イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    【山姥切長義】みるな【刀剣乱舞ホラー】──ええ、ええ。監査官殿に申し上げたき旨がございます。
    わたくしは、■■支部○○本丸に勤める、小筆の九十九神でございます。ご覧の通りの小さな体で。ええ、初期刀の歌仙兼定様が使用しておりました小筆から生じたものでございます。それゆえ、見聞きするものも多く。さて、本題でございます。まことに恐ろしいことです。わたくしも未だに、ここまで来るのに震えが止まらぬ始末。
    お話します、お話します。我らが本丸の審神者が姿を消しました。
    刀剣の皆様も、わたくしも失踪というのは考えておりません。恐らく攫われたのではないでしょうか。
    根拠、ですか。それならございます。
    実は審神者が消える一月前ほどから、怪しげな出来事が起こっておりました。
    ご存知の通り、我が本丸は武家屋敷と似た構造をしております。開放的な作りなのですが、侵入者は入れないようになっています。審神者が、言うのです、「最近、誰かにじっと見られている気がする」と。刀剣の皆様も、それは気のせいだとか、罪もない長谷部様や巴様が疑われたりしました。ともかくそれはそれは怯えていらっしゃいました。戦の時ならいざ知らず、平時の本丸に何者かが潜んでいれば一大事です。皆様、警戒されていました。それでも審神者の恐怖は解消されませんでした。
    ──誰かが、見ている。
    ──どこにいても見てくる。一人きりのはずなのに。
    ──いないはずのやつがいる。
    そう繰り返して、今日の朝、姿を消してしまいました。朝餉の頃にはいたのです、執務室に戻って、近侍が温かいお茶を淹れて……少しの間、みなが目を放した隙に。
    湯呑は湯気を立てたまま。書類の上に万年筆が転がって、染みを作っておりました。少し席をはずしただけ、そんな風に思えるくらい、凶事の気配もなく消えうせていました。
    今、本丸では刀剣全体で周囲の捜索を行っております。ですからしてわたくしのような小筆風情が政府の監査官殿に御目文字しております訳です。
    お願いします、わたくしどもの凶事について、どうかお調べいただきたい。



     監査官こと山姥切長義は、件の本丸に調査名目で出向することになった。小筆の九十九神が言うように、立派な武家屋敷の大広間にて、近侍を筆頭とした主要面子と挨拶を交わす。ありふれた、本丸だ。政府の資料でよく見る、よくある本丸。だが聚楽第の任務は、失踪前の審神者の状況から参加しておらず、本来ならば自分が着任していただろうこの景色を、山姥切は客観的に眺めていた。
     近侍は、蜂須賀虎徹。初期刀の歌仙兼定は、刀剣たちの実質的な取りまとめ役をしている。へし切長谷部、博多藤四郎、大般若長光は本丸の運営に関わっているそうだ。本丸運営には審神者ごとに個性が出るが、ほぼマニュアルに近い運営をしているようだった。
     自分が着任したかもしれない本丸に対して、山姥切は無感動だった。よくある風景。よくいる刀剣。どこにでもある景色。特筆すべきものはない。リストを全て確認したわけではないが、現時点で殆どの鍛刀可能な刀剣が揃っているようだ。全てと顔を合わせたわけではないが、凶事が起きるまでは正常な運営がなされていたことが主要面子だけでも見て取れる。
    「さて、調査のために暫く滞在させていただくが……」
    山姥切は近侍の顔を見る。調査に当たって、山姥切は監査官と名乗っただけで、正体は明かしていない。自らの写しだという『山姥切国広』が初期刀や近侍でなくて良かったと思う。いや、相手は自分の『偽物』だ。臆することはない。堂々と、相対すればいいのだ。そんな監査官の煩悶を余所に、麗しい面差しに不安の影を落とした蜂須賀が答える。
    「部屋は主の部屋に近い空室を提供しよう。食事等は本丸の皆と一緒で構わないか」
    「それで構わない。早速屋敷内を見せてもらおう」
    「分かった。……どうか、原因を、主を見つけて欲しい」
    頷くと、近侍に先導され山姥切は調査を始めた。
     刀派ごとに部屋分けされた屋敷内は、整然としていた。主不在の中、出来るだけ普段どおりに生活しようと心がけているようだが、活気は見るからになかった。縁側に三条派の三日月宗近と古備前の鶯丸が座って穏やかに茶を飲んでいるのが、かえって異様に見えたほどだ。
    「こちらが、主が姿を消された執務室だ」
    蜂須賀が戸を開く。今朝のままに現場は保存されているが、湯呑は片付けられているようだった。
    「検分する」
    なんとなく宣言をした方がいい気がして、山姥切はそう言うと部屋の調査を始めた。
    まず執務室の机。インクが染みていたという書類や万年筆は確かにそのままだ。武家屋敷らしく文机と座布団が設えてあるが、部屋の中で異彩を放っていたのが高級そうなコンポと音楽媒体のケースが並んだ収納棚であった。
    「主は、」山姥切の目線に気づいた蜂須賀が話し出す。「音楽がお好きな方でね。特にオペラがお好みだった。ワーグナー、ヴェルディ、モーツァルトみたいな有名どころからマイナーなものまでよく聴いていた。俺も一緒に聴く事もあった。今朝もね、主がいなくなった時も、オペラがかかりっぱなしだったんだよ。あれは、リゴレットだった」
    オペラのことなど全く分からないが、適当に頷く。蜂須賀の講釈は続く。
    「俺はどちらかというと陽気なオペラの方が好きでね。主はどちらかというと悲劇が好みのようだった。アイーダくらいなら聴いたことがあるだろう?スポーツ番組にもよく使われるし。俺はフィガロが好きだな。他にも」
    「この文箱開けて良いか」
    「ああ、そこは主の私的な日記などが入っている。こういう時だから仕方ないな」
    話を遮られた蜂須賀は気を悪くすることもなく、山姥切に了解を出した。
     蒔絵の文箱を開けると、何通かの私的な手紙、そして日記帳が入っていた。和風な生活環境だが、日記はDIARYと書かれた臙脂の表紙、分厚い本のようである。中身は日常生活と仕事への不安、その他感情の揺さぶられたことが書いてある一般的な日記のようだ。だが最後の方のページになると、妙な開き癖がついていることに気がついた。一月前くらいからのページ、審神者の様子がおかしくなり始めた頃からの記録だ。
    該当ページの最初の頃はまだ整った字で、何かおかしなことがある、というようなことが書いてある。九十九神がおわす家ならではかもしれない、ともある。
    ページをめくる。数日は同じ様子だ。半月ほど経った辺りで、趣が変わった。
    ──誰かが見ている。
