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    原作軸レモニコ小説まとめ私の世界が開けた日気まぐれのヒーローグランシェフ王国の王子様お料理師弟結成山賊集団と少女孤高の水使いの猜疑心貴方だけを見つめ続けるどれほど、突き放されても手折れなかったひまわりの視線幕間の話1幕間の話2幕間の話3幕間の話4幕間の話5BB7の食事事情ニガリとニコラシカの話オコゲ師匠とニコラシカの話裏BS編3階戦での話裏BS3階戦幕間の話それはきっと、氷解の兆しピザの斜塔崩壊後ビシソワーズパーティー編想いが届いた日いつだって、私の心を救う人孤高の水使いの誓いニコラシカが自身の出生に悩む話例え誰に祝福されずとも、二人を見守る者達の話パンプキン視点フォンドヴォー視点のレモニコいつまでも、続いていく物語私の世界が開けた日
    「この街からでてけ!!魔女!」
    「ねえママ~、なんであんなみすぼらしい子がこの街にいるの?」
    「不気味よね。近寄ったらいけないわ、あの魔女に呪われちゃうからね」

     くすくすと、嘲笑と罵倒が今日も私に振り掛かる。誰かを呪った覚えも、迷惑をかけたつもりもないのに、私が街を歩いているだけで、人々は不快そうな、蔑みの視線を投げるのだ。

     何度「ちがう!」と叫んだだろう。私は誰かを呪うつもりなんかないし、それ以前に魔女なんかじゃないのに。
     物心着いた頃から、私には家族と呼ばれる存在がいなかった。気づいた時にはゴミ捨て場にいて、そこからどうにか抜け出そうと、行く宛もなく彷徨い歩くだけだった。
     そうしていたら何時からか、私は魔女と呼ばれるようになってしまった。何度考えても、理由は全く分からなかったけど、皆から嫌われているという事実が悲しくて、傍に誰もいてくれないことが寂しくて、今日もじわじわと視界が歪んでいく。周囲から向けられる視線を直視するのが怖くて、長く伸びきった金髪で顔を隠した。

    「でてけって言ってるだろ!!魔女ー!!」

     だから私は、自分に目掛けて飛んでくる石の存在に、気付くことができなかった。

    (……あ、)

     石が、私の頭を目掛けて飛んでくる様子がスローモーションのように映った。気付いたのが遅くて、もう避けられないのだと瞬時に悟る。

    (──怖い……っ!!)

     ぎゅう、と瞼をきつく閉じた瞬間。「うわあああ?!」と、私ではない人──私に石を投げてきた、子どもの叫び声が聞こえた。

    「……え?」

     閉じていた瞼を開けると、私の目の前には知らない男の子が立っていた。逆立った青色の髪とアイスブルーの三白眼が特徴的な、どことなく鋭くて、冷たい雰囲気をもった、私と同い年くらいの男の子が。

    「ケッ、ぎゃあぎゃあうるせえハエだな」

     男の子は、冷えるような声音と射抜くような視線で、いつのまにやらびしゃびしゃに濡れて転んでしまっている子どもを見据えていた。手には、私に向かって投げられた石が握られている。

    「い、いきなり何すんだよぉ……っ!!つめたいし、痛いじゃないか……、ひっ?!!」

     子どもは起き上がるや否や、怯えたように男の子を見つめた。
     ──怯えてしまうのも無理はない。だって、男の子の指先には、いつ発射されてもおかしくない水球が構えられていて、少年とは思えない凄まじい殺気を放っていたのだから。

    「……どうした? オレが気にくわねえなら、こいつにしたように石でもなんでも投げれば? ……できるもんならなぁ?」
    「ひ、ひい……!! ま、ママ~~!!」

     男の子のあまりの気迫に耐えられなかったのか、子どもは泣きながらその場を走り去っていった。周囲にいた野次馬も蜘蛛の巣を散らすように去って、辺りは一気に静まり返る。

    「──ケッ、なっさけねえ。これだからぬくぬくと育ったお坊ちゃんはきにくわねえんだ。……待たせたな、チェリー。次の街に行こうぜ」
    「ピュイ!」

     男の子は不機嫌そうに呟いたかと思ったら、いつの間にか彼の足元にいた、チェリーと呼ばれたピンク色のタツノオトシゴに話し掛けていた。チェリーを肩に乗せて、すたすたとどこかに行こうとしている彼の姿を見て、私はようやくはっと、我に返る。

    「ま、まって!」

     声を振り絞って、私は男の子を呼び止める。呼び止められた男の子は、「あ?」と、めんどくさそうに私の方へと振り向いた。

    「……なんだお前。まだいたわけ?」
    「さ、さっきからずっといました……。あ、あの、たすけてくれて、ありがとうございました!」

     ぺこ、と頭を下げてお礼を言うと、男の子は「は?」と訳が分からないと言ったような声音と面持ちを示す。……何か変なことを言ってしまっただろうか?

    「助けただって? オレがてめえを?」
    「は、はい。私、さっき石投げられそうになってて……そこから、助けてくれましたから……」
    「あぁ……そういうことかよ」

     私がそう説明すると、男の子はようやく納得がいったという表情を浮かべる。そして、「別にお前を助けたつもりはねえ。単に、オレがあいつらにムカついてたから攻撃しただけだ」と付け加えたのだった。

    「でも、あの時あなたが来てくれなかったら、私は怪我をしていたから……結果的に、こうして助かりました。だから、ありがとうございますって、どうしても、言いたくって……」
    「……そうかよ」

     もう一度頭を下げながら言うと、男の子はどうしたらいいのか分からないといった、なんともばつのわるそうな表情をしていた。……それがほんの少し、年相応の少年っぽさがあって、私はちょっぴりかわいいな、なんて思ってしまう。

    「でも、あなたは私と同い年くらいなのに……どうしてあんなに強いのですか?」

     男の子の雰囲気が、先程より和らいでいるように見えたからか。私は気づけば、男の子にそんな質問をしていた。
     ……根拠はなかったけれど、この男の子はきっと、私と同じ『孤児』と呼ばれるものなのだろうという直感があった。私と同じ境遇に置かれているだろうにも関わらず、どうしてあそこまで、毅然と強く在れるのかと不思議で仕方がなかった。
     私と一緒なのに、私とは決定的に『何か』が違うのだ。

    「どうしてだと? そんなの決まってるだろ。オレは、いつかこんなどん底から這い上がって、今までオレを見下してきたあいつらを見返してやりてえからだよ。……オレはそれを、オレの相棒……チェリーと一緒に叶える。バンカーってのになって、オレはオレの願いを叶える。だから強くなるんだ。いつまでもナメられたままなんて、冗談じゃねえ!」

     三白眼に強い光を宿して、男の子はまっすぐに言い放つ。
     それはあまりにも、力強い言葉だった。どんな絶望にだって、屈してなんかやらないという強い意思を秘めた彼の姿に、私は心臓を撃ち抜かれたような衝撃を覚えた。

    「だからてめえも、あんな奴等に好き勝手言われたくらいでめそめそしてんじゃねえよ! この世界は強い奴しか生き残れねえんだ。……てめえがこの先も、まだ生きてえって思うなら堂々としてやがれ」
    「わあっ?!」

     ぐしゃぐしゃと少しだけ乱暴に頭を撫でられる。けれど、全く嫌だなんて思わなかった。それどころか、元気付けてくれているような気さえして、初めて誰かに触れてもらえたことが嬉しくて、心臓がどきどきと高鳴った。
     しばらくして、男の子の手が離れていく。それが名残惜しくて、彼の方をじっと見つめてしまう。すると、男の子は不敵に笑って、こう告げる。

    「まあ、せいぜい頑張ることだな。……それとお前、顔出してた方がいいぜ? ……じゃーな」
    「っ……! まって! 最後に教えてください! 貴方のお名前は?!」

     きっと、一緒に着いていくことは許されない。なら、私はどうしても、彼の名前だけでも知りたかった。

    「……レモネード。これが、オレさまの名前だ」

     ふ、とほんの少しだけ優しげに笑って、男の子──レモネードさんは、走り去ってしまった。
     私は、どんどん小さくなっていく彼の背を、ただただじっと見つめていた。

    「レモネード、さん」

     どきどきと、心臓が脈打つ。顔はほんのり熱くて、レモネードさんの名前を口に出すだけで、切ないような暖かいような……何とも言えないくすぐったい気持ちになる。

     そうして、私は自覚する。私は彼に──レモネードさんに、恋をしてしまったのだと。

    「私、いつかレモネードさんのお役に立てるような、女の子になりたい」

     私は生まれて初めて、願いを持った。
     今は叶わなくても──いつの日か、レモネードさんとまた出逢った時に、彼の隣にいて、彼のお役に立てる女の子になりたいのだと。


     ──私、ニコラシカという少女が、真の意味でこの世に生まれ落ちた日だった。
    気まぐれのヒーロー
     あれは、十数年も前の話。

    『この街には魔女がいる』
    『近づいたら呪われる』
    『あの魔女のせいで、この街にはいつか災厄が降り掛かるだろう』

     バンカーになる為の旅の途中で寄ったその街で、聞こえてきたのは不吉な噂話だった。噂をする人々の視線は、一人のか細い少女に向けられている。

    『この街からでてけ!!魔女!』
    『ねえママ~、なんであんなみすぼらしい子がこの街にいるの?』
    『不気味よね。近寄ったらいけないわ、あの魔女に呪われちゃうからね』

     心無い罵倒と嘲笑が、容赦なく少女に降り注がれる。魔女と呼ばれた少女は、肩を震わせながら……長い金の髪で、人々の視線から逃れるように、自分の顔を覆い隠していた。
     顔が隠れて見えづらかったが……彼女が泣いていることは、ぽたぽたと零れ落ちていく雫ですぐに分かった。ぼろぼろになり、薄汚れてしまっている白のワンピースの裾をぎゅ、と掴み、浴びせられる罵倒を堪えている姿が……ほんの少し前までの自分と重なる。
     あの少女は、自分と同じだ。生まれながらにして家族がいないが為に、ごみ溜めの生活を強いられ、他人に嘲笑われ、蔑まれながら生きていく……そんな人間なのだと、一目見ただけですぐに分かった。
     チッ、と思わず舌打ちをする。恵まれた環境下で生まれたことが、そんなにも偉いことなのか。自分達のように、生まれながらにして何もない……貧しいだけの人間には、生きる価値なんてないのだと言いたげな人々に、レモネードは堪らなく虫酸が走る思いだった。

    「でてけって言ってるだろ!!魔女ー!!」

     貴族の少年が、少女に向かって石を投げたのが視界に入る。少女は絶望したように目を見開いて……諦めたように、その場に立ち竦む。

    「──ッ!」

     咄嗟に、足が少女の元へと駆けていた。
     少女に向かって投げられた石を片手で掴む。それとほぼ同時のタイミングで、貴族の少年に向かって容赦なく水のリボルバーを放った。
    「うわああああ?!!」と絶叫し、畏怖の視線でこちらを見遣る少年の姿は、なんとも無様で滑稽だ。寄って集って、自分よりも下の者を見下すことしかできない貴族連中の鼻を明かせて、レモネードは幾分か気分が晴れるようだった。

     ……だから、そう。あの時彼女を助けたのは、本当にただの偶然でしかなかった。もっと言えば、レモネードは自分の為だけに、貴族の前に飛び出しただけだったのだ。
     自分を見下してきた人々を連想させる、貴族達の目が気に入らなかった。たったそれだけの理由だったのに。

    『でも、あの時あなたが来てくれなかったら、私は怪我をしていたから……結果的に、こうして助かりました。だから、ありがとうございますって、どうしても、言いたくって……』

     ぺこり、と頭を下げて礼を告げてくる少女に、どうすればいいのか分からない。生まれてこの方、他人に感謝されたことなんてなかったから……どうにもむず痒かった。……悪い気は、しなかったが。

    (こいつはオレと同じだと思ったが……少しだけ、違うのかもな)

     あんなにも他人に蔑まれていたというのに、彼女は全くスレていない。屈託のない笑みをこちらに向けて、他人に素直に感謝の気持ちを示せるこの少女は……あいつらが言っていた『魔女』などとは程遠い存在だと、レモネードは思う。
     暗い印象は歪めないが、心優しい少女であることは……レモネードでも理解できる事実だった。

    「あんな奴等に好き勝手言われたくらいでめそめそしてんじゃねえよ! この世界は強い奴しか生き残れねえんだ。……てめえがこの先も、まだ生きてえって思うなら堂々としてやがれ」

     叱咤激励とも取れる言葉をつい掛けてしまったのは、偶然とは言え、自分が助けてやった存在だったからだ。……あんな、心無い貴族達によって、これから先この少女が壊されてしまうのは、どうにも癪に触る。自分の言葉一つで立ち上がれるのかどうかは少女次第ではあるが……負けてほしくはなかった。
     そんな気持ちを込めて、少女の頭を乱暴に、ぐしゃぐしゃと撫でてやる。驚いたようにこちらを見つめる、大きな赤い瞳が、とても印象的だった。

    「まあ、せいぜい頑張ることだな。……それとお前、顔出してた方がいいぜ? ……じゃーな」

     自分にしては珍しい、優しい声音と表情で……レモネードは少女に別れを告げる。
     まさか、こんな些細な出来事がきっかけで十数年後に……この少女──ニコラシカが、自分を探し求めてくるなど、この時のレモネードは思ってもみなかった。
    グランシェフ王国の王子様
     これは、リゾットがまだ子どもの頃……パエリア先生に、108マシンガンを教えてもらって、まだ間もない頃の話だ。

     リゾットは今日もこっそりと城を抜け出して、近くの森の中で一人鍛練をしていた。

    「108マシンガン!!」

     大木に向かって、何度も鋭い蹴りを入れ続ける。他の門下生に負けたくなくて、パエリア先生に教えてもらっている108マシンガンを一刻も早く身に付けたくて……リゾットは毎日、武術の授業時間以外にも自主トレーニングを重ねていた。
     僅か数秒の間に108の蹴りを入れ続けるというのは、なかなか体力が続かないもので。何度か練習しただけでも、すぐに息切れしそうになってしまう。

    「くっ……! でも、まだまだぁ! 」

     これくらいで根を上げていたら、いつまで経っても108マシンガンは習得できない。グランシェフ王国を守る、立派な強さを持った王子になる為には、もっと頑張らないと──!
     そう思って、リゾットは乱れた息を整える。そうして、大木に向かってまた蹴りを入れようとした──まさにその瞬間だった。

    「わあ~!! すごいですね! 数秒の間にあんなにたくさんの蹴りを入れられるだなんて!!」
    「──ッ?! だ、だれだ?!」

     背後から突然聞こえた声に、リゾットは思わず、心臓が止まりそうになるくらい驚く。
     ばっと後ろを振り返ると、そこには。自分よりほんの少し背が高い、金髪赤目の少女が、きらきらと瞳を輝かせながらリゾットを見つめていた。

    「あ、はじめまして! 私はニコラシカと言います! ちょうどこの辺りを歩いていたら、物凄い音が聞こえたので……何かな~?ってつい立ち寄ってしまって……」

     いきなり驚かせてしまってごめんなさい!と、ニコラシカと名乗った少女はぺこり、と頭を下げた。リゾットはしばらくぽかん、としていたが、はっと我に返ると、ようやく、たどたどしい様子で言葉を発した。

    「えと、とりあえず、顔を上げてくれないか……? オレは……リゾットって言うんだ。その、よろしく」

     す、と手を差し出す。同年代くらいの女の子とまともに接したことがなかったリゾットは、緊張でいつもよりやや少しぶっきらぼうな、固い口調になっていた。

    「はい! よろしくお願いします!」

     それでも、ニコラシカは意に介さなかったようで。ぱああ、と嬉しそうな明るい笑顔浮かべて、差し出されたリゾットの手を握った。

     リゾットとニコラシカが、初めて出会った日のことだった。

    ***

    「ニコラシカは、バンカーになるための旅をしているのか? 一人で?」
    「はい! まだまだひよっこの半人前の身ですが……いろんなところを旅して、修行を積んでいる最中なのです! それにしても……、リゾットくんはグランシェフ王国の王子様だったんですね! 本物の王子様に、森の中で会えるなんてびっくりです!」
    「……秘密にしておいてくれよ? また抜け出してることが知られたら、先生にも……父上にも、母上にも怒られるからな」
    「ふふ、勿論です! 誰にも言いませんよ!」

     簡単な自己紹介の後、リゾットとニコラシカは木陰に二人並んで座って、他愛ない話をしていた。
     リゾットは、グランシェフ王国の王子で、城を抜け出して一人森の中でこっそりと鍛練をしていたこと。ニコラシカは、旅の中でグランシェフ王国に辿り着いて、渡り歩く中で森を見つけて散策していたことなどを。

    「それにしても……。リゾットくんは、どうして森の中で鍛練しているのですか? お城でも修行できそうなのに……」
    「……城の中で練習するだけじゃだめなんだ。オレ、一刻も早く108マシンガン打てるようになって……強くて、この国の皆や平和を守れるくらい強い王子になりたいんだ。だから、こうして一人での鍛練も、毎日欠かさずやってるんだ」

     リゾットは少し照れ臭そうに、ぽつりぽつりと話す。いつもは自分の心の中に留めている、故郷の皆に対する想いを……こうして誰かに話すのは初めてで、ちょっと気恥ずかしかった。
     からかわれるかな……と、思ったリゾットだったが、ニコラシカは尊敬の眼差しで、リゾットを見つめていた。

    「わあ……! リゾットくんは立派な王子様なんですね!」
    「そ、そうかな?」
    「そうですよ! ふふ、そっか……!リゾットくんみたいに、優しくて、良い王子様もいるんですね!」
    「や、やめろよ。なんか……照れるだろ」

     ニコラシカの直球な物言いに、リゾットは照れくさくなってしまう。ふい、と思わず顔を反らして、別の話題を振ることにした。

    「ニコラシカこそ、なんで一人で……それも、バンカーになる為の旅をしているんだ? ……その、女の子一人って危なくないか?」

     リゾットは内心で、自分と同年代くらいであろうこの少女が──一人でバンカーになる為の旅をしていることにとても驚いていた。
     つい先日。108マシンガンを早く教えてもらいたいが為に城を抜け出して、無謀にもバンカーとの戦いに挑んで危険な目に遭ってしまったことを思い出す。バンカー同士の戦いが如何に危険で、命懸けのものなのかを身を以て知ったリゾットとしては……ニコラシカのような少女が、バンカーとして旅をすることはとても過酷なことなのではないかと、幼いながらにも思ったのだ。

