恰好しても違和感ないんだよ」
「悪かったな」
「俺なんかほんっとVネック似合わないんだよな~。Vのセーター、何度買って挑戦しても結局シャツインしないと着れないし……」
「ごめん、全然言ってることがわかんない」
「うるさい。ごつい人間には細身の人間の苦労はわかんないんだ」
そして結局ここで白いセーターと黒ジャケット、靴、ベルトを購入した。最後のほうはプラチナも面倒になったのか「いいんじゃない?」と雑な対応だったのが気になったが。
「は~やっと終わった~! 助かったよプラチナ~!」
「まあ、これで春まではなんとかなるかな……。夏は夏で、半年後にまた買い物行こう……」
「え……?」
「なに驚愕って顔してるんだ。当たり前だろ、服は消耗品だし、流行り廃りもあるんだから。今回のは全部ベーシックなデザインにしたから古くなるまで着れるだろうけど、頼むからこの服着て戦ったら一貫の終わりだから気を付けてね」
「でも、霊が出てくるタイミングわかんなくない……気を付けるけど……」
「も~、冬悟くんも俺みたいにスーツにすればいいのに~。結構丈夫だから~」
「そんな金あるわけないだろ」
無事に買い物が済んだ祝いに、一応、ささやかながら明神の奢りでコーヒーを飲んでいると、スッとプラチナが紙袋を取り出した。
「これ、大したものじゃないけど、俺からのプレゼント。ヒメノちゃんの隣に並ぶならダサい見た目はやめてスマートに対応してほしいからね」
「え、嘘。マジで? いや、そんな、ここまで付き合ってもらってその上こんな……」
くいっと顎で、中身を見ろと暗に指示され、中を開けてみると、薄い紫色のハンカチと、四角い小さな箱。
箱の中身を確認する。
「パンツじゃん」
「うん」
「おまえ、バカじゃねーの? なにこれ、パンツじゃん」
「いや、最後の勝負に必要かなって。ホテルだし」
「泊まらないし、行くの昼だし、おいなんだよこれ、ハートマークじゃん! っていうか、これ今日買ったベルトより高いじゃん!」
「大事に使ってくれよな!」
「彼女とその母親が洗濯機の中見るのにこんなの履けるかよ!」
そして、その反応をわかっていたというように、口から洩れるように「くふふ」っと口元を押さえた笑いをいつもはするプラチナが大きく口を開けて机に突っ伏して声を上げずに笑ったのだった。
***
「ふうん、そうなんだぁ」
どことなく、彼女の声は冷たい響きを持っている。とても珍しいことだ。
「いいなぁ、プラチナさんと一緒にそんなすごい都会に行ってランチしてお買い物かー! いいなー! 私も行きたかったな!!」
「あ、はい」
おっかしいな~と首をかしげつつ、どこで間違えたのかわからない。
雪乃からもらったから、といえばヒメノは喜んで外食デートに乗り気になってくれた。初めてのデートだね! という弾んだ声に、うれしくなる。
思わず、今日プラチナと一緒に過ごした数時間の様子を簡単に伝えると、とたんに冷たくなった空気に自分の言動を振り返った。
「あのさあ」
「はい」
「それなら、私と一緒に行けばよかったんじゃないですか?」
最近は少なくなってきた敬語が、途端に二人の距離を遠ざけたようだ。
「あ、はい」
「そういうところですよ、明神さん。そういうところ。なんで明神さんの一番最初の、そういうの、私に相談してくれないのかな~?」
「あ、いえ、そういうわけでは」
「なんで敬語なの」
「あ、つい」
「もー! 明神さんの、バカ!」
ほんっと女心がわからないんだから!! といって帰ってしまう彼女の後姿を慌てて追いかける。
でも、明神にだって男のプライドがある。
当日のお楽しみの一つなんだよ、と言い訳をして、小柄な彼女の速足に大股で追いつくと手をつないだ。
それは振りほどかれることなく、うたかた荘までしっかりと握ったままだった。
***
「こんな朴念仁の君がおしゃれしようなんて人も変われば変わるもんだね」
笑い疲れて大きなため息をつきながらプラチナがまだ涙を流しながら言う。
「へいへい、そうですか」
「そうだよ。照れなくてもいいじゃない」
「うるさいな。大体、お前も同じなんだぞ」
「え?」
「飲んでたら隙だらけなのに、お前、アイツの前だと隙ないもんな。普段のそういうのも見せてやればいいのに」
突然の明神の反撃にまさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、そしていつもの彼女のことを思っているのだろう表情にゆっくりと移行した。
「君にそんなこと言われる日が来るなんて、思ってもみなかったな。
君らといる普段の俺って、そんなに気緩んでるの?」
「さあ? 俺はそっちのが見慣れてるけど、湟神が愚痴ってるよ。
男だけで飲んだ後のラーメンとか、立ち食い蕎麦屋とか、こういうやっすい飯屋とか、お前不味いコーヒーの店好きじゃん」
「別に不味いのをわざわざ飲みに行ってるんじゃないよ」
「似たようなもんだろ? 息抜きで行ってるんだし。
そういうところにアイツも連れていってやれよ。行ってる話も聞くし痕跡もあるのに、絶対にそういう店には一緒に行かないって」
「えー、やだよ。澪ちゃんの前ではかっこよくいたいのに」
「それ。ヒメノとお前の嫁さんが言ってたぞ。男はギャップがあるほうがいいってよ。
オレもお前も、イメージのまんまだってダメ出しされたよ」
「ははははは、そういうことか」
もう空になったカップを無意味に口元に添えていたのをソーサーに戻して、困ったようにそう打ち明けてきた明神に、プラチナは同じような表情で苦笑いを返した。
「そういうのって、結構勇気いるよね」
「お前は崩すだけでいいんだから簡単だろ?
オレなんてカッコつけなきゃいけないんだぞ」
「カッコつけさせてくれる相手でよかったじゃないか」
「お前も、そのみっともないところも見たいなんて言ってくれる奥さんでよかったな」
「あげないよ」
「いらないよ、あんなおっかない女。お前にしか、かわいくないだろ」
そういいながら、明神は次にプラチナがするだろう表情に気が付いていた。
「それが、いいんだよね」
そういって恥じらうような笑顔は、こちらも照れくさいけれど、ここまで惚れこまれたら、そりゃあ湟神のほうが根を上げるわけだ、と二人の関係に憧れのような羨望を抱いた。同時に、オレの彼女も、かわいいけれど、というのは、口に出来なかった。