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    【SideMBL】焼き鳥一本65円「舞田くん、山下くん。君たちに、伝えていなかったことがある。きいてくれ」
     若い声の群れが、塊になった音として聞こえる。
    壁に貼られたメニューはどれも低価格で、それにみあった味だ。硲が座る椅子はビニールが破れ、中のクッションが露出している。補強用に貼られたガムテープが茶色く変色した壁に溶け込み、微妙なグラデーションを描いていた。山下たちが座る長椅子も同じようなものだ。清潔とは言えない店内に、モラトリアムを謳歌する子供の声がおおきく響く。笑い声さえ乱雑な店内から、硲はぽっかり浮いていた。
    つい最近まで──二年や三年なんてものは最近である──大学生だった舞田や、悲しいかなヒゲが生えよれたシャツの山下とは違い、硲はあまりにも教師然としている。模範的と言ってもいい。少なくとも山下はそう思っていたから、硲がこの店を選んだときはぎょっとした。薄汚い居酒屋が硲と結び付かなかったからだ。事実こういった店に入るのは慣れないようで、舞田が指摘するまで始終きょろきょろしていた。若者が集まる場所をうっすらと染める、諦めや苛立ち、そういう物悲しい心の似合わない男が、山下の知る硲であった。

     さて、件の硲は呟き、じっと山下たちを伺っている。
     重大な、世界を揺るがすような、ものすごい、全米が泣きそうな、とにかく重苦しい声だった。硲道夫の容貌に、おかしなところなんてひとつもない。やわらかい銀髪は清潔で、チタンフレームの眼鏡はきらりと光る。それぞれ丁寧に整えられ、いつもと同じく定位置にぴたりと収まっていた。夏の蒸し暑い夜、酒の席であってもだ。その口ぶりだけが、いつもより数段重たい。
     ああ、やっぱりこういうことになる。山下の胸中など露知らず、硲は辞書の真摯だとか真剣だとか、そういう清潔な項目を引っ張ってきたような目をしていた。彼の突飛な発言は、いつも山下のこころを掻き乱した。いまだって、手のひらにじんわり汗をかいているくらいだ。ものごとをのらりくらりとかわす山下から見ると、硲は信じられないほどまっすぐな言葉を使う。それを真正面から受けると、どっと疲れてしまうのだ。酔った硲が何を言うのか、まったく想像できない。
     山下は助けを求めて舞田に目配せを送った。しかし、何を勘違いしたのかウインクで返された。ついでに舌も出された。百点満点のアイドルスマイルだけど、援軍は望めそうにない。何杯目かのカクテルをけろりと飲み干した舞田の横で、山下はため息を飲み込んだ。
    「えー……はざまさん、それ今ここでする話ですか?」
    「ミスターやました、nonsenseだよ。ミスターはざまはalcoholのpowerを借りてるんだから!」
    「それはなおさらどうかと思うなぁ……」
     人指し指を振る舞田に苦笑いして、山下は柔らかすぎる鶏肉をつついた。べとついたテーブルに肘をつき、向かいに座る硲を見る。
    雰囲気にあてられたのかもしれないが、明らかに飲みすぎだ。自制心の強い硲は、我を失うまで飲むようなことはしない。酒の席でしか話せないものがあるのだろうけれど、勢いに任せるだなんて、硲の性格からは遠く思えた。
    タクシーを呼ぼうにも、ここから硲の家までどの程度かかるのかわからない。あれでしっかり筋肉もついているし──レッスンを始めて驚いたが、硲は本当にダンスが上手い──二人がかりで運べるかどうか。いや、それよりも、どうやって気を落ち着かせよう。

     思案する山下と、硲の言葉を待つ舞田の後ろで、ひときわ大きな声が響く。
     やばいっすよぉ、卒論とか、まじ無理っす、なぁんも学んでないのに。
     思わず眉をひそめる。ほとんどわめき声の、その言葉に思うところがあったわけではない。目の前の硲の瞳が揺らいだように見えたからだ。否応なしに、満ちるなにかに飲みこまれていく。
    「私は、君たちと……」
    グラスをつかんだままの右手がきしんで、酔いの見えるそこに色が増す。赤く染まる指先が、液体の表面を波立たせた。

     硲の震えが、どんな感情によるものなのか。共に過ごした短い時間の中で、欠片に触れた気がする。硲は山下の知る限り、まっすぐな男だった。まっすぐすぎて、時として空回り、誤解を生み、人を混乱させたりした。しかし――彼はどこまでも教師であった。従わせるのではない、導くものとしての自負が、硲道夫という人間を厳かなものにしていた。それを山下は好いていた。山下自身が思っているよりもずっと。

     だから、きつく寄せられた眉の下で切れ長の目が瞬いたとき、山下の口が開いたのは無意識だったのだ。
    「はざまさん……」
    自分の口から出た声にぎょっとする。こんなに優しい声を出せることが信じられない。集まる二人分の瞳にうろたえた山下は、短い息を吸ったとたんに何も言えなくなってしまった。胸に想いがつっかえて、うまく取り出せない。みるみるうちに膨らみ息苦しくさせる。
    「ミスターはざま、relaxだよ!」
    「……そうそう、ゆっくりでいいから」
     そうだ、それが言いたかった。今度は正しく助け船を出した舞田に感謝して、慌てて頷く。ぱちんと投げられたウインクが頼もしい。山下を救った舞田は、硲に向き直りまた片目をつむる。
    硲はウインクの大安売りをする舞田を見て、奇妙に顔をゆがめた。酔った体でのウインクは、なんとも不格好なものだったけれど、硲の頬の筋肉をやわらかくときほぐしていった。