    「ん~、確かにあぶないこともいっぱいあります。……だけど、それ以上にたくさんの世界を見れることが楽しいですし、お願い事を叶えるためなら、へっちゃらです!」
    「……ニコラシカのお願い事ってなんなんだ?」

     リゾットは興味があった。自分と、そう年も変わらないであろうこの少女が……早々にバンカーになることを決意して、過酷な旅をする理由が何なのかに。

    「私、会いたい人がいるんです」
    「会いたい人?」
    「はい! ……私、生まれた時から家族がいなくて、ひとりぼっちだったんですけど……そこから救って、生きる希望をくれた人に、会いたくて」
    「──ッ?!」

     ニコラシカの口から語られた過去に、リゾットは思わず言葉を詰まらせてしまった。
     ニコラシカがあまりにも天真爛漫で、明るい少女だったから……まさか。天涯孤独の過去を背負っているとは、思っていなかった。

    「ご、ごめん。なんか、踏み込んだこと聞いたな」
    「いえいえ! 私ももう少し伏せて言えばよかったですね! リゾットくんが気にする必要はないですよ。それに、私は確かにひとりぼっちでしたが……今は決して不幸じゃありませんから! 大好きな人に会うために修行を重ねる旅を、とっても楽しんでいるんですから!」

     にこ!と天真爛漫に笑うニコラシカに、陰りは一切なかった。
     リゾットはそんな彼女に面食らいつつ、思わず、ふ、と笑った。ニコラシカがまっすぐに前を向いているのは……一重に、彼女が会いたくてたまらない人間とやらにあるのだろうなと、リゾットは即座に理解した。

    「ニコラシカなら、いつか絶対会えるよ」
    「はい! 絶対またお会いして……そして、大好きって気持ちを伝えるんです!」
    「ほ、本当に随分と積極的なんだな……」

     裏表の無い、素直で直球なニコラシカを見て、リゾットは思う。
     きっと、ニコラシカがここまで明るく、強く前に歩もうとしているのは──唯一無二の大切な人がいるからなのだろうと。

     それからしばらく。ニコラシカがグランシェフ王国を立ち去るまでの間……リゾットは彼女と技の鍛練をしたり、ニコラシカが見てきたさまざまな世界の話を聞いたりしていた。

    (オレも負けていられないな)

     ニコラシカという少女との交流を経てから──リゾットも自らの、グランシェフ王国を守る立派な王子になるという夢を確かにするための修行に、尚更打ち込むようになった。

     それから数年後──彼にとって過酷な出来事が始まり、その過程でニコラシカや……彼女の想い人兼リゾットにとっての宿敵となる──レモネードと出会うことになるのだが、それはまた別の話だ。
    お料理師弟結成
     バーグ師匠の元で修行を重ね続けて数年。晴れてひよっこバンカーを卒業した俺は、遂に一人前のバンカーとして一人立ちをした。

     今までは、バーグ師匠に稽古付けて貰ったり、コロッケの子守りをしたりしていたから、そういった時間がなくなった一人旅は、少しだけ寂しい。大の大人が思うようなことじゃないかもしれんが、俺は存外、誰かと共にする時間というのが好きだったんだなと実感する。

     そんな感傷に浸りつつ、俺は数多のバンカーと戦って禁貨を集めたり、時には力の弱い子どもや女の子を襲おうとするバンカーからその子達を庇って助けたりして、俺なりのバンカー人生を歩んでいた。
     自分の命と誇りを掛けて正々堂々と戦い、強きを挫き弱きを助ける……そんなバーグ師匠の教えを、俺は片時も忘れたことはない。

     俺の夢は、偉大なるバーグ師匠のように、心優しい最強のバンカーになることだ。そして……いつの日か、バーグ師匠が俺にしてくれたように、誰かを導き、困っている人を助けられるようなバンカーになりたいと思っているんだ。

    「お、おい! きみ、大丈夫かい?!」

     ──だから、道端で倒れていた女の子を……見捨てられるわけがなかったんだよな。

     もうそろそろ日が暮れる時間帯。夜になれば一気に冷え込む森の道中に、倒れている女の子を放置するなんてできるわけがない。
     女の子の近くに駆け寄ると、彼女の服の背に大きなバンカーマークが描かれているのが確認できた。もしかして、どこかのならず者のバンカーに襲われてしまったのか……?!という悪い予感を覚えかけたが、衣服の乱れも、目立った外傷もない。息もちゃんとしているのを確認して、一先ず安心する。

    「きみ、起きられるかい?」
    「う、うう……」

     俺はそう呼び掛けながら、女の子を抱き上げた。すると、女の子は小さく呻きながら反応して、うっすらとその瞼を開けた。

    「あ、あなた、は……?」

     開かれた女の子の瞳が、俺の顔を映す。意識を取り戻したことに安堵し、俺は彼女の容態を確認する。

    「きみはここで倒れていたんだ。どこか痛いところとか、怪我はないか?」
    「えと……怪我とかは、ないです。ただ……」
    「? ただ?」

     俺が聞き返すと、女の子はしばらくどこか気まずそうに、恥ずかしそうに口をつぐむ。
     ……そんなに言いづらいことなのだろうか。あまり無理強いして言わせるつもりはないが、このまま放っておくことも──なんて思ってたら、どこからかぐう……と、腹の鳴る音が聞こえてきた。

    「……え?」

     その腹の音は、もちろん俺じゃない。聞こえた方を見遣ると、女の子は顔を真っ赤にして俯いていた。

    「す、すみません……! わたし、お腹が空いてて……それで倒れちゃってたんです~!」

     恥ずかしそうに、申し訳なさそうに……ひーん!と顔を両手で覆う女の子。俺は、そんな女の子の反応がなんだか面白くて……思わず盛大に笑っちまったんだ。

     ──これが、女の子……ニコラシカと俺の出逢いだったんだよな。


    ***

     備えあれば憂いなし、とはバーグ師匠との旅を経て学んだものだ。棺桶の中に、様々な食材をストックしておいて本当によかった。
     俺は、空腹で動けなくなってしまった#ニコラシカ#に、簡単に料理を振る舞うことにしたのだ。

    「ニコラシカ! シチューできたぞ!」

     焚き火の前で暖まっているニコラシカに、俺はシチューの入った皿を差し出す。
     差し出されたシチューを見て、ニコラシカは瞳をきらきらと輝かせる。そして、シチューと俺を交互に見始めた。

    「わあ……! すっごくおいしそうです! こ、これ、レトルトとかじゃなくて、フォンドヴォーさんが一から作ったんですよね?!」
    「ん? まあな! 俺、こう見えても料理するのが好きでな! それよりほら、早く食べないと冷めちまうぞ?」
    「あ、はい! それじゃ、いただきまーす!!」

     ニコラシカは両手を合わせてからそう言うと、スプーンでシチューを掬い、口の中に運んだ。
     もぐもぐと具材を咀嚼したかと思えば、たちまちに表情を幸せそうに綻ばせる。……どうやら、彼女の口にあったようだ。

    「お、おいしい~!! おいしすぎます! ジャガイモがほくほくしてて、シチューの味も凄くクリーミーでまろやかで……! 私、こんなにおいしくて暖かいご飯、はじめてです……! フォンドヴォーさん、絶対良いお嫁さんになれますよ!」
    「ははっ! そんなに喜んでもらえるなら、作った甲斐があったな! ……って、まてまて! 俺はお嫁さんにはなれないぞ?!」

     ニコラシカは本当においしそうに、幸せそうにシチューを食べる。お嫁さん云々はともかく、ここまで喜んで貰えると、作り手冥利に尽きるってもんだな!

     それから数分で、ニコラシカはあっという間にシチューを平らげていた。……3日間、木の実しか食べてないって言ってたくらいだ。相当腹が減ってたんだな。

    「ふう。フォンドヴォーさん、ごちそうさまでした! 助けていただいた上に、こんなに美味しい料理まで振る舞っていただけるなんて……! なんてお礼をすべきなのか……!」
    「なに、気にする必要はないさ。困っている人……まして、倒れている女の子を助けるのは当然のことだからな! ただ、きみは女の子とは言えどもバンカーなんだ。もう少し、危機感を持って行動すること! 禁貨奪われるだけじゃ済まされない事態だってあるかもしれないこと、忘れるなよ?」
    「はい! 以降は気を付けますね!」

     俺の忠告に、ニコラシカは元気良くにこにこと返事をした。この底抜けに明るくて元気な雰囲気……どことなくバーグ師匠と共に居た時の気持ちが蘇る。最近はずっと一人旅だったから、こうして誰かと会話して、食事を振る舞うなんて……久々だ。

    「あ、あの! フォンドヴォーさん!」
    「ん? どうしたんだ?」

     物思いに耽っていると、ニコラシカが声をかけてきた。深紅の瞳が、真剣な眼差しで俺を捉えている。
     ……この様子だと、何か俺に頼みたいことでもあるのだろうか?

    「あの、助けてもらった分際で大変図々しいとは思うんですけど……! フォンドヴォーさん! どうか、私の料理のお師匠さまになってくださいませんか?!」
    「……え? 料理の師匠? 俺が?」

     予想外の頼みに、俺は思わずぽかんとしてしまう。

    「はい! 月謝として、毎月禁貨もお支払しますし……! どうか、私を弟子にしてください! お願いします!」
    「お、おい、まてまて! 頭下げなくていい! 顔をあげてくれ! ……それに、月謝なんか払って貰わなくても、料理くらい教えるさ!」
    「……良いんですか?!」
    「もちろん、御安い御用だ。……しっかし、なんでまた、」
    「実は私、お恥ずかしながら料理の腕からきしで……! それに、」

     ──私、会いたい人がいるんです。私に、生きる希望をくれた大切な人が。その人に再会した時に、せめてものお礼として料理を振る舞ってあげたい。少しでもおいしいと思っていただけるような、料理を作りたいのです。だから、フォンドヴォーさんのところで修行を積ませてほしいのです!

     ニコラシカは愛しそうに……まさに恋する少女の顔をして、俺にそんな事情を話したのだ。

     ……ここまで言われちゃ、ますます断る理由なんてなかったな!

    「そういう事情なら、ますます御安い御用だ! 俺も気合いを入れて教えてやる! ……ただし、俺の修行はなかなか厳しいかもだぞー?」
    「……! ありがとうございます! いくらでも、びしばしご指導よろしくお願いします! 師匠!」

     屈託ない笑みを浮かべて、ニコラシカは嬉しそうに言った。……しっかしまあ、こんなに可愛らしい女の子に愛されている奴は、相当幸せ者だな!

     ──そうして、ニコラシカは俺にとっての弟子一号になった。
     ……バーグ師匠のように、彼女を良い方向に導けるのかどうか、正直なところ分からない。だけど、一度やると決めたのだから、ニコラシカが好きな奴に再会するその日までに、料理上手な女の子に成長させないとな!

     そんな決意を秘めつつ、フォンドヴォーはニコラシカの料理の師匠となった。

     ……ニコラシカの想い人が、BB7のレモネードだと知って、フォンドヴォーが驚嘆の声を上げるのは、それから数年後の話だ。
    山賊集団と少女
    「あの、すみません!」

     殆ど誰も寄りつくことのないピザの斜塔前。そこに、およそ似つかわしくない溌剌とした明るい声音が響き渡った。
     ピザの斜塔の前に屯する、いかにも柄の悪い山賊集団に声を掛けるなど、とんでもない怖いもの知らずなのだろう。そう思いつつ、パンプキンは声の持ち主の方へと視線をやる。

    (うおお……!なんだよめちゃくちゃ可愛いじゃんかYO!)

     眩しい程の金糸の髪に、人懐こそうな笑みを讃えた少女。胸元にバンカーマークが施されているのを見て、彼女も自分達と同じバンカーであることが意外で、驚く。

    「……何の用ですか、お嬢さん。このピザの斜塔は我々BB7のもの……手出しをするというのなら、いくら女性といえども容赦致しませんよ……!」

     自分達に声を掛けてきた少女に応対したのは、BB7のリーダーであるマルゲリータ。ピザの斜塔に眠っているであろう大量の禁貨を奪われたくない彼は、同じバンカーである少女に対する警戒心を緩めない。

    「あ、よかった!やっぱりこちらが……BB7さんのいらっしゃるところだったんですね!」

     しかし少女は、マルゲリータの放つ確かな殺気など意にも介さず。それどころか、ピザの斜塔自体には興味はなく、BB7という組織そのものに用があるような言い回しをした。
     どういうことだ?と一同が疑問に思うのも束の間。少女の口から、耳を疑うような一言が飛び出した。

    「あの、レモネードさんはいらっしゃいますか? 私……レモネードさんに会いたくて、探しているんです!」

    ***

    「……なるほど、事情は分かりました。貴方……ニコラシカさんは、我がBB7の党員であるレモネードくんに用があって、ここまで赴いてきたというのですね?」
    「はい、そういうことです! なので、レモネードさんがお戻りになられるまで……しばらくこちらでお待ちさせて頂きますね!」

     金髪赤目の少女……ニコラシカは、ピザの斜塔にまで辿り着いた経緯を細かに話してくれた。
     彼女はどうやら、幼き日に自分を助けてくれた(らしい)レモネードに十年越しの恩返しをする為に、あらゆる手段を駆使して彼を探し、ここまで来たのだという。普段のレモネードを知っているBB7のメンバーからすれば……ニコラシカの話はにわかに信じ難かったが……彼女が嘘を付いているようには、到底思えなかった。

    「……つかぬ事を聞きますが、貴方を助けたその方って本当にレモネードくんだったのですか? 同じ名前の別人という可能性はありませんかね……?」
    「いいえ! 私がレモネードさんを間違えるだなんてありえません! 間違いなく……BB7の皆さんと一緒に行動してらっしゃる水使いのレモネードさんが、十年前私を助けてくださったその人だと、私の直感が告げているのです!」
    「凄い自信だぞーい……」

     アホ毛をぶんぶん振り回しながら主張するニコラシカに、思わず圧倒される。こんないかにも人畜無害そうな、天真爛漫とした少女が……冷酷非道と名高いレモネードのような男を慕っている様子なのが、信じられない。彼が各所で暴れまくっている噂など、それこそごまんと聞いているだろうに……。

    「……おい、何の騒ぎだ? つーかそこにいる女誰」
    「! レモネードさん!!」

     噂をすれば何とやら。レモネードが戻ってきたらしい。彼の声と姿を視認するや否や……誰よりも早く反応したのは、彼の帰りを待ち望んでやまなかった、ニコラシカその人だった。
     彼女はレモネードの元へと駆けたかと思えば、そのままなんと、大胆にも彼に抱き着いた。

    「ッ?! なんだテメエ! 気安くオレに触るな!!」
    「レモネードさ〜ん!お会いしたかったです……! 私、ニコラシカは……貴方に恩返しをする為に、ここまでやって参りました!」
    「聞けやコラ!!」

     レモネードは一瞬、何が起きたのか理解できなかったのか面食らったような顔をしていたが……すぐにハッと我に返ったらしい。自分に抱き着いてきた彼女を怒鳴りつけるが、ニコラシカはレモネードに会えた嬉しさで心がいっぱいなのか、気にした様子がなかった。

    「鋼のメンタルだYO……」
    「カカカ……!」

     これは騒がしいことになりそうですね、とマルゲリータがぼやいた一言に、一同は思わず同意する。

     これが、BB7とニコラシカが関わりを持つようになった最初の日の話だ。
    孤高の水使いの猜疑心
     この世の中は弱肉強食。無償で得られるものなんて何もない。欲しいものがあるのならば、それを何としてでも奪い取れるほどの力が無ければ、生きていけない。
     そんなことはないと言う人間がいるとするならば、そいつはとんでもない甘ちゃんだ。生まれながら、当然のように恵まれた環境下で育ち、苦労とは無縁の世界で生きてきた人間の言葉でしかない。オレが生きてきた世界は、そんな生ぬるく、甘ったれた世界じゃなかった。
     歯向かってくる奴は力で捻じ伏せ、言うことを聞かせる。強く在らなければ、この世界で満足に生きることすら叶わないからだ。他人の言うことなんて全て嘘だと疑いながら、己の力のみを信じて生きていく。それが当然だと、思っていたんだ。

    「レモネードさん!」

     オレの姿を視認するなり、嬉しそうな笑みを浮かべながら駆け寄ってくる金髪赤目の女。ニコラシカと名乗るそいつは、つい最近、オレの目の前に突然現れた。

    「ずっと、ずっと貴方とお会いできる日を夢見ていました!」

     幼少時代。この女はオレに助けられたのだと言う。魔女だと多くの人間に罵られ、孤独に打ち震自分に……生きる希望をくれた恩人だと。あの日からずっと、オレを想って生きてきたのだと。女はまっすぐにオレを見つめて、屈託のない笑みで告げてきたのだ。

    「……意味わかんねえこと言ってんじゃねえよ」

     正直な話。オレはこの女のことなんて、助けた記憶なんてほぼ覚えていなかった。癇に障ったから、という理由で他人を攻撃することなんて、最早日常茶飯事だ。この女を助けた云々の話なんて、結果論に過ぎない。……たまたま、この女を助けたという形になっただけに過ぎないのだ。
     だから。オレがこの女に、好意とやらを向けられる理由なんて微塵もない。

    「……それでも、貴方に助けられたのは事実なんです。今、私がこうして生きていられているのは……レモネードさんがいたからなんです」
    「るっせえな……さっきからワケ分かんねえことばっか言いやがって……! 何が目的なんだよ! ああ?!」

     苛立ちが隠しきれず、オレは女の手首を強く掴み上げる。こいつがオレに向けてくる視線、熱の籠もった言葉全てが、オレにとっては居心地が悪く、無性にイラついてならなかった。

