天女の羽衣相澤消太は合理性をモットーにしている。
だから、寝るときは軽くて持ち運びもできる寝袋だし、服は大体同じような服だし、食事は手軽に栄養の摂れるゼリー飲料で済ませる。髪や髭も特に手入れせず伸ばしっ放し。
何事も合理的に。それが相澤の生き方だ。いや、これは多少語弊があるかもしれない。
正確には、生き方 "だった" 。
そう、あの人が相澤の前に現れるまでは。
「相澤くん相澤くん」
「……」
「ねぇ相澤くんってば、ねぇ」
「…何ですか」
教員用のパソコン画面から視線を上げると、唇を尖らせてこちらを見つめるオールマイトさんがいた。
「もうお昼だよ?」
再び画面に目を落とし、左下端を見やれば、表示されている数字は12:17。そういえばさっきチャイムが鳴っていたな、と思い出す。
資料作成の為に開いていたウィンドウを閉じて、乾いた目に目薬を落とす。
「相澤くん」
「…だから何ですか」
数度まばたきをして、また画面に視線を戻す。左下の数字は4桁目が一つ増えて、12:18。
「お昼、一緒に食べ「遠慮しときます」
デスクの一番下の引き出しを開けて、ストックしてあるゼリー飲料を二つ掴んで取り出す。残りは三つか、補充しておかなければ。
「またソレかい!? いい加減体壊すよ!?」
「放っておいてください」
ナンセンス!! と頭を抱えるオールマイトさんを無視してパキ、とキャップを開ける。
「百歩譲ってソレでもいいから、一緒にお昼「ごちそうさまでした」早いね!!!」
食事を楽しむとかそういう考えは無いのかい!! と喚くオールマイトさんの手には、ウサギ柄の包み。
「相澤くん、お弁当とかは作らないの?」
「わざわざ作る必要性を感じないので」
ぺったりと潰れたパッケージをゴミ箱に放り込みながら、いまだに何かブツブツと言っている目の前の金髪頭を睨む。
「俺の昼飯なんてアンタには関係ないでしょう」
さっさと自分の飯でも食ってきたらどうなんですか、と言えば、少しムッとしたように目つきが鋭くなった。
「私は相澤くんとお昼が食べたかったの!」
「残念ながら俺はもう昼飯を食い終わったんで、マイクでも誘ったらどうですか」
こちらを見つめる碧眼を無視してデスクの棚からファイルを引き抜く。
背もたれに体重を預けると同時にギシ、と椅子から音が鳴る。
無言の視線を額の辺りに感じるが、黙殺して並ぶ文字列に目線を滑らせる。
「…相澤く『あっ! オールマイトさん今からお昼ですかぁ!!?』
鼓膜を突き破るような爆音が職員室に響いて、マイクが近づいてきた。
「え、あ、うん、そうだけど…マイクくんも今から?」
『そうなんっスよ! ご一緒してもいいですか?』
「あぁ、構わないけど…」
『今日は天気いいっスから外で食いましょうよ! 外!!』
「え、そうなのかい? じゃあ、そうしようか」
マイクに腕を引かれて、オールマイトさんは職員室から出て行った。
意図せず漏れた溜息と椅子がギギギ…と軋む音だけが静かになった職員室に反響した。
パソコンの画面を見れば、数字は12:26。増えた数字の数を計算して、また溜息を吐き出した。
廊下で擦れ違ったマイクに意味深な目くばせをされ、何となく予想はついてたけど……
職員室の扉を開けると、デスクに突っ伏している同僚の姿が見えたので、予想が確信に変わる。
「…イレイザー?」
とりあえず自分のデスクに座って、面倒くさい予感しかしないわ… と内心うんざりしながら、隣で突っ伏したままの同僚に声をかける。
「今日は何秒話せたの?」
黒髪がもそもそと動いたけれど、相変わらずデスクに沈んだまま。
「…合計で9分弱」
隠す気など微塵も感じられない溜息と一緒に吐き出された言葉に頭痛がする。
「ねぇあなた…本当にオールマイトさんのこと好きなの…?」
酒の席で、珍しく本音を零した相澤をマイクたちと一緒に寄ってたかって詮索したところ、驚愕の事実が明らかになったのが先月のこと。
それからもうかれこれ三週間は経っている。
はぁ~~~~~と職員室中の空気を吸い尽くすような溜息が彼の本音を雄弁に語っている。
性質の悪い冗談のようにしか思えないけれど、本人は本気のようで、現にこうして隣でデスクに突っ伏している。
「そりゃあたし達だって出来る限りの協力はしてあげるけど…」
昼食用に購入したサンドイッチをつまみながら、動かない黒髪を見下ろす。
「オールマイトさん、そういうコトに関しては鈍いし、あたし達に出来ることにも限りがあるわよ」
あくまでこういうのは本人たちの努力と行動によってしか進展しないものである。
それにこの場合は完全にこの黒髪の片思いであるから、こっちが動かなければ関係は一ミリも進まない。
「いい加減、意地とか見栄とか体裁とか脱ぎ捨てちゃいなさいよ」