    少し乱れた字。自分しかいないはずなのに、誰かがいる気配。気のせいではない、と誰かを説得するような文章。
    更にページをめくる。
    乱雑な字が大きく踊っている。
    ──刀剣男士たちに相談しても頼りにならない。あいつらが何かやっているのか。政府に訴えるにしても本気にされない可能性がある。
    いつの間にか蜂須賀が隣で日記を読んでいた。ちらと表情を伺う。予想に反して、彼は全くの真顔でいっそ冷徹さを感じる表情だった。日記を、読み進める。
    ──いないはずのやつがいる。
    震えた字。日記は、疑心暗鬼に苛まれた心そのままにぶつけられている。
    ──誰も彼もみているしんじられないみてないなんてうそだいまだってあいつがいるいないはずのあいつがぜんいんぐるになってどういうつもりだやめて
    ──みるな。
    指の痕が、ページを握り締めたかのように残っている。そこで日記は終わっていた。
    ノイローゼか、心神耗弱による妄言としか思えないが、山姥切には気になることがあった。
    「近侍の意見を聞きたいのだが、」山姥切の声に、蜂須賀はにこやかな笑顔で続きを促した。「審神者が失踪するまで、仕事に支障はなかったのだろうか。この日記を読むと、とても仕事が出来る精神状態には見えない」
    山姥切の問いかけに、蜂須賀はわずかに首を傾げた。
    「いや……主は仕事は確りしていたよ、滞ることもなかった」
    と言い終えかけて、思いなおしたように口を開いた。
    「思ってみれば、仕事にかなり集中していたように思う。捗ってくれて、事務方は有り難がっていたけれど、今思えば異常なくらい仕事にのめり込んでいた」
    そして、考え込むように口を噤んでしまった。
    「近侍がそう思うなら、きっとそれは異常なことだったんだろうな」
    何か言った方がいいだろうと思い、分かりきった言葉を放り投げる。すると蜂須賀は、困ったように顔を歪めた。
    「なあ監査官殿。主は何に怯えていたんだろう。俺たちには主の言う何かの気配は感じ取れなかったし、何かが潜んでいる気配もなかった。俺たちは……どうすべきだったのだろうか」
    正直、蜂須賀たちにやれることはなかっただろう。山姥切は既にこれはストレスから生じた心神耗弱による失踪だと断じかけていた。
    専門家ではないから病名までは診断することは出来ないが、誰かに見られている、という思い込みは精神的な疾患ではよくある。内分泌系の疾患でも幻聴、幻覚は生じるから、複合している可能性もある。審神者の生死は別にして、早く見つけて解決しなければならない。政府の連中が捜索に加わっているため、早晩見つかるだろう。この本丸で自分がやることと言えば、審神者の心神耗弱の証拠探しくらいのものだ。それには刀剣たちの話も聞いて、証跡を顕にする必要がある。数日間の滞在は覚悟していた。
    「本当に、何かいたんじゃないだろうか。俺たちのわからない何かが」
    蜂須賀の言葉に首を横に振って否定する。
    そもそも石切丸や太郎太刀、にっかり青江が動いていない。以前にも怪異沙汰があったが、大事になるまえにこの三振りが片付けているパターンが多いのだ。そういった前提もあり、山姥切長義が審神者本人の問題だと断じるのも、仕方のないことだった。
    日記の他にめぼしいものは見当たらず、また衣服等に減少の形跡もないことから突発的な事件であることは明らかである。自らの正体を明かさず、監査官としての山姥切長義は蜂須賀と連れ立って、執務室を出る。
    「さて、それじゃあ後はどうしようか。何か調べたいものはあるかい?」
    軽い物言いに促され、山姥切は顎に手をやり考える風情だ。
    「ならば、審神者が姿を消す前後の時間、執務室に近づいたものたちの話を聞きたい。集めてもらえるだろうか」
    「了解だよ」
    数分後、先程の広間ではなく食堂に集められた面々と山姥切は差し向かいに座っていた。面子は近侍の蜂須賀、平野藤四郎、大般若長光、秋田藤四郎である。
    打刀や太刀はともかく、短刀の二振りは緊張しているようだ。気丈そうな平野はしっかりと前を見据えているものの体に力が入っているし、秋田はそわそわとして落ち着かない。可哀想に思えるほどだった。
    「既に蜂須賀から聞いていると思うが、君たちの主が失踪する前後のことが聞きたい」
    心神耗弱による失踪、という風に山姥切としては断じたい気持ちもあると同時に「心神耗弱を装った逃亡」という可能性も捨てきれていなかった。戦況が膠着している現在、やけっぱちになって逃亡することもあり得ない話ではない。
    しばしの沈黙の後、平野が口を開いた。
    「あの、監査官殿。主はまだ見つかっていないのでしょうか」
    「まだだ。しかし政府の者が探しているところだ」
    そうですか、と嘆息すると彼は俯いた。
    「僕は主にお茶を運んだんです。主は、ありがとう、と言って受け取られました」
    平野がそう言うと、山姥切は「その時の様子は」と問いかける。
    「特にお変わりはなかったように思います。お疲れの様子ではありましたが……」
    そうか、と言葉尻のすぼんだ平野の台詞を引き取る。まかり間違ってもこの短刀には主の日記は見せられないな、と余計なことを考える。
    すると、大般若が挙手した。
    「秋田と一緒に、主の自室に朝食を運んだんだが、」と少し逡巡するように言葉を止めた。
    「空気がおかしかった。気のせいかもしれないが」
    秋田は首が取れそうなくらい頷いている。
    「空気がおかしい、とは?」
    「ゼリー、って分かるかい。食べる方じゃなくて、潤滑剤みたいな」
    「まあ、なんとなく想像はつく」
    「ああいうどろっとしたものが、部屋の中に充満しているような。どうも入りづらくてなぁ。主は平気そうだったが、確かに疲れているようだった」
    もちろん目に見えているわけじゃないが、と付け足した。
    「主君は、お部屋に食べられてしまったのでしょうか」
    秋田の言葉に、ぎょっとしたように平野と蜂須賀が振り向く。
    「どうしてそう思うんだ」
    山姥切の言葉に、叱責されたのかと思ったのか秋田の体が跳ねるように震えた。
    「いや、別に信じていないわけじゃない。思った理由を答えてくれ」
    秋田はおずおずと、蜂須賀の顔と山姥切の顔を交互に見て、話し出した。
    「主君の姿が、見えにくかったんです。侵食されているような、そんな」
    場の空気が、しん、と静まり返った。
    「審神者の自室も、見せてもらった方がいいようだ」
