だから、もう一度あれから戻ってきた揚羽と連れられてきた蜂矢に聖と一緒に分けたお重を持たせて。落とさないように慎重に抱えながら、いざ差し入れを、と第1寮に向かえば。そこにはぐったりとした愁達が居て。
やっぱり差し入れ持ってきて正解だったぜ、と、意気揚々と、でも本当はどんな反応が待ってるか分からなかったから不安半分抱えながら、作ってきたものを見せたのに。
「ふざけんな」
その一言が俺の胸を抉ったなんてこと、きっと愁は知らない。
無事に星谷の行方も分かり、みんなでほっと一息ついた頃。それぞれが普段の休日のそれへと戻る中、感想が聞きたかった俺は、愁の傍に座り、いつもの軽いノリでどうだったかと愁に尋ねた。
(因みに、あんなに沢山握った筈のおにぎりは、気付いたらほとんど戌峰に食べられてしまっていたが、幾つかは愁にも食べてもらえていた。)
「なんでこんなもん持ってきたんだ。」
あいつが無事だって分かった今だからいいが、なんで今日なんだよ。そう冷たく返さてしまった。
不安がなかった訳じゃない。でも何だかんだで実は優しい愁なら、この弁当も受け取ってくれると思ったし、いつものように素っ気なくても礼を言ってくれると思ってた。
それなのに。
ふざけんな、なんで持ってきたんだ、それがさっきから延々と途切れることなく俺の頭の中で巡っていく。
さっきまでわいわいがやがやと騒がしかった食堂であるが、今は俺以外誰もいないため、ひっそりと静まりかえっている。手伝おうかという聖の言葉を断り、俺は一人黙々と握り飯の入っていたお重を洗っていた。
数が数なだけ、また、お重自体が第2寮のものであるために、聖からの申し出は有り難かったのだが、どうしても一人になりたかった。きっと聖にはバレているのだろう。それでも、その事には触れず、ただ、戻すときには手伝うから呼んでよとだけ言い残し、一人にしてくれる優しさは、本当に有り難かった。時々何を考えてるか分からないけど、いい友人を持ったなと素直にそう思う。
流れる水によって、お重に残る洗剤の泡が落ちていくのを眺めながら、さっきから一向に消えてくれない愁の言葉を思い返す。
別に愁に優しくしてほしかった訳でない。発端はどうであれ、今回は息抜きとして差し入れしたんだ。もしかしたら、その程度の思いはあったが、きっと素っ気なく返されるだろう、そう思っていた。だからまさか怒られるなんて思ってもみなかった。
愁が自分に対して、他の、それこそチーム鳳や和泉達と態度が違うのは分かってた。
でも同じ役を競う間柄だ。別に優しくなくったって当然だと思ったし、俺が愁に絡むようになったきっかけを考えればそんなもんだと思ってた。
けど、最近の少し打ち解けてくれる態度や素っ気ないながらもあまり邪険にはしない態度から、少しだけ期待した部分はあった。ほんの、ほんの少しだけ。
弁当を作ったら星谷や和泉達のように俺に優しくしてくれる愁が見られるんじゃないか、って。
愁が素っ気ないのはいつものことだし、冷たいのもいつものことだ。作ってくれば優しくしてくれる、そう言っても、表立って見せないだけで元来優しいのも知っていた。
だから、いつものこと。いつものことだ、って分かってるんだけど。
あの一言が思った以上に俺の心を抉っていて。
鼻がつんとし、目から何かがこぼれ落ちそうになる。いけねえ。こんなことでそんな感情になるなんて、男らしくねえ。バカじゃねえか。一生懸命踏みとどまって、目からこぼれ落ちないよう、目の周りの筋肉に力を込める。
一人にはなりたかったが、こんなことなら聖と一緒に片付ければよかった。そうすればきっと笑っていられた。
みっともねえだろ、たかが優しくしてもらえなかった、それだけで。
とにかくとっととお重を洗って第2寮に持っていこう。そんで聖と騒げば忘れられる。だから。