何が悲しくて三十路のオッサンに恋のアドバイスをしなければいけないのか…
最初の頃は面白がって見ていたけれど、最近は鬱陶しい…というか、もどかしいことこの上ない。
「今週末に飲み会でも開いてあげるから、そこで何とか進展させなさい」
それ以上の手助けはもうしないから、と言い捨てて、うじうじと捕縛武器の中で蠢く頭を冷ややかに見下す。
三十の男が、全くもって女々しい。
やれやれ、と肩をすくめながら、ミッドナイトはマグカップのコーヒーを口に含んだ。
購買から戻って、買った弁当を片手に職員室のドアを開けようとしたとき、中からオールマイトさんと消太が言い争う声がして、思わず手を止める。
Oh…またか、あの二人……
オールマイトさんは純粋に消太に話しかけているのだろうが、いかんせん消太は不器用だから、毎回衝突してしまっている。
今月に入って何回目だ? こいつらも懲りねぇなー…なんて思いながら、室内を窺う。
……あーー、フラグを悉くへし折ってんなー消太の奴…。
漏れ聞こえてくる会話だけでも室内の微妙な雰囲気が伝わってくる。
中を覗けば、オールマイトさんを無視してファイルの資料を眺める消太の姿。ダメだ…ダメダメだぜ消太…ツンデレにも程があるぜ……
あいつオールマイトさんの顔見てねぇな…オールマイトさんめちゃくちゃ寂しそうな顔してんじゃねぇか…気づけよ……
やべぇな、このままじゃもっと険悪な空気になっちまう!
『あっ! オールマイトさん今からお昼ですかぁ!!?』
勢いよく職員室のドアを開けて、できるだけ陰気な空気を吹き飛ばすように声を張り上げる。
「え、あ、うん、そうだけど…マイクくんも今から?」
『そうなんっスよ! ご一緒してもいいですか?』
「あぁ、構わないけど…」
『今日は天気いいっスから外で食いましょうよ! 外!!』
「え、そうなのかい? じゃあ、そうしようか」
とりあえずオールマイトさんと消太を一旦引き離そうと提案しただけなのに、消太がすっげぇ睨んでくる。無意識か、無意識で睨んでんのか。嫉妬か。
俺はお前のことを思ってだなー!! それにお前と違って俺はオールマイトさんに恋愛感情は抱いてねーかんな!!?
嫌な誤解が生まれた予感がするが、とにかくオールマイトさんの腕を引いて職員室を抜け出した。
ちょうど廊下でミッドナイトに擦れ違ったので、『消太を頼むぜ』と視線で伝えておいた。敏い同僚だ、分かってくれただろ。
校舎裏、生徒も職員も滅多に来ないけれど日当たりと風通しだけはいい穴場スポット。ベンチもあって、俺のお気に入りのランチ場所。
「うわ~本当にいい天気だね~~」
嬉しそうに周囲を見渡すマッスルフォームのオールマイトさん。生徒に見つかるかもしれないから、と先ほど廊下で変身していた。
「ここなら生徒は来ませんから、大丈夫っスよ」
ぼしゅーっ!! と水蒸気を上げながら、オールマイトさんが元の姿に戻って笑う。
「外でご飯って気持ちいいね~」
ウサギ柄の可愛らしい包みから手作りらしいお弁当を取り出しながら、ベンチに座るオールマイトさん。
二人で並んで昼飯を食う。オールマイトさんが卵焼きを一つ分けてくれた。
「…うめぇ」
思わず素が出た。すっげぇ旨い。何だこれ。
「オールマイトさんって料理めちゃくちゃ上手いっスね…」
よく見れば、可愛らしいサイズの弁当箱の中は色とりどりの手作りおかずが綺麗に詰め込まれていた。きっと栄養バランスも考えられてんだろーな…消太に見せてやりてぇ……
「そんなことないよ? 普通じゃないかな…」
いやいやいやいや! 今どきの女子高生でもこんだけ凝った弁当は作れねーよ! というツッコミはとりあえず卵焼きと一緒に飲み込んだ。
「ごちそーさまでしたぁ!! …あれ? オールマイトさん食べないんですか?」
空のプラスチックパックに蓋をしてひょいと隣を覗き込めば、小さな箱の中身はほとんど減っていなかった。
あー、と気まずそうにオールマイトさんが笑う。
「ちょっと最近、食欲無くて…」
「ちゃんと食べなきゃダメですよ! ただでさえ細いんですから!」
HAHA…と頭を掻くオールマイトさんの表情は心なしか暗い。
「あ……もしかして、俺と飯食うの嫌でした?」
「ち、違う違う!! そんなわけないよ!! ただ…」
小さく小さく溜息をつくオールマイトさん。
この辺が苦しくてね、私も年かなぁ…なんて切なげに笑うオールマイトさん。
骨ばった指で掴んでいるのは、胸元。
あぁもしかして、もしかするんじゃねーの、コレは。
「オールマイトさん、それってもしかして……恋、っスか?」
「ええっ!? こ、恋!!?」
ブハァ! と血を吐きながら、顔を真っ赤にして驚くオールマイトさん。図星か!!
