世界一小さなラブレターガチャリと鍵を回して家へ帰る。
真っ暗な廊下を進んでぱちりと電気をつければ、少しだけ聞こえる息遣いを追って覗き込む。
すやすやとお行儀よく眠るメアリにただいまとそっと撫でてゆっくりと離れる。
日光浴のできるように分厚いカーテンは括られ、レースのみのカーテンが柔らかな夜色に染まり愛らしい王女様を守るように包み込んでいるのをそっと分厚いカーテンで覆い返す。
すやすやと眠るメアリを起こさないように、そーっとフローリングを踏みしめてキッチンへ向かう。
何よりも楽しみにしているものがあるのだ。
冷蔵庫にぺたりと貼り付いたメモにはオレのお世辞にも綺麗とはいえない字の下に、少しクセのある綺麗な大きい字でサインするように"ありがとう、美味しかったね!"と"明日の朝ご飯はフレンチトースト、きみと一緒に食べるからね。約束。"と書かれたおひいさんからのメッセージ。
「はは、おひいさんらしいですねぇ。」
今は居ないあの人を想いながらメモを指でなぞれば、冷たいはずなのにぽかぽかと暖かくなった気がした。
いつだったか、これ食べといて下さいと書いたメモにご馳走さまとだけ書かれたメモが冷蔵庫に貼られていた。
何となく嬉しくてお粗末様でしたと小さく呟いた声を聞いていたようで、それ以来メモの下にはおひいさんからメッセージが添えられるようになっていた。
最初は一言だったものが最近は口では滅多に聞けないありがとうなどの感謝やリクエスト、一番珍しいものなら会いたいなどストレートに書かれた文字。一つ一つ違うその日のメモを読み返してあったかくなる心に気づけば笑みが浮かぶ。
オレの両手いっぱいに、箱の中にも沢山の白い小さなメモが、おひいさんの気持ちを滲ませている。
月日って凄いな。おひいさんだって素直になる。
今日の小さな愛情をこれまでと同じように箱に保存し、蓋を閉じればオレの内緒の宝箱の出来上がりだ。
愛しい宝箱の 表面をするりと撫で棚へ戻す。
今日は会えなくても明日は会える。お日様の人は今も頑張っているだろうしと朝一番のご要望を叶えるため、下拵えしようともう一度キッチンへ向かった。
〜〜〜〜
ふわりと香る甘い匂いに目を覚ます。
どうやら開けっ放しになっていた窓から近所のクチナシの匂いが風に乗って来たようだ。
ふわふわと揺れるレースから背けるようにごろりと転がりまだほんのりと暖かいシーツを握りしめる。
どうせなら起こせばいいのに。昨日はオレの方が遅かったからまだ寝顔しか見ていない。
今週はお互いにソロの仕事だからすれ違ってばかりだ。
おひいさんの匂いを少しでも嗅ごうと枕に顔を埋めるが本人に会った方が早いなと諦める。
まだ出るまで時間があるし、少し早いが朝飯を済ませてしまおう。
ぺたぺたとフローリングを進めば、整頓された綺麗な机の上に丸い乙女色の箱が置いてあった。
おそらくロケ先のお土産だろうと当たりをつけて近寄れば、目に優しいレモンイエローのメモにおひいさんからのメッセージ。
「へぇ。イチゴの菓子くれるなんて珍しいっすねぇ。」
"賞味期限早いから急いで食べてね"と書かれたメモにはオレが返信できるようにスペースが空いていることにむずむずと口が動く。
おひいさんもオレからの返事が欲しいんだとスペースがあるたびに、毎回嬉しくなる。
備え付けの紺色のペンを握ってサラサラとオレの気持ちを書いて冷蔵庫へ向かう。
白色を剥がしてレモンイエローをぺたりと貼り付ければ、手の中には小さなおひいさんの分身。
"美味しかったけど、2人で食べたいね!"なんて書かれているのを読んで、オレの貼った字と同じことを書いてて照れ臭くなる。
なるべく早く帰ろうと決意を新たに冷蔵庫を開けた。
〜〜〜〜
そろそろあの箱もいっぱいになるんだよなと目当てのボールペンを鞄に入れながらふと思う。
良さそうなものはないかと店内を軽く見渡してみるが、文具店というわけでもないし、ピンとくるものはなかった。
今はシンプルなただの箱だが、新しい宝箱は特別なものにしたい。
大事なものが入ってますって分かりやすいのはなんだか照れ臭くて今の箱だが、勿体ない気がする。しっかり保管できるように鍵付きとか、埃が中で被らないように何か敷いてもいいかもしれない。
メモ自体には保存が効くようにラミネートとかした方がいいんだろうか?