「北原、お前こんなところで何してんだ。」
誰もいないと思っていた食堂の入り口から声をかけられ、驚きに思わず目を見開いてしまう。しかもその声が今一番聞きたくないものなら尚更。
表面ぎりぎりまで張って耐えていたそれが、少しだけ、静かにこぼれ落ちた。
頬を湿った何かが通ったのを感じ、慌てて拭う。
こんな姿、知られる訳にはいかない。見られたくない。
ちょうど今いる位置は入り口からは影になっていて見にくい為、さっさと拭ってしまえば気付かれることはない。
「よ、よう愁。いきなり声かけるなよな、驚いたっつーの。」
あくまでもただ、急な出来事に驚いただけだと──それ以外の動揺なんてないと──そう装って入り口へと顔を向けながら、無理矢理笑顔を形作る。──頬の辺りがひきつってるのを感じるが、うまく笑えてると信じたい。
「……悪い。こんなところに一人でいるからつい……」
向けた先に見えた愁の顔はいつもの無表情で。何を考えてるか分からない。心なしか眉間にしわがあるように見えるが、それすらもいつもの表情と言ってしまえばいつもの表情だ。
「ほら、使ったんなら洗わねえとだろ?重箱返さねえといけねえしな。……そういう愁こそ何しに来たんだよ。」
さっきから顔の筋肉が限界を訴えているが、それらを無視して無理にでも笑い続ける。愁の前でみっともねえ姿、見せたくない。
「……お茶を貰いに来たんだ。のど乾いたからな。」
表情は変わらない、いつもの愁だが、さっきから何故か声が固い。感情の読めない平坦な声。いつだって感情がはっきり分かる訳ではないが、今の愁からは、あまりにも何も感じられない。
そんな愁がゆっくりと近付いて来る。
「お、お茶ならそこのポットに入ってるぜ。さっき那雪が作ってたからよ」
月皇のことで揉めたあの時だって、愁からは感情が溢れていた。なのに、今は何も見えない。
愁はお茶を、と言ったのに、何故かポットの前を通りすぎ、俺の目の前までのやって来ていた。
「北原、お前、目が赤いな」
それは暗に泣いていたのかと聞かれたようだった。
「な、何言ってんだよ。んなわけねえじゃん。そもそもなんで泣く必要があんだよ。」
「泣いてたのか」
「ち、ちげえ、これは、ほら、洗剤!洗剤が目に入って、だから、それで!それで目が赤いだけで!」
誤魔化さなければ。それだけが頭を支配して、愁がどんな顔をしてどんな声をしてどんな行動を取ろうとしてたかなんて見えなかった。
そっと温かい何かが俺の頬に触れた。
「でもここ、濡れてる。やっぱり泣いてたんだな」
その瞬間、堪えてたものが全て決壊した。
──ああ、どうして。自分は彼を怒らせてしまうのだろうか。
愁が目の前にいて、見ているのに。このままじゃ不味いと分かっていても、一度決壊した涙は簡単には止まってはくれなかった。
どうしよう。どうしよう。
愁にだけは絶対に知られたくなかった。のに。
「やっぱり泣いてるじゃねえか」
「ち、違えって。これは目に石鹸が入って痛いからで、あと石鹸流そうと涙が出ててんだよ。だからこれは泣いてんじゃねえ。」
「……石鹸が入ったんなら、ちゃんと流さないと目に悪いぞ。あとこすんな。」
「うるせえ、大体涙で流れてったから平気だ。あとこすってねえし。」
「そういう割りには涙止まってねえけどな。」
「!!た、多分、まだ洗剤が残ってんだよ、だから……」
もう既に誤魔化せるような状況ではなかったが、それでも俺は、何とかして愁に泣いていないと証明したかった。そうすれば、この未だに頬へと感じるこの温かい手が離れていってくれると思ったから。
何とか愁を丸め込んで、納得してもらいここから離れて貰わなければ。
何でもない、何でもないんだ本当に。
これ以上愁に迷惑をかけたくない。これ以上、愁に失態を見せたくない。
だから。
