Maybe Sugarそんなつもりでは無かったのにと彼は思い、すぐに、いや、確かにそんなつもりもあったけれどと思い直した。
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人狼の若者が密かに想いを寄せている音楽仲間の、綺麗な顔で笑う蒼い男に、日ごろの感謝の気持を込めてと言う理由で花を贈ろうとした。ふいにそう思い立ったのも、贈り物に花を選んだのにも深い理由は無い。神出鬼没の透明人間に会う理由が欲しかっただけであるし、何とはなく、他人への贈り物と言えば花だろうと思っただけだ。
とは言え、自分はそう気が利く男ではない。誰かに進んで贈り物を渡す経験など滅多に無く、ましてや贈答品に相応しい花など検討もつかない。頭を抱えて悩んでいた彼の頭に突如響いたのは、彼が所属するバンドを率いる美しき吸血鬼に教えを請えばいいと言う天の声だった。何しろ彼は、かの吸血鬼は、「優雅」と言う文字を擬人化したような麗しき青年なのだ。
思い立ったら即実行しなくては気がすまない性分の彼は、早速美しき吸血鬼に教えを請いに向かった。あまりにも急ぎ過ぎたせいか、午睡を邪魔され怒りをあらわにした吸血鬼の青年から叱責を浴びてしまったのだが、そのような事など気にもならない。
彼は無事に青年から、大切に想う人に捧げるに相応しい花の種類と、それをどうやって渡せばいいかと言う手順まで教えてもらうことができた。
有意義な情報を得た彼は、意気揚々と花屋へと向かった。たった一人で花屋を訪れるなど生まれて初めての事だ。入口の扉を開ける勇気が出ず、店先を通り過ぎては引き返すという無意味な行為を繰り返してしまう。実に、時計の長針が一回りするほどに店先の往復を繰り返した後、彼はようやく自分がしている行為の愚かさに気づく事ができた。
頭を振り、大きく深呼吸をする。いつも舞台で演奏を始める前にするように、己の両頬を叩いて気合を入れる。
小さくよし、と呟くと、彼は、意を決した面持ちで入口の扉に手をかけた。
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やがて。
ぎこちない動きで花屋を後にした彼が手に持っていたのは、目が覚めるように色鮮やかな赤薔薇の花束だ。むせ返るような薔薇の芳香に気が遠くなりかけながら懐にしまい込んでいた携帯端末を取り出すと、仲間である綺麗な蒼い男の連絡先を表示させる。数瞬の躊躇いの後に画面に触れると、画面の向こうで蒼い男を呼び出す音が鳴り響く。
途端に激しくなる己の鼓動が苦しくて、彼は大きく深呼吸した。
はい、僕です。
やがて聞こえたのは、愛しい男の柔らかな低い声。
その声を聞いた瞬間、自分の顔が瞬く間に紅潮するのを、彼は自覚した。
☆
そんなつもりでは無かったのにと彼は思い、すぐに、いや、確かにそんなつもりもあったけれどと思い直した。
綺麗な蒼い男を呼び出して、やがて彼の前にゆらりと現れたその男に固く握りしめていた赤薔薇の花束を押し付けた。花を渡すのに理由も言葉も必要ない、ただ真摯に相手の目を見つめていればいいと、あの吸血鬼は確かにそう言っていた。だから、そうした。
果たして突然に呼び出され、突然に花束を押し付けられた蒼い男は、自分に突きつけられた大輪の真紅の薔薇に一瞬目を丸くしたが、直ぐに柔らかく微笑み、優しい手つきで花束を受け取った。蒼い男が浮かべた微笑みは、彼がこの世の誰よりも美しいと思っている、あの笑顔だ。
花束を愛おしそうに抱きしめて、男は言った。
びっくりしたヨ。キミは思ったより情熱的なんだねえ。
……情熱的?確かに自分は情熱に溢れている自覚はある。何事にも炎のような直球ストレート勝負だ。しかし何故今この場で情熱の話が出てくるのだろう?
彼は思った。
男は続けた。
いいよ。キミの気持ちは受け取った。
僕でよかったらお相手するヨ。
お相手?一体何の話をしているのだろう?もしかして楽曲の練習の事だと思っているのであろうか。そうではなく、自分はただ、あなたに花を
……彼がそこまで考えた、瞬間。
蒼い男の身体がふわりと動き、呆然と立ち尽くす彼に近づいた。
男は言った。彼の眼前で。
キミに触ってもいい?
問われた彼は息を呑んだが、静かな熱を秘めた男の紅い眼を見返した瞬間、頭が勝手に縦に振れた。
蒼い男は綺麗な顔を微笑ませると、その細く長い指で彼の若々しい頬をなぞり、そのまま優しく唇に触れる。
ああ、心臓が破裂しそうだ。なんて綺麗な笑顔なんだろう。
だけど、何かがおかしくないだろうか。いや、別に嫌と言う訳ではないのだけれど。
蒼い男が微笑んでいる。じっと自分を見つめたまま。ああ、なんて綺麗な紅い眼なんだろう……
あ、そうか。
彼は、ようやく、男が何を待ち、彼に何を確認しているのかを理解した。
ゆっくりと自分の目を閉じる。
蒼い男の薄い唇が、優しく彼の口を覆った。
☆
白熱した頭の中で、そんなつもりでは無かったのにと彼は思い、すぐに、いや、確かにそんなつもりもあったけれどと思い直した。
蒼い男に、身体を抱き寄せられる。二人の間で押しつぶされた薔薇から漂う強烈な甘い芳香が、人狼の鋭敏な嗅覚を狂わせる。彼は堪らず、男の細い身体にしがみついた。
何故だろう、何故こんな事になったのだろう。いや、実は嬉しくてたまらないのだけど。嬉しすぎておかしくなってしまいそうなのだけど。
混乱の極みにある人狼の若者の息が続かなくなる寸前で、蒼い男はようやく彼の唇を解放した。頬だけでなく顔全体を紅潮させ、肩で息をする若者を見やりながら、蒼い男は片手で持っていた花束を両手で抱え直す。そして、美しく束ねられた大輪の薔薇に顔をうずめてこう言った。
「あなたを愛しています」
愛しい蒼い男は笑う。赤い薔薇に彩られた蒼い微笑みを、彼は、この世で一番美しいと思った。
オレも、オレもあなたが好きです。
ずっと好きだったんだと思います。
感極まった彼がそう叫ぼうとした瞬間、男が花束から顔を上げ、先に口を開いた。
赤い薔薇の花言葉ダヨ。
こんな告白してくるなんて、キミは本当に情熱的だよネ。
ヒヒヒと笑う男の声を聞いた瞬間、彼は、これまで起きたすべての出来事に納得がいった。
ちょっと待ってくれ。花言葉なんて知らなかったっスよ。自分はそんなつもりでは無かったのにと彼は思い、すぐに、いや、確かにそんなつもりもあったかなと思い直した。
あの美しい吸血鬼に感謝をするべきなのか、それとも恨み言を言うべきなのか。
今の彼には、わからなかった。