サメのじゃんけんあー、もう、なんでだ、と心の中で毒づきながら、自室のデスクのパソコンに向かってしばらく。せっかく登米への引っ越しまでの合間に永浦さんがウチに遊びに来てくれたのに、論文の共著者からの急な問い合わせ対応が入った。ごめんなさい、すぐ済みますから、と謝って時間をもらったのに、送ったデータのあれがそれが、と矢継ぎ早にチャットが飛んできてなかなかデスクから離れられない。
その間、ちらりと永浦さんの様子を伺うと、気仙沼で買ったサメのぬいぐるみの胸ヒレをもって遊んだり、そのサメのぬいぐるみを膝に置いてサメの図鑑を見たりして時間をつぶしてくれている。ホントさっさと終わらせよう、終わらせたい、終わってくれ、とキーボードをたたき続けて、さらに10分。
一区切りついて、やれやれ、とデスクチェアの背もたれにもたれると、なにか柔らかいものが僕の肩をとんとんとたたいた。振り返ると、サメの胸ビレを左右の手で持った永浦さんがニコニコしている。どうやら、サメのぬいぐるみのヒレで僕の肩をたたいたみたいだ。
「先生、お疲れさまでした。終わりました?」
「終わりました。お待たせしてすみません」
「いえいえ。あ、先生、サメのじゃんけんしましょう?」
「…サメのじゃんけん?」
こうです、と永浦さんが、サメのぬいぐるみの胸ビレを動かしてみせる。
「胸ビレを大きくひろげてパーで、こうやってくっつけたらグーで、びしって縦に並べたらチョキです」
な、なるほど…。サメのぬいぐるみの動きをこうやって開発してしまう程度には待たせてしまったということはよく分かり、そしてこんなかわいいお誘いには乗るしかない。僕が諾の表情になったのを見て、ぽふりとベッドに座った永浦さんとサメのぬいぐるみがチェアに座ったままの僕と向き合う。
「じゃあ、三回勝負で!いきますよ!サメのじゃんけん、じゃんけんぽん」
僕がグーでサメがチョキ。
負けたー、と言いながら、永浦さんがサメの胸ビレをぱたぱたさせている。かわいい。
「二回目です!サメのじゃんけん、じゃんけんぽん」
僕がチョキでサメがチョキ。
「あいこでしょ!」
僕がパーでサメがチョキ。
勝ったー!とまたサメと永浦さんが戯れる。なんかサメのぬいぐるみがうらやましくなってきた。仲いいな。
「じゃあ、最後ですよ!サメのじゃんけん、じゃんけんぽん」
僕がグーでサメがチョキ。
わー、負けたねー!と言いながら、永浦さんがサメのぬいぐるみのはなっつらをちょんちょんとしている。
三回やって確証が持てたので、永浦さんに聞いてみる。
「あの…そのチョキの動きがお気に入りですね?」
てへっという表情になって、永浦さんがサメのぬいぐるみのチョキを何度かやって見せる。
「一番かわいくないですか?」
「まぁ、はい」
いや、もう、サメのぬいぐるみより何より永浦さんがかわいいんですが。
「じゃあ、先生はサメのじゃんけんに勝ったので、コーヒーを淹れてもらえる人です!待っててくださいね」
僕にサメのぬいぐるみをはい、っと渡して、永浦さんが狭小な台所に向かう。たいしたものもない台所だけど、数回ウチに来て、ケトルや食器の位置は覚えたらしい。そういえば、椎の実ブレンドのドリップパックがあるって話をさっきしたんだった。
じゃんけんに負けても勝っても淹れてくれたんじゃないかな、などうぬぼれながら、永浦さんの気持ちをありがたく受け取るべく、おとなしく、サメのぬいぐるみを膝に待つ。胸ビレをもって、チョキを作ってみたら、確かにちょっと踊ってるみたいで楽しい気分になって、永浦さんがお気に入りになるのも分かるな、ということに気づいてみたり。
永浦さんが鼻歌交じりにコーヒーを淹れてくれるのをのんびり待つ、こんな時間をあと何回とれるんだろうと思いつつ、ふとサメのぬいぐるみに問うてみる。
「おまえさん、僕が登米に行ったら、永浦さんのおうちの子にしてもらうかい?僕の代わりに永浦さんを見守れる?」
サメのぬいぐるみがうなずいた気がして、まぁこいつとは合意がとれたことにする。
今度提案してみよう、と、不揃いのカップ二つを持ってきてくれる永浦さんの笑顔に頬が緩むのが自覚できる。
サメのじゃんけんで決めよう。
サメが勝ったら言うこと聞いてもらえるってことで永浦さんのおうちの子になるし、サメが負けたらじゃんけんの練習を一緒にしなきゃって永浦さんのおうちの子になるルール。
グーとパーの出し方も改めて覚えろよ、とサメのぬいぐるみの背をぽんぽんとたたいていれば、それをみた永浦さんが、やっぱりサメと先生ってまるっとひとつですね、と笑う。
僕とサメとあと永浦さんとで、まるっとひとつだといいなと思ってますよ、とはとても口にだせないままカップを受け取れば、ふわりと登米のカフェの香りが広がった。
<おわり>