レール 生まれてこの方、いずれお父様のような立派な騎士団長になるのですよ、と。そう刷り込まれて生きてきた。
別段、そのことに不満があったわけではない。
自分自身。そうあることが正しく。そうあるべきものだと理解していた。
母の語る言葉は、いつだっておおむね正当だ。
ただ、決められたレールの上に在るしかない自分については、多少なりとも辟易することがなかったわけではないけれど。
そんなものは多分、小さな子供が持てるなけなしの反抗心に違いない。
どうして、自分は道が決められているのか。
思い描いた夢を、叶えることは許されないのか。
幼い自分は、結局『なに』にもなれやしないのか。
子供ながら抱いた不満は、きっと大人ぶった証だ。
少しばかり成長した今ならわかる。
そうして訳知り顔で語ることで、親の威を借る子供たちとは異なる存在なのだと。そう、示したかった。
とんだ笑い話だ。
母が語るように父の背を追いかけ、研鑽を重ねる日々を送りながら、何を馬鹿なことを宣うのかと少しばかり大人になった自分が過去を嘲る。
でも、きっと自分は思いたかっただけなのだ。
勉学も。武道も。励んだすべては己が望み、成し得たものであるのだと。他でもない。自分自身が疑わずにいたかった。ただ、それだけ。
だから、なのだろう。
騎士団長になれなかった。
父の跡を継ぐことが叶わなかった。
母の望みに応えられなかった。
敷かれたはずのレールの行く先を見失った。
そんな『現実』を突き付けられても、立ち尽くすことがなかったのは。
当然の結果だと、思った。
事実、彼は自分よりも優れていたし、騎士学校の試験結果がいつもそれを示していた。
騎士団長のお気に入りだから、なんて。妬む同僚の声すら馬鹿馬鹿しくてたまらない。
彼のことを、父が気に入っていたのは事実だ。
そうして彼も、実の父より父さんらしいと気恥ずかしそうに呟いていたのを知っている。
悪い気はしなかった。兄弟であればよかったな、なんて。言ってしまえばきっと母には叱られてしまっただろうけれど。でも、本心からそう思っていた。
父だって、そうだったのだと思う。息子のように、彼を扱っていた。面倒を、見ていた。
そこに実父から見放された子という哀れみが含まれていたのかまではわからないけれど。
だども、父は気に入りだから、と。可哀そうな子供だから、と。傍に置くものを選ぶひとではない。
もしそんな男であったのならば、父があの地位に居て数多のものに愛されることなどなかったし、母の頭痛の種にもならなかったはずだ。
厳格でありながら柔和で。真面目なようでいて、ふざけたところがある。
それでも、父が『私』と『公』を混同させたことなどただの一度もなかった。
肩を並べたふたりを一歩ひいたところで見つめて初めて、父と彼がひどく似ていることに気づく。まるで、目からうろこが落ちるような気分だ。多分、胸に残った微かな矜持の形をしたしこりすら、その瞬間にほろりと体外に転げ出た。
そうして、思い出す。
あなたは父の跡を継ぐのですよ、と語っていたのは母ばかりで。彼自身は一度としてなかったのだと。
別に、期待されていなかったわけじゃなかっただろう。
いつだって、後を追う自分の姿を、父はどことなく嬉しそうに振り返っていた。
そのことを自分はちゃんと覚えている。
だからここに居る。ここまで来た。
それが正しい道とわかって、きっとそうなることなどできないのだ、と。頑是ない心で理解しながら。
大人に敷かれたレールを進むことを辞めはしなかった。
『あの子に、この場所は息苦しいだろうな』
そう語る父の言葉の真意もわからないまま頷いた。
その時にはもう、父が跡を託すのは自分ではないのだと、気づいていた。
『それでも、ここに居てほしいというのは単なる私のエゴだろう』
父は、そう理解しつつも彼のレールを敷くことを止めない。卑怯な大人だった。
悔しさがなかったといえば、嘘になる。
けれど、そうなることが当然だと納得している自分の方がきっと強かった。
天性の才だと考えたことはない。超えられない壁がそこにあるとも、思わない。
だけど、出逢ってからいつだって。彼には到底敵わないと思った。
研鑽を怠るつもりはない。努力を辞めるつもりもない。
それでも、どうしたって追いつけやしない背があった。
そうだとわかっていて、肩を並べたいと強く思った背中があった。
「……」
閉じた目を開く。窓から差し込む光にほんの少し眉を顰めた。肩に手を置き、深く深く息を解く。
そうして呼気の尾を払うように身を翻せば、ほのかに温まった空気を身に纏った外套が割いた。カツンと響かせた足音に応じて、ゆっくりと扉が開かれる。
細い道筋が、やがて赤い絨毯を広げて。その先に居る父まで細く長い影を伸ばした。
ようやっと、在るべき者が持つべき権利を持った、と。誰かが囁く声がする。
静まり返った世界に、その音は確かに響いたはずなのに、咎める者はどこにもいなかった。
本来咎めるべき場にいる父はおろか、その傍らに佇む彼女の口からも、それはでてきやしない。
わずかな苛立ちが胸を騒がせる。いますぐにでも、撤回しろとその場で叫んでしまいたかった。
――できもしないのに。
代わりに、踏み入れる一歩が奏でる音を強くする。
一歩。一歩。前へ進みゆけば、やがて囁く声は消え果て、眼前に立つ父がそれでいいのだとでも言うように口端をわずかばかり持ち上げた。
膝をつき、恭しく下げた頭に華奢な彼女の手が触れる。
二言、三言。決められた台詞を並べる言の葉に、抑揚はない。きっと、その眼差しにも。
わかっているから、ただ静かに肩に触れた切っ先の冷たさと重さを受け入れた。
「わが身は、貴女様を守る剣となることをここに誓います」
死せる、その瞬間まで。
あの日、そう誓ったのなら、きっと彼女の剣はまだ彼のままだというのに。
そんな彼を押しのけて――残して。かつて、友が受けた儀式をその身に刻む。
ここはもう、自分の居場所で、お前の居場所ではないのだ、と。一番いってやりたい男には、ついぞ届くことはないだろう。
それでよかった。そうあってほしかった。
――いつの日か、彼が戻る場所であり続けられるのなら。
立ち上がり、父から差し出された鞘に、彼女から渡された剣を収める。そうしてこちらも決められた台詞を、あの日の彼をなぞるように言ってしまえば、ようやっと交わった彼女の眼差しは、やっぱりひどく泣きそうな目をしていた。