    山姥切がそういうと、秋田はすがるように前のめりになって、
    「どうか、どうか主君を探して、無事で戻ってこられるように、お願いします」
    平野も同じように頭を下げる。蜂須賀や大般若も、言葉では発しないが目つきが物語っていた。
    早速、審神者の生活していた部屋に行くことにする。山姥切と蜂須賀が連れ立とうとすると、何故か大般若もついてきた。
    「もう一度確認したいんでね。もう何もないかもしれないが」
    いつになく陰のある表情で彼は言う。ついてきたがった平野と秋田を残して、三振りはやけにきしむ板張りの廊下を歩く。
    「主は結構倹約家でな、」唐突に大般若がしゃべりだす。
    「俺としてはそれは喜ばしいし、無駄使いもしないし、金の使いどころは心得ている人だったから吝嗇家ではなかったし」
    「そうか」
    返事をせねばならないような気がして、相槌を入れる。
    「だが、ここ一週間程前からやたらと食べ物を通販で買ってたんだよね。お菓子や缶詰とかその場ですぐ食べられるものばかり。俺もあまり食いすぎると体に悪いと忠告はしたんだが。その癖三食きっちり食っているから、どうかなってしまったんじゃないかと心配していた」
    「過食症の症状だろうか。あり得ない話ではないな」
    ストレスによる過食。幻覚。ここの審神者はどれだけ追い詰められていたのか。それとも元々線の細いタイプだったのか。身上書ではそのような情報はなかったが。
    「ここだよ」
    蜂須賀が引き戸を開けて示したのは何の変哲もない、十二畳程の和室だった。入り口からまっすぐ奥に押入れ、左側の壁一面は書棚だった。右側は個人用の風呂と厠らしい。
    特に変わったことはないようだが、入ってみて違和感を覚えた。
    「何か……獣などを飼っていた、という話はあるか」
    いいや、と蜂須賀が首を横に振る。
    「確かに臭うな。朝に来た時はこんな臭いしなかったぞ」
    大般若も蜂須賀も、臭いは感じ取れたようだ。気のせいではなく、正体不明の獣の臭いが部屋中を漂っていた。とはいえ、畳の上に獣毛が散っている様子もなく、よく片付けられた印象ではある。
    「蜂須賀、大般若、手伝ってくれないか」
    三振りは部屋の中に何か怪しいものが残されていないか探し始めた。
    よく片付けられた、悪く言えば生活の匂いがあまりしない部屋だと山姥切長義は感じていた。装飾に関するものがない。和室に不似合いなハンガーポールに掛かっている洋服も極端に少ない。しかも色味が少ない。黒やせいぜい暗い茶色、暗い灰色など暗色ばかりだ。儀式用の華やかな着物も衣文掛けに掛かっているが、それが唯一の色味と言える。
    「蜂須賀、主殿の衣服など減っているものはないか」
    蜂須賀は、押入れを検める手を止めて「ないようだね」と短く答えて作業に戻った。大般若は、壁一面の書棚を見ている。
    「何か変わったものがあったか」
    「いや、」否定しかけて、思い直した様に、
    「本が気持ち減っているような気が、気のせいかな。隙間があるんだ。朝は気づかなかったけど、大分前に部屋に入った時にはキッツキツだったように思うんだが」
    近寄ってみると、確かに書棚には数冊入れられそうな余裕が所々にあった。
    「……どんな本が入っていたか覚えているか?」
    「いいや。ちゃんと見たことがないんだよ。ジャンルもバラバラだしね」
    一度酒についての本を借りたことがあるなぁ、と言ったきり、大般若は黙ってしまった。
    背表紙を一覧して、大般若の言うとおりであることが見て取れた。
    旅行関連の本、遺跡、探偵小説、詩集、種種雑多な本がぎっしりと詰め込まれている。ホラー小説もある。九十九神が跋扈する本丸でホラー小説は心から楽しめるのだろうか、と疑問に思いつつも、それはそれなのだろうと納得した。コズミックホラーってどんなジャンルなんだ?気になるものはないようなので、水場を検分することにした。
    風呂場は最新式の設備だった。
    「音響システムとモニターか……」
    風呂場は木目風四面パネルで清潔感があり、鏡もよく掃除されている。そして特筆すべきは壁に埋め込まれた豪華なモニターだった。なるほど、金を掛ける所にはかけている。
     ここもやはりうっすらと獣の臭いが残っていた。そして特に何か変わった痕跡は見つからない。厠を覗くと、こちらも最新式の設備だった。自らの肌が触れる場所や、娯楽に快適を求めるタイプの人間だった、ということだけは分かった。触覚、視覚、聴覚に拘っている。ならば尚更獣臭は理解不能だった。厠も狭いせいか、むっとした悪臭が濃く残っていた。人間を痕跡もなく食える獣が、この世にいるだろうか。
     水場を出て改めて居室に戻ると、吊り下げ式の照明が目に入る。鋭角的な棘のあるデザインだ。大般若が監査官の目線に気づいて、
    「ああ、それウニみたいだよね。酒のつまみになりそうだといつも思ってた」
    と軽口を叩いた。
    「主は星だと言っていたけどね、なるほどウニにも見えるな」
    衣服を検めた蜂須賀が、こちらに近寄りながら言う。
    「臭いがするだけで、何もないなあ」
    「俺のところもだよ、スルメ一本落ちてやしない」
    蜂須賀と大般若が暢気な会話を続けている。山姥切長義は、ため息を一つついて、調査を中断することに決めた。



    山姥切が暫くの生活拠点として宛がわれた部屋は、長船派の部屋のすぐ近くだった。長船派の祖である燭台切光忠がいるので挨拶をしたいのは山々だったが、監査官という特性上身分を明かせない。これから世話になる、ということを伝えただけに留めた。
    さて、既に日は落ちて屋敷全体が薄暗い。元々日本家屋というのは闇を効果的に作るように出来ている。西洋建築は闇を廃し、明るさを尊ぶものだがそれとは真逆である。蝋燭などの光が、金屏風を照らし、いっそ荘厳さを感じる輝きを見せる。陰りを秘めた美しい人たちの白い肌が照らされ、幽玄の景色となる。この本丸にも大広間には金屏風が配されていたが、残念ながら一般的な照明を使用していたため、恐らくけばけばしい色合いに貶められていることだろう。物事は本来あるべき場所であるべき形になるものなのである。無理して合わせたとして、偽物にならざるを得なくなる。本物は本物の扱いを受けるべきなのだ。しかし昨今は偽物が尊ばれてもてはやされている事例を見る。
    山姥切長義はいらいらとする心を抑えつつ、部屋で日誌を書いていた。もう少しすれば、夕餉の声が掛かるだろう。それまでに今日のことを少し纏めておこうと思ったのだ。後ほど調査書類として清書せねばなるまいし、細かいこと気づいたことを記していく。
