ユール 狭い店内は焼けた肉と脂の香りで満ちている。厨房の火を除けば、灯りは卓に乗せたキャンドルだけだ。ムードを演出する為という。人間の目には暗過ぎるせいか、誰かがどこかに体をぶつける呻きが頻繁に聞こえていたが、お蔭で客の風体が少々奇妙でも分からない。すぐ隣の席に、帽子を目深に被った魔人がいたとしても、上品にナイフとフォークを動かしている。
「魔人ってのは祝い事をやりたがらねぇよな」
ナイフに突き刺した肉を頬張り、ヘリオスは言う。頭に乗せているのは赤い三角帽だ。この店の軒先に飾られていた、大型の人形が被っていたものを引っ手繰ったのだ。何でも今日の祭りの象徴だとかで、給仕もそのまま席に通した。だからこそコサイタスも、帽子を外さずにいられた。
「反攻記念日と、建国記念日と、それくらいだろ? 人間なんてご覧の通り、先史の祭りを後生大事にお祝い中だぜ」
本当はまだ枢軸国入りの記念日だの、法律制定の祝日だのがあるが、コサイタスは肉の咀嚼を優先した。蟲ではなく、今まで食べた事のない鳥の肉だ。香辛料が多用されているという味付けの違いは知らないが、よく噛んでおかなければ胃腸に悪い。コサイタスの無言を同意と取ってか、ヘリオスはワインを飲んで続ける。
「由来だってほとんど忘れかけてるってのに、おめでたい限りだ」
「お前は知っているのか」
少なくとも三百年近く生きているという不死者は、先史の遙か昔の事にも造詣が深い。肉を飲み込み終えたコサイタスの確認に、白い顔がふてぶてしく顎を引く。
「当然だ。宗教行事だよ。自称神の子の降誕とやらを祝うんだ。もっとも本当にこの日に産まれた訳じゃねぇ。ずっと昔からの冬至の祭りと重ねて…」
「冬至?」
「太陽の位置が一年で一番低くなる日さ。つまり、昼間が一番短く…太陽が一番弱く見える日って訳だ」
天体現象という事だろう。ヘリオスの説明を聞いて、改めてコサイタスは首を傾げた。
「何故それを祝うんだ」
「祝い、ってより起源は祈りだな。先史の古代人を考えてみろよ。太陽の動きも計算できねぇ連中なんだぜ」
ヘリオスの手が、卓に置かれたキャンドルの縁をなぞる。高熱になるのでお気を付けて、と給仕に言われていたが、細められた青い目は、熱も痛みも感じていないようだった。事実、感じていないのだろう。
「ヨーロッパの冬はな、こっちよりずっと暗いらしいぜ。無知な古代人が真っ暗で寒い中に暮らしてみろよ。朝になりゃ太陽が昇るって事さえも確信できねぇ。だから神に祈って、祭りで騒いで、太陽がまた昇り続けますようにって願うんだよ」
キャンドルから離れた白い指先にふつりと浮かんだのは、水ぶくれか、再生誘導体か。それがグラスを取り、ワインを傾けるのを眺めながら、コサイタスはヘリオスの言葉を噛み締めた。創造主への祈りを諦め、宗教を軽蔑する魔人に、祈りも願いも無縁なものだ。加えて晴れだろうと雨だろうと、コサイタスにはさして関心がない。長く伸びる冬の夜に不安を覚える感覚は、理解の及ばぬところだった。
「…祈ってどうにか出来るものでもないだろうに」
「だから古代人の発想だっつうの。何の力もねぇ人間が、世界をどうにかしたくて…まあいいや。何時だ、今」
「二十時半だ」
キャンドルのみの暗がりでも、魔人の目なら腕時計の針くらいは読み取れる。コサイタスが答えると、ヘリオスはワインの残りを飲み干して、グラスを卓に置いた。もうグラスばかりではなく彼の皿も、コサイタスの皿も空となっている。
「時間だな。ここの、二階? 三階? 片っ端からぶちのめせば早いか」
時間が掛かって遅くなるのではないかとコサイタスは思った。ただヘリオスは既にワインボトルを手にして立ち上がっている。店の人形の手に持たせてやったバールと合わせれば、彼がやりたいと言っていた二刀流が出来る。夜目にも白い歯をちらりと見せて、ヘリオスは上機嫌のようだった。足をぶつけながら近寄ってきた給仕が、肩に乗せたワインボトルを見て竦む。
「お、お客様? …お持ち帰りでございますか?」
「おうよ、ここの上にいるボスの首をテイクアウトだ」
ひっ、と給仕が短い悲鳴を上げ、厨房の方へと駆け込んでいく。コサイタスも立ち上がった。だがヘリオスは首を横に振った。上階のギャングに報告するならともかく、逃げるならば無視して構わないという事だろう。
ざわめき始めた店内を、大股でヘリオスは歩いていく。時々卓や椅子を蹴飛ばしながら。目指すは三階。この一帯の麻薬売買を取り仕切っているギャングの巣穴。そろそろパーティに参加する為、幹部たちも集まってきている時間帯だった。纏めて潰すには丁度いい。ふたりが階段に向かうと、三階からは案の定、音楽と笑い声が漏れ聞こえていた。
「じゃあ行くぜ、コサイタス。俺が突っ込んだら階段を凍らせて待ってろ」
「分かっている」
「間違っても怪我なんかするんじゃねぇぞ」
「気を付ける」
「よし」
右手にバール、左手にワインボトルを持って、赤い帽子を被ったヘリオスは笑う。太陽が最も力を衰えさせる日とは思えない、いつも通り傲岸で輝かしい笑顔を残して、彼は階段を駆け上がった。
「メリー・クリスマス!」
ドアを蹴破る音と共に、コサイタスには意味の分からない、そんな叫びが聞こえた。