アラガイ・ビー・ザ・デスハンター 第三話「いらっしゃいませー。ご注文をどうぞっ」
「肉うどん並一つで」
「では……釡玉うどんの大を一つ、それから――」
あれから数分。
スーツの女から食事に誘われた氏仁は、街中にあるセルフサービスのうどん屋に来ていた。
(初対面の女、それもなんか微妙に怪しげなヤツに誘われるまま飯、か……我乍ら全く正気じゃねえな)
注文の品を受け取り、追加の天ぷらを選びつつ、氏仁は自嘲気味に独白する。
(……ほんと頭おかしいだろ、なんで誘いに乗っちまうかなぁ。
そら店はこっちで決めてよくて? 向こうのオゴリだっつーし? オマケに相手はてめー好みの別嬪だっつんだから、まあ悪い話じゃねぇけどさ……ただこういうのって十中八九なんかウラとかあるからなあ……)
思い悩みつつ、氏仁はイカ天を齧る。イカに限らず、魚介全般は彼にとって数多い好物の一つだ。
「美ン味あ……」
咀嚼から嚥下の後、思わず声が漏れる。当たり前の感想だが、口にせずにはいられないほどの絶品なので仕方ない。
(そういや暫くここ来てなかったからなー……いつの間にかキス天とレンコン天が無くなってんのは残念通り越して立腹もんだがよ。
いや言うて、別にキス天レンコン天がねぇこと自体に腹立ててるわけじゃねーけどさ。
そら流通の関係とかあるだろうし、何より代理で入って来た新メニューのチーズちくわ磯部天滅茶苦茶うめぇし。
ただこのカニカマ天ってのがなんか微妙なんだよなぁ。チーズちくわ磯部天はともかくとして、このカニカマにキス天やレンコン天の代理は務まんねーだろ。
――とまあ、そんなことは置いといて……だ)
内心"微妙"と評しつつも『だからと言って残すわけにもいかない』とカニカマ天を平らげた氏仁は、向かいの席に目をやる。
(どんだけ食うんだよ……)
視線の先には、心底幸福そうな表情で大盛りの牛丼をかき込む一人の女。服装は黒スーツで、髪は長く明るい青色……即ち彼女こそは、先程まで雨の中傘もささず立っていた人物に他ならず。
テーブルの上には、所狭しと並ぶ数点の料理――うどん二点、丼三点、山盛りの天ぷら一皿――と、重ねられた幾つもの器。それらは全て彼女が注文・完食したものであり、外見に反した異常なまでの食欲をありありと物語る。
(よく入るな……)
風貌や雰囲気からは到底想像もつかない女の"痩せの大食い"ぶりに若干驚かされつつも、氏仁は冷静さを保ち続ける。
素性が分からない以上、隙を見せれば何をされるかわかったものではないからだ。
(こういう大食い美人が間抜けなお人よしってのは大体創作物ん中だけの話……所詮都合よく設計された幻想に過ぎねえ。どころか、現実的に考えりゃ真逆だってあり得る話だ)
脳裏を過るのは、嘗て買い集めた漫画の一場面。早食いの得意な男が実はスラム育ちの孤児だった、というくだり。
(一分一秒争う世界で生きてたから早く多く食う必要があった、だったか……この女もそういう世界で生きてきたのかもしれねーしな)
他人とは思いのほか信用し難いもの。常日頃からそう考える氏仁は、女を下手に刺激しないよう注意を払いつつ話を切り出す。
「……志貴野(しきの)さん、少しいいかね?」
「っっ!? む、んんんぅっ!」
食べている最中に話しかけられた女――道中で聴いたが、志貴野ランセなる名前らしい――は、氏仁に返答しようと慌てた様子で食事を中断しにかかる。
見かねて『食べながら聞いてくれればいい』と制止する氏仁だったが、対するランセは如何なる理由かそれを良しとせず、あくまで口の内容物を嚥下することに固執する……のだが……
「ん、んんぐ……んぐーっ!?」
「ああもう、言わんこっちゃねえ……」
