ゲームセット 僕はいつだって、ロスタイムの引き延ばしに全力をかけているのだった。
深夜〇時過ぎの街で、タクシーを探す――あるいはそのふりをする――僕らは雑踏の隙間を縫って徒に靴底をすり減らしている。十代の時分は時計の長針の居場所に気付かぬふりをして部活動時間の延長を図っていた僕だけど、大人になった今だって終電の時刻をわざと忘れているのだからまったく人というのは変わらない。けれど彼だって楽し気に杯を重ね進んで共犯者になってくれるのだから、僕は今にも踊りだしそうな心地で大嫌いだったはずの人ごみを遊泳することができるのだ。柄にもなく陽気な両足はダンスのステップを踏もうとしては絡まり合ってたたらを踏み、その度アズールにぶつかる肩が彼の体温を嬉しがる。
僕らが歩いているのはお手本のような熱帯夜で、けれどウイスキーソーダ三杯分の淡い酩酊に浮かれた体は少しの疲れも覚えなかった。隣を歩くアズールはというと半時間も前に暑いとひと吠えして重たいサマージャケットを剥ぎ取ってしまい、汗にくたびれたシャツ一枚きりの柔らかな姿を僕の前に晒している。
「ねえアズール氏さ、アイス食べたくなんない?」
「絶対になりません。深夜に摂っていいカロリーじゃないでしょうが。コーヒーでよければお付き合いしますよ」
「さっすアズ。やなんかバズってたやつあってねコンビニのやつで。アズール氏も一口食べる?」
「だからお断りし、いや、ええまあ、一口くらいなら……」
「そゆとこほんとかわいいよね、君」
その時アズールの両手足が秩序だった整合を失い、左手のジャケットが地面へと垂れ下がった。汚れてしまいそうなそれに手を伸ばしたところで、身を屈めた僕の上に彼の声が降ってくる。
「はは、口説いてるんですか?」
「口説かれてくれるの?」
「さて、どうでしょう。あなた次第だと思いますけど」
掬い上げたジャケットの裾を手に顔を上げたところで、しかし僕はそれ以上動くことができなくなる。彼の目が真っ直ぐに僕を射抜いていたせいだ。差し出したコットン生地は受け取られず、行き場を失くした左手が空中に縫い留められる。
つまるところ、僕が引き延ばしにかかっていたのはこの曖昧な関係なのだ。付き合いも片手の指で数えられる年数を過ぎれば、さすがの僕とて彼の眼差しのはらむ熱っぽさに気付かないではいられない。わざと差し出される隙の甘い狡猾さの、その端っこをくすぐるばかりで手を伸ばすことをしなかったのは、ただそれが楽しかったからだ。けれどアズールは、どうやら幼い戯れの時間に満足してしまったらしかった。
あのさ。彼に向き直り、ジャケットごと腕をとらえる。満足げにアズールの両眼が細められる。通り過ぎてゆく人々のざわめきがまるで音楽のように聞こえた。
「アイス、やっぱ気分じゃなくなったかも。だからさ、えっと、これからどうしよっか」
そうですねえ、それならゆっくり、ご相談が必要ですねえ。にんまり笑ったアズールの声はほとんど囁くようだったけれど、僕の耳が拾い上げるには十分だった。淡く楽しいロスタイムはとうとう終わってしまったけれど、ゲームセットの後の世界は踊りだしてしまいたいくらいの歓びに満ちているようだった。