    「っ……!」

     強く掴まれているせいだろう。女の表情が痛みで歪んでいる。それでも、女はオレのその行いを咎めようとしない。それどころか、受け止めるように……柔らかに、笑ってみせる。

    「……私は、レモネードさんのお力になりたいんです。貴方のお役に立てる為ならば……何だってしたい。その為だけに、今まで生きてきたんです」
    「……うぜえ。んなの信用できるか! お前バッカじゃねえの?!」

     振り払うように、オレは女の腕を離した。理解できない言葉の数々。綺麗事としか思えないそれら全てが、オレの心をぐしゃぐしゃにしていく。
     この世に、無償で与えられるものなんか何もない。この女は何が望みなんだ。何を企んでいるんだ。オレと同じ環境下で生きてきたくせに、こんなにもまっすぐでいられるだなんておかしい。オレを利用しようとしているだけだ、そうに違いない。……だから、間違っても期待してはならない。

    「……信じてほしいだなんて、言いません。私は、私の想う気持ちを……ずっと、貴方に伝えるだけですから」

     レモネードさん、大好きです。その言葉の暖かさに、込められている想いに、揺れそうになるだなんて。あり得ていいはずがないんだ。

    「妙な真似しようとしたら、女であろうが容赦しねえ。マジでぶっ潰すからな……!」

     殺気を放ち、突き放すように言っても。女はほんの少し悲しげに笑って、「その覚悟はできています」なんて、受け止めるだけだった。
    貴方だけを見つめ続ける
     例え私の言葉が届かなくても。貴方が私を信じてくれなくても……私は貴方を愛し続ける。十年前からずっと、私の心は貴方に捧げ続けていたのだから。

    「綺麗事ばっか抜かしやがって……! うぜえんだよ!」

     ぎろり、と氷のように凍てついた、鋭い視線に射抜かれる。びしばしと容赦なく込められた殺気。私に対する憎悪すら感じるそれに、息が止まりそうになった。
     十年という長い年月を経て、私はやっと、会いたくて会いたくてたまらなかった、レモネードさんと再会することができた。十年前の出来事は、レモネードさんにとってはありふれた出来事の内の一つでしかなかったらしく、私のことなんて覚えていなかったけれど……それでも。彼の為に、やっと自分の力を捧げられる日が来たのだと思って、それだけでもずっと嬉しかったんだ。
     ……けれど、それは私の、独りよがりの願望でしかなかったのだと思い知る。
     レモネードさんのお傍にいたい。力になりたい。大好きなのだと……自分の想いを伝える度に、レモネードさんは怪訝な表情を浮かべて、ワケが分からないと否定する。

    「てめえ何企んでやがる。いいこちゃんぶられんのが一番ムカつくんだよ……!」

     見返りを求めない献身なんて、自分に何のメリットもない行動をしたがるなんてあり得ないと。猜疑心に満ちた彼の言葉に、傷つかなかったと言えば嘘になる。

    「……私は、レモネードさんのお傍にいたいだけなんです。私の望みは、それだけなんです」

     一度でも怪しいと思ったら、私のことを殺しても構わない。レモネードさんが望むのならば、この命を捧げる覚悟は……とうの昔にできているのだから。

    「ケッ……! マジでお前どうかしてるんじゃねえの?!」

     私を見る目がどこまでも冷たかったとしても。信じてくれなくても……嫌われても、憎まれても。私の心は決して、揺るがないから。

    「……そうかも、しれませんね」

     どれだけ罵られたって、私は貴方に寄り添いたい。大好きな人の傍にいられたら、それだけで幸せだと思えるから。
     私の心は、ずっと、変わらない。
    どれほど、突き放されても
    「オレの為ならなんでもできるだとか、そんな寝惚けたこと二度と言えなくしてやるよ……!」
    「きゃ……っ!」

     強く腕を掴まれたかと思えば、そのまま乱暴にベッドの上に放られる。起き上がろうとしたのも束の間、レモネードさんはそのまま私の上に覆いかぶさって……手首をシーツに縫い付けるかのように抑えつけてきた。私を見下ろすアイスブルーの三白眼は、氷のような鋭い冷たさを宿していて、息が詰まりそうになる。

    「ケッ、なに怖じ気付いてやがる。……オレの役に立ちてえんだろ?」
    「レモネード、さん……!」

     私を嘲笑うレモネードさんの声と、言葉。表情全てが、私の身体と心を強張らせる。これから自分が何をされるのか、それが分からないほど……私は子どもではないつもりだ。

    「嫌なら抵抗してみれば? ……できるもんならな」
    「あ、……!」

     レモネードさんの手が、私の衣服に掛かる。スカーフは乱暴に剥ぎ取られて、素肌が外気に晒されていく。するり、とわざとらしく脚を撫で上げられる感覚に、身体がびくりと跳ねてしまう。

    「ケケケ……なあ、こんなことされても、まだオレのことが好きだなんて寝惚けたことが言えんのかよ」
    「……っ! は、い……! わたしは、レモネードさんが望むのならば……なにも、なにも惜しくなんてありません、から……!」

     怖い。頭の中に浮かんだその感情を……私は必死に振り払う。ぎゅ、と瞳を固く閉ざして、抵抗の言葉を飲み下す。

    (レモネードさんが望むのならば……私はただ、受け入れるって決めたんだから……!)

     心が伴わない行為が、悲しくないといえば嘘になる。いくら好きな人が相手だとしてもこんな形では嫌だと叫ぶ自分の心を、私は必死に押し殺した。だって、私はそれ以上に……レモネードさんから離れたくなかった。レモネードさんを拒絶したくなかった。……逃げたくなんて、なかったんだ。

    「……チッ、」

     機嫌悪そうに、舌打ちをする音。それと共に、私の手首を強く掴んでいた、レモネードさんの手が離れていく感覚があった。

    「え……? レモネードさん……?」
    「……やめた。だいたい、てめえみてえなガキ相手にするほど、オレは飢えてねえ」

     レモネードさんはそう言って、私の上から退く。

    「……今日はやめてやる。だが、またオレに必要以上に構うってんなら……次は容赦しねえ。それが嫌なら、二度と関わろうとすんな」

     吐き捨てるように言われた台詞。私が何かを返す暇もなく、レモネードさんは足早に部屋から出てしまった。

    「……レモネードさん、ごめんなさい。それでも、私は……貴方のそばにいたいんです」

     怖くても、どれほどの痛い目を見て、傷つくことになったとしても……私にとっては、レモネードさんのそばにいられないことの方が、ずっとずっと、辛いから。
     レモネードの手によって乱された服を整える。零れ落ちそうになる涙を、ニコラシカは必死に拭い続けた。
    手折れなかったひまわりの視線
     好きだとか、愛しているとかふざけてんのか。何度暴言を吐いても、どれだけ突き放しても、女の酷く澄んだ深紅の瞳は翳ることなく。オレをまっすぐに見つめ続けているのが、苛ついて仕方がない。
     そんな綺麗事がいつまで吐けるというのか。オレの為ならば何でもできると宣うこの女も、一度とことん痛い目を見れば……いいこちゃんぶっていられない筈だ。

    「ケッ、なに怖じ気付いてやがる。……オレの役に立ちてえんだろ?」

     オレに手酷く組み敷かれた女は、分かりやすく怯えていた。いつも柔らかな笑みを讃えている表情は強張り、身体は恐怖で小刻みに震えている。
     嫌なら抵抗してみろとだけ吐いて、オレは女の衣服を乱す。素肌を晒し、わざとらしく身体をなぞってやる度に、女の赤い瞳にじわりじわりと涙が溜まっていくのが分かった。
     ……それなのに。女は抵抗する気配を一向に見せない。いやだとかやめての一言も漏らすことなく、ただただじっと、これから自分の身に降りかかるであろう陵辱を……受け止めようとしていやがった。

    「わたしは、レモネードさんが望むのならば……なにも、なにも惜しくなんてありません、から……!」

     涙を零すまいと。恐怖を押し殺そうと強く瞳を閉ざしながら……女はオレにそう言ったのだ。この期に及んで、オレのすることを赦し、受け入れようとするその姿に……気づけばオレの手は、止まっていた。
     ……もし。女が少しでも抵抗する素振りを見せたり、オレを拒絶したのであれば……とことん辱めて、存分に痛い目を見せていただろう。もう二度と、オレという存在に関わろうだなんて思えなくするほどの、屈辱を味合わせてやっていただろう。
     ……だが、そうはならなかった。ならなかったのだ。

    (うぜえ。何も考えたくねえ……!)

     女の覚悟を嘲笑ってやるかのように、手酷く犯してやることがどうしてできなかったのか。
     確実に、オレはあの女……ニコラシカと関わってから、何かがおかしくなっている。あいつのまっすぐさに、苛立って、腹が立って仕方がない筈だったのに……。
     ぎり、とレモネードは奥歯を強く噛み締める。心の奥底で芽生え始めている……もやもやとした形を成さない感情に蓋をするかのように。
     思考したくないのに、脳裏に、ニコラシカの姿が浮かんでは、離れてくれなかった。
    幕間の話1
    「レモネードさ〜ん!こんにちは!今日も私……ニコラシカは、レモネードさんに会いにやって参りました!」
    「うぜえ」
    「えへへ、今日もとってもかっこいいですね!」
    「うるせえ」

     ここ最近。BB7が屯するピザの斜塔に、一人の少女が出入りするようになった。少女の名はニコラシカ。人懐こい子犬を思わせる、愛らしいこの少女が、自分達のような山賊バンカーと関わりを持っているだなんて世間の誰もが想像もしないだろうなとパンプキンは思う。
     ……否。もっと言うと、目の前で繰り広げられているこの光景こそが、パンプキンにとっては信じ難いもので、これは現実ではなく夢なんじゃないか?と思ってしまうほどだった。

    「クスクス……俺達が見てるこの光景って現実なのかNA……」
    「カカカ……」

     カ、としか言えないことを知りつつ、パンプキンは思わず隣にいたクスクスに問い掛けてしまった。そうでもしないと、目の前で見せつけられているじゃれ合いを、正気で受け止められる自信がなかったのだ。
     ……そう。このニコラシカという少女はなんと、レモネードのことが好きで、彼の傍にいたいというのだ。なんでも、レモネードは幼少期の彼女を救ってくれた恩人で、彼女は救われたその時からずっとレモネードを一途に想っていて……彼を追い掛ける為にバンカーになったという経緯を持つというのだ。
     ニコラシカの人柄からして、嘘を吐いているようには到底見えないし、真実なのだろうとは思う。しかし、普段の冷酷非道で、勝つ為ならば手段を選ばないレモネードの恐ろしさを知っているパンプキンからすれば……衝撃の連続すぎたのだ。我らがリーダーのマルゲリータも言っていたが、それは本当にレモネードだったのかと何度も確認したくなった。同じ名前の別人でしたオチならば納得できる。寧ろそうであってほしいと思ったくらいだ。

    「レモネードさん、大好きです!十年間……貴方に恋い焦がれてきましたが……こうしてまたお会いできて、レモネードさんに対する想いはますます溢れてしまいそうです……!」
    「うぜえって言ってるだろ!!つーかオレに気安く触るんじゃねえって何度言えば分かるんだテメエは!!ぶっ潰されてえのか?!」

     レモネードになんの躊躇いもなく抱きつき、熱い告白をするニコラシカの姿と、それを突っぱねるレモネード。最早BB7の間では日常茶飯事の光景と化している。初めのうちは「なんて怖いもの知らず……」とハラハラしたものだが、もう慣れたものだ。慣れって怖い。

    「……ニコラシカちゃん、あんなに邪険に扱われてよくめげないよNA……」
    「あのレモネード相手に凄いぞーい!あたいだったらぁ、あんなに怒鳴られたらすぐ逃げちゃうぞーい!」
    「それくらい好きってことなんだろうな〜」

     パンプキンのぼやきをいつから聞いていたのか。ヤキソバとルッコラが相槌を打ってきた。この二人はBB7のメンバーの中ではレモネードと比較的仲が良い方で、そこそこ絡みもある。自分のようにレモネードに対する苦手意識はないのだろう。……おっかないと思っているのは、共通意識だろうが。

    「レモネードさん、これからバンカーバトルに赴くのですよね? 私もご一緒させてください! レモネードさんのお役に立てるように……この槍を、存分に振るわせていただきます!」
    「ケッ……勝手にすれば? 邪魔になったら容赦なくテメエからぶっ潰すから覚えとけ」
    「はい! そうならないよう、上手く立ち回ってみせます!」

     すたすたと足早に歩くレモネードの後を付いていくニコラシカ。ちょこちょこと健気に彼の後ろを歩くその姿は、まるで親鳥の後について歩く雛のようだなあなんて思う。

    「……以前までは、付いてくるなと言っていたようだったが。今はそうではないんだな」

     ぼそ、と。そんな一言を漏らしたのは……メンバーの中でも一番寡黙なニガリだった。彼の言葉に(そういえば、)と、一同は気付く。

    「付いてくるなと言っても、彼女が聞かないから諦めたのでしょう。……本当に、物好きな人ですよ、ニコラシカさんは。正式なメンバーとして迎え入れたい程のメンタルの強さと実力ですが……彼女、見事なまでにレモネードくんしか見えていないですからねえ。惜しいものです」

     マルゲリータはレモネードとニコラシカの二人を見つめる。レモネードと並び立って戦いたいという想い一心で、鍛えてきたというニコラシカの槍術に、マルゲリータは一目を置いていたりするのだ。

    「恋する乙女の力ってやつだぞーい!キャハ!今度、ニコラシカと一緒にガールズトークするのが楽しみだぞーい!」
    「聞かされるの、多分大半が惚気話だろうけどな〜」

     わいわいと盛り上がるこの話題……もし、レモネードの耳に入ったら、全員に水のリボルバーを容赦なく放ってくるんだろうなと、パンプキンは思った。
    幕間の話2
     ルッコラに最近女の友達ができた。その少女はニコラシカといって、レモネードを訪ねてBB7の元までやってきたという。おいら達の度肝を抜かすほどのメンタルの強さには度々驚かされるが……愛想もよく、明るく優しい少女だ。ルッコラはきっと、そういう彼女だからこそ、懐いているのだろう。

    「今日ね〜!ニコラシカと一緒におやつ食べながら遊ぶんだぞい!」
    「お〜よかったな〜」
    「うん! あとでちゃーんとヤキソバの分のおやつも持ってくるぞい! 楽しみにしてるぞーい!」

     ルンルン!と効果音が付きそうな程に、ルッコラははしゃいでニコラシカのいる部屋へと走っていった。転ぶんじゃねえぞ〜、とだけ声を掛けて、おいらはルッコラを見送る。
     余程ニコラシカに遊んでもらえるのが嬉しいのだろう。女友達に憧れていた節のあるルッコラを知っているおいらからすれば、ルッコラに女友達ができたのは間違いなく喜ばしいことだ。けれども……。

    「前まではおいらにべったりだったのになあ。ちょっぴり寂しいぜ〜」

     ニコラシカが現れる前までは、いつもおいらの肩に乗って一緒にいたんだけどなあ。二人で花畑に行って、ルッコラが好きそうな花をプレゼントして、嬉しそうに笑う彼女を見て癒やされたのは……もう何週間前の話だろうか。一人残されたヤキソバは、ついそんなことをぼやいてしまう。
     寂しいと思うのは確かだ。かと言って、ルッコラに着いていって女子会に混ざるわけにもいかないので、ここでおとなしく彼女が帰ってくるのを待つしかない。あの二人のことだから、自分が混ざっても快く歓迎してはくれそうなのは分かっているのだが……それができない理由があるのだ。

    「オイ、んなとこで何突っ立ってんだ。只でさえデケエ図体してんだからボーッとしてんじゃねえよ」
    「……レモネードよ〜、もうちょいオブラートに包んだ言い方しろよな〜」
    「ケッ、事実だろうが」
    「ひでえな〜傷つくだろ〜?」

     そう。他ならぬこの男……レモネードにある。ツンケンした物言いと態度で数え切れないほどの人間の心をばきぼきに折ってきた、冷酷非道が人の形をしたようなこの男に。

    「…………」

     一言二言交わした後、暫しの無言が流れた。レモネードの視線が、周囲をどことなく見渡している。……レモネードはぜってえ言葉には出さねえみたいだが、おいらでもそれが示す意味は分かる。

    「ニコラシカさんなら、ルッコラさんと一緒にいつもの部屋で遊んでいますよ。気になるのならば出向いてみれば如何です?」
    「……あぁ?! 誰もアイツのこと探してるなんざ言ってねえだろうが! ぶっ飛ばされてえのか?!」
    「人が親切に教えてあげたと言うのに何ですかその言い方は!? だいたいそんなにキョロキョロ見渡していたら分かるんですよ!!貴方は少しニコラシカさんの素直さを見習ったらどうなんですか?!」
    「うっせえ!」

     ああ……喧嘩になることなんて分かりきっているだろうに……。どうして火に油を注ぐのだろうか、我らがリーダーのマルゲリータ様よ……。レモネードの只でさえ鋭い目が、更につり上がっていらっしゃる。

    「ケッ……まあいい、テメエの相手は後だ」
    「結局会いに行くんじゃないですか」
    「マジで跡形もなくぶっ飛ばしてやるからな」

     カツカツと靴音を鳴らして、レモネードはニコラシカ達がいるであろう部屋へと赴く。
     ……うん、分かってはいたけどやっぱりニコラシカが来てるかどうか気になってたんだな……。おいらはいろんな意味でマルゲリータ様程の強さは持ってねえから、口が裂けてもレモネードに指摘できねえけど……。

    「ふん、本当にしょうがない人ですねレモネードくんは……!」
    「まあいいんじゃないんですかね〜。ある意味、ニコラシカのお陰で前より何考えてるのか分かるようになった気はしますぜ〜」

     おいらがルッコラ達の輪に敢えて入らないのは、女子二人に気を遣ってってのも勿論ある。だがそれ以上に……ニコラシカと喋っているとレモネードの目がなんとな〜く怖いからという理由が大きかったりするのだ。ま、おいらにはルッコラがいるから、レモネードの心配なんて杞憂なんだけどな〜!

