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    春に誘惑、桜に恋を 風が吹く。まだ少し温度の低い空気が頬を撫で、陽だまり色の毛先が楽しげに揺れていた。
     ふと立ち止まり、微かに響く葉擦れの音へ誘われるまま空を仰ぐ。そうすれば、とたんに薄紅が瞳へ咲いた。
    「わ」
     思わず、感嘆を洩らす。
     視線は一心に、ひと気の少ない公園の中へ。その中央に聳え立つ大木は、相応の樹齢を誇っているだろうに。小手毬のような花たちは、まるで無邪気な子供が笑い声を漏らすみたいに、随分と楽しげに青空の中を弾んでいた。
    「すごい」
     宿した薄紅から目を逸らさぬまま、吐息を零す。ほころんだ頬もそのままに呟けば、少し前を行く影が立ち止まり、こちらを向いた。
    「ほんとだ」
     まだ咲いてたんだと零れ落ちる言葉に、しきりに頷く。
     もう、四月も終盤。ほとんどの桜花は風に散り、雨に打たれ。もう足早に過ぎ行く人たちに踏まれて、茶色く擦り切れた花弁がアスファルトに張り付いている光景のほうが、日常に馴染んで久しい。
     あれだけみんな目を輝かせて見上げていたくせに、なんて薄情なんだろう。とは、自分にも刺さる言葉だから、口にできやしないけども。
     それにしたって、なんだか胸があたたかくなる光景だ。
     さすがに散りはじめているとは言え、薄紅の花弁は健在。抜けるような青空のもと見上げる景色は、ただ美しいと言うだけでは釣り合わないような気がした。
     一歩、足を踏み出し身を翻す。
     ふわり。 やわらかな春の日差しを受け取った制服のスカートが、空気を含んだ。白い足が、太陽の下にわずかばかり顔を覗かせたけれど。見ているのはふたりだけだから、問題ない。
    「役得っていうのかなぁ、コレ」
     それとも、買い出しに行ったご褒美か。神様からの、なんて。自然と、声音が弾む。
     ここに足を運んだのは、単なる偶然だった。
     神様のお導きと言えば、運命的に思えるけれど。なんてことのない。用件は、ただの買い出しだ。
     二年生になったんだから、ヒーロー科で親睦会でもしよう。親睦会。誰が言いはじめたことだったか。クラスの中心で高らかに上がった提案に、意気揚々と頷いた面々は、例にももれず、みながみなお祭り好き。もとより、三年間、ひとは減ることはあれど、変わることのないクラスだ。いまさら親睦会なんて――と口を尖らせるものも居ないまま、とんとん拍子に話は隣のクラスまで駆け抜けて。せっかくだから、食堂で頼む料理以外にジャンクなお菓子も食べたいとあがった声をきっかけに、買い出しの人間を選出するためのじゃんけん大会が催された。
     二人一組。最初はグーからはじまって。連戦、連敗。
     ヒーロー科2年の両クラスの頂に立ったのが私と――環くんだったのは、不幸中の幸いか。はたまた、これこそ神様の思し召しか。
     思わずガッツポーズしたところを、環くんの最後の対戦相手であったねじれちゃんに見られた挙句、ウインクをもらった時には、さすがに恥ずかしすぎて穴を掘って埋まってしまいたかったけれど。

