イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    雨夜の月


     一たび愛慾の迷路に入て、無明の業火の熾さかんなるより鬼と化したるも、ひとへに直なほくたくましき性のなす所なるぞかし。

    ——「青頭巾」(上田秋成『雨月物語』より)





    「妬けちゃうなぁ」
     にっかり青江が目を細めて石切丸の顔を覗き込むのに、石切丸は曖昧な笑みで返す。返答に迷っている石切丸に青江は、ふふ、と薄く空けた唇から息を漏らして肩を揺らした。石切丸は今から延享の江戸へ向かうところで、青江は遠征を予定されている。
    「脇差でも、不足はないと思うんだけどなぁ。君たちが毎日大怪我をして帰ってくるのを見ると、難所なのはわかるんだけど」
     延享の江戸で始まった調査に、短刀と脇差は出陣を許されていない。統率や生存を鑑みた審神者の判断だったが、実践刀を自負する大脇差はこの処遇に不満らしい。とはいっても、審神者に強く物申すことはなく、こうして以前同じ部隊だった石切丸に愚痴をこぼしにくるだけだ。
    「君たちには、池田屋があるだろう?」
    「それも、君たちの出陣に資材がかかるからって、回数が減らされたんだよ」
     辛うじて言い返した言葉は、青江に即返される。しかし、青江は本当に憎く思って石切丸に文句を言いにきているわけではない。これは青江なりの、コミュニケーションの方法なのだ。この本丸での付き合いも短くはないから、石切丸にはそれがよくわかっている。
    「あーあ、刀は斬ってこそなのに、本当に君たちに嫉妬してしまうよ」
     わざとらしく、悩ましげに溜め息を吐きながら青江がそう言ったときだった。
    「おや、嫉妬は良くないよ」
     柔らかな声がふたりの間に割って入ってきて、青江と石切丸は揃ってその声の方へ顔を向けた。
     声の柔らかさと同じく、優しい微笑をたたえた髭切が小首を傾げて青江を見ている。髭切も、弟の膝丸と共に今日は石切丸と同じく江戸へと出陣する予定だった。
    「妬かずにはいられないよ、君たちだけで楽しんじゃってさ」
     その髭切にも青江は物怖じせず軽口を叩く。いつもなら兄の傍でその言動に眉をつり上げるだろう膝丸は、隊長の山姥切国広の手伝いでもしているのか、珍しく不在だった。
    「ありゃ、鬼になってしまうよ。そうしたら僕が斬ってしまわないと」
     髭切は、青江の軽口を不快に思うような質ではないらしい。いつもと同じような微笑だが、声は少し弾んでいるようにも聞こえる。もしかしたら、面白がっているのかもしれなかった。
    「幽霊切りの刀が鬼になってしまうのはいただけないなぁ」
     青江もそんなことを言いながら、喉を鳴らした。石切丸はそのふたりの笑顔を交互に追いながら、少しほっとしていた。自分が責を負うわけではないのだが、青江が新しい刀に軽口を叩く場に居合わせるのは、妙に緊張してしまう。同じ部隊で出陣したことのないだろう髭切が、この独特の物言いに不快感を抱いていないことを見取って、安心したのだった。
    「それにしても、鬼かぁ。僕は斬ったことないけれど、鬼ってものを身近に感じるときがあるんだよね」
    「どういうことだい?」
     青江の言葉に、目を丸くしたのは石切丸だった。髭切は少し興味を持ったようで、へえ、と感心したような声を漏らした。
    「鬼は、女に縁が深いじゃないか。宇治の橋姫も元は恋に破れた姫君だし、羅生門の鬼も渡辺綱の伯母だかに化けて腕を取り返しに来たんだろう? 僕も、女には縁があるからね」
     青江は左肩にかけた帷子をひらりと揺らせてみせた。髭切は、青江の斬った幽霊の逸話を知っているのか、その白い単衣が空気を含んでたわむのに目を細めた。
    「確かに、鬼は女に化けるものが多いね。女が鬼になる話も多いし……それも、女の情が深いと思われているからだよ」
     なるほどね、と青江が相槌を打ったとき、本丸の奥から「兄者、刀装を取りに来てくれ!」という膝丸の声が聞こえた。髭切はそれを聞くと、ふらっとその声の方へ去っていった。それと入れ替わるように山姥切がやって来て、青江を見て「歌仙があんたを探していたぞ」と告げる。歌仙は青江と同じ、これから遠征に向かう部隊の隊長だったはずだ。早く行った方がいいんじゃないかな、と青江を窺うと、石切丸の顔色を読んでか、青江は「はいはい」となおざりな返事を残して、右手をひらりと振ると去っていった。
    「あんたも刀装を取りに行かないのか」
     残された石切丸に、山姥切が声をかける。本丸ができたときからいる山姥切は石切丸と、そして以前は青江とも同じ部隊になることが多かった。顔を合わせたばかりの頃は、布で顔を隠して目を合わせようとしなかった彼も、今は石切丸を遠慮なくじっと窺うまでに距離が縮んだ。その鋭い視線に石切丸もいつものように笑ってみせる。
    「そうだね、今日も励むとしようか」
    「ああ」
     出陣の度に何度も交わされたやりとりだったが、ここ最近は以前とは違う意気込みがこもるようになっていた。延享の江戸は、間違いなく難所だ。そこへ出陣するということは、必ずと言っていいほど大怪我をするということでもあった。初めて新橋に出陣したときに、重傷者だらけになって帰還したことは、本丸の皆にとって苦い記憶だった。手入れ部屋は今夜もすべて埋まるだろう。石切丸は静かに息を吐きながら、下腹に力を入れた。