「相手は誰ですか誰ですかぁ???」
「え!? 相手!? え、あの、あ、えっと」
「……俺、偏見とか無いですし、オールマイトさんが望むなら誰にも喋らないっスよ」
オールマイトさんの口が「あ」の形で固まる。目いっぱい開かれた綺麗な青色の瞳。
「…マ、マイク、くん…?」
何となくもう予想はついている。きっと、オールマイトさんの想い人は。
「消太…イレイザーでしょう?」
大袈裟に肩を跳ねさせたオールマイトさんの膝から、衝撃で弁当箱が転がり落ちる。
あっちゃー! 勿体ない!! と思うも、落とした本人はそれどころじゃないようで。
「え、ちょ、なん、ちが、え、マイク君、え、なんで、うそ、えぇっ!!!?」
わたわたと両手を彷徨わせながら、真っ赤な頬に流れるのは冷や汗か。嘘がつけない人だなぁ、と微笑ましくなる。
「なっ、何で!!? もしかしてバレてた!!??」
「否定はしないんすね」
ハッとして慌てて口をつぐむオールマイトさん。いやいや、もう今更ですってば。
「誰にも言わないでね…?」
「こう見えて口は堅いんですよー俺」
時計を確認したら、もうすぐ予鈴が鳴る時間。やっべ、午後から授業入ってたな。
「すいません、俺この辺で失礼します!」
「あ、うん!」
お昼、一緒に食べてくれてありがとー! という声を背中で聞きながら、空のパックを片手にベンチを後にする。
俺の脳内では、エンダァァァァァイヤァァァというどこかで聞いたお馴染みのあの曲が大音量で華々しく響いていた。やれやれ、両片想いってやつかよ!!!
* * *
週末。花の金曜日。
教師とはいえ休日はある。そして明日が休みという安心感と開放感。そして今晩は雄英教師陣で久々の飲み会がある。
どことなく職員室の空気も浮足立っており、心なしか落ち着きがないようにも思える。
「…さっきから人のことじろじろ見て、何か用ですか」
隣の席からこちらを凝視してくる碧眼をじろりと睨みあげると、ふいっと一瞬逸らされて遠慮がちにまた視線が戻ってくる。
「今日の夜、飲み会があるって知ってる?」
「知ってますよ。ミッドナイトさんから聞きました」
それがどうかしましたか、とパソコンの画面から視線を外さないまま答える。
「…あのさ、相澤くんも…来るの?」
「俺は行きませ『あーー!! 今日の飲み会は消太は強制参加だかんなーーーー!!!!!!!』
キィン、と鼓膜が麻痺したような感覚に陥る。あの野郎、個性使いやがったな…
ぐわんぐわんと脳味噌が揺れるような痛みに顔をしかめながら声の主を思いっきり睨んでやれば、マイクもこちらを鬼の形相で睨んでいた。
(お前バッカじゃねーの!? 何で自分でフラグをへし折ろうとしてんだよ!!? バカか!!)
口の形だけで伝える相手も大概だが、それで理解できてしまう俺も俺だな、これだから腐れ縁ってやつは。
(うるせぇな、じゃあどうしろっつーんだよ)
(知るかよ! 自分で考えろっつの!!)