    ──審神者の失踪
    ──目立った痕跡がないこと
    ──謎の獣臭
    何も分からない、ということだけが分かった。
    「……どうしたものか」
    知らず独り言が口をついて出る。失踪者は故意によるならば罪人。故意でないならば、歴史修正主義者による誘拐、殺害なども考えられる。だが聞き及んだ感じだけで判断するなら、失踪者の「病気」によるものだ。そう断じたい自分がいる。
    審神者の日記や言動は、精神病者のそれだ。他の要素は排除しても。しかしながら、どうして自分が意固地になっているのか、山姥切自体がよく分かっていなかった。
     思いついたことや、なんとなく思ったことを書いていくうちに奇妙なことに気づいた。刀剣男士たちの態度のことである。窮状を訴えに来た小筆の九十九神によれば、本丸全体で主を探しているとのことだった。しかし来てみれば、刀剣男士たちは心配こそしているものの、どこか暢気に思えた。悲壮感や緊迫感がないのだ。最初は落ち着こうと努めているのだろうと好意的に捉えたが、総合的に考えてみると最後に主の姿を見た平野と秋田以外は、どこか諦観を覚えている、気がする。
    ──もう、駄目なんじゃないか。
    そんな空気が、流れている。
    更に気づいたことがある。あの場では指摘しなかったが、小筆は「近侍がお茶を淹れて」と言っていたが、主に手渡したのは平野藤四郎であったことは奇妙な違和感が残った。何かあったのか?小筆を先に返したのはまずかったか、後でもう一度話を聞かねば。
     ぐるぐると考えあぐねていると、廊下を歩く足音が聞こえてきた。食事の時間かと思ったが、足音の主は山姥切の部屋の前で立ち止まっているようだ。不審に思うが、自分が監査官ということで萎縮しているのかもしれない、と好意的に捉えた。
    だが。
    その時間が余りに長かった。引き戸に背を向けて待っているものの、いい加減焦れてきた。
    「君、いい加減に……」
    山姥切は振り返り、そして絶句した。
    うっすらと、引き戸が開けられていた。その隙間から、白い影が山姥切を見ていた。
    粘り気のある、絡め取るような目線がじっと注がれている。一部分しか姿が見えないのに、すっぽりと白い布をかぶっているのが分かった。
    「貴様ッ誰だ!」
    飛び上がるように立ち上がり、引き戸を開け放つ。だがそこには誰もいなかった。
    「気のせい、か?」
    気のせいにしては実体を伴っているように思えたが。警戒しながら、戸からわずかに顔を出し、左右を確認する。やはり誰もいなかった。隠れる場所はない。そもそも内廊下で視認性はいいのだ。左右の廊下ともに曲がり角があるが、一瞬ではそこまでたどり着くことは出来ないだろう。
    審神者の日記の影響でも受けたか。
    ひとりごち、戸を閉めようとするその刹那、白い影がすっと横切ったように見えた。
    「気のせいだ」
    山姥切はもう開けて確認するつもりはなかった。
    これは思い込みによる認識障害に違いない。
    この「場の空気」に呑まれている証拠だ、今こそ冷静沈着にならねばならない。
    「気のせいだ」
    山姥切長義を、じっと見ていた何者かが誰かに似ていたような気がした。だが考えても堂々巡りになるので首を振って忘れることにする。また、廊下を歩く足音が、今度はとても軽い足音が部屋の前までやってきた。
    「監査官殿。夕餉の時間です」
    平野藤四郎の声だった。山姥切は渇いた喉から振り絞るように「今行く」と返事をし、素早く戸を開けた。少し驚いたような表情の平野が、参りましょう、と先に立って山姥切を案内するのだった。



     遠征等で帰ってきていない連中を除いて、夕餉は粛々と進められた。焼き魚、味噌汁、漬物、炊き立ての白飯。政府勤務だと、普通の食事を摂る機会が少なく、顔や声には出さないが内心感動していた。レーション的なものばかり食べていると食事は苦行である。そもそも食事自体は顕現を維持するための補助的な扱いであり、同僚には殆ど流動食しか口に入れないものもいた。どこの本丸もそうなのだろうが、刀剣たちは人間のように食事を楽しんでいるように見えた。監査官として短く挨拶をした後に、少しばかり好奇の目線を感じたが、食事がいざ始まれば皆目の前のおかずに掛かりきりになっている。話し声や食器のかち合う音が絶えず聞こえてきて、山姥切は「自分は異物だ」と感じていた。
    通常通り運営が行われている本丸なら、聚楽第探索も恙無く行われ、今頃自分と同じ顔をした他者がこんな風に本丸の仲間たちと食卓を囲んでいることだろう。
    正体を明かすことも出来ず、監査官という政府側の役人であるから気安く接することも出来ない。そう言えば、まだ自分の「偽物」を見ていないな、と気付いた。
     食堂をぐるりと見回す。目が合ったと思ったらしい何振りかが目をそらす。ここにはいないようだ。お茶を淹れに来た乱藤四郎に、
    「ここに山姥切国広はいないのか」
    と問うと、小首をかしげて曖昧な表情をされた。
    「いませんよ」
    短く答えると、乱は他の食卓に行ってしまった。
    遠征組なのだろう。どこの本丸でも初期に選ばれる刀の一振りなのでありふれた顔を思い返す。映像ではどんな刀かは見たことはあるが、面と向かって会話したことはない。山姥を切ったという逸話を本科である自分を差し置いて、偽物が堂々と名乗っている。写しの癖に、と何度思ったことか。山姥切、と呼ばれるべきは自分なのに、どこの審神者も奴を山姥切と呼び、愛着している。かたやこちらは監査官殿だ。掻きこむように食事を終えると、山姥切長義は一人で捜査をすることにした。
     食器を食堂に設置されたプラスチックの大箱に入れ、静かに食堂を出る。もう一度、執務室と審神者の部屋を見てみようと思った。近侍の許可は取っていない。こちらは監査官だ、調査する権利がある、と要りもしない言い訳を胸中でする。
     薄暗がりの執務室は、周囲の喧騒からすっぱりと隔離されて、耳が痛くなるくらいに静かだった。手探りで照明を点けると、白々と室内が照らされた。古式ゆかしい日本家屋のオール電化ぶりに、またそれに慣れきった自分に苦笑した。政府勤務では、日本家屋に触れる機会が意外にない。
     夜に改めて見る執務室は、寒々とした印象だった。
    照明をつけたというのに、かえって寒気が増したような。あまり長居をしたくない部屋である。執務机は、変わらないままだ。見回すと、何かが引っかかる。違和感の元は、日記の入っていた文箱だった。蓋が開けられて、執務机の横に無造作に置かれている。
    ──誰かが、部屋に入ったのか?