「取り敢えず、手え洗え。その洗ってるもんから手離して」
「愁はお茶貰いに来たんだろ?本当に石鹸が目に染みて涙出ただけだから、愁が気にすることじゃねーし。な?」
「あのな、今は……」
何か言いかける愁の手の上に自分の手をかける。
──精一杯笑えよ、俺。
「その、手を洗ったついでに顔、洗いてえから、手離してくんね?」
「…………」
笑えよって思いながらも早々に限界を感じ、そっと視線を外す。無言になった愁の顔なんて長く見てられねえし。
「わりーけど、愁。お茶は後にしてくんねーか。顔洗ったら呼ぶから、さ。ここから出てってほしい。」
そう言って、そのまま特に何も返してこない愁の手を掴み(愁の手ってあったけえんだな)、無理矢理引き離した。
「………………分かった。」
そう言って愁が出てくまで、俺は顔を上げることができなかった。
冷えた水が心地好いのは、泣いて腫れてしまった目が熱を持っているからだろうか。
それとも、少し落ち着いて、冷静になってきたからだろうか。
あの後。止まらない涙に、まじで石鹸が入ったかと焦ったが、根気よくまぶたを見開いて水で洗う内に、徐々に徐々に目からこぼれることはなくなって。
ぐちゃぐちゃになっていた気持ちも、顔にあたる冷水が大分落ち着けてくれていた。
──あーーーすげえダせえな、俺。まじで有罪。
きゅっと、蛇口を閉める。
あんなんで、泣くかよ、普通。
聖に知られたら、笑われる所じゃ済まねえし、絶対ネタにされる。からかわれんだろ、これ。
まじで有罪だな。
さっきまで響いてた音が消えて、静かになった空間でそっと息を吐く。
──それでも。
ぽたん、と、1つ。冷やした目元からしずくが伝って落ちていった。
「笑ってほしかったんだよな、って。」
有罪。有罪過ぎんだろ……
別に優しくしてほしかった訳でも、ほめてほしかった訳でもないけど。
いや、そんな気持ちが一ミリもなかったとは言えねーけど。
それでも、ただ。
ただ、思いつめて疲れてる愁に笑ってほしかった。微笑んでもらいたかった。
何とかなる、ってそんな、無責任なことを言いたかった訳じゃないけど、あのおにぎりを食べて、元気になる愁が見たかった。
──だって、好きな人には、笑っててほしいから。
大丈夫だよ、って。そうやって力になりたかった。
まじで有罪。そんな事を望んでしまった自分が。
「うしっ」
パンパン。と、景気が良い音がする。
気合いを入れるって言ったらこれだしな。勢いよく自分の頬を叩いて、渇を入れる。
どうしたらいいか分からなかった、心が苦しくなる重いぐちゃぐちゃの気持ちは、全部水に流れていったから。
このお重返してきて、聖んとこ行こう。今度は気分を上げて楽しく笑おう。そうじゃなきゃ、有罪だ。
心の切り替えは早くなきゃ、プロの仕事は務まんねえしな。
「、うわ、びっくりした。」
食堂を出た外には、愁が壁に持たれるようにして立っていた。
「え、愁、なんでいんだよ?」
「……………」
「?どーしたんだよ?……あ、そうか、お茶か!」
そういえば、愁がここにいるのって、お茶取りに来たから、だったよな……それなのに、後にしてほしいと、俺が追い出しちまったんだ。
──有罪だな。めっちゃ愁に迷惑かけてんじゃねーか。
「わりーな、追い出しちまって。今入れてくるからよ。」
せっかくなら愁に俺から注いでやろうと思い(それが詫びになるかは分からないけど)、
引き返そうとした俺の腕を、愁が掴んだ。
「……いや、いい。お重返しに行くんだろ。自分でやる。」
「、おお、そうか。」
掴まれた腕から愁の体温を感じてしまい、何故か軽く動揺する。
「それよりも目、もう大丈夫なのか。」
固まっている俺をじっと見つめてくる愁の視線が痛い。今日はなんなんだ、本当に。せっかく落ち着いたのに、有罪だ。
「ああ、めちゃくちゃ洗ったからな。もう痛くねえし、大丈夫だ。」