口の形だけで喧嘩していれば、ほったらかしにされていたオールマイトさんが怪訝そうに覗き込んできたので慌てて口をつぐむ。
「相澤くん…?」
「…強制参加だそうです」
「HAHAHA…でも、相澤くんが来るってことは教師全員での飲み会ってことになるね!」
ねっ! と俺越しにミッドナイトさんに話しかけるオールマイトさん。
そうなるわねー、と鞭を手入れしながら返すミッドナイトさんの無言の圧力を感じる。だから俺にどうしろと。
進展させろと言われても何をどうすればいいのかが分からないし、そもそも俺がオールマイトさんを好きだというのが何故バレたのか。
……あぁ本当に、こんなのは合理的じゃない。
店に入ったのは確か8時。それから何時間呑んだのか、もはやあまりまともな思考が浮かばない頭でぐるぐると考えながら最後の一口を飲み下す。
ミッドナイトさんにしこたま飲まされた13号や、睡魔に負けたエクトプラズムが屍のように転がっている座敷では、テンションが上がってうるさいマイクや全く酔った様子を見せないセメントスさんがまだまだ追加の注文を始めそうな雰囲気だ。
斜め前に座っているオールマイトさんは、最初のうちこそウーロン茶や水を飲んでいたが、中盤から悪酔いしたミッドナイトさんにチューハイやら焼酎やらを注がれて、耳まで真っ赤になっている。
いい加減にしといた方がいいんじゃないか、と思いながら見るともなしに見ていたら目が合った。
こてん、と首をかしげながらふにゃりと笑うオールマイトさん。はっきり言って目に毒だ。
きまりが悪くて視線を逸らして、空になったグラスをテーブルに手放して席を立つ。
「お、消太~どこ行くんだ~~?」
「そろそろ帰る」
少しだけ足元がふらつくが、歩けないほどじゃない。
これ以上ここにいたら酔いつぶれたメンバーの介抱をさせられる羽目になる気がするので、さっさと抜け出したかったのだが。
「ん~、じゃあこの辺でお開きにしちゃいましょ」
ジョッキに残っていた泡の消えたビールを煽って、奥の席に座っていたミッドナイトさんが立ち上がったのをきっかけにテーブルの片づけが始まる。
会計を済ませて店を出たが、半数近くが酔いつぶれていて非常に面倒な事態になった。
「マイク~13号の家ってどこだっけ~?」
「俺知ってるんで送ってきます! エクトプラズムん家ってセメントスさん知ってましたよね」
タクシーを待ちながらそれぞれの家の場所を確認していると、背後からずしりと重さが乗っかってきた。
誰だ、と思って振り向けば、くすんだ金髪が肩越しに見えた。
「…オールマイトさん?」
さっきまで他のメンバーと会話していたのに、どうやら限界だったようだ。
重たい、というほどでもないが上背があるのでいかんせん凭れられると動きづらい。
「アンタさっきまで起きてたじゃないですか、自分で歩いて下さいよ」
半ば引きずるようにしてタクシー乗り場まで運んで、車内に押し込む。
「オールマイトさん、自分の住所言えますか?」
「んーー」
「自分の家」
「ん」
ダメだ、これは。典型的な酔っ払いだ。
同僚たちにオールマイトさんの家の場所を知っているか、と尋ねても首を振るばかり。
誰が引き取るか、というやり取りが視線だけで交わされる。
ミッドナイトさんはスナイプを引きずっているし、マイクは13号に肩を貸している。セメントスさんはエクトプラズムを連れて先ほどタクシーに乗って行ってしまったし、ブラドキングやパワーローダーは飲み会の途中で帰ってしまった。
つまり、手が空いているのは俺だけで。ぼんやりと濁っていた思考が徐々にクリアになっていくのが自分でもわかった。
こんなことになるなら俺も途中で帰ってしまえばよかった、とため息をつきながらオールマイトさんの隣に乗り込み、自宅までの道を運転手に伝える。
滑るように動き出す車内で、隣のオールマイトさんは早速寝息を立て始めていた。
窓から見えた同期の顔が意味深に笑んでいたような気がしたのは気のせいだと信じたい。
「オールマイトさん、着きましたよ」
「ん、んーー…?」
寝起きの子供のように両手で目元を擦りながら、ゆっくりとタクシーから降りてくるオールマイトさん。
タクシー代は…まぁ後で半分払ってもらえばいいか。
ゆらゆらと危なっかしい千鳥足で歩くオールマイトさんの手を引きながら、鍵を開けて家に入る。
手探りで電気のスイッチを入れれば、殺風景な室内が照らし出される。
突然の明るさに眼をしばたたかせながら、オールマイトさんがよろめく。
「う、ん…? あいざわ、くん…??」
彷徨っていた視線に意志が灯る。
「え、あいざわくん、なんで、あ、え? ここ、」
きょろきょろと辺りを見回して、状況が呑み込めていない様子で首をかしげる姿は小動物に似ていた。
「俺の家です。何もないですけど」
家具らしい家具はほとんど無い。最初からある備え付けの冷蔵庫やベッド、ニュースを確認するためだけのテレビ。
風呂や洗面所はあるけれど、そもそもあまり家に帰らないので生活感は無い。
「俺はコレで寝るんで、アンタはベッド使ってください」
寝袋を引っ張り出しながらベッドを指し示す。
まだ思考が追い付いていないらしいオールマイトさんは立ち尽くしたまま瞬きを繰り返していた。
風呂は…今日は入らなくていいか。明日の朝シャワーを浴びれば済む話だ。
歯だけは磨いて寝ようと思い洗面所に向かうと、オールマイトさんもついてきた。
「はみがき?」
「ええ」
「わたしもする」