     出陣前の予想通り、部隊は今日も重傷者を出して帰還した。一番時間がかかるという理由で手入れ札の使用を許された石切丸は、自分の使っていた手入れ部屋を次に使う者に声をかけに行くため、庭に面した廊下を歩いていた。
     四つの手入れ部屋のうち、手入れ札を使った石切丸と蜻蛉切の分が空いていた。残りのふたつは札の節約のために山姥切と獅子王が朝まで使うことになる。だから、石切丸が呼びにいくのは髭切と膝丸だった。蜻蛉切は明日の近侍を任されているから、石切丸がひとりで兄弟を呼びにいくことを申し出た。江戸への対策を練らなければならず、近侍が忙しいのを知っていたからだった。蜻蛉切は石切丸の厚意を受け取り、審神者の執務室へと向かったため、石切丸はひとりで歩いている。昼間は晴れていたのだが、風が強くなって雲が月を隠しては現すのを繰り返しているらしい。庭が暗くなったり、わずかに明るくなったりするのを眺めながら、その吹き込んでくる風が生温く、肌にまとわりつく重さを持っていることを感じていた。これから嵐が来るのかもしれない。
     手入れ部屋が空くまで待機するための応急処置室は、手入れ部屋から廊下をぐるりと回った逆側にある。その閉められた障子戸の前にたどり着くと、石切丸は声をかけた。
    「髭切、大丈夫かい? 私と蜻蛉切の分が空いたよ」
     今日の出陣で、髭切は一番の軽傷、膝丸は一番の重傷だった。本丸に帰還した途端昏倒してしまった膝丸に付き添って、髭切は手入れを後回しにしてもらうのを申し出たのだった。ここの審神者は手入れにかかる時間で札の使用を判断していたから、重傷であっても膝丸は後回しにされるのがわかりきっていた。
     部屋の中からは返事がなく、石切丸は雲間の月に照らされた障子戸を仕方なく開けた。戸の四角い形に切り取られた明かりの中に、石切丸の形に影ができている。その頭がかかるあたりに、部屋の中程に寝かされた膝丸の胸が荒い呼吸で上下しているのと、はくはくと苦しげに開いた口が見えた。髭切はその顔の傍に座って、満身創痍の弟をじっと見下ろしている。
    「……早く運んであげよう」
     石切丸が静かにそう言うのに、髭切は半分月明かりのかかった顔をほんの少し、石切丸へと向けた。片方の目だけが月明かりに照らされて、獣のように石切丸を窺っていた。髭切はまるで警戒しているように石切丸を見るばかりで、動こうとしなかった。
     普段は弟に執着を見せることのない髭切は、こうして膝丸が負傷すると、決してその傍から動こうとしなかった。まるで、弟に触れようとするものを排除しようとしているかのような気迫に、初めてこの状態の髭切を見る者は皆息を飲む。無機質にも感じるほどの静けさで、じっと自分を窺う空気の固さに耐えられる者は少なく、こうなった髭切を呼びにいくのは石切丸や三日月宗近といった年長者の仕事になっていた。
     石切丸が意識して柔らかい微笑を浮かべるのに、髭切は月明かりに照らされた片方の目を一度瞬かせた。その瞳がわずかに揺れていたのに気づいて、石切丸は声をかけるのをやめた。そうした揺らぎがあるときは自分から気持ちを落ち着けて、怪我をした弟を預けてくれるのを経験上知っていたからだった。石切丸は辛抱強く髭切の気が済むのを待つ気になっていた。
     二度ほど、月が雲に隠れて暗くなった。その合間の月光の中では石切丸をじっと見つめていたのに、次に雲間が晴れたとき、髭切は石切丸へと向けた視線をまた膝丸へと向けていた。
    「——君は、鬼を見たことがあるかい?」