せっかくの字を閉じ込めているみたいでなんだか変な気分になりそうだが、かすれたり劣化したりすることはなさそうである。
うんうん唸りながら悩みながら家へ帰れば、きちんと揃えられたピカピカの革靴が定位置に収まっていた。
あの人とは対象的に乱雑に脱ぎ捨て急いでリビングへ向かえば、くるりと振り向いたバイオレットが嬉しそうにオレを歓迎する。
「おかえりジュンくん!今きみにお返事を書いてるところだね!泣いて受け取るといいね!!」
「ただいま、おひいさん。あー、ありがとうございます。ちゃんと食べてくれたんですねぇ。」
にこにこと機嫌が良いおひいさんはサラサラとイエローグリーンのペンを動かす。
待つだけなのもあれだし皿片付けるかと周りを見れば、箸一つもなかった。
この人いつも食べ終わって片付けてから書いていたのかと知らなかった事実にほんの少しだけ優越感が生まれる。
この人が、汚さないようにとわざわざ自分から動いたのだ、オレに返事を書くためだけに。
「なぁに?ニヤニヤして…ふふっわざわざきみのためだけに書いてあげたね?受け取りなさい。」
丁寧な所作で差し出されたメモに高鳴る鼓動を抑えて両手で受け取る。
そっとイエローグリーンの文字を追うため視線を外せば、暖かい温度とシャボンと香水の混ざった匂い。悪戯に抱きつく人の肩に擦り寄りもたれかかりながら一文字ずつゆっくりと追っていけば、甘い声が同じ速度で鼓膜を揺らした。
「お疲れ様、労ってあげるね。だから今晩はいらないよね?ぼくが欲しいでしょ、ジュンくん?」
するりと腰を撫で囁くおひいさんの首に手を回す。
鼻先すら付きそうな距離でアメジストを覗き込めば、ゆらゆらと灯る愛情と熱情に応えるように口付ける。
「まあ、そっすねぇ。おひいさん。ちゃんと愛してくださいねぇ?」
ぎゅうっと強くなる力と触れる唇を受け入れながら、そっとメモを机に戻して抱きしめ返す。
暖かくて熱い温度を2人で伝え合えるように、ぱたんと閉じた扉の先の小さなメモにまた後でと意識を送って微笑んだ。
ゆっくりと目を覚まして捕まった腕からするりと抜け出す。
オレがいなくなったからか探すように枕を掴んで満足そうにしたのをみて吹き出してしまう。かわいい事するなおひいさん。
早い時間だし夢から覚めないだろうが、出来る限り音を立てずにそっと部屋を去って机に向かう。
待っていましたとばかりに目につく白い小さなメモをそっとシワがつかないように握って自室から持ってきた箱へ入れる。
ぱんぱんに詰まった沢山の白色とちらちらみえるイエローグリーンが鮮やかでへにょりと口角が上がっていく。
次の分からはどうしようかと悩んでいたら、ガチャリと扉の開く音が聞こえ慌てて蓋をする。
ばくばくと悪いことをした後みたいに速くなるのを気付かれないようにいつも通りを意識しておひいさんの元へ向かえば、珍しく眠そうなアメジストがオレを映してぎゅうっと抱きしめられた。
「ジュンくーん。いきなり居なくなったらびっくりしちゃうね。まだ朝日も昇ってないのに起きちゃうなんて、何かあったの?」
さらさらとあやすように撫でられるとこっちだって眠くなる。
「いや、別になんでもないです。ちょっと目が覚めちまったってだけで。もっかい寝ましょうおひいさん。」
うんっと素直に肯くおひいさんに手を引かれてもう一度ベッドへ戻ればすうっと聞こえてくる寝息にほっと息をつく。オレをあやしたように、おひいさんの柔らかい髪に触れ、同じように撫で返す。
暖かい温度に目蓋が重くなってオレも夢へと落ちていく。何か忘れている気もするけど今はこの温度に溺れたいとすっかり馴染んだ心音と共に朝を超えた。
「ジュンくん、ジュンくん!これなぁに?」
2回目の目覚めはクソでかい声で起こされた。
くわんっと少し重い頭を揺らしてなんとか起き上がる。
昼間の光に負けないよう瞬きして黒い世界から視界を開ければ、ずいっと突きつけられるオレの大事な宝箱。
「机の上に置いてあったね!昨日まではなかったしぼくのものでもないね。なぁにこれ?」
キラキラと好奇心いっぱいの瞳で語りかけるおひいさんに一つ頷いて答えを告げる。
「オレの大事な大事なラブレターです。オレのこと大好きだって伝わるからたまに見返すんですよねぇ。……へへっオレはめちゃくちゃ幸せ者なんですよぉ!」
いいでしょ?って笑い返せばまんまるに見開いた
瞳がゆっくりと蕩けていく。
うん、うん、って噛み締めるように呟いたおひいさんはぱっと顔をあげればいつも通り話し出す。
「ぼくの愛がちゃーんと伝わっているね!いい日和!ぼくもね、ジュンくんからの愛をちゃんと受け取っているんだよ、見る?」
すたすたと歩いてそっと棚から紺色のクリアファイルを取り出したおひいさんがにこりと太陽のように笑う。
「きみからのラブレターはちゃぁんと全部ぼくのものだね。これからもぼくに捧げるといいね、ジュンくん!」
予想外で、かあっと熱くなったオレの顔をみてくすくす笑うおひいさんにつられてオレも笑い返す。
この人がオレを愛していると笑うなら、オレだっていくらでも、それこそ永遠にだって送り続けてやるのだ。
愛おしそうに呼ぶ声に返事をして、今日もオレなりに精一杯愛を送ろう。