「…ちょっと待ってください」
流しの下を探るが、予備の歯ブラシが見当たらない。
「すいません、俺が今使ってるのしか無いです」
「じゃあそれでいいよ」
じゃあって何だ。いいのかこれで。色々と疑問だったがいちいちツッコむのも面倒になって来たので口をすすいで歯ブラシを洗う。
再びチューブから出した歯磨き粉をブラシにつけてオールマイトさんに手渡す。
ありがと、と躊躇なく受け取ってそのまま口に入れるオールマイトさん。何だかいたたまれない。
二人そろって洗面所を出て、また元の部屋に戻る。
「寝間着貸しましょうか? サイズ合うか分かりませんけど」
まさかスーツのまま寝るわけにはいかないでしょう、と言えば、こくこくと頷いた。
もそもそとスーツを脱ぐオールマイトさんを尻目にクローゼットを漁る。
スウェットぐらいしかないですけど、と振り向けばオールマイトさんはシャツ一枚を羽織った姿だった。
……目に毒だ。
とりあえずスウェットの上下を着させて、ベッドに追いやる。
オールマイトさんのスーツを手近なハンガーに掛け、寝袋をずるずる引きずりながら、照明のスイッチまで移動する。
金髪が布団の中に入るのを見届けて、スイッチを切る。
真っ暗になった部屋の中。自分以外の人間が同じ空間にいるというのはどうにも慣れない。
「………あいざぁくん」
「………………」
「あいざわくーん? もうねた?」
「………」
「あいざ「オールマイトさん煩いです」
中学生のお泊り会じゃないんですから、さっさと寝て下さい、と言えば、もぞもぞと布ずれの音が聞こえた。
「あいざわくん、ゆか、つめたくない?」
ひた、と裸足が床を叩く音が静かに一つ聞こえた。
重たくなりつつあった瞼を上げれば、覗き込んでくる青い目が一対。
「あいざわくん」
半開きのカーテンから見える夜を背負って、逆光の金髪が窓の向こうから漏れた車のライトを反射して光っていた。
「…寝て下さい」
「ねれない」
「じゃあ寝なくてもいいんでベッドに戻って下さい……俺は寝ます」
「………いっしょにねない?」
暗がりで見えない表情を窺う。
また一瞬、ライトで彼の髪が照らされていく。
いつまでたってもベッドに戻ろうとしない青い目に溜息をつきながら、寝袋のチャックを開けていく。
「…一緒なら寝れるんですか」
「うん」
子供じゃないんですから…と悪態をついても、酔っ払いはどこ吹く風で、いそいそとベッドに戻っていく。
「狭いんですから奥、詰めて下さい」
成人男性が二人並んで寝るようには設計されていない安物のスプリングが乗り上げた膝の下で金切り声を上げる。
わざわざ狭いところで相手に気を遣いながら寝るなんて、不合理の極みだと自覚はしている。
それでもこの人のワガママを受け入れてしまうのは、あぁ、なんて合理的じゃない。
程なくして背中越しに聞こえてきた寝息に、微かに長い溜息が重なって消えていった。
目を開けると、目の前が真っ黒だった。
(え? あれ?? 私、目開けたよね?)
ぱちぱちと瞬きをして、それでも目の前は真っ黒。あ、なんだ、黒い服だ。…黒い服??
あと頭上から降ってくる…寝息?
恐る恐る視線を少し上にずらすと、まず見えたのは黒い髪。そして不健康そうな肌。あと髭。
(……ひげ??)
じっくり見ても、うん、髭だ。
(…髭……ひげ!!?)
ばっ! と一気に顔を上に向けたら、視界に映ったのは見知った顔。
え、ちょっと待って分かんないんだけど、え、なに、どういう状況!!?
目! 閉じてる! ってことは寝てる!!?
待って、待って、ちょっとおじさん理解できない!
あ、しかも動けない! 動けないねコレ!! 何で!? あ! 相澤くんの腕ががっちり回ってる!! 足も動かない!! ホールドされてるねコレ!!!!!
「ん……」
おおおおお起きた!!!?
「……………」
起きて、ない…いや起きられて困るわけじゃないけど! この状況をどうすればいいん、ちょ、え!? なんか腕締まってない!!?
(あああ相澤くん! 待って! 狭い! 狭いよ!!)
また視界が一面真っ黒になる。押し付けられてる。相澤くんの胸に。私の顔が押し付けられてる。
なんで!!? いやそもそも何で私は相澤くんと一緒に寝てるの!!? ここどこ!!!?
待って待って待って私昨日何したっけ!? えっと、あ、そう! 雄英の教師陣の飲み会に参加させてもら、ちょーーっ!!?
ちょっ、相澤くん! ストップ!! ストオオォップ!!! 私の髪に顔埋めてるでしょ今!!!
やめて! お願いやめて!! 私たぶん昨日お風呂入ってない!! たぶん!!!
「ぅ……」
もぞ、と相澤くんが動いて、顔にかかった長い黒髪を掻き上げる。モデルさんみたいだ…。
「…ぁ…オー、ルマイト、さん…?」
寝起きだからかな、いつもより若干声が掠れて低い。
「お、おはよう、相澤くん…」
おはようございます…と眉間に皺を寄せながら目を開けたり閉じたりしてる相澤くん。
がしがしと頭を掻いて、それから勢いよく瞳が開く。
コンマ数秒で私の体に密着してた相澤くんの手足が離れた。
わぁー気まずいー…。
「……すいません、オールマイトさん…」
「あ、えっと、別に気にしてない、よ…?」
私こそ、なんかごめんね? と言うと、すごく重々しい溜息を吐かれた。
…うん、そりゃそうだよね。朝起きて一番に見る顔がこんな痩せこけたおじさんの顔だもんね。しかも思いっきり抱き付かれちゃってたからね。うん。
「…………」
「…………」
き、気まずいっ!!!!
