250g以上の愛を込めてあ。と思った時には遅かった。
ころんと石が落っこちたような音がフローリングに響く。本当に石だったら良かったのに。残念ながらオレは石を家に持ち帰る趣味はなかった。
「どうしたの、ジュンくん」
紅茶をソーサーに置いたおひいさんが顔を上げ、ふわりと柔らかな髪を揺らす。たったそれだけでも絵のように美しく、キラキラしてるんだから、ずるい人である。
「何でもないです」
さっと拾っておひいさんに見えないように隠してしまう。不思議そうにじっと見つめたおひいさんはふぅん? と呟いただけで何も言わず、お茶請けのタルトにフォークを突き立てた。
ざくっとクッキー生地が砕けると同時に手の中のをぱきんと砕く。ちくっとちょっとだけ胸が痛むが、皿に残ったかけらと同じようなものだ。
「ジュンくんも食べて。ここのタルトとっても美味しいね」
ふわんと微笑んだおひいさんに割った筈のものがむずむずする。不毛だなぁとポケットに押し込みきれなかった小さなかけらが、手のひらからこぼれ落ちた。
恋をしたらどんな色がするのだろうか。
目の前がきらきらして、世界が変わってみえて、昨日より明るく鮮やかな毎日が待っている。みたいなのをこの前漫画で読んだっけ。
ポケットの中でぼろぼろに崩れたかけらを取り出す。小さな赤い色は血のように赤く、ひび割れた先から砂のように消えればいいのにしぶとく形を保っている。
オレにとって恋の色は赤い血のような色らしい。濁った赤は生々しくて、きらきらなんてしていない。なのに形は綺麗なハート型だ。ころんとしたハートは磨いた石のようにつるつるで、ガラスのように粉々に割れてくれる。胸がちくちく痛くてもガラスと違って手が傷付くことはない。なんとも不思議なやつである。
オレがこれを認識したのはご丁寧にもおひいさんが好きだと気付いた時。
「ジュンくん」と、ただ呼ばれた。いつもの我儘に振り回し、偶々気分が良かったんだろう。木漏れ日の美しい並木通りの中、くるんと振り返ったおひいさんは、ライブの時とはまた違った綺麗な笑みを浮かべていた。その笑みはオレだけに向けられていて、オレを呼び、伸ばした手は確かにきらきらと輝いていた。
今だけ。オレだけ。オレだけがこのおひいさんを見れたんだと思うと胸が苦しくて熱くて仕方なかった。あぁ、オレ、おひいさんの事好きだな。自然と思うにはたったそれだけで十分で、気付けばいつの間にか惹かれていた感情が波のように押し寄せてきた。
オレは人を好きになるのは初めてで、その人は同性の、大事な相方で。この綺麗な笑顔をみていたい。それだけで満足できると言えるほど無欲で綺麗な人間ではなかった。
ころんころんと軽い音に反してそこそこ重い石が落ちて、戸惑いよりも先に呆れが生まれたのは、これがオレの気持ちだからなんだと思う。見た瞬間驚くほどすとんと腑に落ちて、深く考えもせず受け止めてしまった。
先に歩き始めたおひいさんに気付かれないよう拾った石はオレの頬と同じくらい熱くて、ぎゅっと握り手のひらに隠した石は、パキンと高い音を立て、熱を発しながら綺麗に割れたのだった。
粉々になったハートをゴミ箱に捨てるわけにもいかず、取り敢えず空いた紅茶の缶に詰めることにして、早一ヶ月。真っ赤な石はもうぱんぱんになっていた。
隙間なく詰めてやろうとさらに砕けば丸い形に歪に収る。新しい缶に変わる前にこの現象が止まればいい。絶対無理だが。
「ジュンくーん!」
「ぐぇ」
背中に突撃してきたおひいさんに慌てて缶に蓋をする。キッチンの収納の奥に押しやれば、ずり、ずり。と重たい音が木の目と擦れ合う。
「ジュンくん、ジュンくん! ぼくを放ってこんな所で蹲ってるなんて! あり得ないね!」
「オレは片付けしてたんですよぉ。あんたの為に作ったものの後片付けです。おひいさんも手伝ってくれたらもう少し早く終わったかも知れませんねぇ?」
「何言ってるの? 何よりもぼくを優先するのは当然だよね?」
「GODDAMN! そういう所ですよ!」
菫色の綺麗な目をさらに大きくしてオレを映すおひいさんに呆れてしまう。我儘お姫様はオレの主張なんか意に返さず、ぎゅっとオレの腹に回した腕に力を込めた。
「ジュンくん面白い話をして」
「はぁ? 何すかその無茶振り」
「して。ぼく退屈は嫌いだね」
はーやーくー! と駄々こね始めたおひいさんが煩い。面白い話なんてあっただろうか。ほぼ同じ時間を過ごしているのに。
「うー、えっと、昼飯パスタだったじゃないですか」
「うん! ぼくのリクエストだね!」
「本当はキッシュの予定でした」
「そうなの? じゃあ晩御飯はキッシュだね」
「キッシュの材料をパスタに使ったんで、今晩は生姜焼きです」
面白い話でした。と切ればぷくりと頬を膨らませたおひいさんがさらに力を込めてきた。流石に痛い、容赦がない。ばしばしと手を叩けば面白くないね! と最もな叫びが聞こえる。耳がキーンとする。