    中の日記の表紙が、濡れた手で触ったかのようにごわごわとしているのが見える。手に取るのは嫌だったが、一応何か変わったことがないか見てみることにした。
    ぱらぱらとめくるまでもなく、強く癖付けされたページが手の中で開く。
    明らかに、書き足されていた。
    最後の日記は「みるな」で終わっていたはずだ。その後に何か書かれている。
    茶色っぽい震えるような文字で、
    ──みている
    それを認識した瞬間、獣の臭いがぶわっと立ち込めた。驚いて日記を落とすと、臭いは消え去っていた。みている、と書かれた日記がそのページを開いたまま床にある。
    何を?誰が?みている、とはどういうことだ。
    字は審神者のものによく似ていた。茶色のインクは、わずかに鉄の臭いがする。
    「血液?」
    山姥切が呟いた瞬間、室内のコンポが突然大音響でオペラを奏で始めた。
    「うわっ……!」
    思わず声が出て、体が浮つく。浮いた足が着地の際に何かを踏みつけて、みっともなく滑って転んだ。
     凄まじい音がしたのだろう、近侍の蜂須賀が駆けつけてきた。
    「主!帰ってきたのか!」
    戸を思い切り引き開けて駆け込んできた彼の顔は紅潮していた。そして、しゃがみ込む監査官に気づいて、ゆっくりと落胆の表情に変わっていった。
    「一人で、調べごとかい?」
    「ああ、驚かせてしまった、すまない」
    立ち上がる山姥切を横に、蜂須賀はコンポの電源を切った。
    「リゴレットが聞こえてきたから、主が帰ってきたのかと思った」
    ぽつりと呟く声は山姥切を責める調子ではなく、期待を裏切られた時のやるせない悲しみに満ちていた。
    「勝手に、電源が入ったんだ」
    近侍が首を傾げる。そして気付いて何かを拾い上げた。
    何かのリモコンだった。
    「これを踏みつけたのでは?コンポのリモコンだよ」
    「いや、しかしコンポが鳴ったのは何かを踏む前だったのだが」
    ふうむ、と再び首を傾げる蜂須賀に、山姥切は「これを見てくれ」と日記を渡した。
    「主……?」
    「やはり審神者の字か。この屋敷内にまだ審神者が潜んでいる可能性があるな。だがそれならばなぜ」
    「いや、本丸内をくまなく探したんだ。隠れる場所なんて」
    蜂須賀は、顔を歪めて(それはほぼ泣いているようにも見えた)、
    「無事ならば、どうして俺たちに姿を見せてくれない……?」
    と呻いた。
    「ともかく、審神者を探そう。居室にも行ってみるか」
    蜂須賀が頷く。その時、また誰かが見ている気配を感じた。戸を見ると、うっすらと開いたそこから白い影がこちらを見ている。
    「誰だ!」
    駆け寄り、戸を勢いよく引き開ける。誰も、いない。
    「誰か、いたのか?」
    蜂須賀の問いに、山姥切は頷く。
    「さっきもいた。気のせいかと思ったが、やはり何者かがここにいる」
    「俺は気付かなかったが……」
    「白い布をかぶったような奴だ」
    「ちょうど、今の君みたいに?」
    山姥切は苦笑した。正体を隠すためにこんなものを着ているが、それがすっかり馴染んでいることがおかしかった。
    「しかし、本丸に布をかぶったものは……今はいないな」
    「不審者か?」
    「いや、まだ結界は機能している。おかしな出入りがあればアラートが鳴る」
    「怪異の可能性があるな」
    「それなら青江たちが黙っていないと思うんだが」
    当たり前すぎる会話に飽き飽きとする。
    「俺はもう一度審神者の居室に行ってみる。蜂須賀、君も来るか」
    「ああ。主が戻っているなら、一言言いたいからね」
    空元気の声。二人は審神者の居室に向かった。
     山姥切が戸を開けると、居室は様変わりしていた。
    「どういうことだ」
    蜂須賀がうめき声を上げる。室内は、目も当てられないような状況だった。
    バケツに入ったペンキを思い切りぶちまけたように、血液のようなもので染め上げられている。そして何より、臭いだ。獣の臭いが、凄まじく立ち昇ってくる。
    手で鼻と口をかばいながら、中へ入る。照明をつけると、ぶちまけられた液体は人一人分の血液以上の量があるように見えた。かろうじて無事な部分を踏みつつ、周囲を眺める。ふと、山姥切は部屋の惨状以外の違和感に気付いた。
    「蜂須賀、さっきと本棚の様子が違うと思わないか」
    壁一面に据え付けられている書棚は、何冊かが床に落ちている。加えて、棚自体がどうやら動かされて、部屋の中央に向かってずらされているようだった。
    「少し部屋が狭いように感じたのはこのせいか。どうしてこんなことに」
    「やはり不審者か。あるいは審神者自身の犯行を疑わねばならないな」
    「主が?!なんでそんなことを、よりにもよって!」
    近侍の言葉を遮り、山姥切は続ける。
    「まず不審者の存在は感知されていない。ならば内部の者の犯行をまず疑うだろう。そして怪異でもない」
    「だが主は」
    「発狂している可能性がある」
    まさか、と呟いて蜂須賀は絶句した。
    山姥切は、動かされている書棚に近寄り棚板を持ち少し引っ張ってみた。重いが、やはり動く。キャスターのような機構が設置されている動き方だ。
    思い切って、書棚を両手で引っ張る。腰を入れないと中々重いが、動き出すとすんなりだった。書棚の向こうはただの壁ではなく、どこかへと続く扉があった。
    「知っていたか」
    近侍が首を横に振った。
    「近侍ですら知らない隠し部屋か。審神者がいる可能性があるな。調べてみよう」
    山姥切が扉に手を掛けようとすると、蜂須賀が腕を掴んで止めた。
    「嫌な予感がする。この状態の部屋から鑑みるに、凶暴な何かが潜んでいるかもしれない」
    「それはそうだが、確認しないわけにもいかないだろう」
    言いながら扉を開ける。屋敷内のように引き戸ではなく洋扉なのが異様だ。
    真っ暗闇だ。何も見えない。夜の底に沈んでしまったように、部屋の照明すら吸い込まれていく。
    「何も、見えないな」
    蜂須賀の声が震える。墨で塗りつぶしたようにのっぺりとした闇の中に足を踏み出すのがためらわれる。
    「主?主、蜂須賀だよ。いるのなら返事をしてくれ」
    部屋には入らず、蜂須賀が暗闇に向かって声をかける。だが何の反応もなかった。
    「よし、俺が入ってみる。蜂須賀はここで待っていてくれ」
    返事を待たずに山姥切は闇に足を踏み出した。衣擦れの音がやけに聞こえる。指先すらまともに見えない。一歩、一歩慎重に進んでいく。どれくらいの広さか分からないが、十歩は進んだところだった。