「…っあ、その、えっと、「…風呂、入ってきます」
ギシギシと軋む音を立てながら、相澤くんがベッドから降りる。
そのまま床に投げ捨てられた抜け殻のような寝袋を裸足で蹴り避けながら、ひたひたと部屋を出て行ってしまった。
残されたのは、まだちょっと状況が呑み込めてない私だけ。
ちょっとして、向こうの方から水の音が聞こえてきた。シャワーかな。
とりあえずここはどこなんだろう。…たぶん相澤くんの、家? だよね…。
で、私、こんなスウェット持ってたっけ? 昨日の夜はスーツのまま飲み会に行ってたよね? あ、スーツ。
壁際でハンガーに掛けられてるスーツ。皺にならないように丁寧に掛けられてる。……相澤くんが掛けてくれたのかな。
…ってことはこのスウェットも相澤くんのか!!
(というか…私、昨日の夜の記憶が一つもない…)
見事なまでに無い。そりゃもう敵の個性で消されたんじゃないかってほど無い。店に入って、そう! セメントスくんの隣に座ったのは覚えてる! オーケー、そこまでは覚えてるぞ!
(それから……?)
思い出せないなー…どうしよう……
相澤くんの家にいるってことは、つまり私が家に帰れないくらいの状態だったってことだよね…私お酒飲んじゃったのかな…おかしいな…ウーロン茶ぐらいしか注文してないのに…
うーんと、そもそも何で相澤くんの家??
(だって相澤くんは私のこと…)
嫌いな、はずなのに。
マイクくんにはバレてた。私が、相澤くんのこと好きだっていうのが。
そう、これはただの私の片思い。一方通行。
さっきだって相澤くん、寝起きで私の顔見て嫌そうな顔してたもの。ちょっと、いや、結構傷ついちゃったな…
…昨日の夜の記憶、全然ないけど私、相澤くんに迷惑かけてないかな……これ以上嫌われるようなことしてませんように!
「オールマイトさん」
「っなんだい!!?」
「風呂、使いますか?」
昨日入らずに寝てましたけど…と水滴を床に滴らせながら、タオルを片手に相澤くんが尋ねる。
「あ、えっと、使います…」
「タオルは洗面所にあるんで勝手に使ってください」
着替え新しいの後で持っていきますんで、と続けられ、慌てて制止する。
「す、ストップストップ相澤くん! 申し訳ないんだけど、お風呂ってどっち?」
ここ出て右? 左? と聞いたら、相澤くんは少し面食らったような顔をして、覚えてないんですか、と呟いた。
いやいや、覚えてないも何も、私ここ初めて来たよ?? と首を傾げたら、また溜息を吐かれた。
「…そこを右です」
「あ、ありがとう…」
オールマイトさんは昨夜のことを覚えてないらしい。
今朝起きた時、至近距離にオールマイトさんの顔が見えた時は流石に驚いた。
いつの間にか抱きしめて眠ってしまったのか、気づけば腕の中にオールマイトさんがいた。慌てて放したが、不快に思われていないだろうか。
一応謝罪はしたが、気にしてない、とぎこちなく笑われて、逆に謝られた。アンタはいつもそうだ。
自己犠牲の塊のような態度に苛立つと同時に、不甲斐ない自分へ溜息が漏れた。
二日酔いでぐらぐらと鈍く痛む頭を目覚めさせようとシャワーを浴びて部屋に戻ると、オールマイトさんはそのままの姿勢でベッドの上にへたり込んでいた。
昨夜、歯磨きに付いてきたからてっきり覚えていると思ったら、分からないと言う。
…この人、本当にタチが悪いな。
場所を教えてから、タオルで頭を拭きながら軋むベッドに腰かける。
ふと枕もとの携帯を手元に引き寄せると、マイクから着信が二件入っていた。
『あ! 消太か!!』
「用件は何だ」
『もう9時だぜ! 昨夜はお楽しみでしたかぁ!!?』
「用件を言え」
『シヴィ―――!!!』
電話越しでも煩い同期の声が鼓膜をぶち抜いて二日酔いの脳を揺さぶる。
頭痛と苛立ちで切ってやろうかと思ったが、あとが面倒なので仕方なく聞く。
『オールマイトさんは?』
「今風呂に入ってる」
『…や、やっぱり昨夜はお楽しみでしたか…』
「違ぇよ」
『あ、そうなの?』
「それだけならもう切るぞ」
『ヘイヘイ! ストップ!! 切っちゃダメ!』
左手に携帯を持ち替えて、右手でクローゼットを探る。オールマイトさんが着れそうなTシャツとズボンを引っ張り出していると、聞こえてきたのは同期の声ではなく、ミッドナイトさんの声。
『イレイザー』
「はい?」
『少しは進展したかしら?』
揶揄うように言われ、返答に詰まる。
『せいぜい頑張りなさい。あと、気持ちは言葉で伝えないと伝わらないのよ』
「はぁ…」
じゃあね~、と語尾にハートマークでもつけそうな口調で通話は一方的に終わった。
