【完】10. 僕が知っていればそれでいい10. 僕が知っていればそれでいい
最近の私は逃げてばかりのような気がする。
気持ちも、行動も。
でも、今回ばかりは逃げ出したくなっても許されるんじゃないだろうか。
「だ、だから、私はもう少し橙くんのことを知りたいと・・・」
「知るためには付き合ってみないと分からないことがあるんじゃないかなぁ」
「えええ・・・付き合わなくてもお友達だって相手のことを知ることはできると思うんだけど」
「そこに本質は含まれていないかもしれない!」
芝居がかった橙くんの口調に、思わず半目になってしまう。
彼氏彼女になりたいなんて、やっぱり冗談なのではないだろうか。
どこまでが本気なのか判別が難しい人だとは思うが、こう、なんとも軽い乗りでぽんぽんと言葉を重ねられると胡散臭く感じてしまう。
そういうやり取りが好きな子もいるかもしれないけれど・・・。
(って、別に存在するか分からない人のことを想定する必要もないんだけど!)
付き合いませんかと問われて即座に受けられるような要領は持ち合わせていないし、付き合うなら好きな人と付き合いたいと思う。
(橙くんのことを好きか嫌いかと聞かれたら・・・嫌いではないけれど)
なんというか、自分が思い描いていたお付き合いとは何か違う気がする。
(お互いに愛を育んで、気持ちが通じ合った段階でどちらかからそれとなく切り出して、お付き合いが始まって・・・)
少なくとも、今の状況のように逃げ場がない状態で選択を迫られるようなものではないはずだ。
だが。
(逃げられない気がする・・・)
短い期間ではあるが、立花橙という人について若干は理解できたことがある。
(ふわりとした笑顔の裏でちょっといじわるな顔が覗いていたり)
今も、一見爽やかな微笑みの裏に、からかいを含んだ表情が見て取れる。
(本当はすごく空気が読める人なのに、読めない振りをしたり)
読めるからこそ、あえて読まないのかもしれないが。
(冗談やからかいの奥に本当の気持ちを隠していたり)
これが一番厄介だ。
すべて冗談で済ませられれば、こちらもそれ相応に避けたり遠慮したりできるのに、最後の最後でこちらが足を止めてしまうような表情を見せるのだ。
(ずるい人)
分かってやっていたとしたら相当タチが悪い。
けれど、そこについては本人も無自覚であるような気がした。
むしろ、知られたくない部分、なのかもしれない。
(そういう、普段見せようとしない部分を知りたいと思う自分がいて・・・困る)
「・・・大体、立花さんを置いておいて橙くんにする、とかおかしいと思う。そもそも立花さんへの好意は憧れだし、お付き合いしているわけでもないし」
「じゃあ、兄さんが告白して付き合ってくださいって言ってきたらどうするの」
「それは・・・」
考えたことがなかったが、確実に嬉しいとは思う。
憧れている人から好意を向けられて嬉しくないはずがない。
告白を受け入れるかどうかは正直分からないというのが本音ではあるが。
「・・・仮定の話だとしても、朔良さんがそんな嬉しそうな顔をするのは嫌だな」
自分から話をしてきたくせに、と文句の一つでも言おうと顔を向けると、そこにはぶすっとむくれる橙くんの表情があった。
「ふふっ」
なんだかそれを可愛いと感じてしまい、思わず笑ってしまう。
「なんで笑うの」
「ご、ごめん。むくれている橙くんが可愛くて」
「可愛いとか男に言うものじゃないと思うけど」
「ご、ごめんなさい」
慌てて頭を下げると、むくれ顔が笑顔に変わった。
「でも可愛いでもなんでも俺のことで朔良さんが心を動かしてくれたのは嬉しい」
「え」
「好きな人に関心を向けられたら嬉しいでしょ」
「そ、そう、かな」
「そうだよ」
そうやって無邪気な笑顔を向けられると、心がざわつく。
さらっと『好きな人』とか言えるあたりがどうにも本気なのか分かりづらいのだけど・・・。
本当に。
この人は、私という人間を好いてくれているのだろうか。
人づきあいが苦手で、逃げたり避けたり、そして当人のお兄さんに憧れを抱いたりするようなわたしと。
付き合いたいと、恋人になりたいと言ってくれるのだろうか。
(でも念押しで聞いたとしてもきっと私の心は納得しない)
私自身がそれを納得できない。
客観的に見なくても、橙くんは私と違って身にまとう輝きが違う。
知らず人を引き寄せる魅力がある。
そんな人と、まともに人と接することができない私が付き合うなんて。
(釣り合わない)
橙くんに向けていた視線がどんどん下がり、目の前のカップに注がれる。
(やっぱりお断りしよう)
分不相応な振る舞いは、自分自身を苦しめるだけだ。
意を決し、再び顔を上げる。
「・・・さっきの話はお断り―」
します、と紡ぐはずの口は、橙くんの手によって遮断される。
「!?」
「だーかーら。離さないって言ったでしょ?」
和やかだった橙くんの瞳がすっと細められる。
「朔良さんは顔に出やすいから、どんな葛藤をしたのか大体予想できるけど、何もする前からやめちゃうなんてもったいないよ」
優しい口調の割に、取り巻く空気が剣呑なのは気のせいだろうか。
「もうね、朔良さんに任せると全部ゲームオーバーにされちゃうから、朔良さんの意見は却下します」
「ええっ」
とんでもない横暴発言だ。
「よって、俺と朔良さんはめでたくカップル成立と相成りました~」
「えええっ」
「大丈夫。朔良さんは絶対俺のこと好きだから」
開いた口が塞がらない。
自分自身でも認識できていない感情をどうして他人の橙くんが分かるのか。
「だ、だから、私と橙くんじゃ・・・」
「あー、釣り合わないとか不相応とかそういうのいらないから。そもそも、それをいったら釣り合わないの俺だと思うし」
横暴発言をしたと思えば、今度は爆弾発言だ。
「どうして・・・」
「んー?それは、朔良さんがとても魅力的だからなんだけど・・・それ以上は教えてあげない」
「し、知りたいのに」
自分のどこに魅力があるのか、是非教えてもらいたい。
そうしたら、少しは自分に自信が持てるかもしれないのに・・・。
「だーめ。朔良さんの素敵なところは俺だけが知っていればいいの」
「・・・意地悪」
「あ、そういう表情も魅力の一つだねー。可愛い」
「かっ、可愛いとか」
「うん、そうやってすぐ顔を赤くしちゃうところもすごく可愛い」
なんとか切り返したいが、うまく言葉にならないし、何を言っても自分が恥ずかしい思いをするだけのような気がして、私は熱くなった顔を少しでも早く落ち着かせようとひたすら扇いだ。
「何をやっても可愛いとか、朔良さんは俺をどれだけ困らせたいの」
「困っているのは私の方です!」
おかしい。
絶対におかしい。
どこから道が変わってしまったのだろう。
私の人生に、こんな形で誰かとお付き合いするという選択肢はなかったはず、なのに。
「これからよろしくね、俺の可愛い恋人さん」
幸せそうに笑う橙くんを見て、そんな人生もあるかもしれないと思い始める自分がいた――。
完