慌てて飲み込もうとした為、必然的に喉へ詰まらせてしまう。苦しむランセは苦肉の策とばかりに拳で胸元を叩き始める。叩かれる度小刻みに揺れる彼女の胸――推定Eカップ以上――に目を奪われかけた氏仁だったが、然りとて彼は苦しむ同行者を前に『このまま眺めているのもいいか』なんて考えるような外道でもなかった。
「ほれ、水っ。そんな叩いても抜けねーって」
「~~~っっ、んぐっ! ……っふへぁ~。
た、助かりました……ありがとうございますぅ」
「食いながらでいいつったじゃねぇのよ。なんで無理して飲み込もうとすっかな……」
「すみません、やっぱり他人の話を聞く時はいつでも返答できる状態でいるのが礼儀と言いますか」
「ド生真面目かよ……」
「あと、食べるのに集中してると意識が消化器系の方に行く関係で視聴覚鈍っちゃいまして……」
「ムショ暮らしのギャングじゃねぇんだからさ……」
「個人的には四部が好きです」
「俺は七か三、あと二とか――の件はまた別の機会に話すとして、だ。
単刀直入に聞くがよ……志貴野さん、あんたの狙いはなんだ?」
「と言うと?」
「なんで出会ったばかりの俺に飯を奢る? 普通在り得ねえと思うが」
「傘と紅茶のお礼です、という説明では」
「納得できねぇな。税込500円しねぇ傘と紅茶の礼が9000円越えの飯だぞ、割に合ってねぇよ」
「その内8000円くらいは自分用ですから実質奢りは1000円前後では?」
「だとしても割に合わねーよ。恩返しにしても不自然だぜ。
助けた鶴が美人に化けて何でもしてくれるって話のがまだ納得できら、本家あんま知らねーけど」
「和風メイドの彼女ですか。私も本家は知りませんが、確かに昔から凄く人気ですよね。
なるほど……荒貝さん的にはそういうのがお望み、と?」
「別に望んではねぇよ……そら雄なりに最低限気になりもすっけど」
「気になりはするんですね? わかりました」
「……何が? つか何を? 何をわかったわけ? え、待って、なんか怖っ……」
「大丈夫です、怯えないで。当方はあなたに危害を加えるつもりはありません」
「それ何かしらアレな事情のあるヤツの常套句じゃん……つか"当方"って、やっぱあんたどっかの組織の……」
「はい、仰る通りです。実を言うと今回貴方をこうしてお食事に誘わせて頂いたのも……」
「あんたら"組織"に関する何かしらの事情、ってか」
「EXACTLY(そのとおりでございます)」
「……OK、本音としちゃ今すぐ逃げてぇ所だが……逃げた所でめんどくさそうだしな。一先ず話を聞かせてくれ」
「わかりました。と言って、背景事情が中々複雑なもので……どこから説明したものやら……」
(そんなにややこしいってことは、やっぱ警察(サツ)とか反社(ヤクザ)絡みか……ああは言ったものの、やっぱ隙見てどっかで逃げる準備……いやもう、自業自得だしいっそ腹括るか?)
「……百聞は一見に如かず。一先ずこちらをご覧下さい」
思案の末、ランセが取り出したのは箱に入った小さな紙切れ。
長方形のそれは恐らく彼女の名刺と思われた、のだが……
(……なんだこりゃ?)
差し出された名刺を見た氏仁は思わず顔を顰める。然しそれも無理からぬことであった。
何せそこに書かれていたのは、凡そこの世のものとは思い難い――仮名とも漢字ともハングルともつかない形をした――謎の文字列だったからである。
「……なんだよ、これ?
この名刺、なんかわけわかんねーことばっか書いてあんぞ……
なあ志貴野さん、あんた一体……! 」
「どうか落ち着いて下さい、荒貝さん。
まずは、改めて自己紹介を。
私、東亜霊界輪廻機構極東部門 生命霊魂課所属 四等死神の志貴野ランセと申します。
以後お見知りおきを」
ランセの会釈と同時に名刺の文字が蠢き、瞬く間に日本語の文章へ姿を変える。
その様子を見せつけられた氏仁は、彼女の言葉が単なる妄言や虚言でないことを、本能的に理解せざるを得なかった。
(……勘弁してくれよ)