    「うわっ」
    突然目の前に白い塊が現れた。蜂須賀が「大丈夫か」と声をかけるが、返事が出来ない。至近距離にいる白い塊は、白い布を被っているようだった。
    「貴様、」こいつは自分を見ていた奴に違いない。山姥切の声が裏返る。
    「誰だ────え?」
    白い布の人物が顔を上げる。顔の大半が隠れているが、何故か青い両目が輝いて見えた。
    「にせ、もの」
    目の前の人物は、細部が殆ど見えないというのに山姥切には誰なのか理解できた。
    山姥切国広。山姥切長義の写し。偽物。
    青い目が、細められる。
    「お前を見ているぞ」
    その言葉が山姥切の耳朶に届くや否や、山姥切国広「らしき」モノはかき消すように消えた。
    「偽物!どこへ行った!」
    辺りを見回しても、暗闇の中に白い布を見つけることは出来なかった。
    蜂須賀が、何かあったのかと声をかけてくる。山姥切は床を踏みつけるようにして、暗闇から戻った。
    「あいつは何なんだ一体!」
    蜂須賀の姿を認めた瞬間、山姥切は噛み付くように怒りを吐き出した。
    「どうしたんだ、えらくお怒りじゃないか」
    「お前のとこの山姥切国広はどういう教育をされているんだ!暗闇で脅かそうとしてきた上に、逃げていくなど」
    「山姥切国広?」
    蜂須賀が小首を傾げる。そして妙に不安そうな表情に変わっていく。
    「監査官殿、それは本当に山姥切国広だったのか?」
    「ああ、間違いない。部屋で俺を見ていたのも奴だ!」
    「だが、この本丸には山姥切国広はいないのだが」
    「遠征ということか?それなら帰還して」
    「違う、そうじゃない」
    そうじゃないんだ、と蜂須賀が悲鳴のように叫んだ。
    「この本丸には山姥切国広はいないんだ!一本たりとも!」
    どういうことだ、と問うと、蜂須賀は「場所を変えよう」と呻いた。
    ひとまず隠し部屋は封鎖し、居室から出た。後ほど、調査せねばと思う。
     蜂須賀とともに、監査官に割り当てられた部屋へ行く。
    「さて、どういうことか聞かせてくれ」
    差し向かいに正座して、青い顔をした近侍に問う。
    蜂須賀が話し出した内容はこうだった。
     審神者がこの本丸に着任し、歌仙兼定とともに戦力拡充を図っていた初期の頃である。この本丸の最初期の刀の一振りが山姥切国広であった。
    少し卑屈に見える言動を取るが、主のために一生懸命であり、頼りになる仲間であった。蜂須賀は遠征に行かせられるくらいの規模になった頃に鍛刀されたので、歌仙や山姥切が中心となっている運営が当たり前だと感じていた。運営方法の基礎はほぼ最初期組によって構成され、大所帯となった今でも機能している。
    だが、変事はある時起こった。それは本丸が中規模になった頃で、刀剣たちの錬度も心配のない状態になってきた時分だった。
    「それゆえに、油断もあったのかもしれない」
    蜂須賀が目を伏せる。
     ある時、山姥切国広が重傷となって帰還した。錬度の高いものたちで行った初めての戦場だった。全員何かしら傷を負っていたが、山姥切国広は他の刀をかばって大きな傷を受けたとのことだった。手入れ部屋に担ぎ込まれた彼は、意識を失ったままだった。
    「そんなことは初めてだったから、全員青くなったものだった。主も、そうだね、主もいつになく異様なほどに興奮していた」
     主は山姥切国広に付きっ切りだった。刀剣たちはそんなことはやらなくていい、と主を諭したが、主は聞き入れなかった。そして、凶事は起こった。
    「あの日、やけに手入れ部屋の周囲が静かで……胸騒ぎがしたんだ。それで、俺が扉を開けた」
     蜂須賀の顔が青い。そして話し出そうとはするのだが、その度に嘔吐のような表情になり、言葉が出てこないようだった。
    「大丈夫か、蜂須賀」
    「──ああ、うん。思い出すと、ね。実は、これは、歌仙と俺しか見ていないことなんだ。他の面子には見せられないと思ったからね」
     山姥切国広は事切れていた。それは、一瞥しただけで理解できる有様だった。主は、正気を失っていた。それだけならまだ良かった。主は、山姥切国広の死肉をちまちまと貪っていた。少しずつ少しずつ、啜るように、齧るようにして咀嚼していた。口の周りを赤く染めて、獣のようには大きく開かない人間の口のまま、食っていた。
    「──さにわ、が?」
    山姥切長義は、思わず口元を押さえた。人が、刀剣男士を食った、とは俄かに信じがたかった。
    「お前たちは、それを隠蔽したのか」
    「隠していたことは申し訳ない。だが、真実を政府に伝えれば主は俺たちから離されてしまうだろう?歌仙とは、話し合って決めた。主を、守ろうと」
    「仲間を食った主だと言うのに?いや、そもそも俺たちを食うことが出来るのか。考えたくもないぞ……。山姥切国広は、食い殺されたのか。それとも、死んでから食われたのか」
    それは分からない、と蜂須賀は首を横に振る。やけに透明な表情だ、と山姥切長義は思った。
    「主は、泣いて許しを乞うた。山姥切に、俺に、歌仙に。どうしても、どうしても食べたくなってしまったのだと。俺は……正直、恐ろしかったよ」
    「それなのに、お前たちは審神者を許したのか」
    「だって俺たちは、主のものだから」
    頭を、がつん、と殴られたような衝撃が山姥切長義を襲った。
    山姥切長義に主はいない、曖昧模糊とした形のない、政府そのものが主と言えよう。
    「それから、どうやって本丸を維持したんだ。いやそれよりもまず、それはいつのことなんだ?」
    蜂須賀は何故か、うっすらと微笑んだ。
    「いちねんまえくらいのことかな」
    山姥切長義は、背中に悪寒が走るのを自覚した。
    全てに因果関係があるとは思えないが、これまでの事象は繋がっていることのように思えた。
    「……山姥切国広の、肉体と本体は、どうしたんだ……?」
    声が、我知らず震えた。
    「両方とも荼毘に付したよ。政府には戦場で折れたと報告している。──ああ。遺灰は、主が側に置きたい、と」
    蜂須賀は、ふと言葉を止めた。そして見る見るうちに目を見開き、うめき声を上げた。
    「おい、どうした?!」
    「遺灰、遺灰は主が、ああ、でも部屋にはなくて、もしかして」
    蜂須賀は、見るからに狼狽していた。まるで目を逸らしていた忌まわしいものを、眼前に突きつけられたかのような様子であった。
    「主は、やっぱり、治ってなんかいなかったんだ、主は、主は狂っていた!」
    「蜂須賀、落ち着け、何に気付いたんだ」
