お花を贈りたい先生の話仕事の電話を受けて台所で話をしていた百音が、それでは、と話を切り上げて居間に戻ってきた。お待たせしました、と言いながらまた隣に座る百音に、いえいえ、と菅波はふわりと笑う。亀島の永浦家に顔出しに来たものの、龍己と耕治は船の装置換装作業、亜哉子は近隣へのおつかいで、しばし二人きり。二人の前のちゃぶ台には、百音の子供の頃のアルバムがひろげられている。耕治が菅波に見せてやろうと引っ張り出してきたもので、百音が不本意げでも、義父・義子連合にはかなわず。
「もー、まだ見せてないアルバムがあった、だなんて」
唇をむにむにさせる百音に、いやいや、何冊あってもいいものです、と菅波が我が意を得たりと笑う。このお遊戯会の写真とか、初めて見ました、と言われると、普通にアリなだけじゃないですか、と百音は言うしかなく。
「あ、そういえば!」
と無理やり話題を変えようとする百音に、不興を買わないように菅波はその流れに乗る。
「どうしました?」
「さっきの電話、業務提携してるフローリストさんからだったんです。電話の内容は全然別件だったんですけど、来月のシャークタウンのリニューアルオープンに何社かが出すお祝い花スタンドも請けてるんですって。先生、シャークタウンのリニューアル楽しみにしてたから、そういえばって思い出して」
「そうだったんですね。もう来月かぁ。うん、楽しみです」
くしゃりと菅波が笑い、百音も、ですね、と笑う。
と、ふと菅波が真顔になった。
「お祝い花スタンドか…」
「ん?」
「それ、個人でも出せるかな」
「え?…え?先生、出したいんですか?」
「うん」
何を当たり前のことを、という顔で菅波が頷く。シャークタウン好きすぎじゃない?と思いつつも、まぁ菅波だしな、と百音はその疑問を心中で出し入れする。えっと、運営は三セクの事業者でしたよね…と問合せ先を手許のスマホで調べ始める菅波に、え、いまから?と百音が思わず声をあげると、こういうのは思い立ったが吉日です、と菅波は見つけた問合せ先の電話番号のリンクをタップする。
電話口ですみません、シャークタウンのリニューアルの事で…と菅波が切り出し、いくどかのやり取りを交わしたところで、分かりました、ありがとうございます、と電話を切った。心なしか肩がしょげた菅波の顔を百音が覗き込む。
「ダメでした?」
「ダメでした。気持ちはありがたいが、個人からのお花はお受けしかねる、と」
「そうですか…。残念ですね」
はい…としばししょげていた菅波が、ふと眉根を寄せて、そうか!と顔をあげる。
「個人からがダメなら、大学病院名で出せば…!」
と、またスマホを手に取ってある電話番号をタップしようとして、あぁあ、とその手が止まる。
「中村先生に相談しても、ウチはサメの病院じゃないですよね、って言われてしまう…」
それは中村先生が正しい、と思いつつ、百音は労わるように夫の背中を撫でた。
「そうですねぇ。ウチの営業所で多少のお付き合いはあるけど、社名出してのお祝いは手続きがいるし、予算とらなきゃだし」
「いや、それは。百音さんの会社に費用負担させられないですよ」
「先生がだしたいんですもんね」
うーん、と二人でしょげ気味でいるところに、龍己と耕治が中庭に姿を現した。
「お、どした。なんか二人でしょんぼりして」
目敏く二人の様子に気が付いた耕治が、縁側に座りながら声をかける。菅波がおかえりなさい、といいつつ、百音が、かくかくしかじか、と先ほどまで交わしていた会話をかいつまんで説明する。地銀の支店長まで務めた耕治が、フムフムと話を聞いたところで、こともなげに口を開いた。
「んじゃ、永浦水産で出すか。市場の方で取引あるしな。今回はシャークタウンの方だからどうすっかと思ってたけど」
いいよな、親父、と耕治が龍己に声をかけると、龍己もこともなげに頷く。
「いや、そんな、それもご迷惑では…」
菅波が慌てるが、百音も、あぁ、その手がありました、とポンと手を叩いていて、菅波の浮かせた腰は中途半端な状態である。
「その代わり、花代はちゃんと光太朗くんからもらうから安心しな」
それはもちろんですが、あの、僕は永浦水産の社員じゃないし…と菅波がなおも戸惑っていると、耕治がめんどくせえなぁ、という顔をして、ニヤリと笑う。
「んじゃ、光太朗くんにも肩書つけるか!」
「は?」
「大学病院は兼業禁止あるか?」
「え、いえ、ないです」
「なにがいいかな…」
いっそ取締役にするか!と龍己が笑い、それもいいな!と耕治が悪乗りして、菅波が目を白黒させる。まぁ、そんな婿入りみてぇな名乗りさせちゃ菅波のおうちに失礼だわな、と龍己が自分で言って自分で却下し、いえ、あのそういう問題では、というか、取締役ってそんな軽いものではないのでは?と菅波の手も宙を泳ぐ。
「光太朗くん、産業医もってるか?」
「え、あ、はい。新事業体で必要になったので去年に」
「んじゃ、永浦水産の産業医頼むわ」
「え、あの、設置義務ないですよね?」
「設置義務なかったからいなかったけど、別に労働者50人以下でも設置していいべ」
こともなげに言う耕治に、まぁ、確かに…とそれには菅波も言うしかなく。書類巻くから、後で必要事項埋めてな、と耕治が言い、百音も先生、仕事増えましたね、と嬉しそうに笑うので、はい、あの、お引き受けします、と気づけば頷かされている。
一か月後、シャークタウンリニューアルオープン式典が挙行され、そこには事業者のメインバンクやリニューアル工事施工事業者などからのスタンド花が華やかな彩りが添えられた。それら主要取引先に交じって、一段控えめに、しかしやはり華やかに飾られたスタンド花には『永浦水産 従業員一同・嘱託産業医 菅波光太朗』の札が刺さっている。
式典後、その花の前で、菅波はしみじみとその札を見る。
「初めてシャークタウンに来た時には、自分の名前を出した花を出すことになるなんで想像だにしませんでした」
菅波の隣で百音がくすりと笑う。あのBRTの日がすべての始まりで、でも、確かにあの日にそんな予兆は全くなかった。二人でしみじみしているところに、市役所職員の悠人が駆けつけてきた。
「あぁ!先生いた!ねぇ、モネ、先生借りていい?」
「え、悠人くん?」
「サメにはいる予定だった人がこれなくなっちゃって。背が高い人がいいからさ」
もう決定事項のように悠人が菅波の腕をひき、それを無下にできる二人ではなく。あいまいに二人が頷いているうちに、先生、こっちこっち、と悠人が菅波を引っ張っていく。
結局、その日一日、サメのインフレータブル着ぐるみを着せられた菅波は、子供たちにもみくちゃにされ、女性客との記念写真で腕を組まれて百音にふくれっつらをさせ、と、これまたBRTのあの日には想像もしていなかった事態に身を任せることになるのだった。