     月に照らされて、頬にかかる柔らかな髪が光を返していた。静かな声は、この場に満ちていた緊張感をさらに張りつめさせた。
    「いいや、君が斬ったようなものは見たことがないと思うよ」
     その空気を下手に壊さないように、石切丸は普段通りの優しい声を出す。こういうときに髭切が話を始めるのは、これまでにはなかった。
    「あの大きな脇差は、鬼は女に縁が深いと言っていたね。それも間違ってはいないけれど、鬼が女に化けるって言われるのは女が情が深いからだよ。情が深い者が、鬼になってしまうんだ」
     出陣前の軽口だった。あのときは朗らかな空気で同じことを口に出していた髭切が、緩やかな明滅を見せる月明かりの下で、あのときと変わらない柔らかい声を出すのが、かえって重苦しく感じられた。
    「だから、女だけが鬼になるわけじゃない。鬼っていうのはね、人間の手を離れてしまった人間らしさなのさ。一旦抱いた思いをなかったことにするというのは、とても難しいことだよ。表には出ずとも、裏には在り続けるなんてよくあることだ——心というのは、時に人の手に余るからね」
     薄暗い明かりの中で、髭切は包帯を巻かれた手で、止血の処理を施されただけの膝丸の頬に触れた。膝丸は熱に浮かされているのか、変わらず荒い呼吸を繰り返すだけで、兄の挙動には気がつかないようだった。
    「橋姫は嫉妬に我を忘れた。そしてそのまま、人間であることも辞めてしまった。行き過ぎた情の深さは、人間から人間らしさを奪うんだよ」
     その静かな声も、穏やかな動作も、温かな狂気を滲ませていた。石切丸が口を挟めないまま髭切の動きを見守っていると、髭切は上体を傾けて膝丸の顔に自分の顔を寄せ、鼻先の触れる近さでぴたりと止まった。
    「僕は、鬼をも斬る刀だ。僕を振るって鬼を斬った者が人間であったように、僕も自分の執着に身を明け渡してはいけないんだ。鬼を斬るものが、鬼になってはいけない。僕は僕であるために、この弟の兄であるために、執着も嫉妬も捨てないといけない」
     風が吹いて、月にかかっていた薄雲を払ってしまったらしい。冴え冴えとした青い光が、膝丸の口に触れそうなほど近くで髭切の唇が動いている、その輪郭を鋭利に描き出してみせた。
    「僕は、鬼になってはいけないんだよ……でも、また離れてしまうなら、また僕の傍からいなくなってしまうのなら、いっそ僕が——」
     そのまま髭切の唇が滑らかに動いたとき、生温い風がごうっと音をたてて部屋に吹き込み、石切丸の袴の裾や袖がばたばたと鳴った。障子戸ががたがたと揺れ、庭の木々の葉擦れも激しく、その重たい風が厚い雲を流して月を覆ってしまった。月明かりが遮られるまでのわずかな間、石切丸は滑らかに動いた唇から目を逸らせなかった。
     しばらく真っ暗な部屋を見つめていたが、また雲は流れて、薄明かりが戻った。その中で、髭切が変わらず膝丸に顔を寄せているのを認めると、石切丸は努めて穏やかな声を出した。
    「何か言ったかな? さっきの風で聞こえなかったよ」
     その言葉のあと、髭切は体をゆるりと起こすと石切丸に微笑んで、ゆるゆると首を振った。その微笑は、いつもの髭切がたたえているものだった。
    「膝丸を早く運んであげよう」
    「うん、弟をよろしく頼むよ」
     髭切は膝丸を石切丸に預け、自分は歩いて手入れ部屋へと向かった。石切丸は膝丸を抱えて、髭切の髪が月のような色をしているのを見ながら、その後ろについていった。