今は何故か心臓がめっちゃ痛えけど。
「…………なら、いい」
じーっとこちらを見ていた愁が、その返答と共にようやく視線を外してくれる。そのおかげで、少しだけ緊張がとける。が。
まだ腕から伝わる熱が残ったままで、相変わらず心臓が痛え。何なんだ、まじで。
愁相手に緊張してるのって、有罪過ぎねえか。
「あのよ、愁そろそろ……」
何故か色々とたえられなくなった俺は、この場から逃げ出したくなって(愁が居るのにまじで有罪だ)、愁に手を離してもらおうとしたのだが。
「……その、さっきは悪かったな」
そう愁からの謝罪を聞き、俺は再び固まった。
愁が謝ることなんてこれっぽっちもない。──むしろ、謝罪しないといけないのは俺の方だ。
「──いや、愁は何も悪くねーよ。その怒らせるようなこと、多分しちまったのは俺の方だろうし。まじで有罪だな。悪かったな、愁」
何であんなに怒ってたのか。それだけはどうしてもお重を洗ってる間も、自分の目を洗ってる間もずっと考えても分かんなかったけど。
それでもきっと怒らせることをしたのは自分で。
それに勝手に傷付いて落ち込んじまって、まじで、有罪。
愁の力になりたかったけど。
怒らせてばっかの俺にはまだまだ到底できねえことで。
「愁の力になりたかったんだけどな。まだまだだったみてえ。」
結局。愁があの時、笑顔になったのは星谷が無事だと分かったから、だったし。
──ああ、やっぱり星谷はすげえ。愁を笑顔にできるから。
「…………」
急に腕に痛みが走る。愁の体温を感じる腕から。
また怒らせちまったかな。それでも。
「だから──、また弁当作ってきていいか?リベンジしてーんだ。」
本当は聖とかと騒いで、十分気分が上がってからにしたかったんだけど。ダッセえけど、そうやって騒いだ後じゃねーと、言える勇気が出なかったから。
──でも。
今、伝えたかった。愁が目の前に居てくれている、今だからこそ。
愁にもう一度ちゃんと食べてもらいたいから。
「……だめ、か?」
目の前で目を見開いてる愁の顔を見る。
何をそんなに驚いてるのか分かんねーけど、いや、やっぱり図々しいよな。そりゃそうだ、有罪だな。
そりゃオーディションでもう一回なんてなかなかねーもんな。落ちたっつーのにリベンジなんてなめてんじゃねーか、って感じだしな。本当に有罪。
「あー、やっぱりだめだよな。わるかった、愁。もう言わ──痛え!痛えって、愁!!流石にそれは有罪だろ!!!」
すげえ痛え。腕取れそう。どうしたんだ愁。
「、わりい。」
その言葉と共に、愁の力がようやくゆるむ。
つーか、愁の力強えんだな。びっくりした。
「愁どうしたんだよ。そんなに強く握られたら流石に有罪だぜ?」
「悪かった。だから、撤回すんな。」
「?何をだよ?」
「もう一度作んだろ。次はちゃんと食べる。」
「!、いいのか?」
「まあ、卒業公演終わって落ち着いてからにはしてほしーけどな。」
そう言ってようやく愁の手がはなれていく。
あんなにもはなしてほしかったのに、遠ざかった体温が少しだけさびしくて。
もっと愁の体温を感じていたかった、なんて。
──やっぱり、有罪だな。
腕を引っ張られた時に、少しだけ傾いたお重を抱え直す。
──そうやって下向かないと、どうしてもこみ上げてくる頬の上がりをごまかせなかったから。
手がはなれたのはさびしいけど、でも今はそれ以上に嬉しさくて。
愁にもう一度食べてもらえるんだ。すげえ嬉しい。
──愁はやっぱり無罪だな。
「愁がいいっつーなら、また作る。だから、今度こそ手え洗って待ってろよな、愁!」
最近同室のあいつが五月蝿いったら、ない。
普段はオレの子猫ちゃん達との会話を、うぜえ、殴りたい、他所でやれと散々な言い様をする癖に、自分のこととなるとそれらを棚上げとか、酷くね?
