【ゆく妖/腐】微妙な19のお題:09【柏秋前提秋葉原+竜崎】
【09. 嫌い、だけど好き 嫌いだから、好き】
「あなたとこうしてゆっくりお話するのは、初めてですね」
「そういやそうだおね。あんときは時間なかったし、竜崎さんも忙しそーにバタバタしてたし、やる夫はいつも五郎さんとばっか話してたからお」
「そうでしたね…今となっては遠い昔の出来事のようだ…」
部屋の中に置かれたパソコンの中、やる夫は部屋の主と向き合う。彼は何を考えているのか今一つ掴みきれない、実は何も考えていないんじゃないかと疑いたくなるような目で――実際には既存のコンピュータでも敵わないほどに多くのことを考えているのだとわかっていてもだ――虚空を見遣っている。
自分たちが初めて出会ったときの、濃密だったあの三日間を思い起こしているのだろう。時折眉間に皺が寄ったり、よく見ないとわからないけれど顔を顰めたりしていることから、なんとなく予想がついた。
――自分にとっても、あの三日間ほど感情が大きく動いた日々など無かった。世界を滅ぼそうとする大罪人と闘ったあの日々――…この世で最も大切な親友が、死んだ…否、親友を「殺した」あの日ほどに、心を揺らがされた日など。
「…それで、どしたんだお? 竜崎さんがやる夫を呼び出すなんて珍しいじゃんかお。またなんかの仕事頼まれるんかと思ったら、明らかに今プライベートっぽいし」
思わず泣き出してしまいそうになって、それを振り払うように喉から言葉を絞り出し、PCの中から辺りを見回す。
必要最低限のものしか置かれていない割には、全体的に汚い部屋。生活感は今一つ感じられないけれど、明らかに誰かの私室であることを匂わせている。ならば誰の部屋なのか、と考えれば答えは一つであろう。目の前にいる竜崎さんの、私室だ。
「…特に理由はありませんがね。少し、貴方と話をしてみたいと思いまして」
「やる夫と?」
ぎしり、と音を立てて椅子の上で体育座りをしながら、竜崎さんが続ける。
「ええ。貴方が『そう』なってから、貴方には何度も協力を仰いだことがあるというのに、プライベートでの会話は全くしたことが無かったじゃないですか」
「あー…それは確かに」
言われて初めて気がつく。思い返してみれば、最初に出会った頃のあの事件を始め、これまで幾度となく彼らの「仕事」に協力してきたというのに、竜崎さんと個人的な会話をすることは終ぞ無かった。五郎さんはちょくちょく呼びかけてくれるし、妖夢ちゃんだって暇さえあれば、話し相手になってくれと呼びかけてくれる。それを思えば、霊夢さんや竜崎さんとはプライベートな会話は全くと言っていいほどしていなかったのだと、今更ながらに実感した。
「じゃ、じゃあ、やる夫とプライベートでの会話、するために、呼び出したってことかお?」
「平たく言えば」
「んー…それは構わないけど、何の話しよっかお? ハッキングの話でもするかお?」
「いや、それじゃいつも通りでしょう。もうちょっと平和的なお話はできないんですか、貴方は」
呆れたようにじとっとした目でこちらを見る竜崎さんに、ひひ、と小さく笑いを返す。打てば響く、ってきっとこういうことだ。五郎さんの容赦なくてずしんと来るツッコミも霊夢さんや妖夢ちゃんの勢いのある怒鳴るみたいなツッコミも好きだけど、竜崎さんの冷淡な、それでいてどことなく暖かくて、心地良く感じられるようなツッコミが一番好きだ。
……どこぞの馬鹿な大根頭との会話を思い出すから、という続きは、胸の内に飲み込んで。
「うーん、とはいっても竜崎さんに楽しんでもらえそーな話って、ちょっと思いつかんお。ていうか、竜崎さん、実は話題用意してんじゃないかお?」
「おや、よくわかりましたね」
親指の爪を噛むような仕草で、竜崎さんが視線をやる夫に移す。そんな言い方をするわりには、あまり意外だとは思ってなさそうじゃないかと呟けば、ばれましたか、と彼は薄く笑った。
「それではぶっちゃけましょうか。私は今日、貴方と――柏崎やらない夫の話がしたいと思って呼び出しました」
「ッ…!? っ、そ、れこそ…ぜんっぜん、平和的、じゃ、ないじゃん、かお」
