dsn×憂モリ 夢から覚めるように、事は不自然すぎるほどに自然だった。
ぽつねんとして佇んでいるさまは傍からどう見えただろう。けれどそのことに何の違和感も覚えなかった。疑問のひとつすら湧いてこない。ただ、周囲から注目を浴びているのだけが気にかかった。視線の先が月自身だったからだ。時代錯誤気味な青年と同等の視線を浴びる覚えはない。だが瞬時に正気を疑う手錠を思い出した。それこそ職務質問を受けても文句は言えない──と、そこまで考えたところで夜神月は己の記憶の混濁に気づいた。いくら竜崎とはいえ、キラ容疑者と手錠をするだろうか。殺人鬼と四六時中行動を共にするなんて正気の沙汰ではない。そもそも月は軟禁状態にあるし、竜崎もビルから出ることは…いや。いや、違う。膨大な記憶が洪水のように溢れかえるのを拒絶するように頭を振った。
第二のキラ。青山でノート。拗ねた横顔。呆気なく死んだL。回顧ではない、まさに今起こったかの如き生々しさがあった。
退屈な世界。張り合いのない日々。忌々しい後継者。従順で都合のよい駒。変わり果てた妹。正義を理解しないままに生を終えた父。それから、──それから? だんだんと夜神月の輪郭がぼやけていく。今ここにいるのは一体いつの夜神月だろう。
「月くん」
竜崎の声を聞くのも一体何年ぶりか──。
「月くんっ!」
揺さぶられて、月はようやく竜崎に気づいた。記憶の濁流が治まっていく。竜崎の姿にいたのか、と思う傍ら、僕がいるならこいつがいないはずがない、と確信めいたものがあった。おまえでも狼狽えるんだな。いつもの揶揄いは出てこず、代わりにヒュッと喉がひきつった。
「息をしてください、…私の呼吸に合わせて。そう、いい子ですね」
身体を支えられ、誘導されるままに近くのベンチに腰を下ろす。手が震えていた。呼吸困難と痙攣。過換気か。自身の状態を把握できるほどには頭が働いていることに知らず安堵した。さほど重篤ではないのか、思考はぼんやりしているもの冷静だった。
「ねえ、あれってトーケンダンシじゃない?」
「都市伝説だと思ってたわ」
「マジですっごい美形じゃん」
不可解な言葉はすべて端正な顔立ちの青年が一身に引き受けていた。時代錯誤気味、とはいえ身なりは上質なスーツに外套、ステッキとさながら貴族だ。映画か何かの撮影だと思えるほどに異質であるのに不自然さはなかった。月たちに向いていた好奇の目が──彼によって──次第に散り散りとなっていく。油断のならない相手だ。それはまさしく直感だった。
さすがリアム。感心を孕んだ声に意識をやる。声の主は青年の連れだろうもう一人の──形容しがたい奇妙さを感じる──男で、竜崎と竜崎に隠れている月を周囲から遠ざけるようにして立っている。リアムと呼ばれる青年。どこか竜崎をも思わせる男。竜崎同様にクリアに見える彼らなら、あるいは。
「息を吐いてください、もう少し長く。止めて。吸って。吐いて。…吸いすぎていますよ。ゆっくりで大丈夫ですから」
耐え難い気持ちを押し殺すように、努めて息を吐く。だがいうことを聞かない身体は浅く息をするだけだ。今までどうやって呼吸をしていたのか、そんな当たり前のことが月にはすっかり分からなくなっていた。竜崎の声は不思議と耳によく馴染んで、呼吸に合わせながら頭の片隅では映画のフィルムのように断片的なそれを思い返していた。別世界の自分とのリンク。枝分かれの先。いくつかの遠い未来のかけら。すでに実感を失った不鮮明な過去よりも他人のアルバムを眺めている方が気楽だった。