    近侍は今はいない主を憚るように、小声だった。
    「主は、妙なものをよく食べていた……。少しずつ、少しずつ。惜しむように。よく見えないけれど、粉のようなもので。でも、そんな、まさかと思って!」
    山姥切長義は、監査官の職務を忘れ、嘔吐しそうな心持になった。
    やはり、審神者は狂っていたのだ。恐らく、遺灰を。山姥切国広の遺灰を。
    「だからだ、だから、俺たちの本丸には二度と山姥切国広は顕現しないんだ。鍛刀ですら、一度も。だから」
    ──のろわれているんだ。
    蜂須賀の呟きが、虚空を漂う。重苦しさが、足元に凝っているように思えた。
    「なぜもっと早く──いや」
    言えなかったのか。自分が監査官だから。言えば、主が、本丸がどうなるか分からない。既にもうそんな段階ではないが、守りたいものを守ろうとして。
    山姥切長義は、深く長いため息をついた。
    「──分かった。それとこれとは別問題として、考えよう。では蜂須賀、俺が見た山姥切国広らしきものは、件の呪いそのものだと思うか」
    「俺は、君の見たものを見ていないから分からないけれど……そうかもしれない。君は気付いたかな、初めて会った時、俺と歌仙が心中動揺したことに」
    「いや、全く気付かなかった」
    動揺していることに気付いていたとしても、主が消えた状況なら然るべしと思ったに違いない。そんな意味のことを言うと、蜂須賀は眉尻を下げて薄く微笑んだ。
    「布を被った監査官殿、なんてもう、どういう悪夢かと思ったよ。顔は見えないけど……君は山姥切に似ているように思えて」
    「向こうが俺に似ているんだ」
    「え?」
    「いや、なんでもない」
    正体を暴露する気は毛頭ないが、気分はよくない。
    「蜂須賀、俺としてはアレは山姥切国広だったように思う」
    「──そうか」
    これからどうしたらいい、と蜂須賀は言った。
    「監査官殿は、俺たちの本丸をどう報告する?主は見つからないし、このままだと解体になるのだろうか」
    「俺がそれを決める権利はない」
    だが正直なところ山姥切長義は迷っていた。正直に政府に報告し、本丸運営を停止させる。それが最も正しい答えだと思った。しかし蜂須賀や、この本丸で生活する刀剣たちのことを思うと、残酷に過ぎるのではないかとも思う。
    「俺に、決める権利はないんだ」
    念を押すように、山姥切長義は繰り返した。誰のためでもない、自分のために。
    「どうなるにせよ、明日もう一度隠し部屋を調査する。いいな」
    分かった、と蜂須賀が頷いた。
    その晩、山姥切長義は中々眠りにつけず、夜明けに近い頃に漸く眠ったのだった。



     朝餉も済ませ、調査に行く山姥切長義に強く同行を希望したのは蜂須賀虎徹と歌仙兼定だった。蜂須賀から昨日の話を聞いたらしい歌仙は、沈痛な表情だった。
    「僕にも責任があるはずだ」
    そう告げると、さっさと先に歩き出していった。
     さて、問題の審神者の居室にある、隠し部屋である。居室の様子は手付かずの、凄惨な状態のままだった。隠し部屋は一旦本棚で塞いだが、物々しい気配を感じる。
    居室の酷い有様に、歌仙は憤慨を通り越して青褪めていた。
    「これは──掃除が、いや、もう全部処分──」
    「歌仙、歌仙。それは後にしよう」
    蜂須賀に促されて、歌仙は正気に返った。
     隠し部屋を閉ざしている本棚を引きのける。今回は懐中電灯など準備万端にしてある。
    「開けるぞ」
    洋扉を山姥切長義が開いた。中は相変わらず光の通らない闇である。三者が懐中電灯を点けて照らす。それで漸く内部がぼんやりと分かる程度だ。
     室内は、居室と同じくらいの大きさに見えた。よく判別できないが、壁際に箱が積まれているようだった。それにしても暗い。懐中電灯が少しでも逸れると、全く見えなくなる。居室の方からも光が入ってきているはずなのに、闇が光を飲み込んでいくようだった。
    「誰も、いないな」
    山姥切長義が誰に言うともなく呟く。「山姥切国広の亡霊」は姿を見せていない。もちろん審神者の気配もだ。この部屋は無人である。光線が、独立した生き物のごとく室内を彷徨う。
    「まだ部屋があるとか、そういうことはないのかな」
    蜂須賀がぶつぶつと言いながら、壁に光を当てていく。歌仙は、積まれた箱に興味がいっているようだ。山姥切は無作為に懐中電灯を当てて、何か気付くものがないか探している。
    歌仙が、しゃがみこんで木箱の中を検め始めた。気になって近づくと、何かぶつぶつと言いながら、山姥切長義の顔を見上げた。
    「これ、何だと思うかい」
    歌仙が持ち上げたものを見る。
    やけにリアルな作りの日本人形であった。少年か少女か分からないが、おかっぱの髪の毛は人毛を使っているようだ。色あせた着物は、かろうじて元々は鮮やかな紅色だったことが分かる。顔は小さな小皺、毛穴や産毛まであるように見えた。小鼻の影が、今にも呼吸しそうな写実性がある。眼はガラス球がはめ込まれており、ぼんやりと山姥切を見ていた。
    「監査官殿、この棒を引っ張るとね」歌仙が人形の股の間から飛び出した棒を引く。
    「口が開くんだよ」
    歌仙が言うとおり、滑らかに人形の口が開いた。やわらかい材質なのか、不自然さが見当たらない。
    「同じような人形が、この箱にたくさん入っているんだよ」
    「──なんでこんなものが」
    覗き込んだ箱には、同じクオリティの人形があと20個前後あるように見えた。例の口を開くための棒が、箱の底にある台のようなものに固定されている。
    「主の趣味だったのかな。知らなかったよ」
    歌仙の表情は見えなかった。歌仙は箱の周囲を見ているようだ。
    「監査官殿」
    呼ばれて、歌仙の指し示す部分を読む。人形の入っていた箱は「オルゴール」と書かれていた。なるほど、と歌仙が言う。蜂須賀がいつの間にか隣に立って覗き込んでいる。
    「出してみないと構造は分からないが、オルゴールを動かすとこの人形が歌うんだね。口をぱくぱくとさせて。恐らくだけど」
    山姥切長義は人形が歌う様子を想像してみた。実際の子供をそのまま小さくしたような、リアルな人形が無表情に歌う姿は、悪夢の出来事のように思えた。
    「悪趣味だな」
    我知らず口走ると、歌仙と蜂須賀は苦笑したようだった。
    「僕たちも、主がこういうものを所持していたとはね」
    「俺たちの知らない主は、もっと子供っぽい人だったのかもな」
    のんびりと語る二振りを余所に、山姥切長義は寒気を催していた。
    子供っぽい、だって?こんな奇妙なものが?