どうにか喉の奥から絞り出した声は、ひどく掠れていた。ああ、情けない。未だに、その名前を聞くだけでこれほどまでに心乱されて、泣き叫びそうになってしまうなんて。自分に、そんな資格はないのに。ましてや、竜崎さんの――彼らの前で、なんて。
「いやあ、それが意外と平和的な話になるかもしれないんですよね」
「…どこ、が?」
どうにか抑えようとするけれど、どうしても声が震えてしまう。せめて泣き出したりはしないようにと、必死に歯を食いしばった。
「それはおいおいと。…で、やる夫さん。私、あの事件のとき――柏崎やらない夫の監視のために、北米三合会の人間だと偽ってやらない夫に近づいたことがありましたよね」
「……? う、うん…あったおね」
「あの時に思ったことなんですがね。あいつ、たぶん貴方が思ってるよりずっとアホですよ」
「えっ」
思いもよらなかった人からの思いもよらない発言に、言葉を無くす。竜崎さんは呆れたような、皮肉げな、それでいて優しくも思えるような微妙な笑みを浮かべ、続けた。
「自分の力を過信していたが故の油断もあったのでしょうが、いくらなんでも詰めが甘すぎる。ナンバーを隠そうともせず自分たちの名義の車を使って妖夢さんを誘拐、自宅のパソコンにパスワードの一つもかけない、イス人との契約で入れ替わった貴方がその後どうなったのか確認もしない、妖夢さんのお母さんに近づくにも変装もしないどころか偽名の一つも使わない、重大な証拠を現場にほいほい残していく、一旦会話を始めれば次から次へと失言の嵐、挙句の果てには液体生物の『解放』の呪文が記された本を回収しないままに私をアジトに放置…いやあ、本当にアホだと思いません?」
「…………」
こうして改めて言い連ねられると、本当にどれだけ詰めが甘かったんだろう。本人としては、どうせ警察に言ったところで魔術云々はそう簡単に信用されることなどないだろうし、何より世界を滅ぼしてしまえば証拠も何もあったもんじゃないから、といったところだろうが…結果として「計画」を邪魔する人たちを大量に生み出しただけだったじゃないか、と少し苦笑。
……やっぱり、本当は心のどこかで自分を止めて欲しかったんじゃないかと思わずにいられないのは。詰めの甘さをたくさん見せつけることで、自分を止めようとする人たちが諦めてしまわないようにと、無意識のうちに思っていたからこその「油断」なんじゃないかと思ってしまうのは。あいつをずっと見てきた人間としての、贔屓目でしかないのだろうか?
だって、自分が知っている「柏崎やらない夫」は、そんな間抜けな真似ばかりやらかすような奴じゃなかった。いつだって冷静で抜け目がなくて、普段は大人びて見えるのに同年代の連中と遊ぶときは誰よりも子供っぽくなるような面もあったけれど、それでも誰よりも頭が切れる…そんな奴だったんだから。
本人に聞いたとしても、そんなわけないと鼻で笑われるだけだろうけれど。本人すら意識していない…否、意識できないほどの奥深くでは、誰かに自分を止めて欲しかったんじゃないかと、そう思わずにいられないのだ。
「…確かに、やる夫から見ても、アホだと言わざるを得ないお」
「ですよね。…ではその一連の抜けっぷりを前提とすると、何やら…違和感が生じると思いませんか?」
「え? 違和感、って……?」
今しがた頭を過ぎった思考が当たっていたのかと一瞬疑って、竜崎さんは昔のあいつを知っているわけじゃないと思い直す。警察に残っているあいつのデータだって、それほど多くはないのだし。
だとしたら、彼の言う「違和感」とはなんだろう。考えてみても、すぐには思いつかなかった。
「わかりませんか? ――そんな詰めの甘い男が、やる夫さん、貴方に『何も気付かせない』ことだけは完璧にやり遂げていた」
「!!」
「貴方は本当に、あのときまで何も知らなかった…いえ、覚えていなかったのでしょう? そして――」
優しい声で、まるで歌うように竜崎さんは続けた。
「やらない夫とルームシェアをしていた…奴にとって一番身近な存在だったはずの貴方が、あの事件が起こるその瞬間まで、マフィアに襲われることはおろか、狙われることも無かった。現に、張すらもあの日まで貴方を襲おうとも利用しようともしなかった。それは、何故か?