なら、俺だっていつどんなときだって子猫ちゃん達と話してたっていいだろ。ここは俺の部屋でもあるんだし。
オレだってそろそろうぜえし、殴りたい。他所でやれよ。
そう、ぐちぐち言いたくなるほど、目の前の男、俺の同室である北原廉の話は五月蝿いのだ。
正直に言うとそんなに終始わめいてる訳ではない。
ただ、今の時間、この夕食から就寝までの幾ばくかの間だけ、最近やたらと俺に対して話し掛けてくるのである。(前まではオレの子猫ちゃんタイムを気遣ってか話し掛けても来なかったのに、だ。)
しかもその内容が、ほとんどないと言ってもいい程で。だって、ただひたすらオレの幼馴染、空閑愁のことを語ってるだけだからだ。
学業とミュージカルとその勉強と稽古に明け暮れた日々の中で、この就寝までの時間は、俺が子猫ちゃん達と触れ合える貴重な時間だ。
それを最近は電話を掛ける暇さえ与えず、北原は愁のことばかり語ってくるのである。
曰く、愁のどこが格好よかっただとか、愁のどこがすごかっただとか、愁のどこがやばかっただとか。(すごかったとかやばかったって他に表現ないのかよっていつも思うんだが。)
そして、だから俺も負けてらんねえ、もっともっと練習しねえと、見てろよ愁!と熱く締め括るのがいつもの流れだった。
だから今日も同じ流れだろうと、また始まった北原の言葉にたいして気にもとめず、せめてメールくらいなら許されるだろうと最近仲良くなった子猫ちゃんへの文面を打ちながら聞き流していた。
のだったが。
「は、お前、今何て言った?」
彼女はかなり可愛らしい子ではあったが、少し照れ屋なところがあったため、慎重に誘わないと。と、メールの文面に気を遣い過ぎていたのがいけなかったのか。
今、何かいつもとは違う言葉を聞いた気がする。しかも、大分おかしなことを言ってなかったか、こいつ。
「だから。愁が、この間の礼にどっか連れてってくれるって。」
オレの耳が幻聴まで聞こえるようになったのか、こいつの頭が幻覚を見るようになったのか。
「いや、有り得ねえだろ。お前が?愁と?え、それ本当に愁がそう言ったのかよ?」
「なんだよ。和泉のくせに有罪だろ、それ。俺が愁と出掛けちゃいけねーのかよ……」
そこで思いっきり横向き、頬を膨らませて不貞腐れても、別に可愛くはねーぞ。子猫ちゃん達じゃないんだから。
まあその丸々とした頬は思ったよりも柔らかそうで突っついてみたい、と思うが。
──いや、そういうことではなく。
「そうじゃなくて。愁が誰かと出掛けるとか珍しーからよ。最近は暇さえあれば稽古しかしてなかったし。まあ、team鳳の奴らは例外だろうけどよ。外出なんて久々に聞いたから。つか、お前、結構愁に相手にされてなかったじゃん。だから意外っつーか。」
「別に、最初っから出掛ける話になった訳じゃねーけど。愁がここ最近の弁当の礼に何か1つ聞いてやるって言うから、なら愁のバイクに乗ってみてえって。」
そう言ったら、じゃあ今度の休みに出掛けるか、ってなっただけだ。そう不貞腐れた態度を崩さずにぼそぼそと話す北原。
「あー、なるほどな。そういうこと。」
弁当の礼ねえ。
そういや最近昼飯の弁当を愁のために毎日作ってたか。確か那雪ちゃんに教わりながら一緒になってteam鳳の(北原はあくまでも愁の為だけだろうが)昼御飯を作っているのを寮の食堂で度々見かけた。
