空のひととき ある夜、モアナはかつて先祖の舟が隠されていた場所に来ていた。今ここに舟はなく、ただの滝のある洞窟となっている。モアナはここで、ある相手と会う約束をしている。その相手もそろそろ来る頃だろうか。
滝のあたりを見ると大きな影がモアナの目に映った。モアナはその影に近寄り、顔を近づける。
「久しぶり、マウイ」
影に向かってモアナは声をかけた。
「ようモアナ」
影の正体はサメの姿に変身したマウイだった。
「確かにここは人目につかなくていいな」
マウイは変身を解いた。
「肩に巻くものは用意したか?前にも言ったが風をもろに受けるからな」
「ええ持ってきたわ」
そう言ってモアナは小脇に抱えていた布を肩に巻いた。
「あと合図だが、まず『風が落ち着いたとき』、それと『折り返し地点まで来たとき』に二回連続で鳴いて合図する。出発の準備ができたら肩を掴んでくれ」
モアナは強く頷いた。待ちきれないと言わんばかりに目を輝かせている。
「よし。外へ出るか」
二人は洞窟の外に出た。
外に出るとマウイは鷹に変身した。普段のマウイの背丈と変わらない大きさだ。その巨大な鷹の姿にモアナは改めて圧倒された。
存分に圧倒されたあとモアナはマウイの背中に乗った。手触りのいい羽と温かさでとても落ち着く。モアナは何度かマウイの背中を撫でた。
マウイが短く鳴いた。モアナが肩を掴まないことに痺れを切らしたのだろう。
「あっそうね」
モアナはそう言ってマウイの肩を掴んだ。マウイは一回鳴いてモトゥヌイから飛び立った。
確かに風を強く感じる。モアナは目を閉じ、マウイの肩をしっかり掴む。肩に布を巻いてなかったら慣れない寒さで体調を崩すかもしれない。しかし、徐々に風も穏やかになっていく。
マウイが二回鳴いた。その声を聞いてモアナは目を開けた。
モアナの目には毎晩見慣れている星空が映った。しかし、今は見慣れている全ての星が手に届きそうな近さにあった。
モアナは星空に向かって片手を伸ばした。しかしそれと同時にマウイが短く一回鳴いた。その声で彼女は我に返り、手を引っ込めた。彼女は引っ込めた手で彼の肩を掴み直した。
下を見やると海面が見える。海面が空を反射している。旅をしていたときも空が海面に映るさまを何度も眺めてきた。
しかし、上空から覗き込むと海さえも空の一部になってしまった錯覚を覚える。まるで夜空に島が浮かんでいるような光景がモアナの目に映る。空で輝く星と海に映る瞬く星。その光景に、彼女は深く息を吐いた。
モアナは星を眺めながら、温かく柔らかい羽に覆われたマウイの背中を撫でた。羽の温かさのおかげで風もちょうど良く感じるのかもしれない。モアナはそう思った。
そう思った矢先、マウイが三回鳴いた。モアナはもう一度彼の肩を掴んだ。どうやら折り返し地点まで来たようだ。マウイは旋回し、モトゥヌイへと方向を変えた。
モトゥヌイへ戻り、モアナはマウイの背中を降りた。彼女が降りるのを確認するとマウイは元の姿に戻った。
「空を飛ぶのってあんな感じなのね……最初怖かったけどすごく楽しかった」
モアナは夢心地でそう言った。飛んでいた時の高揚感がまだ残っている。
「楽しかったからって手を離すのはやめような」
マウイはそう言って少し眉をひそめた。彼に賛同するようにミニ・マウイも腕を組んで頷いた。
「ごめんなさい」
モアナは目を伏せた。
「俺もやったことあるけどな」
マウイは苦笑して続けた。
「初めて鷹に変身して飛んだ夜、思わず空に翼を伸ばしたんだ。で、飛ぶの忘れてそのまま海に突っ込んじまった」
マウイの話に合わせ、ミニ・マウイが再現する。その再現によると翼を伸ばしたことでバランスを崩し滑空する体勢に立て直す前に海に落ちたらしい。
「大丈夫だった?」
「魚に変身してどうにか無事だった」
タトゥーの海に落ちたミニ・マウイが魚になって出てきたところでモアナは思わず口元を緩めそうになった。
「落ちる速さによっては海が助ける前に岩にぶつかるかもしれないからな。運が良かった」
「そうね。気をつけるわ」
マウイの言葉にモアナは頷いた。そしてマウイの顔に視線を向き直した。
「今日はありがとう」
モアナはお礼を言った。
「どういたしまして」
マウイは微笑みながらそう言った。
「本当に星が掴めそうだった」
モアナは深く一息吐いた。かすめてきそうなほど近くで輝く星、肌を強く撫でる風、温かな羽の感触...。体全体に飛んでいた時の記憶が改めて蘇る。マウイが鷹に好んで変身する気持ちがわかるような気がした。
「……よかったら、また空へ連れてってもらえることってできる?今度は肩を掴むようにするわ」
モアナは思わず上目遣いになる。もう一度経験したい。図々しいかもしれないと思いながらも、モアナは駄目元で言った。
「お安いご用だ、風の頃合いを見てまた誘うさ」
そう言ってマウイもミニ・マウイも笑顔を見せた。
「良かった」
両者の笑顔にモアナは安心した。
「またな、モアナ」
次に会う約束を交わしたあと、マウイは鷹へと変身して翼を広げ、飛び去った。
モアナはマウイの姿が見えなくなるまで彼を見送ると、肩に布を巻いていたことも忘れて村へと駆けていった。
マウイはしばらく空を飛んで適当な島を見つけ、そこで寝床の準備を始めた。
寝床の準備の途中、マウイは自分の背中をさすった。
「次は羽繕いしてから乗せた方がいいな……」
モアナに背中を撫でられて鳴いて注意してしまった。もちろん彼女が肩を掴まないことを注意する気持ちもあった。しかし、星に手を伸ばした時を除けば注意する必要はなかった気もしてくる。彼女が肩を掴んでいなかったのも確かだが、手を離したわけでもなかったのだから。
「でも肩掴んでもらったほうが安全だろうし、注意して正解……だよな?」
マウイの言葉にミニ・マウイは肩を組んで考え込む表情を見せた。
寝床を準備し終え、マウイは寝ようとしたが、ミニ・マウイが何度か鷹に変身して羽繕いして見せてきた。
「練習した方がいいか?」
ミニ・マウイがウインクする。マウイはしぶしぶ鷹に変身し、数回慣れない羽繕いの練習をしたあと眠りについた。