――やらない夫が、貴方に危険が及ばぬよう、苦しむことのないよう影ながら手を尽くしてきたからとしか考えられない」
都合の悪いものを見られるたび、記憶を消して。メールのやり取りをしていたときだって、何一つ気取られぬようにと動いて。
何故だろうかと、確かに疑問に思っていた。どうして、そうまでして一緒にいてくれたのかと。どうして自分の前では、昔と変わらぬあいつでいてくれたのかと。…どうして、あれほどまでにあっさりと、事もなげに人を殺せるようになってしまっていたのに、やる夫のことだけは…殺さなかったのかと。
そもそも、どうしてイス人と『入れ替わる』対象がやる夫だったのだろうか? 口封じのためだとしたら、さっさと殺してしまえばよかっただけの話なのに。結果的にやる夫は「死んだ」わけだから、同じことかもしれないけれど…ただ、どうしてわざわざイス人を利用したのか、と。理解に苦しむことばかりで、ずっとずっと悩んでいた。
「そう考えれば、わざわざイス人とやる夫さんを入れ替わらせたことも納得がいく」
「…ど、ういう、ことだお?」
「やらない夫はこうも言っていました。ああ、『どうして秋葉原やる夫だけは、記憶を消すのみにとどめて、生かしておいたのか』と質問したときの返事なのですが…
『やる夫はもう、消滅した。あいつはもう、この世のどこにもいない。だから世界が滅びても、狂気に苦しむことはない』と」
「え……ま、待ってお、何、それ…し、質問の答えに、なってな…」
「ですね。まあ、あの時は状況が切羽詰まっていましたから、私もそのあたりは強く突っ込みませんでしたが……なんということはない。小学生だって理解できるような、ごくごく単純な結論です」
「……………」
何かを言わなければ、と思うのに、声が出ない。口を開きかけた体勢のまま、細かい震えが止まらない体を持て余す。プログラムになってもこれほど人間に近いモノであれるなんて、まったく科学の進歩とは恐ろしいものだ、なんて現実逃避みたいに考えて。
「ぶっちゃけると、これはあまり認めたくはない事実ですが…彼は、間違いなく、情を持った『人間』だった。だからただ、貴方を…貴方だけは苦しませたくなかった。それだけのこと」
「ッ…!」
「他の何をどれほど失敗しようとも、貴方のことについてだけは一度たりとも間違えなかった。貴方がイス人との精神交換によってこの世から消滅するのではなく、情報生命体となってしまったことだけは計算外だったのでしょうが…こればかりは仕方ありませんからね」
イス人に関わることなど、私たち人間が理解できるはずもない。それはやらない夫にとっても同じことだったのでしょう。そう言って、竜崎さんはやる夫から目を逸らし、窓の外を見上げた。空に、何かの面影を見るように。
「つまりは…たとえ何が起ころうとも、貴方だけは巻き込みたくなかったのだと思います。それだけ、貴方のことが…いえ、貴方だけが、彼にとって失われてはいけないものだったのでしょう。
貴方の存在が、彼を人たらしめる唯一の要因だった。…貴方がいて、貴方と出会えて…ひとりぼっちの魔術師ではなく、貴方の友人として死ねたことは、彼にとっての救いであったと思いますよ」
「………りゅ、ざきさん……ごめんなさいお」
「え? …どうしてそこで謝るんですか? 私、変なこと言いましたっけ」
珍しく、何がなんだかわからない、という顔でかくりと首を傾げる竜崎さんを真正面から見ることもできず、思わず視線を落とす。
「ごめんなさいお。やる夫に、気、遣ってくれてるんだお? 妖夢ちゃんも、五郎さんも、そう、だから…わかる、お。ごめ、ごめんなさいお、本当は、そんなこと、竜崎さん、にっ…言わせて、いい、ことじゃ、ない、のに……」
「っ! …い、いいえ。私はただ…貴方が気に病むことではないんですよと、そう伝えたくて…」
泣き出しそうになるのを必死でこらえながらだから、言葉が途切れ途切れになってしまう。それでもなんとか全部言い切ると、竜崎さんは珍しく慌てたようにやる夫に手を伸ばし、そっとやる夫が映る画面に手を当てて、優しく声をかけてくれた。その優しさが、酷く痛い。
「巻き戻り」前の世界でも、そして今の世界でも。霊夢さんたちの同僚や先輩が、やらない夫によって殺されたということは知っている。霊夢さんの職場の人ということは、竜崎さんにとってもそれなりに親しく付き合っていた人たちということも予想がつく。
そんな人たちを殺されて、辛くないわけがないのに。…あいつを、憎んでいないわけがないのに。