    「……ああ」
    かすれた音が硲の喉を震わせる。グラスの氷が硲の手の温度で溶けて、音をひとつたてた。わずかな音だったが、びくりと体を強張らせて凝視する。じいっと見つめて、一呼吸おき、ゆっくりと肩の力を抜いていった。景気付けにグラスを煽り、半分ほどを空にする。硲は酒のにおいの息を細くはき、山下と舞田をしっかりととらえた。
     その瞳は強い。彩度の低い硲のからだの中、ぎらりと光る。けして鮮やかではないグレーの連なりの中で、ちゃちな照明を受けても輝いてさえ見えた。よどんだ空気のこの店で、硲の無機な輝きは異質だった。山下はそれを、うつくしいと思った。

    「私は、君たちと……いや、君たち……が……を?いや……ううん…………む」

     落ち着いた容貌に見あった声は、いつもどおりの硲道夫だ。
     しかし───大きく頭が旋回する。ぐらあり、ぐらりと動いて、あっというまに崩れ落ちた。
     口を挟む暇もない。あんな目をした男は、テーブルにだらしなく頬をくっつけて、すよすよと寝息を立てはじめている。

    「……え、はざまさん?はざまさーん?」
    「Wow、まるでbabyみたいだね!」
    「いやそれはないけど……どうしよう、この人……」
     山下などそ知らぬ顔で、舞田は上機嫌だ。こんなに楽しい夜なのだ、笑わなくては嘘になる。手を伸ばして硲の頬をつつくと、山下がうぇえ、という顔をした。女の子のように柔らかくはないけれど、これはこれで癖になる。指の動きにあわせてちいさな寝息が聞こえた。
    眉間のシワのない顔は穏やかで、案外やさしいつくりだ。それを再確認して、舞田はにっこり笑ったが、頭を抱える山下はちっとも見ていない。面白いのにもったいない! そう思うけれど、うんうんうなる山下も面白いので黙っていた。
     ひとしきり硲の頬で遊んだ舞田は、力の抜けた手から緑茶ハイを抜き取った。溶けた氷がくるりと回り、からんと音がなる。それがまた楽しく、舞田はいよいよ笑い出した。自然に持ち上がった口許が、欠けた月のかたちになる。
    「ミスターやました、What will be, will be! all right!」
    「そういうことじゃあないよ……」
    「じゃあどういうこと?」
    「どういうことって」
    「どういうことだと、ミスターやましたは思ったの?」
     急に教壇の上みたいな物言いをされて、山下は口をつぐんだ。どういうこと。舞田の声が、ひやりと頬をなでる。
     からん、からん。舞田が赤いストローをまわす度に、澄んだ音が聞こえた。規則的なそれに、いつのまにか鼻唄が混じる。舞田のハミングが山下の鼓膜を震わせた。プロダクションの共通曲だ。未来を見据える歌。リスタートの歌。
     舞田は歌い始めていた。ユニットにより違う顔を見せる歌詞は、舞田の囁きで舞田の曲になる。きらきらとまばゆいばかりの若い声。口の中で弾ける音が、舞田のまわりをきらめかせた。近くで飲んでいた女がちらりと舞田を見る。
     幼い動作の男は、視線に気づき、ふっと息をはく。そして輝く男の顔のまま、山下だけを見て笑った。

    「俺は、ミスターはざまとミスターやました、プロデューサーちゃんとidolができて、very very happy だよ!」

    舞田の大きな目が、下まぶたを持ち上げる笑い方で、きゅうっと細くなる。ぴかぴかに光る目玉の分量が小さくなると別人のようだ。

     それも一瞬のこと。薄まった緑茶ハイを飲み干し、顔をしかめる舞田はもうさっきの顔をしていない。歌も止んでしまった。
     空のグラスばかりが名残となり、山下は飲み込んだため息を今度こそはき出した。

     二人分の言葉が、手のひらにじんじんしみる。当たったところから甘くしびれ、山下の奥底をざわつかせた。そこからふわふわと、うつくしいものがあふれ出てくる。
    戻れない道を進んでいる。そして自分の中で滞っていたものが、ゆるゆると変質していく。変化の予感に、体のどこかが奮うのを感じていた。
    この三人と、プロデューサーがいなければ反応しない部分だ。他者に照らされて、あたたかく輝きはじめている。
     共に歩むことが幸せだなんて、愛の告白でもしている気分だ。恥ずかしいから言わないけれど。

    「……それは、アルコールが無力のときに言ってあげなよ」
    でも、俺も同じこと思ってるよ。優しい呟きは店内の喧騒に紛れ、誰にも届かず消えていった。
    さしもすすせそ Link Message Mute
    2022/07/12 2:56:46

    【SideMBL】焼き鳥一本65円

    S.E.M三人CP未満のゆるいBLです

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