着替えを持って風呂場の扉を開けると、水蒸気とシャンプーの香りに包まれる。
オールマイトさん、着替え置いときますね、と呼びかけると、浴室からありがとう、とくぐもった声が反響した。
「タオルは棚の中にありますから自分で出して使ってください」
「何だか至れり尽くせりで申し訳ないね」
「脱いだ服はその辺のカゴにでも突っ込んどいてください。後でまとめてコインランドリーにでも持っていきますんで」
分かったよ~、という返事を背中で聞きながら、脱衣所の扉を閉める。
少しして、タオルを首にかけたオールマイトさんが湯気を上げながら出てきた。
「…サイズ大丈夫ですか」
「サイ…ああ大丈夫! ちょっと袖とか裾が短いけど合ってるよ! 貸してくれてありがとうね!」
相澤くんって面倒見がいいよね、と少し恥ずかしそうに笑うオールマイトさん。
「お風呂とか布団とか…いっぱいお世話になっちゃったな! 何かお返ししなきゃね!」
お手伝いでも何でもするよ? と冗談交じりに笑いながら、何も知らないような顔であっけらかんと言うオールマイトさん。
きっとアンタは、俺が好意を抱いてるなんて、恋愛対象として見てるなんて、これっぽっちも思ってやしないんだろう。
「何もいらないんで、さっさと自分の家に帰って下さい」
これ以上一緒にいられても対応に困るので、なるべく早く引き取っていただきたい。
「うっ…じゃあ今度一杯奢るよ!」
それでもなお食い下がるオールマイトさんにハンガーごとスーツを渡す。
「そういえばここに来るまでのタクシー代!」
はっ! と思い立ったようにスーツのポケットを探るオールマイトさんを尻目に備え付けの小型冷蔵庫を開ける。
買い置きしていたゼリー飲料を取り出そうと腰を丸めた瞬間、あれ? という声が聞こえた。
「おかしいな…」
「どうかしたんですか」
タクシー代はまた後日でもいいですよ、と言うとオールマイトさんはいや、そうじゃないんだ、とスーツのポケットをひっくり返しながら焦っている。
「財布はあるんだけど……カギが無い」
「カギ?」
「うん…家のカギ」
上着もズボンもすべてのポケットを探り終えたらしいオールマイトさんは、不思議そうに首をひねっている。
「昨日の夕方、学校を出た時にはポケットに入ってたんだけどな…」
「スペアキーは持ってないんですか」
「持ってない…」
店に忘れたんじゃないですか、と聞けば、そうかなぁ…としょんぼりした様子で視線を下げるオールマイトさん。
通話履歴の一番上にある番号にダイヤルすると、4コールでテンションの高い声。
『ヘイ! どうした消太?』
「オールマイトさんの自宅のカギが無い」
『……消太、この会話が聞こえる範囲にオールマイトさんいるか?』
は? と思いながらオールマイトさんを見やる。不安そうにこちらを見つめているが、会話の内容は届いてなさそうだ。
「いや、近くにいるが聞こえては無いと思う」
それがどうした、と言えば、普段より少し小さめの声が返ってくる。
『いやあのさ、別にオレが計画したわけじゃなくて、実行したのもほとんどミッドナイトさんなんだけどさ、』
「だから何がだ」
『オールマイトさん家のカギ、お前のコスチュームのポケットん中』
「はぁ!!?」
「え!? なになに!!? どうしたの相澤くん!!?」
小動物のように慌てふためくオールマイトさんが視界の端に映ったが、正直今はそれどころじゃない。
『あーー、消太、羽衣伝説って知ってるか?』
「今その話関係あるか?」
『いや、例え話だって! オレにキレても知らねーよ! ミッドナイトさんに言えよー!!』
ふざけんな。性質の悪いイタズラにもほどがある。
「…ミッドナイトさんは」
『さっきまで職員室で資料整理してたけど終わったから帰っちまったよ…』
「………で、その羽衣伝説が何だ」
『ミッドナイトさんからの伝言。知ってるか?』
「少しは」
『知ってんならいいや、心に留めといてくれ!』
「は?」
『天女サンがお空に帰っちまわねーようになー!!!!』
ブツッ!と切られた通話。ツー、ツー、と無機質な音を発する携帯を片手に立ち尽くす。
「…あ、相澤くん?」
羽衣伝説に一体何の関係があるんだ。天女サンって誰のことだ。
そこまで考えて、ふと思い至った。
「相澤くん、どうだった…?」
期待と不安で困惑した表情で訪ねてくるこの人が。
そうか確かに、言い得て妙だ。
「電話の相手、マイクくんだったのかい? カギ、どうだった?」
「…知らないそうです」
「そっか…どこいっちゃったんだろ……」