それでも、竜崎さんも、他の三人も。彼らは、やる夫に罪はないと、やる夫が気に病むことではないのだと言ってくれる。全てを知った今でさえ、あいつのことを憎み切れずにいる、あいつのことをこれほどまでに――失いたくなかったと、いとおしく想い続けている、こんなやる夫のことを。
「……竜崎、さん」
「は、はい?」
「やる夫は、後悔、してないんだお。あいつの敵に回ったことも、あいつを、…殺、す、って、それに、協力するって決めた、ことも」
「…はい」
「だって、あいつは、人を、殺し、すぎたお。マフィア、だけなら…まだ、復讐、って意味で…納得も、できたお。でも、そうじゃ、ないから…だから、どんな残酷な…し、死に方、したって…と、当然の、報い、なんだお……だ、だから、竜崎さん、気に、しないでお…」
「やる夫さん、…」
心配そうにこちらを見る竜崎さんを横目に、PCの中からじっと遠くを見つめる。窓の外、ずっと向こう側にあるはずの、あいつと一緒に過ごしていたあのアパートを想う。
今やもう、思い出すたびに泣きわめきたくなってしまうだけの場所となってしまったけれど、あそこで過ごした日々は本当に本当に幸せで、かけがえのない日々だった。叶うならば、一生あのままでいたかったと今でも思ってしまうほどに。
「……で、でも、ごめんなさいお、一回、一回だけ、許して……」
「え?」
「………………っ…ら、ない夫の、ばーーーーーっか!!!!!」
急に漏らされたその声に、竜崎さんは目を見開いた。だけどそれも一瞬だけで、次の瞬間にはどこか哀しげな笑顔で頷いて、やる夫に背を向ける。そして部屋からゆっくりと出ていって、ドアを閉める瞬間にひらりと小さく手を振った。
決して見ないから、どうぞお好きなだけ――そう、言外に告げるように。
罪悪感は拭えなかったけれど、その優しさがあまりにも痛くて、もう我慢なんてできなくて、それに甘えるように声を張り上げた。
「ばか、バカ! お前なんか嫌いだお、大っ嫌いだお!!」
ぎり、と歯を食いしばり、同時にぎゅっと強く目を閉じた。瞼の裏に浮かぶ、彼の。最後に見た、ぼろぼろになって地に横たわる姿と。学生時代の、夢と希望に満ち溢れた――裏のない満開の笑顔と。ルームシェアを始めて、共に過ごした一年間の、今にして思えばひどく儚げだった優しい笑みと。そして、その、未だに変わることなく、いっそ憎たらしいほど鮮やかな存在感に向かって。ずっとずっと伝えたかった言葉を、それでも最後まで口に出せなかった言葉を声にして、今、叫ぶ。
「……でもっ、でも…大好き、だっ…お、バカ、野郎……!」
今でさえ、過去形では言えないぐらいに。
叫んだあとはもう、どうしようもなく涙が止まらなくて、ひたすらに泣き続けた。瞼の裏に浮かび続ける偶像を、いつまでもいつまでも、追い払えることもなく。
*****
「………………はぁ」
小さく小さく、ため息を吐き出す。背にした扉の中から聞こえてくる泣き声に、心がひどく軋んだ。
(読み通り、とはいえ…荒療治であったことに変わりはない。しかし…他に方法も思いつかなかった)
自分とて知っていたし、妖夢さんからも聞かされていた。秋葉原やる夫は、自分たちに――あの事件に巻き込まれた四人に、罪悪感を抱いていると。柏崎やらない夫の企みに気がつけなかったこと、奴が隠していたすべてを知ってもなお、奴を想う気持ちを捨てられないこと…そして、私たちの中でも特に……石垣さんたちの件で、霊夢さんには一際、申し訳ないと思っていること。
だからこそ、私や霊夢さんの仕事を無報酬で手伝おうとしてくれるのだし、友人であった柏崎やらない夫の話は避けようとし、その名前すら口に出そうとすることもなく、…泣くことすらしなくなったのだと。
できることならば、気に病んでほしくないと思う。嫌いになれないものを、憎みきれないものを、無理に押さえつけなくてもいいのだと。柏崎やらない夫を想って泣いたって、その名を呼ぶことだって許されて然るべきなのだと、教えてあげたかった。
(…まったく、柏崎やらない夫、あなたは本当に馬鹿な男だ。あなたが味わった苦痛や絶望まで否定する気はさらさらないが……己の大事なものを大事にする方法ぐらい、見極められなかったのか)
背後のドアからの止むことのない泣き声を耳にして、痛む胸を押さえながらも、小さく笑みを象る。
私自身も、この方法が正しかったのかなんてわからないけれど――あれだけ泣くことを、やらない夫の名を呼ぶことを拒んでいた彼を、泣かせること、本心を吐かせることには、成功した。
これで、彼がきっとこの先もずっと抱えこんでいくのだろう痛み悲しみ苦しみが、少しでも和らいでくれればいいと、心から願う。
たとえ生きる世界が違っても。彼がもう、ヒトならざるものになってしまったのだとしても。彼は紛れもなく私たちの、友なのだから――