    「……どうでもいいと言う割に気に掛けて、そのくせ彼女を前にすれば悪態吐いて……気難しいにも程がありすぎるんですよ、レモネードくんは」

     どう見たって、レモネードはニコラシカに心を砕き始めている。バンカーバトルから帰ってきてすぐに、彼女の姿を無意識に探そうとしているのがその証拠なのに……。他ならぬ、レモネード自身がそれを認めないのが、マルゲリータ様からすれば理解不能であるようだった。

    「いきなりレモネードが素直になったらそれはそれでこえ〜と思いますけどね〜」
    「……はあ。それは確かに一理ありますかね」

     ある意味一周回って素直な気もする。そんなことを零したら、きっとレモネードは水のリボルバーを無数に飛ばしてくるだろう。
     「ニコラシカは今あたいと一緒に遊ぶんだぞーい!!」と、レモネードに抗議するルッコラの声が聞こえてきて、おいらとマルゲリータ様は呆れたように笑うしかなかった。
    幕間の話3
     あたい、ニコラシカのことだーいすき!だって、あたいの初めての女友達になってくれて、いっぱい相手をしてくれる。あたいの好きなお花の話も、ヤキソバの話も、いっぱいいっぱい聞いてくれる。今まで、女の子があたいしかいなかったBB7に、ニコラシカが(正式なメンバーじゃないとはいえ)来てくれて、あたいは本当に嬉しかったんだぞい!

    「ルッコラちゃーん!今日はですね、お花型のクッキーを焼いてみたんですよ! 一緒に食べましょう!」
    「わーい! あたい、ニコラシカの作るお菓子だーいすき!お花の形なの、もしかしてあたいのため?」
    「えへへ〜、ルッコラちゃん、喜んでくれるかなって思って……お花の型抜きをしてみたんです!」
    「嬉しいぞーい! ニコラシカだいすき〜!!」

     今日はニコラシカがおやつを持ってきてくれた。可愛らしくラッピングされた袋を解くと、ふわりと甘い香りが漂う。ニコラシカが、ルッコラの為にと花の型抜きをして作ったクッキーがたくさん入っていて、ルッコラは思わずルンルンと踊る。
     そしてそのまま、クッキーを一つ手にとって。ぱくっと口の中へと放り投げる。さくさくとした食感と共に、バターの香りがふんわりと広がっていって……程よい甘さが、病みつきになるようだった。

    「おっいしー!!何個でも食べられちゃうぞーい!」
    「ほんとですか?! よかった〜!ルッコラちゃんに喜んでもらえてうれしいです!」

     ルッコラは、ニコラシカが時々こうして自分の為にお菓子を作ってきてくれるのが嬉しくてたまらない。コップに注いでもらったミルクを飲んで、またクッキーを頬張るのを繰り返す。おやつを食べながら、ニコラシカとお喋りをするこの時間が、ルッコラの最近の楽しみなのだ。

    「ねーねー!後でヤキソバにも分けていい?ニコラシカに作ってもらったって自慢するぞーい!」
    「ふふ、もちろん良いですよ! ヤキソバさんのお口に合うか分かりませんが……」
    「大丈夫だぞい! ヤキソバもニコラシカのお料理好きって言ってたし、どっかの誰かさんと違って甘いのなんて食べないなんて言わないぞーい!」
    「あ? てめえどういう意味だコラ」
    「げ……! れ、レモネード……!いつからいたんだぞい!」

     噂をすれば何とやらだ。まさかの御本人が登場してしまった。レモネードのドスの効いた低い声に、ルッコラの心臓はびくりと跳ねる。
     相変わらずの怖い顔だ。仮にもそれが、子どもである自分に向ける目つきなのだろうか?と、ルッコラは思う。レモネードが誰に対しても喧嘩腰なのはいつものことなので、口には出さないが。

    「レモネードさん! おかえりなさい、バンカーバトルお疲れ様でした!」
    「ケッ、てめえまた来てんのかよ。うざってえな」
    「一日でも多く、レモネードさんにお会いしたいんですもん!」
    「ほぼ毎日来といて何言ってやがる。寝言は寝てから言え」

     辛辣な言動。普通なら心が折れてもおかしくないようなレモネードの刺々しい言葉を受けても、ニコラシカはにこにこと笑って受け止めている。それどころか、レモネードと会話できるだけでも嬉しいようで、彼女のトレードマークであるアホ毛がぴょんぴょんと元気に揺れていた。ニコラシカは、レモネードと共にいられるだけで、本当に幸せなのだろうということが見ていて分かる。

    (……おもしろくないぞーい)

     その様子を、ルッコラは口を尖らせながら見つめる。さっきまで、ニコラシカと楽しく話していたのは自分だったのになあ。
     ニコラシカが、自分達BB7と関わるようになったきっかけは、全てレモネードという男にある。レモネードがいなければ、自分はニコラシカと出逢うこともなかったし、友達にだってなれていなかった。それは、幼いルッコラでも分かっているのだ。
     ……けれど、面白くないと思う気持ちは、どうしたって切り離せない。ニコラシカがレモネードのことが大好きで、彼に会う為にBB7の元へと足を運んできてくれていることを分かっていても……今は。今だけは自分との時間に集中してほしかったのだ。

    「ニコラシカ〜! 今はあたいとお喋りする時間なんだぞーい! レモネードの相手は後にするぞい!!」
    「わっ?! ご、ごめんなさいルッコラちゃん……!」
    「ケッ、ガキはガキ同士ままごとでもしてろ。興味ねえ」

     ニコラシカの胸の中に抱き着いて、ようやくこちらに目を向けてもらえた。だが、相変わらずツンケンしたレモネードの態度にはムッとしてしまう。
     ……普段なら、レモネードに喧嘩を売ろうだなんて絶対に思わないけど。今は、ほんのちょっと、仕返しをしたくなった。

    「なーにが興味ないだぞい! この間、ニコラシカが来なくてそわそわしてた奴に言われたくないぞーい!!」
    「ッ?! ルッコラ……テメエ……!!」

     案の定。レモネードはギロ、と只でさえ鋭い目を更に釣り上げた。図星だ。余計なこと言いやがって……!という態度がありありと出ている。

    「レモネードさん! ルッコラちゃん! 喧嘩しちゃだめです!!」
    「えーん!ニコラシカに怒られちゃったぞ〜い! ごめんね、もうしないぞい!」
    「チッ……! マジで後で覚えとけよ……!」

     ニコラシカの腕の中で、あたいはわざとらしく泣いている仕草を取る。レモネードは機嫌悪そうにそれを見た後、言葉を吐き捨てて立ち去った。
     あたい、知ってるんだぞい。レモネードはあんなふうにニコラシカに冷たい態度を取ってるけど……本当に嫌だと思ってるわけじゃないってことを。

    (ちゃっかりニコラシカが作ったクッキー食べてたし、本当に素直じゃないヤツ!)

     甘ったるいもんなんか好き好んで食わねえって言ってたくせに。去り際に一つ、クッキーを口の中に放っていたのをあたいは見てたんだから!
     きっと、そうやっていつか……ニコラシカのことを、レモネードは独占しちゃうんだろうなあ。
     その日までは。ニコラシカ、あたいと一緒に過ごすおやつの時間を……忘れないでね。
     約束だぞい!
    幕間の話4
    「ニコラシカさん、貴方……投槍の技術は取得していないのですか?」
    「う……っ! い、痛いところを突いてきますねマルゲリータさん……」

     バンカーバトルを終えた彼女に、マルゲリータは率直な質問を投げ掛ける。マルゲリータの問いに、ニコラシカは眉を下げ、苦笑を零した。
     一つ補足すると。マルゲリータは、ニコラシカのバンカーとしての実力を買っている。愛らしく、人畜無害そうな雰囲気から油断する人間が多いが、一度バンカーとしてのスイッチが入れば彼女は容赦がない。凛々しく槍を振るい、数多のバンカーを凪払って一掃する彼女の実力を、正式なBB7のメンバーとして迎え入れてもいいと考慮する程には認めているのだ。
     ただ一つ気になったのは、彼女は槍を振り回して戦うばかりで、ただの一度たりとも投槍の戦法を繰り出したことがなかった点だ。遠距離射撃メインのレモネードと共に戦う事が多い彼女なので、敢えて投槍の戦法を取らないだけなのかと思って今まで指摘はしなかったが……そうではなさそうだと。ニコラシカ一人で戦わせてみて思ったのだ。

    「私、投槍がどうしても上手くできなくて……全然見当違いの方向に投げてしまうんですよね。狙いが上手く定められなくて……。投槍を取得できたら、戦法の幅が広がるのは分かってはいるんですけど……」
    「ほう、やはりそうでしたか」

     気まずそうに答えるニコラシカ。彼女もやはり気にしていたのかと、マルゲリータは納得する。

    「……試しに投げてみて頂けませんか? 何かしらアドバイスできるかもしれませんし」
    「え?! で、でも……!本当にとんでもないことになっちゃうかもしれませんよ……?!」
    「貴方の投槍のレベルの程度をこの目で確かめてみたいのですよ。さあ、早く」

     戸惑うニコラシカを他所に、マルゲリータは催促する。彼女に今後とも、BB7の利益貢献の為に動いてもらいたいマルゲリータにとって、ニコラシカに槍使いとしてレベルアップをしてもらいたい意図があった。レモネードがいなくても、一人で本領発揮できる戦闘スタイルになってくれれば……彼女の活動範囲も広がるというもの。

    「……分かりました。その、何が起きても怒らないでいただけますと……助かります」
    「?」

     ただ投げるだけだと言うのにその前置きはいったい……?と疑問符を浮かべつつ、マルゲリータはニコラシカの後ろに立つ。
     ニコラシカは気乗りしないような面持ちで、槍を構えた。ヒュッと風を切る音と共に、槍が彼女の手から勢いよく離れる。

    「おや、フォームは悪くありませんじゃないですか……って、え?」

     ゴオオオ!!と何かが自分目掛けて飛んでくる気配。……そう。それは紛れもなく、ニコラシカが今さっき投げたばかりの……槍である。

    「な、なんですとー?!」
    「きゃー!? ま、マルゲリータさ〜ん!!避けてくださーい!!」

     急いで後ろへと跳躍する。先程まで自分がいたその場所に、ドォン!と……勢いよく槍が突き刺さる音が鳴り響いた。


    ***


    「貴方ァ! いくら何でも投げるの下手とかそういう次元じゃないじゃないですか! 何をどうしたら真後ろにいた私に槍が飛んでくるんです?! 危うく私しぬところでしたよ?!」
    「そ、それはごめんなさい……! でも……! 何が起きても怒らないでくださいって言ったじゃないですかぁ!」
    「お黙りなさい!」
    「そんなあ〜!!」

     マルゲリータにガミガミ叱られ、ニコラシカのアホ毛はしおしお……と萎れる。ぺこぺこと頭を下げ続けるニコラシカだが、マルゲリータの怒りは収まらないようで……おろおろとするしかなかった。

    「さっきからてめえらうるせえんだよ!! 何騒いでやがる……!」
    「レモネードさん……!」
    「ちょっと!! レモネードくん貴方、ニコラシカさんの教育はどうなっているんですか?!」
    「はあ? オレはいつからこいつの保護者になったんだよ」

     二人のやり取りを見兼ねて、レモネードは思わず割って入る。開口一番にマルゲリータから入れられたクレームに、レモネードは眉間に皺を寄せて突っ込む。
     そして、何があったのかを一部始終聞いて……一言。

    「てめえがこいつに投げろっつったんだろうが。だったらいつまでもうだうだ説教こいてんじゃねーよ! くっだらねえ。そのままその足りねえ頭貫かれちまえばよかったんじゃねえの?」
    「レモネードくん貴方ァ〜!!私に喧嘩売ってるんですかねえ?!」
    「ケッ、買ってくれんのかよ? いーぜ、今日こそボコボコにしてやるよ……!」
    「わー?! や、やめてくださーい!!」

     臨戦態勢に入ろうとするマルゲリータとレモネードに、ニコラシカは制止を掛ける。

    「……大体。こいつが遠距離射撃できねえ分、オレがやるからいーんだよ。てめえの良いようにこいつを使おうとしてんじゃねえ。見え見えなんだよ」
    「はわ……れ、レモネードさん……!」
    「ちょっと!! 私をダシに良い雰囲気になるんじゃありませんよ!! 隙あらばいちゃつこうとするんじゃなーい!!」
    「いちゃついてねえわ!! この節穴野郎が……!!」

     ぎゃーぎゃーと騒ぐ二人の間で、ニコラシカはわたわたおろおろするばかりで。他のBB7のメンバーが戻るまで、この騒動は続いた。
    幕間の話5
    「レモネードさーん! えへへ、今日も会いに来ちゃいました!」
    「はあ? 来んじゃねえ」

     手をぶんぶんと振り回しながら、デケエ声でオレの名前を呼んでくる黄色い女。ここ最近、毎日毎日飽きもせずオレに会いに来るコイツに、オレは怪訝な態度を隠さない。

    「今日もとーってもかっこいいです! レモネードさん大好き!」

     レモネードに邪険に扱われようが、黄色い少女……ニコラシカは微塵も動じない。まるで大好きな飼い主を見つけた犬のように、彼女はレモネードの腕に抱き着く。アホ毛はハートの形になり、ゆらゆらと揺れている。

    「チッ……! うざってえな!気安く抱き着いてくんじゃねえって何度言わせりゃ分かるんだテメエ!!」
    「きゃっ?!」

     抱き着かれるというか、そもそも他人に触れられるのが好きじゃない。オレは苛立ちが頂点に達し、自分の腕に絡み付いてきた女を乱暴に振り払う。女の驚く声と共に、手にもにゅ……とした、弾力があって柔らかい感触が当たった。

     …………って、待て。もにゅ…………?

    「あ、あの……レモネードさん……?」
    「…………………………!!」

     オレを心配したような女の声で、我に返る。自分の手は、しっかりがっちりと……女の胸を鷲掴んでいた。

    「うわ……ついにやりましたね貴方……」

     気まずすぎる空気が流れる中、心底うわあ……と言いたげなドン引きした言葉を発してきやがったマルゲリータの声がいやに鮮明に響く。つーかついにってどういう意味だ。ぶっ飛ばされてえのか。

    「ッ!! むやみやたらと抱き着いてくるからこうなんだよ! バーカ!!」

     悪態吐いて、オレはバッと女の胸から手を離す。完全に事故だし、不可抗力だ。触りたくて触ったわけでもなんでもねえし、ましてこんなガキみてえな女相手に……!!

    「えー?! 触っておいてそんな言い草はないぞい!! レモネードサイテーだぞーい!! ニコラシカ大丈夫かぞい?!」
    「一人の女性に対して無礼を働いたのです。一言くらい謝るのが筋ってものでは?」
    「うるせえ! 外野が騒いでんじゃねえ!!」

     ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てられて、レモネードの機嫌はどんどん悪化していく。いたたまれない気持ちになっている中、やたらと突っつき回されるのが敵わなかった。

    「……テメエ、今見てえな目に合いたくなかったらオレに二度と気安く触るな!分かったな?!」

     きょとーんとしているニコラシカに、吐き捨てるような台詞を吐いてレモネードは足早にその場を立ち去る。今はとにかく、一人になって気持ちを落ち着かせたかった。

     ……思わず、女の胸を掴んでしまった手を見遣る。散々、ガキだなんだと言ってきたが……意外に……。

    「……バカかオレは。あんなガキ相手に……!!」

     感触を振り払うように、己の手を強く握り締める。……この胸に去来する、盛大なやってしまった感はしばらくの間、どうにも拭えそうにはなかった。
    BB7の食事事情※パンプキン視点
     突然だが、BB7の食事事情は物凄く雑である。いや、そもそも一同顔を合わせて共に食事をするイベント自体が滅多に発生しないのだが。
     パンプキンが把握する限りでは、自分を含めたBB7のメンバー全員……恐らくまともな料理などしたことがないだろう(我らがBB7のリーダー位置であるマルゲリータに至ってはそもそも食事など必要ないだろうし)。
     その為、極稀に全員で食事をするとなった場合でも、食卓に並ぶのはそこら辺のコンビニで買ってきた各々が食べたい弁当やら統一性のない惣菜ばかりだ。個々人の事情に基本あまり干渉しないBB7の姿勢が食卓に出ているとも言えよう。

    (正直、誰かの手作りの飯が恋しいんだYO……)

     パンプキンはメンバーの中では唯一、一般家庭で育ってきたバンカーだ。バンカーとして旅立ち、自分の面倒は自分で見るようにしてきたが……自炊だけはどうにも面倒で、コンビニ弁当やら外食やらで済ませがちだったのである。BB7に入ってからも、この食事事情は全く変わらずだったので……家庭の味を知る彼からすれば、だんだんとそれらの味が否応なしに恋しくなるのである。

    「ヤキソバ〜!!今日のご飯何食べるぞい? あたい、この間ヤキソバに連れて行ってもらったあのお花畑のお花が食べたいんだぞーい♡」
    「おいおいルッコラ、花もいいけどよ〜そればっかじゃ栄養偏っちまうぜ〜? どうせならもうちょい良いとこに飯食いに行こうぜ、なあレモネード!」
    「あ? しゃーねーな……たまには付き合ってやるよ。ヤキソバてめえ奢れよな」
    「へいへーい。ま、オイラの財布だからそんな高えもんは期待するなよな〜」

     ヤキソバ達はこれからどうやらアジトを出て外食しに行くようだ。……毎度の事ながらに思うのだが、あのおっかないレモネード相手によく怯まずにヤキソバ達は付き合えるなと、パンプキンは思わざる得ない。

    「俺も飯適当に買いに行くか……クスクス、お前はどうすんだYO?」
    「カカカ!」
    「じゃあ一緒にコンビニまで行くYO。アイスくらいは奢ってやるZE」

     相変わらず何を言っているのかは正直分からないが、恐らくどうするか決まってはいないだろう。クスクスは他のメンバーより個人的には付き合いやすいので自然と絡みに行ってしまう。重い腰を上げて、自分達も外に出掛けようとした……まさにそのタイミングであった。ピンポーン、とアジトの呼び鈴が鳴る。

