【dnkr】壊れているなら教えてほしい
校舎と校舎の間、いつも暗く湿ったあわいの場所に根をはる草花は、じっと寒さに耐え忍び、それでも青々と手足を伸ばしていた。不良生徒がたむろするような暗所を避けるために作られた花壇は、コンクリートブロックを積み上げただけの簡素なものだ。つくりに見合わない絢爛さはおぼろの甲斐甲斐しい世話のおかげだが、彼は植物そのものの生命力からだと否定するだろう。今日も普段通り、手がかじかみ汚れるのにも構わず黙々と作業を続けている。
喧騒を苦手とするおぼろにとって、ささやかな冬の庭は学校内でも数少ない心の休まる場所だった。手をかけた植物はもの言わず、おぼろを受け入れもしないが、同時に拒むこともない。年度が変わればおぼろと光国はこの学校を去り、紅鶴学園へ編入する。唯一の心残りだった。
おぼろは手をかけた全ての草花を愛していたが、なかでもスノードロップがいっとう好きだ。すっと伸びた葉はチームメイト――光国とゆかりの背を思わせる。先程こまごました雑草を引き抜いたので、よりいっそう楚々として見えた。葉の密集した根元にジョウロの細いくちを差し込んでやれば、さらさらと澄んだ音を鳴らす。触れる植物はひんやりと冷たく、優しくかわいていて、おぼろは愛しさで息をはいた。
「おぼろ、ここにいたのか」
「光国」
静寂を破ったのは幼馴染だった。凍えるほど寒いというのに学ランの袖をラフに捲り、指定のスクールバッグと黒い大きなデイバッグを背負っている。デイバッグの中身はきっとダンキラ用品だろう。光国はおぼろと同じものを見てまぶしく目を細めた。
「美しいな」
「うん……みんな、うまく咲いてくれたんだ。今年はすごく寒いから、枯れてしまうかと思ったけど」
言った途端に強い風が吹き、おぼろはぶるりと肩を震わせた。亀のように首を縮めるおぼろに、光国は白い息で笑う。
「春一番かもしれないな。もう冬も終わりだ」
「春になったら……やっと、ゆかりくんと、踊れるね」
「ああ。俺たち三千世界は、必ず紅鶴学園のゴールド生になる。いっそう修行に励めるぞ」
「うん。二人についていけるよう……頑張るから」
「大丈夫だ! 自信を持て。おぼろはすごい男だ。ゆかりもお前を尊敬しているんだぞ」
「いや……そんな……」
光国の言葉がとうてい真実とは思えず、しかし彼がでまかせを言うとも思えずに、おぼろはくちをつぐんだ。
この朗らかな男は自分を買いかぶりすぎるきらいがあった。嬉しく思う反面、ひどく息苦しくなる。
きっと、いや、絶対に、自分よりうまいダンサーは、この世界に何人もいるだろう。
紅鶴学園は毎年プロダンサーを数多く輩出する名門校だ。実力のある光国とゆかりが声を上げれば、名乗り出るものは少なくないはずだ。
それでもまだ、ふたりと共にいたいと願ってしまう。
これは執着だ、とおぼろは思う。
なんて浅ましいんだろう。ほんとうの幸福を願うなら、自分は身をひくべきなのだ。ふたりのことを一番にたいせつにするために、自分はいますぐにこの身を燃やして、灰にならなければいけない。
しかしその業火が恐ろしい。おぼろの塊が踊りたいと叫ぶ。自分は慟哭を殺せるほど利他的な男ではない。その事実がおぼろを激しく動揺させるのだ。
「そうだ、おぼろ。第二体育館が空いたらしい。踊って帰らないか。俺は自主練習するつもりだが」
「わかった、片付けたらすぐ行くから。先に行ってて」
「む……では、後でな」
光国は一瞬思い悩むそぶりを見せたが、首肯し、くるりと背を向け歩き出した。
ひと房伸ばした髪の毛がたおやかに揺れる。
光国はもう振り返らない。おぼろはそれをよく知っていた。彼はいつもおぼろの先を行く。
光国は開拓者だ。道なき道を歩む。やわらかい土を穿るだけの自分とは違うのだ。
もし今この手を伸ばしたら、彼は振り向いてくれるだろうか。しかし瞳に映る手のひらは、煤で煙ったように黒く汚れている。命を間引いた指は何もつかめず、宙をかくこともない。ただそこに在るだけだ。
何もできないおぼろは、美しい背の名残が消えるまでずっと立ちすくんでいた。