Sound その日、はじめて自分の世界に一筋の、光が射した。
一音の澄んだ声が、不良品の耳に、確かに響いた。
なんで、自分が。
どうして、こんなことに。
とは、残念ながら思わなかった。
随分と昔に、問答しつくしたセリフだったからだ。
いまさら、悲劇の主人公のように嘆いたところで、世界はなにひとつ変わらないのだと。十数年生きてきたこの身体は、そんな現実を身に沁みるほど知っていた。
「――っ、!」
怒鳴り声に次いで、強い衝撃が、身体を襲う。
息が苦しい。心臓が痛い。骨が軋む。
ヒーローでもなんでもない。ただの一般人だ。
当然、身体は重い一撃に耐えられるはずもない。
踏ん張ったはずの足は虚しく、振り払った腕の勢いに負けて容易く宙を舞う。
あとは、地面に遠慮なく叩きつけられて、くだらないこの人生は、きっと終わり。
思えば生まれた時から運に見放されていた。
親からの遺伝ではなく得た個性と呼ばれる力は、決して人を幸せにすることもなく。かといって、いらぬからと使わない選択も許されなかった。
はじめて、ソレを口にしたとき。
冷え冷えとした、母の目を覚えている。
はじめて、それに眉をしかめたとき。
異物を蔑むような父の視線を覚えている。
これが、巷に聞く走馬灯というやつなんだろう。
たいして思い出したくもない記憶たちが、渦となって頭を駆ける。
なんとまぁ、くだらない、人生だ。
思い返したところで、楽しかったことなどただの一度もない。
親に引かれた一線を、厭いながら当然だと頷いた。
しかたがない。自分だって、同じ立場ならそうしたはずだ。
誰も、悪くない。両親はどうしよもなかった。それだけ。全部、全部。しかたのないことなのだ、と。そうして次は自ら引いた線の中。ひっそりと息を殺して意味もなく灰色に染まった世界を生きる。
死ぬ理由がないから。
自ら命を手放す勇気を持ち得なかったから。
並びたてた言い分は、決して特異なものでもなかっただろう。
ヴィランになるつもりはなかった。
それほど、世界を恨んでもいなかった――否、関心がなかった。持ちたくなかった。
引いた線の内側で、ただただ耳を塞いで今日を生きる。無味乾燥な日常を、無意味に消耗して。そうして、きっといつの日にか。自然の摂理に任せて命が朽ち果てる、その日まで。なんの色味のないこの世界は、続いていくのだろうと、そう疑いもなく信じていた。
バカな話だ。
ヒーローが光を浴びる世の中。
光が強まれば当然、影が濃くなるようにヴィランの動きも活性化する。
悲しきかな。平和の象徴は、文字通り形だけ。平和な日常であればあるほど、その存在が持つ意味は皆無に等しい。敵がいなければそもそも、英雄なんてもの、存在しないのだ。
つまるところ、ヒーローが輝くこの時代は、ちっとも平和なんてもんじゃない。
だって、そうだろう。
本当に平和なら、なんのとりえもない。ただ、妙な個性を持ってしまっただけの学生が――こうして、運悪くヴィランに遭遇し。その悪行の餌食になることなんて、あり得なかったのだから。
天に、唾を吐く。
見上げた空は、憎らしいほど青くて。宙を舞うほんの一瞬が、まるで悠久の時を彷徨っているようだ。
それでも、終わりは確かに近づいている。
きゅっと目蓋を閉ざせば、太陽の光が目蓋に透けて、赤い血潮が流れるのを見た。
きっと、そう時間も経たぬうちに、いまは健全に流れるその血を、アスファルトに広げることになる。
つまらない男の一生は、そうして誰に看取られることなく終焉を迎える――
――はず、だった。
先に投げ出されたヘッドフォンが、アスファルトに叩きつけられ、壊れる音がする。
次は、自分の番だとすっかり肺からいなくなった息をつめ、無意識に身を固くしたところで、どれだけ待っても骨を砕く衝撃は訪れやしなかった。
代わりに、なにか柔らかいものに受け止められる感触が肩や背を包んで。がなりたてる男の声が、しきりに耳朶を叩く。
怒鳴り声はひどくひび割れて、聞き取りづらい。
止めた息を細く吐く。恐る恐る目を開けば、ビルの狭間から射し込んだ太陽の光が、光彩を焼いた。
瞬きを二度。強張っていた肩から力を解きながら繰り返す。
見上げた空は、相変わらず憎らしいほど青々としているけれど。その中にひとつ。さっきは見えなかった影が射していた。
「だいじょうぶ?」
「ぁ、――っ」
応えようとして、口を開いた拍子に痛みが走る。
どうやら、殴られた衝撃で肋骨がぽっきりとイかれてしまったらしい。
呻き声と共に眉を顰めれば、それを返事と問った影の主は、遅くなってごめんねと謝りながら地を蹴った。
ふわり。さっきとはまた違った浮遊感が身体を包む。
無意識に身体を強張らせれば、柔らかな笑い声と共に宙へ浮いていた腕を取られて、その肩に抱き着くよう導かれた。
「すぐに終わらせるから」
優しげな声が耳に触れる。
すっと染み渡るよう響く声音は、いつも懇切丁寧に連れ帰ってくる不快感とはほど遠く。いつまでも聴いていたいとすら思えた。
浮かび上がった拍子にまた閉じてしまっていた目を、そろりと開く。
光の中。飛び出したその姿は、空を写したように蒼く。透き通る髪が、まるで天使の羽のように重力に逆らってふわりと広がっていた。
――こんなヤツ、いるんだ。
ぽつねんと心の内に零す。
こんなに、澄んだ声を響かせる人間が。こんな風に、まっすぐ曇りのない旋律を震わせる人が。ヒーローが、いるだなんて。
感嘆を飲み込み、肩に手を掛けた距離で、自分を抱きかかえるその人の姿を仰ぐ。
らんらんときらめいた双眸には、曇りなんて微塵もない。まっすぐ眼下を見下ろした眼は、光が射さずとも希望に満ちていて。場違いのようなヴィランの存在が、中央に据えられていた。
息を吸う彼女につられ、肺を膨らませる。
また鋭い痛みが体中を駆け抜けたけれど、不思議と絶望感はさほどなかった。
どうやら、くだらない人生はまだまだ道をまっすぐ伸ばしていきそうだ。
でも、どうしてだろう。
死ぬ理由が――勇気がないだけで、生きながらえていただけのこの命が、続く道の先にほんのすこし、喜びを覚えているような気がした。
変な話だ。
とりとめもなく思考を巡らせる。
けれど、答えに行きつくよりも先に、汚い雑音が耳を撫でたかと思うと、トンっと自分を抱きかかえたその人が、地に足をつける感覚があった。
「このまま、病院につれてくね」
頷いて応えるより早く、彼女がまた地を蹴る。
三度目の浮遊感は、もう慣れ切って。反射的に目を瞑ることもなかった。
なにを、しているんだろう。
死ぬところだったのを、助けられて。ヒーローとはいえ、自分とそう年も変わらないだろう女の子に、抱きかかえられながら空を飛ぶ。
もし自分に友達がいたら。なんて、久しぶりによぎったたられば話に肩を竦めれば、小さく瞬いた双眸がこちらを見つめて首を傾げた。