「どこかで落としたんじゃないですか」
「やっぱりそうかな…どうしよう…」
管理人さんに言ったら開けてもらえるかな…などと頭を抱えるオールマイトさんに、色々と開き直った俺は何でもない事のように言う。
「ここに住めばいいんじゃないですか」
「へ?」
「アンタ、どこに住んでるんですか」
「あ、えっ、雄英高校から電車五駅ぶん東…ごめん、詳しくはちょっと言えない…」
「ここから雄英までは目と鼻の先です」
遅刻魔のアンタでも平気なぐらいには、と付け足すとオールマイトさんはウッ、とくぐもった声を出して項垂れた。
「た、確かに私にはちょうどいい物件かもしれないけど……相澤くんが迷惑じゃない…?」
「迷惑かどうかは住んでみれば分かるんじゃないですか」
少なくとも今はまだ迷惑とは感じてないです、と告げても、まだ悩んでいる。
「でも…こんなおじさんと一緒に住んで楽しいかな……」
「アンタが嫌なら別にいいですよ。学校の仮眠室か保健室でも借りて泊まればいいんじゃないですか」
その方が合理的だ、と言えば、でもそれじゃあ学校に迷惑かけちゃうし…と悩む。
「……相澤くんってさ、私のこと嫌いじゃないの?」
「…俺がいつアンタのことを嫌いだって言いましたか」
もういっそなるようになれ、と俺の二日酔いの頭はとち狂った非常に合理的じゃない思考を打ち出そうとしていた。
「むしろアンタの方が俺のこと嫌いなんじゃないですか」
「私は相澤君のこと好きだよ」
「俺もアンタのこと好きですよ」
ちょっと待って(待て)、何言っちゃってるの(言ってるんだ)私(俺は)――――!!!????
明るい部屋に気まずい沈黙が澱む。
お互いがお互いの顔から目を逸らしたまま、室内には外を通る車の音だけが響いた。
「ああああ相澤くん、ちょ、ちょっと整理させてもらってもいいかな…!?」
「すいません、俺も少し時間もらっていいですか…」
オールマイトさんはベッドに腰かけたまま、俺は冷蔵庫の前に立ち尽くしたまま、数十秒の静寂が経過して。
「相澤、くん…」
「…はい」
「相澤くんの、好きって、その、どういう意味での、好き…?」
「それは…loveかlikeかってことですか」
「ん"んっ!!? そ、そうだねっ!!」
カフッ! とお馴染みの吐血音が俯いたままの視界に聞こえてくる。
「……loveの方ですね」
二日酔いの頭が痛い。同じくらいに心臓が痛い。煩い。
言ってしまった。もう後戻りはできない。あぁ頭が痛い。
「…アンタはどうなんですか」
何も言わない相手を半ば自棄になって睨む。
ベッドにへたりこんだ彼は、首筋から耳まで真っ赤に染めて俯いていた。
吐血かと少し慌てたが、違った。
「…HAHA……」
俯いていた顔がこちらを見据え、目尻に僅かに涙を浮かべた碧眼が俺を捕らえる。
「私も…loveの方みたいだ」
オールマイトさんの歯ブラシと寝間着、その他諸々の生活用品と今日の夕飯を買った帰り道。
「…別に作らなくてもいいですよ」
「いや! 買って帰るのは今日だけだからね!!」
明日は包丁と鍋と洗剤と、あと相澤くん用のお弁当箱も買いに行かなきゃ! と鼻息荒く言うオールマイトさん。
料理好きらしい彼は、明日から早速三食自分が作ると言って聞かない。
「俺は別にウィダーでも「絶対ダメだからね!!?」
ナンセンス!!! と頭を抱える姿が夕日に照らされてほんのりと赤かった。
カギは返した。事情も全部伝えた。
オールマイトさんは困ったように笑って、一旦受け取ったカギをまた俺に渡した。
「それ、私には必要ないから、相澤くんが持ってて」
あ、でも色々荷物取りに行かなきゃいけないか! やっぱり返して! と焦っていたが、返さずにいる。
「取って来なくても、今から買いに行けばいいじゃないですか」
そう言って連れ出して、帰り道。
あちこち寄り道をしたり、だらだらと時間を潰したり、同じような店を何軒も回ったり。
オールマイトさんと一緒に居るというのは実に、合理的じゃないことの連続だ。
「相澤くん」
「はい、何ですか」
「今日も…一緒に寝てもいい、かな…?」
「…それは、どういう意味ですか」
「え!!? 何!!? 寝るだけに他にどういう意味があるの!!?」
あわあわと目を白黒させる姿が滑稽で、質問には答えずにその枯木のような手を握る。
ぎょっとしたように肩が跳ねたが、おずおずと指に力がこもる。
「早く、帰りましょう」
「うん…そう、だね」
ぎこちなく握り返された手。二人分の歩調。
天女はまだ、天に帰る気はないようだ。
…勿論、帰す気もさらさらない。