平凡な日常のようで
鍋島啓護の自宅マンションには、テーブルの上に時々花が飾られている。
「今日の花も、季節の花か何かなのだろうか」
花や花瓶を準備してわざわざ生ける啓護ではない。つまり、これらを行なっているのは先輩である平尾である。
今日は平尾が自宅に来る日だ。
実のところ啓護の密かな楽しみのひとつなのだが、それを口に出してしまおうものなら、平尾から揶揄われてしまうのは目に見えているため、本人の前では口にはしない。
「絶対揶揄われて遊ばれるからな」
普段から主導権を取られがちな啓護はこちらが平尾より惚れていると知られでもしたら、なんとなく負けたような悔しい気分になるので、意地でも話すことはないだろう。
ただでさえ年上で、先輩で、勝ちたくでも勝てない相手なのだ。このマンションは自分の砦でありテリトリーである。そんな場所で先輩の有利になるなんて、屈辱で夜も眠れなくなるだろう。
そんなことを考えていたら、インターホンの音が鳴った。
急いで音の鳴る場所に駆けつけ確認する。モニターに写る人物が平尾であるとわかると、エントランスのオートロックを解除して平尾が部屋の前に来るのを待つ。
「……なんだか、先輩の今日の格好は可愛かったような」
頭の中で考えるだけのつもりが口に出てしまい、啓護は慌てて口を押さえた。もちろん、まだこの部屋に平尾はいないのだが、性別がわからないので可愛いと言っていいものか悩ましいところなのだ。
今日の格好はいつものようなモノトーンで統一された格好ではなく、淡い色合いのシャツに白いスラックスであった。
本人の前では口にしないようにしているが、容姿も誰もが目を引く美貌の持ち主で、歩けばすぐ他人から注目されて視線を集めるほどである。本人は全く気にしていないようだが。
「啓護くん。来ましたよ」
二度目のインターホンが鳴り、再度モニターを確認すると平尾が玄関に立っていたので、「今開けます」と返事をした後、ロックを解除する。電子音が鳴ると同時に、啓護は扉を開けて平尾を迎え入れた。
「外、暑かったでしょう。早く中に入ってください」
「おやおや、今日はすんなり上がらせてもらえるんですね」
「玄関先で熱中症になんてなられでもしたら俺が面倒なので。だから、さっさと中に入ってくださいよ」
本当は面倒なんて思っていないが、熱中症になって大変なのは平尾の方なので、心配だった。
だが、いつのも嫌味ったらしい言葉がつい出てきてしまい、啓護は小さく舌打ちをする。
「では遠慮なく。お邪魔します」
自分の悪態に嫌気がさしたわけではないようで、いつものように中に上がる平尾を見て啓護は安堵した。
平尾を中に入るよう促したあと玄関のロックをかけると、当たり前のように平尾の定位置に腰を下ろしている。ソファの右側が平尾のお気に入りのようだ。
そんな平尾を眺めていたら、平尾が「何か?」と訊ねてきたので、好奇心でつい口にしてしまった。
「あんた、いつもうちに来るときは決まってその場所に座りますよね」
「ああ、確かに。ここに座ってしまいますね」
当たり障りのない、いつもの心地よい会話が続き、啓護はまあ特に何も考えていないのだろうとそのまま受け流そうとした時だった。
「ここに座ったら、啓護くんと隣で食事が取れますからね」
「は?」
「啓護くん、左利きでしょう? 私が左側に座ったら啓護くんと食事をする時、手があたるかもしれないじゃないですか。でも、ここに座ればキミの左手には当たらないで済むので、キミを煩わせることもないかなと思いまして」
こんな答えは予想していなかった。
言い方は悪いが、目の前にいる異貌の持ち主は結構傍若無人なところがある。
だからこそ、いつも振り回されっぱなしで売り言葉に買い言葉な状態に度々なってしまい、少し、否、大いに揉めたりすることもあるのだ。
もちろん、相手は余裕綽々で悔しい思いもしている。そんな平尾が、なんだか可愛い格好をしている上に、思いがけない言葉を口にして、啓護は少しだけ耳が熱くなった。
「しょ、食事は約束通り俺が準備しておいたので、まずは食事にしましょう、先輩」
平尾の本音が垣間見えて動揺した啓護は、いつもよりも早い時間の昼食を提案して誤魔化したのだが、平尾にはお見通しであったようで、そのまま手を引かれ「嬉しいなら嬉しいと言えば良いのに。相変わらずですねえ、啓護くんは」と目を弧にして喜ばれ、釣られて啓護も広角を上げて微笑むのであった。
日々慌ただしい生活の中で、平尾といる時間だけが平凡な日常のようで、啓護は束の間の時間を噛み締めるのであった。