早く食べたい!「……したい」
いくら相手の言葉に主語がなくても、鈍感だとしても、後ろから腰のあたりに手を回されて抱きつかれながらそう言われれば、相手が何を望んでいるかはわかる。
まだ日の落ちきらないうちからこんなことを言うのも憚られるが──というより言った本人にも憚ってほしい──枕を共にしようとの申し出が、彼女の口から出る。
俺が今まさに料理中でなければ──右手がひき肉と玉ねぎのみじん切りを直につかんで、左手に軽く叩きつけるようにして空気を抜いていなければ──その気持ちに応えてもいいのだが、もちろん俺の答えは決まっている。
「あとでな」
パンッパンッと肉に溜まった空気を抜く音、肉の焼ける匂い。性欲より食欲をそそる香りだと思われた方が俺としては嬉しいのだが。彼女の嗅覚やそれを処理する脳みそが正常に働いているのか、俺は非常に心配だ。どこに発情の余地があったのだろうと不思議だが、もしかすると空腹で生殖本能が目覚めたのかもしれない。もう少し食事量を考えてやらねばならんか。
「今がいい……」
そうする間にもやはり俺の背後をとって動かない主。彼女の腕が邪魔でやりにくい。ハンバーグの成形はもう少しで終わるから、我慢してやるか。彼女の希望をおあずけにするのだから、少しくらいはな。
同時進行で焼いているひとくちハンバーグがそろそろ焼き上がる。明日の弁当にいれる予定の分だが、ひとつくらいは、腹を減らした主の口に入れてやってもいいだろう。ミニサイズハンバーグを更に半分こして、少しだけとろみのあるソースをたらす。猫舌の彼女のためにふーふーと息をふきかける。味見してくれと言いながら振り返って、さました肉塊を箸で主の口の前に差し出した。彼女がパクッと食いついたのを見てすぐにフライパンへ視線を戻す。見てはいないが、モグモグと咀嚼して満足そうな顔が想像出来る。本人は否定するが、やっぱりお腹がすいていただけだ。美味しいと言う。
「これ以上はあとでな」
多めに用意してはいるが、これ以上彼女の腹に肉を入れてしまうと、一緒に食卓を囲めなくなる。
そう俺が言うと、不満そうに彼女は唸る。
「私が言いたいこと、わかってる?」
一番食べたいのはハンバーグじゃなくて尊なんだけど、と言い切る彼女。
かなり直球で言葉にするあたり、本当に今したいんだろう。俺だって最初からそういう意味だとは分かっている。だが、こちらにも準備がいるし、抱き合っている最中に焼いた肉の匂いがしては興ざめだろう。せめて湯浴みくらいはさせてくれ。
フライ返しで皿に移す手を止めて振り返る。俺より低い位置にある主の顔をまっすぐ見て問う。
「俺のこともつまみ食いなのか?」
「ちゃんと食べたいよ」
主もまっすぐ俺の目を見て言う。
「なら少しの間待っていろ。料理人はいつだって、味わって食べてほしいんだ」
言い切って、次の肉塊を熱いフライパンへ載せる。またジュウジュウと肉が焼ける音がする。その割に主の返事が聞こえないと思い振り返ると、彼女がほくそ笑んでいることに気づく。
俺の顔にソースでもついているか?と聞いて主を見下ろすと、ニヤついた顔が更に悦に入ったような表情になり。
「わかった! どんな美味しい
料理を食べられるか、楽しみにしてる」
元気よく言って台所を出ていった。
「料理人は作ったものを美味しく食べてほしいものだという話をしたんだがな……」
ハンバーグの話が思ったように伝わっていないことに少しため息をついてから、目の前の料理を仕上げる方が先だと、いつもより少し多く焦げ目をつけてしまったミンチをひっくり返した。