    「こんばんは! あの、お邪魔しても大丈夫でしょうか……?」
    「あー!!ニコラシカだぞーい!!」

     最早聞き慣れてしまった可愛らしい声。BB7という山賊集団にはおよそ似つかわしくない少女――ニコラシカちゃんの声にいち早く反応したのは、彼女にやたらと懐いているルッコラである。ヤキソバの肩から降りて、とてとてと玄関先まで走って彼女を出迎えに行く。るんるんと扉を開けると、すぐにニコラシカちゃんの足元にすりすりと抱き着いていた。

    「ニコラシカ〜!! いらっしゃいだぞい!今日はもう来てくれないかと思ってたぞーい!!」
    「わっ! えへへ……お邪魔しますルッコラちゃん! 今日は少しお手伝いに行っておりまして……その帰りに皆さんのアジトに寄らせていただきました! レモネードさんのお顔が見たかったというのが……一番の目的なんですけどね!えへへ!」
    「……ケッ! てめえは相変わらず暇なのか? ……つーか、なんだその荷物」

     ツンケンとした物言いをしつつ、ニコラシカちゃんが来たと知ればすぐに駆け付けている辺りレモネードは本当にある意味では分かりやすいんじゃ……?と思わなくもない。そして、彼が指摘した通り……ニコラシカちゃんの手には、何やら大きなビニール袋がいくつも提げられている。

    「こちらですか? 実は今日お手伝いをさせていただいた人から……お礼としてたくさんのお野菜やお肉を頂いたのです! もしよろしければ、皆さんにおすそ分けしたいな〜って! 冷蔵庫などお借りしてもいいですか?」
    「……それは別に構わないと思うが、我々の中に自炊する人間などいないぞ」

     今まで何も喋らず、気配すら消していたニガリが突如として現れて……正直めちゃくちゃビビった。いたんだ、アンタ……。というか、ニガリが誰かに話し掛けるなんて珍しい。一日一緒にいることがあってもその声を聞ける日など本当に極稀なのに。ニコラシカちゃんの厚意を俺達が無碍にする可能性を省みての発言なのかな……いやまさかな。

    「そうなのですか? ……あの、もし差し支えなければ……私、今日もらった材料を使って、皆さんにお料理作りますが……いかがでしょうか……?」
    「……え?! ニコラシカのお料理?! あたい、それ食べたーい!!」

     ニコラシカちゃんからのまさかの提案に俺達が目を丸くしている間、ルッコラは大はしゃぎして飛び跳ねる。

    「でも、もしこれからお食事するご予定があるのでしたら日を改めますが……」
    「それはまた今度でいいぞい! ねーヤキソバ! ニコラシカのお料理、食べたいよね〜!!」
    「そうだなー。せっかく作ってくれるっていうなら……ごちになっちまうか! サンキューな、ニコラシカ!」
    「お、俺もニコラシカちゃんの料理食べたいYO!な、クスクス!」
    「カカカ!!」

     ルッコラとヤキソバはすっかりニコラシカの手料理をご馳走になる気満々である。かくいう俺も、ニコラシカちゃんみたいな可愛い子の手料理が食えると聞いて物凄くウキウキしていたのだが。

    「いえいえ! 私の勝手な提案ですのでお気になさらず……! あの、レモネードさんは……いかが致しますか? 手作りのお料理……嫌でしたらお惣菜を買ってきますが……」
    「はあ? ……別に食えりゃ気にしねえ。作りたければ勝手にすりゃいいだろ」
    「……! はい! 頑張って、腕によりをかけてお作り致しますね!」

     いやしかし。俺は本当にレモネードという男が羨ましくて仕方がない。こんな健気で可愛い女の子を前にして、始終素っ気ないツンケンした態度をとっても、この男は許されるのである。
     素直に食べたいって一言が言えねえのかYO……なんてうっかり口を滑らせようものなら、俺は水のリボルバーであっという間に蜂の巣にされるであろうことが目に見えているので、絶対に口にはしない。命が惜しいからNA……。

    「それでは、今日は定番の……カレーを作りたいと思います! 師匠直伝のレシピも頭に入っていますので……失敗することもないと思います!」

     そう言って、ニコラシカちゃんはぱたぱたと……今までBB7のメンバーが誰一人として使ったことのないキッチンへと向かっていく。「あたいも何かお手伝いする〜!!」なんて、ルッコラも駆けていく様子を……ヤキソバ達はどこか微笑ましそうに見つめていた。

    「あ! そういえばマルゲリータさんは何を口にされてますか? カレーは食べられるのでしょうか……?」
    「あ? あいつにはオリーブオイルでも掛けときゃいいだろ。ケケケ!」

     正しく火に油を注ごうとしているレモネードを、止める度胸など俺にはないのである。


    ***


    「見てみてヤキソバ〜!! あたいのニンジン、お花型にしてもらったんだぞ〜い♡ すっごくかわいいカレーにしてもらっちゃったぞい!!」
    「おー!よかったなルッコラ!! ニコラシカ、器用なんだな〜」
    「えへへ〜、ありがとうございます! 師匠に教えてもらった技を駆使させていただきました!」

     ルッコラは自分専用に装ってもらったカレーを前に上機嫌である。まさかBB7に属していて、こんな微笑ましい会話を聞くことになるなど夢にも思っていなかった。しかも美味しそうなスパイシーな香りがこのアジトに漂うなど……と、パンプキンは妙な感動を密かに噛み締める。ちなみに俺達のカレーのニンジンはオーソドックスな星型にくり抜かれていた。

    「へへーん!いいでしょレモネード〜!!あたいのカレー、とーっても可愛いお花型のニンジンがあるんだぞい!」
    「いちいち張り合ってくるんじゃねえよチビ!うぜえな!」

     よほど嬉しかったのか、ルッコラはレモネードにまで見せびらかしていた。……でも、俺はさっきチラリと見てしまったので知っている……。レモネードにと装われていたカレーのニンジンは……ルゥで覆われていて分かりにくかったが確かに、ハート型にくり抜かれていたものだったことを……。

    「チャラチャラしたもの入れてんじゃねえぞこのアホ毛女が」
    「えへへ……レモネードさんのことが好きと今日もお伝えしたかったので!」
    「うぜえ」

     ニコラシカちゃんの額を軽く小突いて、レモネードは照れ隠しかのようにがつがつとカレーを食べていた。……いつもは栄養補給食品かサンドイッチのような軽食ばかりを口にしてるイメージしかなかったから、その姿に物珍しさを感じる。

     BB7では本当に珍しい、賑やかな食事。その中で久しく食べる、他人の手料理は……パンプキンにとっては懐かしく、暖かな味がした。

    「カカ!カカカ!!」
    「ああ……めちゃくちゃ美味しいYO!」

     クスクスと共に零した、素直な感想。それを聞いていたニコラシカは「ありがとうございます! おかわりもありますので、足りなかったら言ってくださいね!」と……本当に嬉しそうに笑っていた。

     それから定期的に、ニコラシカがBB7のメンバーに料理を作ってくれるようになったのは言うまでもない。


    「ちょっと! いくら私が食事を必要としないパーフェクトボディなサイボーグだからって……この集まりに招待しないとはどういう了見なのです?!」
    「あ? いなかったテメエが悪いんだろうが」
    「マルゲリータさんにはオリーブオイルをご用意させていだきました! もし他にお好きなオイルがありましたら……ぜひ言ってくださいね!」
    「貴方達二人は私に喧嘩売るのが趣味なんですか?」

     確信犯ヤンキーと天然わんこの組み合わせって怖いなって、パンプキンはこの日改めて思った。
    ニガリとニコラシカの話
    「ニガリさんこんにちは! えへへ、今日もまたお邪魔しちゃいますね!」
     人懐こい子犬を思わせるような笑みを浮かべながら、黄色い少女……ニコラシカは私に明るく挨拶をしてきた。こく、と軽く会釈をするだけで、言葉を発しようともしない私を特に気にすることもなく。「今日はですね、ルッコラちゃんと一緒にお茶をしようと思ってマフィンを作ってきたんです!」と言って、持ってきていたらしい紙袋から、これまた可愛らしいラッピングが施されたマフィンを取り出し始めた。それを、彼女は私の前に差し出す。
    「ニガリさんもよろしければお一つどうぞ! 甘さは控えめの抹茶味にしてみましたので……もしお口に合わなければ捨ててしまっても大丈夫です!」
    「……何故私にもわざわざ?」
     バンカーからの施しなどいらぬ、とは言えなかった。受け取りつつ、私は少女に疑問をぶつけてみる。ニコラシカにとって、私に話し掛けたり、何かを差し入れたりするメリットなど無いはずだ。どうしてこんなことをするのか……理解ができなかった。
    「? どうしてと言われるとうーん……ニガリさんにもいつもご迷惑をお掛けしてると思いますし、感謝の気持ち、というものです! 私の自己満足になっちゃいますが……もしかして、嫌でした?」
    「……そういうわけではない。ただの興味だ。……これはありがたく、頂いておこう」
     そう答えると、ニコラシカは「えへへ、これからもよろしくお願いします!」とまた明るく笑った。……少々騒がしい少女だと思いはするが、やはり基本的に礼儀正しいのだろう。私が今まで見てきたバンカー達とは、どこか異質に思える。
     ……だからこそ、私は未だに信じられない。このような少女が、あんなにも冷酷非道と名高いレモネードのような男を好いていることが。
    「あっ……! レモネードさん!」
     青い痩身が見える。私よりもいち早く、その男の存在に気づいた彼女は、きらきらと赤い瞳を輝かせながら駆けていく。
     どれだけ冷たくあしらわれ、ツンケンとした言動を取られたとしてもめげない少女。私はそんな彼女に対して……どんな気持ちで接するべきなのか。未だに分からないでいる。
    オコゲ師匠とニコラシカの話「悪いねえ。わざわざ見ず知らずのあたしを助けてくれるなんて……あんた良い子だねえ」
    「いえいえ! 途中まで行き先が一緒のようでしたので……ついでに、というやつです! お気になさらないでください!」

     レモネードがいるピザの斜塔へと向かう道中。ニコラシカは、大荷物を両手いっぱいに抱えた老婆と出会った。よたよたと覚束なく歩いている様子を見て、ニコラシカは「お荷物、お持ち致します! どこまで運べばよろしいでしょうか?」と駆け寄り、老婆の手伝いを申し出たのだ。困っている人を見掛けて、自分の力で助けられるのであれば助けるのが、ニコラシカという少女の性格なのだ。

    「……その胸のマーク、あんたはもしかしてバンカーなのかい?」
    「あっ、はい! まだまだ修行中の身ではありますが……バンカーとして旅をしているんです! 大好きな人の、お役に立ちたくて……えへへ」
    「へえ〜! 好きな人を追い掛けてバンカーになったってやつかい? ドラマみたいだねえ」

     あたしもそんな青春を、若い時は送ったもんだよ!と、老婆はからからと笑いながら話す。一頻り笑った後、老婆はジッ……とニコラシカを見つめた。

    「? どうかしましたか?」
    「いや……あんた、バンカーとしてもっと強くなりたいかい?」
    「うーん……そう、ですね。確かに、もっと強くなれたら……お役に立てることが、もっと増えるんだろうなあとは思います!」
    「なら、あたしのとこでちょいと修行してかないかい?」
    「……え?」

     老婆はぴたり、と足を止めて。とある看板を指差す。その看板には、『信頼と実績のオコゲ道場! 強さ今の10倍に』と記されている。

    「実はね、あたしがこの道場の師範の……オコゲなんだよ。……どうだい? あたしに付いてくれば、あんたのこと10倍強くしてあげるよ!」

     老婆、もといオコゲは眼鏡をきらりと光らせながら、ニコラシカを捉える。

    「……うーん」

     数秒の間、ニコラシカは考えて。それから困ったように笑った。

    「……とても魅力的だと思いますが、今は、他にやりたいことがありますので……! またの機会があったら、その時はよろしくお願いします!」
    「そうかい。そりゃあ残念だねえ……いつでもおいで。あんたみたいな子が来てくれるなら、あたしゃいつでも歓迎だよ!」

     ニコラシカから荷物を受け取りながら、オコゲは惜しそうに彼女を見つめる。
     ……素直で、気遣いと気配りがよくできるタイプのこの少女ならば、自分の身の回りの世話を任せられると思っていたのだが……どうやら先約がいるらしい。残念でならないが、仕方がない。

    (そのうち、ちょうど良さそうな小間使いが来るのを待つかねえ)

     オコゲの密かなこの野望は、後日割とすぐに叶うこととなるのだった。
    裏BS編3階戦での話
     レモネードさんが好き。彼がどんなに、許されることのない悪いことを繰り返し続けていたとしても、私のこの気持ちが変わることはない。決して。
     大好き。愛している。例え、世界中の人々を敵に回したとしても、私はずっと、永遠に貴方を愛することをやめられないのです。

    「オレは、てめえが思っているような人間じゃねえんだよ。たかが昔、一回助けられたくらいで、変な勘違いしてんじゃねえ……!!」

     この想いは、勘違いなんかじゃありません。レモネードさん、私は、ありのままの貴方が好きなのです。
     ……きっと、そう言ったとしても。今のレモネードさんに私の言葉は届かない。だから私は、今できる精一杯の笑みを浮かべるしかない。

    「レモネードさん。レモネードさんがリゾットくんやテトさんにしたことは、決して許されない、悪いことです。……それでも、私は、貴方のことが好きなんです。レモネードさんが悪い人でも、私のこの想いは変わりません。ありのままの貴方が大好きなんです。……ずっと」

     息を呑む音。レモネードさんは信じられないものを見たような瞳で、私を捉える。それはどこか苦しそうで、今すぐに抱きしめてあげたくなってしまう。

    「……この禁カブト、受け取ってください。私は自分の分を、これから探しにいきますから」

     レモネードさんの手に、持っていた禁カブトを押し付ける。

    「……テメエ、何考えて、」
    「……レモネードさんなら、この戦いで、何かを得られるはずですよ」

     私はレモネードさんのお役に立てる為なら、自分の命なんて微塵も惜しくない。レモネードさんが抱えている苦しみは……きっと、この戦いを乗り越えた先で、晴れるものだ。
     私は、そのお手伝いをするだけ。

    「レモネードさん、愛しています」

     私の戦いはここまでだ。だから最期に、嘘偽りない、私の気持ちを口にして、レモネードさんの元から去った。


    ***


     大好き。愛している。純粋な好意を向けられる度に、ずっとずっと苦しかった。
     オレはお前の思うような人間じゃない。助けたのはただの偶然で、それもお前の為なんかじゃなかった。オレはずっと自分の為だけに生きてきたんだ。
     お前に、愛されるような人間じゃない。だからとっとと幻滅して、オレから離れればいい。
     ……そうすれば、期待せずに済むだろ。他人に期待なんざ端からしていない。オレはそうやってずっと、独りで這い上がって生きてきたんだよ。

    「ありのままのレモネードさんが好きです」

     だというのに。なんでテメエは最後までそうなんだよ。へらへら笑ってんじゃねえよ。どうしてオレから離れようとしねえんだ。何度も何度も傷つけられてるくせに、どうして好きとか寝惚けたこと言えんだよ……!

    「良い子ちゃんぶってんじゃねえ……!」

     渡された禁カブトを強めに握り締める。いっそ偽物だったらよかったのに。そうすれば、彼女の愛なんてなかった、自分はまんまと騙されただけだったと……切り捨てることができたのに。
     無情にも、禁カブトは本物だった。開かれた檻の扉。彼女の愛に嘘偽りはないと、否が応でも証明される。

    『レモネードさん、愛しています』

     脳裏に過った女……ニコラシカの笑顔は、どこか儚げだった。それは、彼女がこの檻に来ることはないのだと示しているように思えて、どうしようもなく苛立った。
    裏BS3階戦幕間の話
    「リゾットくん」

     殺伐とした空気と緊張感で張り詰める戦場に、相応しくない明るい声音の持ち主――ニコラシカが、いつもとはどこか違う笑みを讃えて、俺の前に現れた。

    「……少しだけお時間、よろしいですか?」
    「……何の用だ? 禁カブトを賭けた戦いだというのなら、受けて立つが」
    「……私には、もう必要ないです」

     ……必要ない。その言葉は、ニコラシカには……この戦いに勝ち残る気はないのだと示している。理由なんて明白だ。俺は昔、彼女と出逢った時に聞かされた「好きな人」の話を思い出す。

    「……ニコラシカ、お前は……レモネードの為に、その身を捧げるつもりなのか」
    「……はい。レモネードさんは、私の大切な人ですから」

     俺は複雑だった。ニコラシカの友人として、レモネードとの仲を応援してやるべきなのかが分からなかったからだ。テトにした行為を思うと、冷酷非道な手段を臆面もなく行使し続ける奴は……俺にとって、許せることじゃなかったからだ。
     ニコラシカは優しく、純真だ。良くも悪くも素直な彼女は……レモネードに良いように使われているのではないかと、心配になるところが多かった。

    「……リゾットくん。レモネードさんがきみやテトさんにしたことは、許されることじゃありません。私も、それは分かっています。レモネードさんは皆から見たら紛れもなく悪い人だってことも……分かっています」
    「……!」

     俺の考えていることなんてお見通しだったのか。ニコラシカが続けた言葉に、俺は驚く。

    「……でも、それでも私はレモネードさんが大好きなんです。例え世界中の人を敵に回したとしても、この気持ちは揺るぎません。……だから、私は……リゾットくん、友達であるきみが困っていたことを分かっていながら……助けることはしなかった。私はレモネードさんの味方だから、これからも、友達であるきみを……見捨てることになると思います」
    「まさか……わざわざそれを言いにきたというのか?」
    「……うん。リゾットくん、気にしていたみたいだったから。これだけは、ちゃんと伝えておこうかなって」

     ……ニコラシカは鈍いようでいて、本当は誰よりも鋭いのではなかろうか。俺はある意味、彼女を侮っていたなと思う。
     ……そして、彼女がレモネードに向けている愛の深さも。

    「リゾットくん、後は……よろしくお願いします」

     別れの言葉。ニコラシカは頭をぺこりと下げて、俺の前からいなくなった。


     ――3階戦の、ニコラシカとのやり取りを思い出す。


    「レモネード……お前は……!」

     水に濡れたステージ。毒霧によって視界が滲んではいるが……レモネードの姿がある方をかろうじて捉えることはできる。

    「お前は、ニコラシカのことも信じられなかったというのか。ニコラシカはあんなにも、ずっとずっとお前のことだけを想って、愛していたんだ! それなのにお前は……そんな彼女のことすらも信じられないのか?!」
    「……ッ!!」