    同じ刀剣のはずだが、感性の違いに愕然とする。なんだか急に二振りが異様な存在に思えて、怖気が立った。
     歌仙が箱に人形を戻し、それぞれに探索をする。山姥切長義は、未だにあの人形の奇妙さが頭から離れなかった。存在感がありすぎるのだ。ただの人形とは思えない。ふと懐中電灯を振った先に何かが見えた気がした。床の、部屋の奥に近い所に跳ね上げ扉のようなものが見えたのである。蜂須賀と歌仙を呼び寄せる。
    「地下室、だと思う」
    そう言うと、二振りも頷いた。誰が薦めるでもなく、歌仙が率先して跳ね上げ扉を開けた。むっとした、獣臭が上ってくる。
    「──これ、入るの、か」
    蜂須賀の顔が強張っている。地下室と思われる空間は、懐中電灯を当てても全く底が見えず、全容が見えなかった。正直なところ、入りたくはない。顔を見合わせて、暫く押し黙っていた。
    ──……!……!
    地下室の中から、誰かが呼んでいるような声が聞こえてきた。
    「誰か、いるのか?!」
    山姥切長義が叫ぶと、その声は大きくなった。
    ──おおい。おおい。
    助けを呼ぶには、間延びした声だ。蜂須賀と歌仙が急に色めきたった。
    「主だ!あれは主の声だ!」
    「生きていたんだね!今助けるよ!」
    地下室にそのまま飛び込まんとする勢いだ。声は徐々に大きく、こちらへと近づいてくる。
    ──おおい、おおい、おおい!おおい!!
    「何か、変だぞ」
    山姥切長義が呟いたと同時に、地下室の穴から、ぬっと白い布を被った人影が現れた。まるで浮いているような動きで、三振りは反射的に「それ」から離れた。
    ──おおい。おおい。
    「山姥切、国広、か?!」
    山姥切長義は、必死で声を絞り出す。何故か心臓が早鐘を打っている。これは、駄目だ。
    山姥切国広らしき人影の腹辺りから、繰り返し繰り返し審神者らしき呼び声が聞こえている。歌仙が、本体を抜いたのが視界の隅に見える。蜂須賀も本体に手を掛けているが、視線は人影から動かせないようだ。人影が、白い布を唐突に脱ぎさった。
    蜂須賀の叫び声と歌仙の押し殺す声、山姥切長義の悲鳴が合わさった。
     不定形の「モノ」がそこにあった。膨れ上がった胴体に無数の顔が無造作にくっついたかのように蠢いている。山姥切国広を土台とした顔の部分にも、他の余計な顔が、胴体と同じように蠢き、泣き叫んでいた。あの布のどこにこの巨体があったのか。抜き身を構えた歌仙が、そして蜂須賀が、一点を見つめて叫んでいる。
    「主!主の顔が!」
    「化け物め、よくも主を!」
    山姥切長義には、無数の顔のうちのどれが審神者なのか見当もつかない。
    切りかかろうとする二振りは、顔たちの凄まじい叫び声に動きを封じられた。耳を押さえなければ、頭が割れそうに痛むほど、悲痛な狂気的な声だった。
    山姥切長義自身も、蛇ににらまれた蛙のように微動だにできなかった。
    不意に叫び声がやんだ。
    山姥切国広のような顔が、山姥切長義をじっと見ていた。
    「みているぞ」
    ──みているぞ、みている、みている、みている……。
    続くように、唱和するように、それぞれの顔が、それぞれの声で繰り返し繰り返し「みている」と言葉を投げつけてくる。
    「──あ、あ、あ」
    次の瞬間、山姥切長義は全身から搾り出すような叫び声を上げていた。戦や粛清に赴く時の緊張感とは全く種類の違う恐怖に支配されていた。
    視界の端に、蜂須賀と歌仙が呆気に取られた表情でこちらを見ているのが分かる。それでも止めることが出来なかった。脳が、体が、バラバラになるような恐怖で、悲鳴が止まらない。
    ──なぜお前が。なぜ俺ではなく。お前ならば。お前が。どうして。
    取り留めない言葉が浮かんでは、奔流のように消えていく。
    ──見るな。俺を見るな。お前なんか怖くない。俺こそが本物で、お前が偽物なんだ。恐れるものか。だから見るな見るんじゃない見るなと言っているだろうやめろ見たくなんかない見ないでくれ見るな見せないでくれ見るな見るな見るな俺を見るな。
    ──みるな。
     意味の分からない叫び声が喉から迸る。いつの間にか、『山姥切国広だったもの』が山姥切長義の目の前にいた。それが、金切り声を上げた。その瞬間、山姥切長義の意識は、糸が切れたようにぶつん、と消え去った。



     【持ち出し禁止】【修正済み】【閲覧後は情報災害防止のためMiskatonic University方式での端末洗浄を行うこと】
    ○ ■■■■支部■■本丸における重要インシデント
    ■■年■月■日 ■■支部担当監査官(山姥切長義)の失踪について
    (前略)
    監査官の所持していたGPS装置の通信は、本丸地下室にてロストしたことが分かった。2)別紙図解参照
    重傷の近侍・蜂須賀虎徹、初期刀・歌仙兼定を収容、事情聴取を行ったところ、「猟犬」事案と判明、特殊部隊を派遣。また「無貌」の関与も想定されたため、「銀の鍵」部隊を帯同させる。
    蜂須賀と歌仙の供述は後述のインシデント記録①を参照のこと。
    (中略)
    監査官が精神汚染を受けたことは前例がないため、特段の注意を持って除染をすることが望まれる。
    また当該本丸は、侵食を受けた刀剣だけでなく侵食の見られない刀剣においても刀解を執り行い、本丸解体とした。また今回を例として、類似インシデントへの対応とする。
    (中略)
    地下室探索の際、複数の汚染オブジェクトを回収した。
    児童の死体(首のみ)30点以上(残りの部位の捜索は行っている)
    死体の身元は不明である。
    また児童の首は干し首(別添資料3を参照のこと)の要領で小型化されており、オルゴール等機械のパーツとして作成されたようだ。
    (中略)
    当該監査官へ陳情に来たという「小筆の九十九神」の存在は確認できなかった。また当該監査官の来客記録映像には、所属不明の刀剣男士が当該監査官と相対していたことを追記する。所属不明刀剣男士は、風体の特徴から山姥切国広と思われる。当該刀剣男士について、所在は不明である。
    (後略)
    和紗@冷えピタP Link Message Mute
    Jul 19, 2022 1:23:07 PM

    【山姥切長義】みるな【刀剣乱舞ホラー】

    聚楽第復刻なので寝かせて置いたものを出します。シリーズとしていずれ本にするかも。
    山姥切長義が、主役です。
    ##刀剣乱舞 ##ホラー #小説 #二次創作
    #山姥切長義 #山姥切国広

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品