    ――ほんと、負けてよかった。

     とは、甚だ妙な気持ち。
     なにせ、もともとの立地がアレだ。
     遠いし。注文数は多いし。街中で個性を使うのは禁じられてるし。ハズレくじを引いたなぁなんて、と、肩を落としていたけれど。声を大にして言いたい。
     何がハズレだ。アタリもアタリ。大アタリじゃないか。こんなの。
     振り向いた先に居る環くんの姿を瞳に宿す。
     名を呼べば、ほんの少し困ったように眉を下げて。それでもこちらを見て細められた双眸に胸が高鳴った。
    「――っ、!」
     頬に昇る熱を感じて、慌てて踵を返す。
     ああ、もう。ダメだ。ダメ。
     こんなんじゃ、いつ気づかれてもおかしくない。
     いや、気づいてくれるならそれはソレで嬉しいけど。でも、フラれてしまう可能性を考えたら、今の距離感が、きっとちょうどいい。
     友達で、十分だ。それだけで、満足しなきゃいけないとわかりつつ、日に日に募る想いが制御できなくなりそうで、少し怖い。
     熱を散らすよう、首を振る。
     大きく深呼吸してしまえば、肺を満たす空気はやっぱりどこか甘酸っぱい。
     ひとつ、ふたつ。深呼吸を施して、再び、相対した大木を仰ぎ見る。
     やっぱり、立派な大木だ。
     きっと、私たちが想像もできないくらい昔から、この地を見守っていたに違いない。それこそ、雄英ができる、ずっとずっと前から――だのに。
    「誰にも、見てもらえないのは、寂しそう」
     大木との距離を縮め、手を伸ばした。触れた木の表面は乾いているけれど、咲き誇る桜花たちは瑞々しさを誇っている。まだまだ、現役だとでも、主張せんばかり。
     なのに、ここに花見をしに来る人はいない。
     少し前まで、至るところに咲いていた宴会の華々しさがウソのよう。
     きっと立地の所為もあるんだろう。雄英高校の広大な敷地から少しばかりはずれた通り。いつもの通学経路から逸れた道の先には、閑静な住宅街が広がっているだけで、駅前とくらべて人通りは少ない。
     花見だ、宴会だもなにも、ここに暮らす人にとってはきっとこの木は日常に溶け込んだ景色で。それ以外の人にとっては、存在も知られていない。ただ、それだけなワケだ。
    「もったいないなぁ」
     なんとか、できないだろうか。
     散りはじめた桜花の寿命は、そう長くない。花見をするにしたって、持って今週いっぱいといったところだろうか。そうすれば、あっという間に、この大木だって先をいく木々の後を追い、葉桜へと変わる。変わってしまう。
     それがなにも悪いと言うワケでもないけれど。これだけ立派に咲き誇っている花々を、キレイの一言だけ残して通り過ぎてしまうのも、もったいない気がした。
     どうしよう。なにが、できる。いまの私に、できること。
    「あ」
     はた、とひらめいた名案に胸が軽くなる。
     その勢いのまま振り向けば、タイミングを見計らったように一陣、強い風が吹いた。
     桜花が、舞い散る。視界を染める薄紅に思わず目を細めていると、不意に桜の壁の向こうから、手が伸びた。
    「――っ!」
     取られた手首に目を開く。はらはらと落ち着いた風の中を振り落ちる花弁の先に在る深い藍色の眼と、視線が絡んだ。
     どうしてか焦りの滲んだ眼に、おもわず首を傾ぐ。
     えっと、どうかした? そう尋ねながら、掴まれた手首を掲げて見せれば、ハッとまた慌てた様子で自分よりもふた回りほど大きな手のひらが離れた。
    「ご、ごめんっ!」
    「え……あ、うん。だいじょう、ぶ?」
     はたり。はたり。目を瞬き尋ねる。
     へ、あ……うん。だ、だいじょうぶ。いや、あの。その、えっと。言葉と一緒にぐるぐる、忙しなく宙を彷徨った視線は、そのままそっぽを向いて。ほんのりと朱色に染まった耳が代わりにこちらへやってくる。慌て上擦った声は、他にもなにか謝罪を並べ立てようとしたけれど。別に、不快だともいやだとも思っていないのだから、右から左へ聞き流した。
     そんなことよりも、だ。
    「環くん」
    「だから、その……オレなんかが、久沓さんの手、掴んで」
    「いーのいーの! そんなことより、聞いて」
     また謝罪の言葉が紡がれるより先に、行き場なく宙を彷徨っていたその手を取る。
     むしろ、環くんから手を取られて嬉しい、とはさすがに言えやしないけど。そもそも、勢いで私のほうから手、取っちゃったけど。振り払われないから、いいよね。許してもらえるよね――許されて、いるんだよね。
     大きく跳ねた肩に繋いだ腕を辿り見上げれば、おずおずとこちらを向く瞳を宿した。
    「私ね、いいこと思いついたんだよ!」
     そんなことじゃない、だの。俺なんかが、だの。また小さく小さく背を丸めようとする環くんの手を引き、花弁を降らす大木を指さす。
     みんなにも、見てもらおう。こんなにキレイなんだから。と、胸を張って見せれば、こちらへ戻った双眸が一度大きく見開かれて。それから、ひとつ瞬いた深い藍色が、柔らかく弧を描いて頷いた。
    藍音凛 Link Message Mute
    2023/05/16 15:08:23

    春に誘惑、桜に恋を

    ##ヒロアカ夢 ##環操

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