     レモネードが歩んできたという過去は、確かに過酷なものだっただろう。嘲笑われ、蔑まれてきたという奴の苦難の人生は……確かに、生まれながらの王族であった俺には理解できるものじゃない。
     けれど。だからといって、苦難の過去を歩んだからといって、奴が多くの人間にしてきた悪逆非道はやはり許されるものじゃない。テトにした非道も、自らの仲間を平然と裏切り続けることも……、ニコラシカのまっすぐな想いすらも、切り捨てることも。

    「うるせえ……! てめえには関係ねえんだよ!!」

     激昂するレモネードの声が響き渡る。どんな表情を浮かべているのかまでは分からなかったが……その声音は、今までにないくらい、苦しさが含まれているように思えた。

     二つの剣がぶつかり合う。きっと、この苦しい戦いの先に……得られる答えがあるはずだと。もうこの場にいない、彼女の声が聞こえた気がした。
    それはきっと、氷解の兆し
    『ニコラシカのことすらも、信じられないというのか』

     うるせえんだよ。てめえに言われる筋合いなんかねえ。……他人のことなんか信じたって、裏切り裏切られるの繰り返しじゃねえか。だったら、最初から自分の力だけを信じるのが……オレにとっては当たり前だったんだ。
     てめえみてえな、仲間だなんだと……恵まれた環境でぬくぬく育ってきた王子様に何が分かる。あの女といい、ロクに目も見えてないくせにオレをまっすぐに見据えてくるこの王子様野郎といい……良い子ちゃんぶられるのに反吐が出そうだ。
     どれだけの醜い感情をぶつけても、叩きのめしてやろうとしても……全く折れない目の前の存在が、オレの心をこれ以上なく苛つかせる。
     認められるものか。今更認められるワケがねえんだよ。あの女を……ニコラシカを見捨てた以上、オレはオレの生き方を貫き通す。目の前の「どうしようもなく正しい存在」に、敗北するだなんて許されない。引き返せない。膝を折ることは許されない。
     ……だが、それは。オレにとっての希望で、相棒であり、唯一の家族である……チェリーが倒れたことで、その足場は脆く崩れ去ることとなる。
     ずっと共に生きてきた存在の、傷だらけの無惨な姿は……今まで耐えていた感情を、決壊させた。心がバラバラに砕け散りそうになる。
     ……それでも。オレは自分の進む道を、貫き通す。脚を止めるなんざ、敗北を認めるなんざ許されない。
     大切で、希望であるチェリーすらオレは見捨てて。銀色の王子に向けて、水の刃を突出す。それが……オレにできる、オレが示す生き方だった。
     ……身体は崩れ落ち、オレの意識は闇に落ちていく。オレは、自分の生き方を最後まで貫き通した。アイツを倒すことは、叶わなかったが……不思議と、心は晴れたような気がしていた。

    『レモネードさん』

     脳裏に過るのは、最後まで笑顔だったあの女……ニコラシカの姿。本当にバカな奴。オレと出逢って、オレのことを好きになったせいで……命を落とすなんて本当にバカげている。何度も何度も突き放したのに、強く当たったのに、あいつはただの一度もめげなかった。

    (ニコラシカ、オレは)

     お前に、愛していますと言われる度に辛かった。お前の心に、想いに一切の曇りなんてなく、真実なのだと思い知らされる度に。自分の心が少しでも揺らぎそうになるのが耐えられなかった。今までの自分を崩されるのが嫌だったんだ。
     だから、とっとと幻滅して、オレから離れてくれれば良かったのに。お前が、『ありのままのレモネードさんが好きです』なんて言って笑うから。オレは。

    (……次があるなら、その時は)

     お前のその気持ち、認めてやらないこともない。お前が次に会ったその時も、オレへの気持ちが変わらないと言うのなら……受け止めてやる。
     そんな戯けた事を思ったのを最後に、オレの意識は完全に途絶えた。
    ピザの斜塔崩壊後
     ピザの斜塔が崩れ落ちた。悲しみと怨嗟で渦巻き、その果ての戦いで消えていった筈のバンカー達は皆蘇った。私もその一人だ。私は蘇って早々、愛するあの人の姿を探す。

    「レモネードさん!」

     青い痩身。鋭く凛々しいその人の姿を、私が見間違える筈がない。見つけたその瞬間に、私の唇はその人の名前を紡いでいた。

    「……お前、」
    「よかった……!また、お会いできてよかったです、レモネードさん……!!」

     ぴた、と歩を進めていた足を止めて。レモネードさんは私のことを待っていてくださった。私を見つめるその表情は、どこかバツが悪そうな印象を受ける。

    「……ケッ、よかったって何がだよ。てめえは……あんな目に合ってもまだオレと関わる気なのか?」
    「私は命ある限り、レモネードさんのお役に立ちたいのです! ……それに、大好きな人とまた会えたんです、よかったって思うのは、当たり前のことですよ!」

     私の人生において、レモネードさんは大切な存在なのだ。何があっても一緒にいたい。レモネードさんが楽しく生きる為の、お手伝いがしたい。……何よりも、好きだから一緒にいたいのだ。この想いは、未来永劫変わらない。

    「……てめえには恥ずかしげってものはねえのかよ」

     はー、とレモネードさんは呆れたように、長い溜め息を吐いた。でも、その表情は……今まで見てきた中で一番、穏やかなもののように感じられる。以前までの、刺々しい雰囲気が和らいでいるような……そんな気がするのだ。

    「……オレはやりてえように暴れ回るだけだ。着いてきたきゃ勝手にしろ、後悔しても知らねえし、てめえがどうなろうが知ったこっちゃねえけどな」
    「……! はい!ありがとうございます、レモネードさん!」
    「いちいち声デケエんだよてめえ!」

     ぶっきらぼうな物言いだけれど、心なしか以前のような冷たさは感じない。……思い上がりかもしれないけれど、心の距離が縮まったような気がして。私はとっても、嬉しくなった。

    ***

    「ビシソワーズ兄弟、ですか……」

     コロッケくんが呼び出したバン王を、一瞬にして攫っていった……謎のバンカー達。タロさんが言うには、彼らの目的はこの地球という星を壊すことらしいけれど……どうして、それを望むのかが分からない。だって、壊してしまったら……自分達の命も、潰えてしまうというのに。

    「ケッ、ビシソワーズ兄弟だかなんだか知らねえが……この星を壊すだあ? んなことさせっかよ」

     ピザの斜塔から蘇って早々、とんでもない事が起ころうとしているのは火を見るより明らかだった。一連の騒動を目の当たりにして、レモネードさんはビシソワーズ兄弟が消えた方の空間を不敵な笑みで睨み付けている。
     その一連の仕草で、レモネードさんはあの兄弟達と戦う気なのだということが分かった。
     ……正直な話、私の今の実力で……あの兄弟達と戦って、勝てるビジョンは見えない。彼らが放つオーラはあまりにも強大で、辛勝することすらままならないだろうということが……私の直感が告げている。
     ……レモネードさんの力になりたい。でも、足手まといにだけは絶対になりたくない。バンカーとして未熟者な今の私が、彼の傍にいたいと願う気持ちを貫き通すことは……迷惑であり、我儘になるのではないだろうか? 彼と共に戦いたい、力になりたいのに……明らかに私は実力不足なのだ。胸のうちに渦巻く葛藤が、「私もご一緒にさせてください!」と、その一言を宣言することを躊躇わせる。

    「何ぼさっとしてやがる。……どうせ、てめえも一緒に来るんだろ? ニコラシカ」
    「……え?」

     レモネードさんはさも当然のように、私の方へ視線を移していた。告げられた一言に、私は思わずぽかん……としてしまう。

    「わ、私もご一緒にしても、いいんですか……?」
    「あ? 着いてきたそうな顔しといて何言ってんだお前。……オレのこと追いかけようとして、変なとこで迷子にでもなられたら面倒なんだよ」

     とっとと行くぞ。それだけ言ったかと思えば、レモネードさんは私の腕を引いて歩き出す。私はそれだけで、さっきまでの葛藤が吹き飛んでしまうくらい嬉しくて……自分でも表情が綻んでしまったことが分かった。

    「レモネードさん、私達が生きてきたこの星……絶対に守りましょうね!」
    「うるせえ。いちいち当たり前のこと言ってんじゃねーよ!」

     私の力が、どれだけ貴方の役に立てるかは分からないけれど……。それでも、レモネードさんは私の事を信じてくれているんだ。そう思うだけで、私の心はこれ以上ないくらい、勇気付けられた。
     私達は、氷の中の戦場へと赴く。
    ビシソワーズパーティー編
    「水のレーザー!」

     水の剣がまっすぐに、スズキさんの胸を貫く。響き渡る断末魔と共に、スズキさんの体は大浴場へ沈んでいった。

    「レモネードさん?! どうして……!」

     コロッケくんと共に、私は驚く。だって、スズキさんは……レモネードさんの本来の家族だ。レモネードさんがずっとずっと、憧れて、欲してやまなかったであろう家族の手を……振り払ったことに驚きを隠せなかった。

    「ケッ、言ったはずだぜ! オレの家族はこのチェリーだけ!! オレとチェリーがずっと生きてきたこの星を…、そう簡単にこわさせるわけにはいかねーんだよ!!」

     それにな、と。レモネードさんは私の方に視線を向けて、付け加える。

    「……オレに構ってくる奴なんて……ニコラシカ、テメエ一人で充分なんだよ」
    「……え?」

     それは、どういう意味なんだろう。あまりにもいろんなことが起こりすぎて、私は即座に、レモネードさんが言った言葉の意味を噛み砕けなかった。一つだけ分かったのは、なんだか、とても破壊力の高いことを、言われたような気がするということだけ。

    (それは、どういう意味で、)

     今は聞ける状況ではないことは分かっていたから、私は口を噤む。
     レモネードさんとコロッケくんが向き合う。どちらがこの部屋を勝ち抜けるかの戦いが幕を開けようとしたところで……ぶわり、ととんでもない殺気を感じた。

    「――ッ?!」

     ざぱっ!と這い上がってくる水音。背後を振り向けばそこには、狂乱の色を宿したスズキさんの姿があった。

    「ぼくはまだくたばっちゃいないのにゃ! お前らを消し去るまではにゃ〜!!」

     とんでもないエネルギーが、スズキさんのステッキに集まっている。それは、残る力全てを込めた……スズキさんの手を振り払ったレモネードさんに向けた、最期の一撃なのだろうということが分かった。

    (レモネードさんをお守りしなきゃ……!!)

     でも、どうやって? 『完・運命ステッキ』はあまりにも強大なパワーすぎて、今の私の力ではとてもじゃないが抑えられない。
     ……なら、私の身を呈して、庇うしか……!

    「チェリー、お前は邪魔だ! どいてろー!!」
    「え……?! きゃ!!」

     駆け寄ろうとした瞬間。チェリーさんがコロッケくん目掛けて放たれる。私は後ろに倒れ込んできたコロッケくんを急いで受け止めて、その場で尻餅を付いてしまった。

    「チェリー、今まで本当に楽しかったぜ!!」
    「レモネードさ……!」

     レモネードさんは、不敵に笑っていた。彼に迫りくる攻撃が、スローモーションのように見える。今すぐ彼の元に駆け寄りたいのに、脚がうまく動いてくれない。

    「……ニコラシカ、」

     じゃあな、と。レモネードさんの唇が動いた。それを最後に、レモネードさんの姿が、跡形もなく消えてしまった。

    「れもねーど、さん」

     現実味がなかった。目の前で確かに、レモネードさんがいなくなってしまったのを見たのに。私は、ただその場に呆然と座り込むだけで。
     ……不敵に笑い掛けてくれた彼が、どこにもいない現実を、受け止めきれない。

    「……ニコラシカ、お前はどうするんだ?」
    「え……? あ、」

     コロッケくんが、心配そうに私のことを覗き込んでくる。きっと彼は、グランドパーティーへ進みたいのか否かを、私に問うているのだ。

    「……私は、皆さんのお帰りをタロさんとテトさんとお待ちします! コロッケくん、メンチさん、チェリーさん……どうか、レモネードさんと私の分まで戦って、そして、勝ってください! 私達が生きてきたこの星を……壊させないでください……!」

     私は必死に笑う。溢れそうな涙も堪えて、コロッケくんに意思を伝えた。
     ……泣いちゃだめだ。こんなところで泣いたら、レモネードさんにうじうじするなって怒られちゃうから……。

    「……うん! 任せて、おれ、絶対に勝ってくるから!」

     部屋から走り去るコロッケくんを、私は見送る。
     ……コロッケくん、どうか。どうかレモネードさんが生き抜いて、守ろうとしたこの星を……壊させないで。私にできることはもう、彼の勝利を祈るしか、ない。

    (レモネードさん、ごめんなさい。私、貴方の命をお守りするために生きてきたのに、)

     ぽた、と。手の甲に雫が落ちていく。それは、堪えきれなかった涙。私の生きる希望で、大好きで、最愛の人を失ってしまった悲しさと、何もできなかった自分の無力さに……私は、その場に蹲って、情けないくらいにわんわんと泣いた。
    想いが届いた日
     ビシソワーズパーティーでの戦いが終わって、半年の月日が経過した。
     コロッケくんのお陰で、私はまたレモネードさんとお逢いすることができた。今でも、その時のことを鮮明に思い出せる。レモネードさんの胸元に思わず飛び込んで、わんわん泣いてしまって……随分と困らせてしまったと思う。でも、レモネードさんは「ひでえ顔だな。どんだけ泣いたんだよ」と、仕方なさそうに笑って、優しく私の涙を拭ってくれたのだ。
     もう二度と逢えない。そう思っていただけに、あの瞬間は私にとって、紛れもなく奇跡だった。いつかコロッケくんに、この恩を返せたらと思う。

    「なにぼーっとしてんだよ」
    「……えへ。こうして、レモネードさんのお傍にいれて、幸せだなって思って……」
    「……ケッ、相変わらず大袈裟なんだよテメエは」
    「……大袈裟なんかじゃないです」

     ビシソワーズパーティーの後。レモネードさんは私が、レモネードさんの旅に付いていくことを許してくださった。「もたもたしてたら置いてくからな」とぶっきらぼうに言っていたけれど、レモネードさんは未だに一度も、未熟者な私を置いていくことをしない。そんな優しいところに、私はもっともっと、レモネードさんのことが愛しくなってしまう。
     大好きな人の隣にいられて、こんなに幸せでいいのだろうか。私はレモネードさんのお役に立って、彼が歩む人生を幸せにするお手伝いがしたい。だけど、今は私ばかりが幸せで、レモネードさんの幸せに貢献できているのだろうか……と、不安に思ってしまう。

    「……私、レモネードさんのご迷惑になってたり、しますか?」
    「…………はあ? いきなり意味わかんねえこと言ってんじゃねえ」
    「だって、私はレモネードさんのお役に立つ為にお傍にいるんです。……だけど、私ばかり幸せで、レモネードさんの幸せの役に、立てていないんじゃないかなって……ご迷惑ばかり掛けてるんじゃないかなって……」

     ぽつりぽつりと、纏まらない言葉達が溢れていく。レモネードさんは、本来ならば私の力がなくとも生きていけるくらいの、とても強い人だ。私がいることで、彼の足を引っ張っているのでは……?と、思うことがある。
     傍にいたいと思うのは私の願望で、エゴで。私は自分の幸せを優先しすぎて、レモネードさんのご迷惑を考えられてないんじゃないのか?という考えが過るようになったのだ。

    「……てめえは馬鹿か」
    「きゃ……っ!」

     ぐいっと腕を強く引かれて、そのままレモネードさんの腕の中に収まってしまった。抱き締められている、そう思うと頬に熱が集まって、どきどきと胸が煩く高鳴る。

    「迷惑だと思ってたら、とっくに切り捨ててんだよ。……くだらねえことうだうだ考えやがって」
    「レモネードさん……」
    「言っただろ。オレに構ってくる奴なんて、てめえ一人で充分だって。……今更離れるなんて絶対に許さねえ。オレの幸せの役に立ちてえって思うなら、ずっとオレの隣で笑ってやがれ」

     レモネードさんの言葉の一つ一つが、私を幸せにしていく。嬉しすぎて、幸せすぎて、胸が苦しいくらいに締め付けられる。

    「……こっち向け」
    「え、」

     レモネードさんに促されるまま、顔を上げる。レモネードさんのカッコいいお顔が至近距離にあって……そのまま、柔らかな感触が、唇に当たった。
     キスをされた。それをようやく理解した頃に、ゆっくりと唇が離れる。……レモネードさんの鋭い、アイスブルーの三白眼が、私をまっすぐに射抜く。

    「……一度しか言わねえからよく聞け。ニコラシカ、てめえが好きだ。愛してやるから傍にいろ」
    「う、うそ……」
    「あ? 嘘じゃねえ。なに、オレの言うことが信じられねえのか?」
    「だって、こんな、こんな幸せなことがあっていいんですか? ……本当に、私でいいんですか……?」

     声が震える。涙で視界が滲んで……これは、都合の良すぎる私の夢なんじゃないかと思ってしまう。

    「嘘じゃねえよ、タコ」

     これから嫌というほど分からせてやるから覚悟しとけ、と。レモネードさんは不敵に笑って、また私に優しく口付けた。
    いつだって、私の心を救う人
     さむい。さみしい。どうしてだれも、わたしのそばにいてくれないのだろう。
     私の目の前を通り過ぎていく、幸せそうな家族連れ。おとうさん、おかあさんって……満たされた笑顔を浮かべる、私と同い年くらいの女の子。……いいなあ、羨ましいなあ。きっと、あの子は、屋根のある暖かな家も、美味しいご飯も……なにもかもがあるんだろうなあ。私の目の前を通り過ぎていく人達は、私にはない「当たり前」を、持っているんだ。
     ……私はどこから来たの?どうして捨てられてしまったの……?どうして、どうして……考えても仕方のないこと、答えの出ない問い掛けをすればするほど、視界が滲んでいく。

    「あー!見ろよあれ!!あの不気味なやつ、魔女じゃねえ?!」
    「ほんとだー!はやくやっつけようぜ!!」

     私を視界に入れた人達は、皆こうだ。けたけたと無邪気な笑みを浮かべて、複数の少年達が私に向かって拳を向けてこようとする。残酷なことを残酷と思っていない、無意識の悪意。私にはそれが、たまらなく怖くて仕方がなかった。

    「い、いや……!やめて、ちがう、わたし、魔女じゃないから……やめてぇ!」
    「うわっ?!」

     心の底から叫んだ。怖くて怖くて仕方がなかった。……そうしたら、私の手には、槍が握られていたんだ。

    「な、なんだ……?!あいつの手から、槍が出てきたぞ?!」
    「やっぱりアイツ、本物の魔女なんだ……!」
    「ころされる!!呪われるー!!」

     私の手に握られた槍を見て、少年達は先ほどとは打って変わって、世にも恐ろしいものを見たような表情になって一目散に走り去った。
     ……そう。私は、ギリギリのところで助かったんだ。だけど……。

    (呪ったりなんて、殺したりなんてしない。わたし、魔女なんかじゃないよ……!)