     ふたりを手入れ部屋に送り届けたあと、石切丸は戦場にあるときのように腹の力が抜けないままのことに気づいて、頭を掻いた。そのとき、「お疲れさまだねぇ」という聞き慣れた声が背後から聞こえて、それに妙に安心してしまい、ゆっくり振り返った。
    「皆もう手入れ部屋には入ったのかい?」
    「ああ、今ね——膝丸は明日は休養だろう」
     おやおや、と相槌を打つ青江は、既に湯浴みを終えたらしく、寝間着に髪を下ろした姿だった。その長く濃い色の髪が風に揺られるのを片手で押さえながら、青江は穏やかに笑っている。
    「もうすぐ嵐が来そうだからね、寝ている方がいいかも」
    「ああ、嫌な風だね」
     先ほどまで姿を見せていた月も、厚い雲に覆われて、しばらく姿を現しそうになかった。風がざわざわと木々を揺らす中に、青江の喉を鳴らす笑い声が混じっている。
    「いや、これはこれで良い夜だよ。怪談にぴったりだ」
    「怪談?」
    「僕が怪談を話すのを聞く会を、短刀と脇差で今からやるのさ。といっても、さっきの夕飯のときにいきなり決まったんだけど」
     長閑な催しに石切丸は声をあげて笑った。江戸への出陣の予定がない者は、夜を持て余しているのだろう。
    「広間でやるからね、飛び入り参加も歓迎だよ」
    「おや、では混ぜてもらおうかな」
     石切丸が青江の誘いに乗ると、青江は珍しく目を丸くした。そのまま硬質な黄色い目でじっと石切丸を窺ったが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
    「いいね、君なら短刀たちも大歓迎さ」
    「光栄だね」
     ふたりが笑い合ったとき、遠くの空から唸り声のような音が聞こえた。
    「——遠雷か」
    「ああ、そのうち近くにやって来るよ。そして明日まで嵐だ」
     青江は笑ったまま、その暗い空を見た。石切丸はその横顔をじっと見下ろしたあと、同じように遠くの空に目を向けた。雲の連なりの向こうにほんのわずかな明滅を認めると、しばらく経ってから天が唸り出す。
    「まったく、良い夜になりそうだよ」
     近づいてくる雷鳴を聞きながら、嬉しそうに喉を鳴らして広間へ向かう青江のあとを石切丸はついていく。こんな夜は、誰かと共にいたかった。
    真白/ジンバライド Link Message Mute
    2022/09/07 12:18:53

    雨夜の月

    見えるはずのないものが見えてしまう夜
    石切丸視点です

    #髭膝 ##髭膝

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品