海と山をつないで登米の大山主で米麻町森林組合の代表でもある新田サヤカが、登米夢想の中庭でその電話を受けたのは年度末も間近という3月の後半だった。気仙沼の亀島で牡蠣の養殖業を営む永浦龍己は昔からの知人で、海の環境保全は山と海の循環が大切だ、という考えをサヤカと共有し、数年前までは、時々気仙沼の人たちを連れて植樹祭に登米の山に訪れていた。例の発災後は、とにかく生活と産業の再建が最優先になり、サヤカも折々に気かけているもののなかなか会う機会もなかった。久しぶりに着信画面に表示された名前をみて、サヤカの脳裏をよぎったのは共通の知り合いの訃報の可能性である。
そんなことを思うようになってもう何年か、と思いつつ、電話をとるボタンを押すと、深みのある声が聞こえてきた。
「サヤカさん、こんにちは。永浦の龍己です。ご無沙汰してます」
「はい、タツミさん、ご無沙汰してます。お元気ですか?」
「おかげさまで。今年はね、牡蠣の出荷も本腰いれられるようになりましてね」
穏やかながら張りのある声に、悪い知らせではなさそうだ、とサヤカは心中で胸をなでおろす。それは何よりです、ウヂからも注文させてもらいますね、とサヤカが応えると、待ってますよ、と龍己の声が弾んだ。
「今日はどうなさったんです?」
サヤカが水を向けると、龍己が一瞬言いよどんだ後に、あのね、と口を開いた。
「サヤカさんとこで、ひとり、預かってくれないかなと思ってね」
「あら」
「上のね、孫娘なんだけど、ちょいといろいろあって、高校卒業してからの4月からの身の振り方が決まってなくて。それでも、島を出たい、って言うのよ」
「まぁ」
龍己の話を聞いて、サヤカは記憶のアルバムをめくる。最後に植樹祭をしたのはざっと10年前。その時は小学校低学年だったか。長い髪を二つ分けのおさげにしていて、妹の面倒をよく見ていた姿を覚えている。あの子がもう高校卒業か、と思いつつ、この押し迫った年度末に、身の振り方が決まっていない、というのは、そういうことか、と多くを語らない龍己の言外の意味をくみ取る。
「まぁ、何言ってんだ、って言ってしまってもいいんだけど、やっぱりね、あのことがあって、あの子もたくさん思うことも考えることもあると思って」
「ええ」
祖父がかわいい孫娘に示す理解に、サヤカも寄り添う。今、高校3年生ということは、当時中学3年生だ。海の傍で生まれ育った少女の最も多感な時期に経験し見聞きしたものの重さは軽々しく想像すべくもない。このタイミングで改めて吐露された思いに、龍己も何かできないか、と考えた結果、サヤカへの架電と相成ったのであろう。
「で、離れるにしても、娘っこひとり、仙台に出すかっていうとねぇ」
「そりゃご心配でしょう。分かりました。ウヂで預かりましょ。こごなら、気仙沼の海ともつながってっし。しばらぐこごで龍己さんも様子見に来れるでしょ」
部屋は余っているし、ウヂに下宿すればいい、と、さりげない見守り役も含めてサヤカが請け負うと、ほんとにありがとうございます、と龍己がしみじみと礼を言う。いえいえ、できるこどがあれば、っていつも思っでますから、とサヤカは笑う。
「森林組合も、そろそろ新しい若い人入れたいって話もあるし、しばらくビシバシかしぇでもらいますよ」
「まんず、鍛えてやってけさい」
サヤカが軽口めかして言う言葉の裏側を、正しく龍己はくみ取り、やはりサヤカに相談してよかった、と自分の判断に安堵するのだった。サヤカや組合の都合があるだろうから、いづからどう、というのはそちらの都合に合わせるので、連絡ください、という龍己に、一両日中には、とサヤカが応じ、んでまず、と通話は終わるのだった。
電話を切ったサヤカは、さて、と森林組合の事務所を振り返った。ちょうど、参事の川久保と森林事業課長の佐々木が応接セットで茶飲み話をしているところだった。事務所に戻ったサヤカが、あのね、とソファの川久保の隣に座ると、すぐに川久保も佐々木もサヤカの相談に乗る姿勢になった。
「私の知り合いの高卒の子が、働き口探しててって相談があってね。組合で預かってやれないかね。来年ぐらいに高校に募集出そうかって話してたがら、一年前倒しってことで」
「どごのこだい?」
「気仙沼の、亀島」
「えれえ海っぺりから来るねや」
川久保の言葉に、ちいと山の方でどっかって探してるみたいでね、とサヤカがこともなげに答える。そのやりとりを聞いていた佐々木は、そうですねぇ、と持っていた湯呑をテーブルに置いた。
「確かに、そろそろ新卒採りたいって思ってましたし、パートの佐藤さんが先月辞めちゃってちょっと手が足りでねし、姫の紹介だば、働いてみでもらいますか」
「いいかね」
「いがすよ。いろいろ手続きも手配もありますけど、いづからにします?4月のいっぴだと、そっぢもこっぢも、ちょっと間がねぇかもしんねで、なじょしますかね」
佐々木の言葉に、確かに、とサヤカは少し考える。こちらの事務手続きもあるし、島の方でも転居の準備も必要だろう。そもそもサヤカ邸に下宿させるのだから、部屋の準備も多少は必要である。
「んだば、15日付けでどうかね」
「わがりすた。ちゃっちゃどちゃっちゃど手続き進めましょ」
「どうもね」
佐々木が請け負って、話がまとまり、サヤカも安堵する。
「にしても」
と佐々木が続ける。
「先週、中村先生が連れてこられた、新しい診療所のお医者さん、えっと、菅波センセ。彼、27だっぺ?んで、その、姫の紹介の人が、高校卒業してだから、18?! はぁ~、登米夢想もいっぎに平均年齢下がりますね」
佐々木の言葉に、川久保が笑う。
「何言ってんだべ。そんなこって、こごの平均年齢がそう下がっかい」
「胸張って言うこっちゃねぇでしょ」
「そりゃそうだ」
川久保と佐々木の会話にサヤカも笑う。
中村が連れてきた青年医師も、登米に通うことへの戸惑い以上に、何かの屈託を抱えているようだった。今度預かる島の子も、きっと羽休めが必要で、サヤカのもとに流れ着いてくる。ここの豊かな森が、若い二人をどうか受け止められますように、と、サヤカは窓越しに青い空を見上げるのだった。