     でも、私がそう主張したところで、一体誰が信じてくれるのだろうか。
     ……そもそも、普通の人間だったら。何もないところから槍を出すことなんてできない。皆が言うように、私は魔女なのかな? だから、私は捨てられちゃったの?

    「さみしい……さみしいよ……」

     槍をぎゅ、と握り締める。私は路地裏の隅っこで、誰にも見つからないように……声を押し殺して泣いた。


    ***


    「おい、いつまで寝てんだテメエ」
    「あいたっ?!」

     額をびしっ、と小突かれる痛みで目が覚めた。それによって、私は眠りの世界から掬い上げられる。……ああ、私、とっても昔の……夢を見ていたんだ。

    「起こしてくださってありがとうございます、レモネードさん!」
    「……ん、」

     体を起こして、気づく。私の手が、レモネードさんの手を……強く握っていたことに。

    「あ……! ご、ごめんなさい! もしかして私、寝てる間にレモネードさんのこと引き止めてしまってましたか……?」

     私が仮眠を取っている間、多分レモネードさんは私の様子を見に来てくれたんだろう。……そして、私はその間にレモネードさんのお手を握って、引き止めてしまったのではないだろうか。

    「……お前、随分と魘されてたみてえだったから見てただけだ」
    「え……、」

     レモネードさんのアイスブルーの眼が、私をまっすぐに射抜いている。

    「……てめえは、オレの為にその槍振り回してりゃいいし、オレの傍に黙っていればいいんだよ」

     だから泣くんじゃねえって、私の頬を撫でるレモネードさんの手は、とっても優しかった。
     ……レモネードさん、私と出逢ってくれて、本当にありがとう。いつも、私の心を救ってくれる貴方の為に、私はこれからも生きていきたい。

     魔女の私は、もういない。
    孤高の水使いの誓い
     固く閉ざされた瞳。いつもは穏やかで、あどけない寝顔を晒すニコラシカの表情に、違和感を覚えたのは決して気のせいではない。
     眉間に皺が寄り、険しい顔つきになっている。唇から漏れ出る、悲しみに満ちた声音に……彼女は今、悪夢に魘されているのだろうということが分かった。手を差し出すと、ニコラシカの小さな手が、縋るように強く、レモネードの手を握り締めた。

    「わ、たし……まじょ、じゃ……な……」

     途切れ途切れに紡がれる言葉。レモネードは昔、彼女と初めて出逢った時のことを薄らぼんやりと思い出す。曖昧で、埋没しかけていた記憶だが……確か彼女は、多くの人間から「魔女」だと忌み嫌われて迫害されていた。
     普段から天真爛漫で、明るいニコラシカを見ていると忘れてしまいそうになるが……思えば彼女は、自分と同じ立ち位置にいた少女なのだ。孤独で、誰も寄り添ってくれない。他人から嘲笑われ続けて、辛くて寂しい人生を送ってきたのは……彼女もまた、同じで。昔、彼女を「魔女」と罵った人間達の言葉は今もこうして、彼女を苦しめ続けているのだろう。

    「……てめえが魔女だろうがなんだろうが、関係ねえ」

     ぎゅ、と彼女の手を強く握り返す。レモネードにとって、ニコラシカが魔女か人間かなんて、どうだっていいことだった。ニコラシカはニコラシカだ。それ以外の何者でもない。天真爛漫で、ばかみたいに素直で……放っておけないこの少女は、誰に何と言われようが絶対に手放さない。もし、また彼女を「魔女」だと断じて、裁こうとする人間が現れたとしたならば。自分から、この愛しき存在を奪おうとするならば……絶対に、手出しなんかさせない。守り抜いてみせるし、誰にも奪わせやしない。

    「……てめえは、オレの為にその槍振り回してりゃいいし、オレの傍に黙っていればいいんだよ」

     泣き晴らした少女の頬に手を添える。ニコラシカが自由に、幸せそうに笑っていられる為ならば……何度だって、レモネードは彼女の手を取り、救い上げるのだろう。
    ニコラシカが自身の出生に悩む話
    「テメエ……! いい加減、有無を言わさずこのさみぃ館に連行するのやめろっつってんだろうが!!」
    「だってえ、こうでもしないとシトロン、僕達に会いに来てくれないから仕方ないのにゃ! お兄ちゃん達に寂しい思いをさせるなんて……本当に悪い弟だにゃ!」
     オレはテメエらのことなんざ家族だと思ってねえ!と、レモネードの怒声が館内に響く。最早恒例行事と言っても過言ではない、スズキとレモネードのやり取りを……ニコラシカはブーケガルニと共に、微笑ましそうに見ていた。
    「……スズキってば、あんなにはしゃいじゃって。ごめんね、ニコラシカ……せっかく、シトロンとデートしていたみたいだったのに」
    「いえいえ! どうか、お気になさらないでください! スズキさんがああして……レモネードさんを家族として迎え入れてくださることが、私、とっても嬉しいんです!」
     レモネード本人は、ビシソワーズ兄弟のことを……自身の家族だと認めてはいないことを、ニコラシカは勿論知っている。けれど、彼が幼い頃、孤独に打ち震えながら、家族という存在に……憧れの気持ちを持っていたことも、彼女は知っていたから。あのビシソワーズパーティーの戦いを経た後もこうして、レモネードを迎え入れようとしてくれる、スズキを始めとしたビシソワーズ兄弟達の存在が、ニコラシカにとっては自分のことのように嬉しかったのだ。
     だって彼女も、孤独の寂しさを知っていたから。レモネードと同じように……「家族」の存在に憧れていたのだから。
    「レモネードさんに、ビシソワーズ家の皆さんの存在がいて……本当に、よかった」
     ニコラシカの深紅の瞳が、レモネードのことを慈しむように見つめる。彼に対する愛おしさが滲み出ている彼女の視線に……ブーケガルニはどうしてか、一抹の寂しさのようなものも感じ取っていた。
    「……ニコラシカ、」
     ブーケガルニは思わず、彼女の頭を撫でる。きょとん、と驚いたように目を丸くしているニコラシカに……ブーケガルニは告げた。
    「シトロンが私達の家族ということは、あの子が選んだ貴女も……私達の家族よ」
     だから、そんなふうに寂しそうにしないで、と。言外にブーケガルニは訴える。
    「……ありがとう、ございます」
     それでもやっぱり。ニコラシカのどこか、寂しそうな表情を拭いきることはできなかった。

    ***

    「ケッ! もういい加減オレ達は帰るからな!! 二度と呼ぶんじゃねえぞ!!」
    「にゃはは〜! その台詞、もう何回も聞いてるのにゃ〜!! じゃ、またなのにゃ! シトロンにニコラシカ!」
    「はい! また、ご飯ご一緒にしましょうね〜!」
     スズキがステッキを振り上げ、いつものお決まりの呪文を唱えると……見慣れたBB7のアジトに飛ばされていた。いわゆるテレポートと呼ばれる技を、事も無げに駆使することができる彼は……最早奇術師の域を超えているなあと、毎度ながらニコラシカは思う。
    「ったく、あいつらといるとマジでロクな目に合わねえ……」
    「お疲れ様でした、レモネードさん! ……スズキさん、レモネードさんとお会いできて、本当に嬉しそうでしたね!」
    「アイツはただ単にオレをおちょくりてえだけだろ」
     ソファに座り込み、レモネードは珍しく疲れたように溜息を吐いた。底抜けにテンションが高く、飄々とした態度を取るスズキの存在は……レモネードにとっては、やはり苦手な部類の人間であるらしい。それでも毎回律儀に相手をしている辺り、スズキのことを本気で嫌っているわけではないことを……ニコラシカは知っていた。

    『シトロンが私達の家族ということは、あの子が選んだ貴女も……私達の家族よ』

     ふと。ブーケガルニに言われた言葉が脳内に過る。レモネードと同じ、水色の瞳を宿している彼女が自分を見つめた時……ニコラシカは、心の内に隠していた感情を、見透かされたような気持ちになったことを思い出す。
    (ブーケガルニさんに気を遣わせてしまうだなんて……私、やっぱりまだまだ未熟だなあ)
     レモネードに、本来の家族ともいうべき存在が、彼にとってのもう一つの居場所ができたことを、ニコラシカは心の底から嬉しく思っている。その気持ちに、嘘偽りなど微塵もない。だが……それとは別に。ニコラシカの中で、ずっと目を反らし続けていた、自身の出生の謎についてを……今になって考えるようになってしまっていた。

     自分はいったい、どこからやってきたのか。どうして生まれた時から、家族もおらず独りだったのか。望まれて、生まれてきた生命ではなかったのだろうか。考えたってどうしようもないことばかりが、頭の中を駆け巡っていく。

    (……もし、私が望まれない命で、本当はレモネードさんの傍にいることすら許されないような存在だったら……)
     思考に暗い影が落ちていく。レモネードがビシソワーズ兄弟の面々と喧嘩しながらも交流したり、相棒のチェリーやBB7のメンバー達と楽しそうに過ごしている日常を間近で見守ることが、ニコラシカにとっての幸せだった。
     けれどもし。いつか自分の存在のせいで、レモネードの日常を、彼の居場所を壊してしまったらどうしようと。怖くなる。自分の出生が分からないことなど、もうずっと気にしていなかったはずなのに。レモネードのことを想えば想うほど……自分の出生が分からないことの怖さに、苛まれていくのを日に日に感じていた。
    「……さっきから何シケた面してやがる」
    「えっ、あ……! ご、ごめんなさい! あはは……私も、ちょっと疲れちゃったのかもしれませんね」
     レモネードに心配と迷惑を掛けまいと、ニコラシカはいつものように笑おうと振る舞う。しかし、そんな誤魔化しなど……レモネードという男には到底通用しないのだ。まして、愛しく思った存在の心の機微だからこそ、尚更。
    「ケッ! オレに隠し事しようなんざ百年はええんだよ!」
    「きゃっ……?!」
     腕を掴まれ、無理矢理にレモネードの脚の間に座る形となる。ぎゅう、と強めに後ろから抱き締められて、ニコラシカは自身の心臓が煩く高鳴るのが分かった。
    「……てめえは、オレさまが言ったあの言葉、もう忘れちまったのか?」
    「え……? あの、言葉って……?」
    「……オレに構ってくるやつなんて、てめえ一人で充分だって、言っただろうが」
    「あ……!」
     ビシソワーズパーティーでの戦いの記憶が、フラッシュバックする。レモネードの出生の秘密が分かった、あの戦いで言われた言葉。……レモネードが真の家族よりも、自分達が生き抜いてきた地球と……ニコラシカの存在を、明確に選んでくれた、あの時のことを。
    「オレには、てめえの存在がなんだろうがどうだっていい。関係ねえ。何があろうが、周りがどう言おうがてめえはてめえだろうが。……ニコラシカ、てめえは、オレの傍でへらへら笑って、好きに過ごしてればいいんだよ。オレから離れなきゃ、それでいい」
    「レモネードさん……」
     いちいち言わせるんじゃねえよ、と。乱暴にレモネードは言うけれど。ニコラシカにとっては、彼のぶっきらぼうな優しさが、嬉しくて堪らなかった。
    「ありがとう、ございます……!」
    「……別に、礼言われることなんざしてねえだろ。大袈裟な奴」
     レモネードの言葉の一つ一つが、ニコラシカの心を救っていく。今も昔も、ずっとずっと……レモネードは彼女の心を救うのだ。
    例え誰に祝福されずとも、
    「レモネードさん!」

     弾んだ声音で、ニコラシカがオレの名を呼ぶ。真っ白なシーツをヴェールに見立てて、頭に纏う彼女の姿は、さながら花嫁のようだった。

    「えへへ……お嫁さんになった気分です!」

     寂れた教会。ところどころがひび割れているステンドグラスから漏れる月光が、くるくるとはしゃぎまわるニコラシカを照らしている。金糸の髪は月の光に濡れていて、どこか幻想的にすら見えるのは――こいつに惚れてしまっているが故なのか。

    「ケッ……。おい、左手貸しな」
    「へ? わあ……っ?!」

     ぐん、と強引にニコラシカの腕を引っ張り、自分の元へと抱き寄せた。そして、左手の薬指を口の中に突っ込んで、軽く噛み付く。

    「ん……、指輪なんて上等なモンは用意してねえからな。今はそれで我慢しとけ」
    「は、はわわ……!!」

     我ながら何をやってるんだか、と照れ臭くなる。けれど、少なからず結婚式とやらに憧れているニコラシカを見ていたら……例えごっこ遊びだったとしても、多少はそれっぽくやってやりたいだなんて思ってしまったのだ。
     きっとこいつは、オレに惚れなければ……世間一般の女どもが憧れている、まともな花嫁になれただろうに。オレを選んでしまったばかりに、ニコラシカは恐らく永遠に、憧れの花嫁になれることなんて、ないのだ。

    「私は今、世界で一番幸せな花嫁さんです!」

     ふにゃり、と甘くはにかみながら、ニコラシカは愛しそうに歯形の着いた薬指を撫でている。

    「……大袈裟な奴」

     こいつがあまりにも幸せそうに笑うものだから、オレもつられて笑ってしまう。
     ニコラシカをまともな花嫁になんてしてやれない。だが、それでもオレは、こいつを手放す気なんて微塵もないのだ。

    「神に誓うなんざガラじゃねえが……愛してやるよ。オレなりのやり方で、これから先ずっと、な」

     ぶっきらぼうにそう言って、奪うように口付けた。
    二人を見守る者達の話
     ぴょこぴょこと揺れる金色のアホ毛。それはよく見知った少女のトレードマーク。ヤキソバの肩に乗っていたルッコラは身を乗り出して、少女の名前を呼んだ。

    「ニコラシカ〜!久しぶりだぞーい!」

     名を呼ばれた少女はぴたり、と立ち止まって、くるりと声がした方へと振り返る。ルッコラとヤキソバの姿を視認するや否や、ぱっと明るい笑顔を浮かべて、ぱたぱたと彼らの方へと駆け寄った。

    「ルッコラちゃんにヤキソバさん!! お久しぶりです、奇遇ですね!」
    「ビシソワーズパーティーの時以来だな〜。元気にしてたか?」
    「はい! お陰様で……!」
    「全然連絡ないから心配したぞーい! ……えいっ!」

     ヤキソバの肩からルッコラはぴょーん!と勢いよく飛び降りて、ニコラシカの腕の中へとダイブする。会いたかったぞーい!と嬉しそうに抱き着いてくる彼女に、ニコラシカは穏やかに微笑む。

    「……お、そういえばレモネードは? 一緒じゃね〜のか〜?」
    「今は少し別行動していて……待ち合わせの時間まで、ちょっと街を見てたんです」
    「そうだったんだ〜! 珍しいこともあるぞーい……って、ん?」

     ニコラシカと少し会話を交わしている最中、ルッコラはあることに気付く。ニコラシカの左手薬指に……きらきらと銀色に輝く……指輪が嵌っていることに。

    「ね、ねえ……ニコラシカ、その指輪……もしかして……!!」

     ルッコラは思わず衝撃のあまり、ぷるぷる震えながら指摘する。

    「え? あっ……! えへへ、そういえば言ってませんでしたね……その、実は、」

     レモネードさんと結婚したんです、と照れくさそうに述べるニコラシカ。衝撃の一言に、ヤキソバとルッコラは思わず声にならない叫びを上げた。


    ***


    「なーんであたい達のこと呼んでくれなかったんだぞーい! ルッコラ、ニコラシカの綺麗なお嫁さん姿見たかったぞーい!!」
    「ケッ、うるせえ。呼ぶ筋合いなんかねえよ」
    「いやいくら何でもおいら達に冷たすぎるだろレモネードよ〜! ちゃーんとご祝儀だって用意したぜえ?」

     ニコラシカと合流して早々、レモネードはヤキソバとルッコラに囲い込まれることとなる。会って早々なんなんだテメエら!!と怒鳴りつけるも、ルッコラはそれに怯まない。

    「レモネードも指輪してる……ほんとにほんとに結婚したんだ……!酷いぞい!あたい達にもお祝いさせてほしかったぞーい! えーん!」
    「ご、ごめんなさいルッコラちゃん……!」
    「……チッ、謝ることねーだろ。だいたい、ちゃんと挙げたわけじゃねえし、てめえら呼ぶほどのもんでもなかったんだよ」

     泣いている仕草を取るルッコラを見て、オロオロし始めるニコラシカ。それを見兼ねたのか、レモネードはめんどくさそうに事実を話し始める。ニコラシカには指輪を贈っただけで、結婚式をしたといっても擬似的なものでしかなかったことを。

    「だったらちゃんと挙げるぞーい! それでそれで〜!美味しいご馳走たっくさん食べながら、ニコラシカの綺麗な花嫁姿見るんだぞーい! あ、友だち代表としてあたいがスピーチもするぞい!」
    「てめえは豪華な飯食いてえだけなんじゃねえの」
    「そんなことないぞーい!」