そう、その時だけは、俺は開放されて子猫ちゃん達との時間にできるため、見かけたというよりかは、その為に食堂へと出掛けていく北原を知っている、と言った方が正しいかもしれないが。
あのむせかえるような熱気と本気をぶつけ合って競い合い挑んだ卒業公演が終わり。
晴れて夏休み──かと思えば、案の定、補講の日々が待っていて。今は途中に行われた合宿によって足りなくなった授業時間を、きっちりと取り返す毎日で。
それから、だった。
特に争う必要もなくなったからなのか、それとも他に理由があるのか。最近、愁と北原の距離感が近くなっているな、と思うことが増えた。
北原が一方的に愁へ絡んでるのはそれこそ合宿辺りからだが、そうではなく。最近はそれに愁も応えているように見えるのだ。
傍目からはなかなか分からないが、愁の奴は存外、北原のことを気に入っているみたいだから、まあその内態度も変わるだろうなとは思っていたのだが。
──案外早かったな。
初めの頃を考えれば、幾ら気に入ったと言ってもそう簡単に懐に入れたりしないと思っていた、のに。
だって、北原は。彼はteam鳳の連中を罵倒したのである。それがどんな流れであれ、愁にとっては大切な仲間に対しての発言だ。仲間を傷つけられて黙ってるような冷静な男ではない。
むしろ、そういうことには積極的に動く男である。
案の定、きちんと売られた喧嘩を買っていた。
それも絶対に自分が優位であることを見せつけて。
(実際、あの時のオーランド役に一番近かったのはのは愁だったし)
──あれを見て、幼馴染の本気を感じて。俺は勝てないと不覚にも思ってしまった。
今のままのオレじゃなくても、オレが本気を出したとしても。
愁の覚悟は、あの時の中途半端な俺には眩しすぎたから。
ただ、それでも簡単に負けるつもりはなかったし、必死になって食らいついてったつもりだった。
オレだって本気を出したんだ、この目の前の男と同じようにあの時をきっかけにして。
まあ、だからなのかもしれないが。
あれ以降の北原の態度は人が変わったようだった。
稽古をする度に、熱くぎらぎらと愁だけを見つめる目は、俺と同じようにこの男に勝ちたい、それだけだったはずだ。
役に執着するというよりかは、愁に執着してたような感じだったが、その好戦的な態度が、きっと愁には心地よかったのだろう。
端から誰にだって負けるつもりのない、負けず嫌いな男を更に熱くするくらいには。
ふと目の前を見ると、眉をひそめながら俺を覗き込んでくる北原の視線に気付く。やべ、物思いに耽り過ぎた。
「で、どこに出掛けるんだよ」
「…………まだ決まってねえ。和泉何か良いとこ教えろよ。テメーそういうの詳しいだろ。」
いや、なんで俺が。愁とのことはこの毎日のオレの子猫ちゃんとの時間を潰してまで、こいつの話を聞いてやってるんだから。それだけで我慢してほしい。
これ以上、オレを巻き込むんじゃねえ。
ただでさえ最近、同室ってことで気兼ねがねえからか、やたらベタベタとうざいこいつのせいで、何故か愁からの視線が痛いんだ。それが何でかなんて考えたくねえ。
「どこに行くにしても、愁は酷い方向音痴だからな。行き先決めたら必ず道筋確認しといた方がいいぞ」
取り敢えず、忠告だけしてやり、それ以上は自分で考えろと放置することにした。
オレは子猫ちゃんにメールを送るので忙しいのだ。
横でぎゃんぎゃん犬がわめくように、冷てえぞ和泉!ひでえな和泉!有罪だろ!!と騒ぐ声が聞こえるが、それらを全て無視して、俺は目の前の携帯画面に集中することにした。