「ぼくもうキッシュの口になっちゃったね! 晩御飯はキッシュだね!」
「ダメです。豚肉やばいんで生姜焼きです」
「ジュンくんが食べたいだけでしょう?」
「どーしても食べたいなら今晩は外で食って来てください。解凍もしてるんで変えませんよ」
「どうしてジュンくんと居るのに別々に食べなきゃいけないの?」
変なの、と言いたげな声にぽかんと口が開く。いや、別にいいんじゃないっすか? 好きなの食べれますし。そう言えばいいのに無駄にドドドと心臓が速く動くもんだから何も言えなくなる。
おひいさんは何も考えてないって分かってるけどさぁ。好きな人にこういうの言われてドキドキしない奴いないだろ。
ころん、と簡単に落ちてしまった石も同意している。
あー拾わないと。
いつもの癖で伸ばした手より先に伸びた白い指先が、こつんと赤色にぶつかるのに目が丸くなる。オレの目線より少し上に浮いたハートに背中から汗が伝う。
「綺麗なハートだね。これジュンくんの?」
やっと離れてくれたおひいさんはオレの隣に座って、ハートを掲げた。覗いても天井の景色が見えないほど赤黒いこれを光に透かしてもあまり意味はない。
「どうでもいいでしょうが。怪我したら危ないんで預かりますよ」
「怪我なんてしないね! ぽかぽかあったかくてなんだか手放したくなくなっちゃうね!」
ふふ、と可愛らしい笑みを浮かべたおひいさんが角度を変え遊び始めたのにため息をつく。
いきなりこんなの見たら驚きません? 普通。
人から石が出るなんて漫画かよ、みたいな。変な現象だとはこれでも思ってはいるのだ、一応。
オレよりもずっと変わり者のおひいさんはそんな事気にせずぴかぴかとアメジストの瞳を輝かせ、夢中になっている。
「ジュンくんこれ貰っていい?」
「え、欲しいんすか?」
指でころころとハートを転がしながら呟いた言葉に驚いてしまう。こんな得体の知れないもを欲しがるなんて。
「欲しいね。とっても、とーっても欲しいね」
そっと指の腹でつるりとした面を撫で、またころり、ころりと転がすおひいさんに気付けば首が動いていた。
「ふふ。ありがとう」
ほんのりと頬を赤らませたおひいさんが大事そうにきゅっと握った石は、ぱきんと高い音を立てなかった。
相変わらずころころと落ちていく石を砕く事なく一週間が経った。ころりと転がったのを見つかればおひいさんがちょうだい! と手を出すようになったからだ。
オレの気持ちの一部とも知らず、きゅっと嬉しそうに握られるたび、複雑な気持ちになる。
綺麗と喜ばれてもオレには変わらず赤黒い塊でしかない。今は珍しがられていても、いずれ飽きてもう要らないと返されまた砕くと思うと一度やめたせいか前より重く感じる。とはいえ出すのをやめるなんて絶対無理だしなぁ。
うーんと解決策の出ない頭で悩んでみる。かちかちと時計の針とおひいさんが雑誌をめくった音が聞こえてきた。案は出ない。
「ジュンくんジュンくん」
「何すかぁ」
「今日は石ないの?」
ぱらっと次のページをめくったおひいさんはこれいいね、とぽつりと呟く。雑な振りに困惑したオレをちらりと見たおひいさんがパタンと雑誌を閉じてしまった。
いきなりなんだ。出ない方が助かるんですよ正直。新しい缶を増やしたところであまり意味のない事だって分かってるのだ。
「ジュンくん」
「無いっす」
むぅと頬を膨らませたおひいさんがオレの肩に体重をあずける。このまま寝そうなほど伏せられたまつ毛が長くて、前髪を跳ね返しそうだ。
「ぼくはいつ何時だってほしいね」
「似たようなの買いに行きますか? ファンシーショップなら」
「きみのじゃないと意味ないのだけれど。ぼくはきみの手から欲しいの! 一日一個でも本当は足りないね!」
「はぁ?」
一日一個って。普通はゼロって事忘れてないか?
「ぼくの事考えないジュンくんなんて悪い日和」
伏せられたまつ毛がぱちりと開いて、オレの目と合う。
「それくらいこのぼくが求めてあげているんだからね! 堂々とぼくに献上するように!」
にこりと綺麗でぴかぴか輝く笑みを見せたおひいさんが話は終わりだと雑誌に手を伸ばす。
「あははっお顔が真っ赤だね!」
オレを横目にくすくす笑うおひいさんに口を曲げ、視線を逸らす。
顔を見なくてもニヤニヤしているとわかる。オレを揶揄い、無邪気に振り回すのがおひいさんは大好きだ。我儘貴族クソ貴族。言い慣れた罵倒が頭にくるくる回ってる。
「ねぇジュンくん」
「なんすか!!」
楽しげな声に大声を被せる。人の気を知ってこれなんだ。性悪、傲慢、このクソ貴族!
くすくすと心地いいとすら思える聞き慣れた笑い声をきっと睨む。
……と動いた時には遅かった。
「大好きでいてくれなきゃ、ぼくも困るね。ぼくのためにもジュンくんはもっともーっと、素直になってね」
ふわんと花の咲いたような幸せそうな笑みに
ころん。と落ちたのは仕方ないと思う。絶対。