     結婚式は女の子の夢だぞい!ときゃっきゃとはしゃぐルッコラ。自分達の結婚を祝おうとしてくれているのだという事実に、ニコラシカは目頭が熱くなる。

    「……えへ、なんだか嬉しいです。私、大好きな人と一緒にいられて、お友達にも恵まれて……とっても、幸せ者です!」

     はにかむニコラシカを見て、「大袈裟すぎなんだよ」と、レモネードはそっぽを向いた。
    パンプキン視点
     ピザの斜塔が崩壊したことにより、一度命を失った筈の俺達は復活していた。第二の生をまた歩むことができるのだと安心していた矢先……今度は、ビシソワーズ兄弟だとかいう、如何にもヤバそうなバンカー達が現れやがったのである。
    「マルゲリータ様が消されちまうなんて……俺達これからどうすればいいんだYO……」
    「カカカ……」
     我らがBB7のリーダーであったマルゲリータ様は……ビシソワーズ兄弟の実力に目を奪われてしまったがばかりに、一瞬で消されてしまった。俺はクスクスと共に途方に暮れるばかりで、蘇って早々意気消沈するしかない。

    「オレは行くぜ。あの5人組にこの星を消されちゃ……この先暴れられなくなるからな!」
     レモネードは相変わらず好戦的で、あの5人組を前にしても全く物怖じしていなかった。ヤキソバとルッコラ……ニコラシカちゃんを連れて、奴等が拠点を構えているというアイスピック山まで赴くつもりらしい。
     お前達はどうするんだ、と。明確に言葉にはしなかったが……レモネードは視線だけこちらに寄越して、言外に俺達に聞いているようにも思えた。
    「……俺はやめとくYO。マルゲリータ様を一瞬で消しちまうようなおっかない奴らに……勝てるとは思えないからNA……」
    「カ! カカカ!!」
     クスクスの言葉は相変わらず分からなかったが……恐らく、俺の言葉に同意しているのだろうか? いつもレモネードの言うことを素直に聞いている印象が強かっただけに、俺の言葉に同調しているように思えたのが意外だった。
    「そーかよ。んじゃ、てめえらとはここでお別れだな。……じゃーな! せいぜい楽しくやるこったな」
     俺達の選択を詰るわけでもなく。レモネードはあっさりと俺達に別れを告げる。……これで、BB7は事実上解散、という形になるのだろう。
    「こんなあっさりBB7が解散しちまうなんてNA……」
     元々協調性のあるチームではなかったとは思う。というか団体で行動することなんて本当に稀で、基本は個々人が好きに活動してる山賊集団だった。バンカーサバイバルとかそういう大会がある時だけ集まって好き勝手暴れて……。世の中にあるであろう他のバンカー集団と比べたら、絆だとかチームワークだとかそういう概念は皆無にも等しかった集団だと、パンプキンは認識していた。

     それでも。

    「俺……なんだかんだBB7、嫌いじゃなかったんだろうNA」
    「カ!」

     心には確かに、一抹の寂しさが残っていた。


    ***

     BB7が解散して一年以上の月日が経つ。地球はビシソワーズ兄弟の魔の手からどうやら守られたようで、俺は今もこうして元気に第二の人生を歩めている。そして俺はピザの斜塔崩壊後から、何気にクスクスと共に旅を続けていた。

    「そういえばめちゃくちゃ今更なんだけどYO、レモネードとニコラシカちゃんってもう付き合ってたりするのかNA」
    「カカカ?」
     俺はふと、あの二人のことを思い出す。ニコラシカちゃんがレモネードを探して……当時のBB7がアジトを構えていたピザの斜塔前にまで訪れてきた日のことは今でも忘れられない。正直俺は、あんなに純粋そうで素直な可愛い女の子が、レモネードのような如何にも悪い男を好いているなんて到底信じられなかったし、度肝を抜かされることの方が多かった。レモネードはレモネードで始終ニコラシカちゃんに冷たい態度を取っていたし……どんな気持ちであの二人を見ればいいのかと、何とも複雑な心境だったのを覚えている。

     ……否。本当は俺は、レモネードのことが羨ましかった。俺がバン王に願って手に入れたいと思っている容姿を持ち、その上あんなに一途で可愛い女の子に好かれているのにも関わらず、ツンケンした態度を取り続けるレモネードに対して……苦手意識をどうにも拭えずにいた。一体何が不満だというのかとすら言いたかったレベルだが……あの威圧感を前にして直接言える度胸は、俺にはない。というかこの地球上でレモネードに面と向かって物を言える人間など、本当に極僅かだと思う。

    「あの二人、アイスピック山に行く前結構良い雰囲気だった気がするんだよNA……クスクスはどう思うYO」
    「カカカ! カカ!」
     言葉は分からないが、クスクスの身振り手振りのニュアンスで俺は彼が言いたいことを何となく察する。多分、あの感じだともう付き合ってると思う!と言いたいんだと思う。
    「レモネード、ずっとニコラシカちゃんに冷たかったけど……なんだかんだ嫌いではなかったんだろうなって、俺は思うんだYO」
     今にして思うと、レモネードは本当にどうでもいい人間に対して……あんなふうに構ったりしない。興味ない人間にはとことん興味ないといった態度を取る(俺に対してがそうだった)から、ニコラシカちゃんに好かれて懐かれて……絆されている部分もあったのでは?と、俺は考えていたりする。ナチュラルにイチャついているようにしか見えない時もあったしNA……。

    「お? そこにいるのはもしかして……パンプキンとクスクスか〜? おーい、久しぶりだな!」
    「あたいたちのこと覚えてる〜?! キャハハ! パンプキンもクスクスも全然変わってないぞーい!」
     聞き覚えのある間延びした声と明るく無邪気な少女の声。背後をくるりと振り向くと……そこには大木の出で立ちをした男とちょこんとその肩に乗っかっているちっこい少女……かつてのBB7の仲間であった、ヤキソバとルッコラがいた。
    「ヤキソバにルッコラじゃねーかYO! お前ら生きてたんだNA……」
    「どういう意味だぞい! 地球を守りにいったあたい達に少しは感謝の気持ちを表して……禁貨を寄越すんだぞーい!!」
    「会って早々それかYO! 見た目に反して本当にがめついなお前!! というか熱ッ!! 火を吹くんじゃねーYO!!」
    「カカカ!!」
     ぼっ!と口から火の粉を出してくるルッコラを軽く叱咤しつつ……俺は内心ほっとしていた。やっぱり、基本は禁貨を取り合う敵同士のバンカーとは言え……短くない期間を過ごした知人達が生きている事実に、安心感を覚える。バンカーバトルで命を落とす人間が多い世の中だから、そういう話を聞くと……仕方がないとはいえやっぱり気が滅入るのである。
    「そういえばパンプキン、聞いたか?」
    「? 何をだYO」
     唐突にヤキソバから振られた話題。次の瞬間から飛び出た単語に……俺は今日一の度肝を抜かされることとなる。

    「レモネードとニコラシカ、結婚したんだってよ〜。オイラ達にも教えてくれればいいのに、水臭いよなあ〜!」
    「…………ハ?! ちょ、ちょっと待つYO!! それ、マジで言ってんのかYO?!」

     ヤキソバの口から聞かされた衝撃の事実に、俺の頭は追いつかない。寧ろ置いてきぼりである。
     エ? だって一年前はまだ全然付き合うとかそういう次元じゃなかったよNA? レモネードの奴、ずっとニコラシカちゃんに対して「うぜえ」「うるせえ」「気安く触るな!」の塩対応ローテーションしてたよNA? 確かにピザの斜塔がなくなっちまった後のレモネードは、ニコラシカちゃんに対して優しくなったような気がするな〜とは思ったけど……それがいきなり結婚?!

    「あたい達がそんなくだらない嘘吐くわけないぞーい! ニコラシカ、左手の薬指に指輪してたし……レモネードの奴、全然教えてくれないんだから! ニコラシカの花嫁姿独り占めだなんてずるいんだぞい!!」
    「まあまあ〜。今度ちゃんとした結婚式挙げるって話だしよ、その時を楽しみにしようぜ〜。ってなわけで、パンプキンとクスクスもどうせなら来てくれって話。ニコラシカちゃんも式挙げるならおめーらのこと招待したいって言ってたしな!」
    「て、展開が早すぎて着いていけてねえYO!!」
    「カカカ……!!」

     付き合ってるどころかもう結婚してたなんて、あの二人どんな速度で進展してんだYO……!!
     ……まあでも、あのレモネードも人の子ではあったんだなって地味にほっとする。やっぱりなんだかんだ、ニコラシカちゃんの一途さに……彼も惹かれるものがあったのだろう。

    「というかニコラシカちゃん……あのレモネードの心を掴むなんて、やっぱりあの子只者じゃねーんだYO……」

     ニコラシカちゃんがただ可愛いだけの女の子じゃないということを、俺は改めて実感させられた。

     

    フォンドヴォー視点のレモニコ『私に生きる希望をくれた、大切な人にまた逢いたくて……バンカーになったんです!』
     恋する女の子の顔で、俺にそう語ってくれたニコラシカ。彼女はいつも、その大切な人に関する話をする時……とても幸せそうな笑顔を浮かべていた。
    『ニコラシカちゃんは、本当にその人のことが好きなんだな!』
    『えへへ……はい! あの方に出会わなければ……今の私はいませんし、こうして師匠にお料理を教えてもらうこともなかったと思います。……私にいろんな世界を見るきっかけをくれたあの人には……本当に、感謝してもしきれません!』
     だから今度は私が、あの人のお力になりたいなあと。呟く彼女のその姿に、自然と昔の俺を重ねていた。孤児で、家族がいなかった俺に……手を差し伸べて、家族として迎えてくれたバーグ師匠。俺にとって、バーグ師匠は一筋の光だったから。俺も、自分を救ってくれたあの人の為ならば……なんだってしたいし、力になりたいと思うから。だから、ニコラシカの恋路を応援してあげたいと、少しでも力になってあげられたらと……そう、思ったんだ。

    ***

    「師匠に、テトさん……?」
     のどかな草原が広がっているにも関わらず、殺伐とした空気で張り詰めた戦場。裏バンカーサバイバルなどという悪趣味すぎる大会を開く主催者の目を掻い潜って、外への出口を探している最中に……俺達はニコラシカと再会した。よりにもよって……一番、素直に再会を喜べないタイミングで。
    「……よかった。生きていらしてたんですね、師匠」
    「……ああ、お陰様でな」
     ニコラシカの手には、この第三階戦を勝ち抜く為の禁カブトも、彼女の自慢の槍も……何も無かった。どこか儚げにも思える微笑みだけを浮かべている彼女に……どうしてか、俺の心は妙にざわつく。それは、俺の隣にいたテトちゃんすらも……何かに勘付いていたみたいだった。
    「……ニコラシカ、戦いに出向かなくていいのか? このままじゃきみは……さっきの俺みたいに、奈落の底に落ちてしまうぞ」
    「……そう、ですね。このままじゃ、私は失格になっちゃいますね」
     困ったように笑うニコラシカを見て、俺は確信してしまった。……彼女は恐らく、自分の想い人である……レモネードの為に、自分の身を犠牲にするつもりなのだと。
    「ニコラシカちゃん……」
     なんと声を掛けるべきなのか、言葉が見つからないのか……テトちゃんは翡翠の瞳を翳らせて、ニコラシカを見つめていた。
    「……テトさん、レモネードさん達が……貴女をこの戦いに巻き込んでしまっていたことを。貴女が人質に取られていることを知りながらも助けなかったことを……私は謝りません。……私は、何があってもレモネードさんの味方ですから」
    「……そっか。ニコラシカが前に言っていた好きな人って、レモネードだったのね」
     だったら謝れないよね、と。テトちゃんは仕方なさそうに笑いながら言った。愛する人を裏切ることなどできない……その気持ちは、なんとなく俺も分かる気がする。俺もきっと、もしもバーグ師匠がこの世の悪だと……世界の全てが断じたとしても。彼を守りたいと思うだろうから……。
    「師匠、今まで……私にたくさんのお料理を教えてくださって、ありがとうございました。おかげで、レモネードさん達と……私は楽しい時間を過ごすことができました。この思い出はきっと……師匠と出会わなければ、できなかったものです」
     ぺこり、と礼儀正しく頭を下げられる。ずっとお礼を言いそびれていたから、言えてよかったです、と。ニコラシカは明るい声で、いつも通りの笑顔を讃えながら……俺に礼を告げた。
    「……本当はもっと、別の形で聞きたかったぜ。ニコラシカちゃん」
     きみの恋路は、こんなところで終わっていいものじゃないだろう。俺はきみが……大好きだと言っていたレモネードと一緒に、幸せそうに共にしているところを見たかったんだよ。……師匠として、弟子が一人前になって、幸せを手にしている姿を見ることを……望んでいたんだよ。
    「……さようなら。師匠、テトさん」
     そんなふうに、悲しそうな笑みを浮かべるきみを……見たくなんてなかったよ。

    ***

    「なあリゾット、聞いたか? レモネードとニコラシカちゃん、今度ついに結婚するんだってな!」
     俺の一言に、リゾットは飲んでいた紅茶を吹き出しそうになっていた。上品そうなハンカチで、げほげほと口元を抑えて咳き込んでいる辺り……余程、衝撃的な情報だったらしい。
    「ほ、本当なのかフォンドヴォー?! あのレモネードが……結婚?!」
    「ははっ、いくらなんでも驚きすぎだろう! いやあ、ニコラシカちゃん……頑張ったんだなあ!」
     俺があの二人のやりとりをまともに見掛けたのは、裏バンカーサバイバルに、ビシソワーズパーティーでの戦いくらいだったが……きっと、あの時点でもう、レモネードはニコラシカに心を奪われていたんじゃないかって……そう思うんだ。俺はレモネードのことをよく知るわけじゃないが……彼女を見つめている時の奴の目は、どことなく優しかったように思えたから。
    「……ニコラシカが、レモネードを心の底から好きなことも、愛していることも知っていたけど……そうか。あいつも……」
     本当はもう、ずっと前から好きだったのかもな。なんて……リゾットは俺以上に感慨深そうに呟いていた。……まあ、それもそうか。リゾットは、レモネードと一悶着あったみたいだし、散々な目に合ったと言っていたから……。尚更、ニコラシカの身を案じていたのだろう。そういえば、レモネードとニコラシカのやりとりを、ハラハラしながら見て心配してたしな……。
    「今度ご祝儀用意しないとな! 師匠代表として、スピーチも考えておくか!」
    「……なんだか随分と楽しそうだな、フォンドヴォー」
     そりゃそうさ。俺の初めての弟子が、一人前のお嫁さんとして旅立っていく姿を……見届ける日が来るのを、俺はずっと楽しみにしていたんだからな!

    「ニコラシカー!幸せにな!」

     晴天の下で、ニコラシカはレモネードに手を引かれながら……幸せそうに笑っていた。
    いつまでも、続いていく物語
     これから先。どんな艱難辛苦が待ち受けていたとしても……レモネードさん。私は、貴方という存在がいるのならば、決して屈せず、前を向いて立ち上がれます。
     十年前。初めて貴方と出逢った時からずっと、私は貴方の存在に助けられていたから。私は貴方のお陰で、今こうして生きていられる。

    「私と出逢ってくれて、ありがとうございます」

     レモネードさんのことが愛おしくて、大好きでたまらない気持ちは……いつだって溢れてやまない。ぎゅう、と彼に抱きつきながら、私は感謝の気持ちを伝える。

    「いきなりなんだよ。つーか何度も同じこと言ってんじゃねえ、知ってんだよんなこと」
    「えへへ。でも、伝えたくて仕方がなかったんです。……レモネードさんが私のことを、お傍に置いてくださるのが……身に余るくらい、幸せなんです」

     貴方の傍にいられるだけでとても幸せなのに。レモネードさんが、私のことを愛して、大切にしてくれているという事実が……信じられなくて。今でも、夢なのではないかと思ってしまうくらいだ。

    「ケッ、これくらいのことで幸せとか言ってんじゃねえよ」

     私を抱き締め返してくれるレモネードさんの手は、とても優しい。ずっと、この人の腕の中にいたいと願ってやまない私は……昔よりずっと、欲深くなった。

    「大体、てめえはもう二度とオレさまから離れられねえんだよ。離れようとしたってぜってえ許さねえし、何度だっててめえの手を掴みに行ってやる」

     逃げたくなっても逃してなどやらない。てめえが好きになった男はそういう人間なんだよ、と……レモネードさんは不敵に笑って、私に言った。力強い、確かな言葉に……私は嬉しくてたまらなくなる。

    「離れたりなどしません……! 私はずっと、いつまでも……レモネードさんのお傍に居続けます!」
    「当たり前のことばっか言ってんじゃねえ」

     ニコラシカは、レモネードという男に出逢ったからこそ救われた。彼女の人生に光が射したのはまぎれもなく、レモネードの存在が在ってこそだった。
     そして……レモネードもまた、ニコラシカの存在にきっと、救われていた。氷のように凍てついていた、孤独な彼の心を……ニコラシカは、彼への熱き想いで溶かした。例え世界中が彼を、レモネードという男を悪だと断じたとしても……ニコラシカは離れない。彼を裏切らず、最後まで傍にいると誓うのだ。

    「レモネードさん、これからもずっと、ずーっと……貴方のことが大好きです!」

     孤独に泣きながら、ずっと冷たい雨に打たれ続けていた少年がいた。自分を見下し、嘲笑ってきた人間達を見返してやろうと……その手を汚し続けながら、前へと進んできたあの頃の自分はきっと、想像もしていない。
     心に降りしきる、冷たい雨を晴らしてくれる……太陽の女が現れることなんて。

    「……オレも、」

     自分だけを健気に見つめ続ける、向日葵の女。愛しいこの存在を、この温もりを……決して、手放しはしないと誓おう。死が二人を分かつ、その時まで。

     二人の道行きはこれからも続いていく。溺れるような、愛とともに。

    END.
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    2022/11/08 2:20:50

    原作軸レモニコ小説まとめ

    昔無料配布したレモニコ小説同人誌の一部をweb再録したものです。18禁要素無しの全年齢版。18禁小説の代わりに同人誌には収録しなかったレモニコ小説を差し替えてあります。

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