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    【はるなほはる】私は良い子


    「七星はママみたいになっちゃだめよ」
     たっぷりしたまつ毛を震わせながら、そう七星に繰り返し説くのがここ一年の母の日課だ。
    「七星は女の子なんだから、自分から好意を見せちゃだめ。男の子から」
    「告白してもらわなきゃ、でしょ。わかってるよ」
    「いいえ、わかってない。ママはそれで失敗したのよ」
     母の瞳が朝の光で透き通っていて、七星は内心うんざりした。二人きりの食卓は重苦しい。最も、三人揃ったところで変わらないだろうけど。井波家はもうずっと正常に機能していない。父は今日も不在だ。大方不倫相手のところへ行っているのだろう。
     母の話はまだまだ続く。幼い七星にだって彼女が置かれた立場はわかる。母の実家は北海道だ。はるばる群馬まで嫁いできて、この仕打ちは堪えるだろう。でも、これは十四歳の娘にする話だろうか? 一度弁護士に相談してみたら、辛いならカウンセリングでも受けてみたらいい、と提案したものの、愛がなくなったわけではないし、ああいうのは頭のおかしい人が行くところだからと拒否されてしまった。愛。そんなものがまだこの家にあるんだろうか。毎晩一人で啜り泣いている母はおかしくないんだろうか。

    「今日帰り遅くなるから」
     一方的な会話を半ば断ち切るように告げると、母は途端に眉を下げた。
    「ええ? どうしてもっと早く言わないの。駅まで迎えに行くからね」
    「もう、いつも心配しすぎ」
    「何言ってるの。女の子なんだから、気をつけないと」
     母の視線が七星を撫でる。丸みを帯びて、母に似てきた女の身体。母は彼女なりに七星を愛している。でもその愛情が、時々ひどく気持ち悪い。



     改札を抜けると見知った背中があったので、七星はかかとを鳴らして駆け寄った。
    「数田くん、おはよ」
    「い、い、井波さん、おはよう……」
     肩を軽く叩いただけで動揺するんだから、露骨にも程がある。やっぱり数田くんは私のことが好きなんだ。そう再確認しながら、七星はすっと胸がすくのを感じていた。定期を鞄に仕舞いつつ、ほんのりと赤みがさした遥の耳を盗み見る。明確な好意が色を持ってあらわれるのは、可愛らしいと言えるかもしれなかった。
    「数田くんってなんでいつもこんなに早いの」
    「……。早起きしちゃって暇だから」
    「ふうん」
    「今日は委員会の仕事もあるし。井波さんも出るよね? 委員、同じやつだったよね。……多分……」
     最後のはちょっと白々しいなと思う反面、その誤魔化しをいっそ微笑ましく感じながら、七星は相槌をうった。私と放課後一緒にいられるのが楽しみだったんでしょう、なんてからかったら、彼はどんな顔をするだろう。
     登校時間が早いのだって、きっと七星に合わせてのことだ。自惚れではないと思う。いつも七星が声をかけるまで、のろのろとカタツムリが這う速さで歩いているんだから。一度いじわるしたくなってわざと気づかないふりをした時なんか、飼い主に置いていかれた犬みたいな顔をしていたので思わず笑ってしまった。
     毎朝逃げるように家から出る七星にとって、遥は木陰のような存在だった。自分を求めてくれる人がいるというのは良い気分だ。肯定されている気がする。七星の遥に対する感情が遥と同質かはわからないし、自分から何かを伝えようという気持ちにはなれないけれど。別に母の言うことを信じているわけではない。今どき告白は男の子から、なんて、おとぎ話じゃあるまいし。それでも母の身を切るような訴えが、七星の胸にしこりとなって残っているのは事実だ。
     駅から学校までの数百メートル、たわいもない話をしながら、七星は愛について想う。



     見られていると気づいていたけど、気づかないふりをした。
    「はー、やっと終わった……」
    「……」
    「数田くん?」
    「え、あ、ごめん、ぼーっとしてた……」
    「……顔真っ赤だよ」
    「えっ」
    「夕日で」
    「あ、ああ……うん、きれいだね」
     本当にわかりやすい、なんてことは言ってあげない。ホチキス留めの終わったプリントを持って教務室に向かう。七星を気遣ってか、大した重さでも無いのに遥が多く持とうとするからおかしかった。遥のささやかな愛情表現は、七星の心を優しく照らす。
     教員にプリントを渡すと、校内放送が最終下校時刻を知らせていた。
    「結構かかっちゃったね」
    「ごめん、ママに連絡するから先に帰っていいよ。うちのママ心配症で」
    「……暗いし、一緒に帰ろうよ。待つよ」
    「そう?」
     ベビーピンクの携帯電話を取り出しメールを打つ。家族との連絡用に買い与えられたものだが、メールフォルダは母とのやり取りで埋まっている。
    『今から学校を出る』少し考えて、普段通りの定型文に付け加えた。『クラスの男の子が途中まで一緒に帰ってくれるって』いや、逆に不安にさせてしまうかもしれない。少し迷い、『クラスの子』に直して送信する。送信完了の文字が浮かんだのを確認して、七星はスクールバッグを肩に掛けた。
    「ごめん、待たせちゃって。行こっか」
    「うん」
    「今日は登校も下校も二人っきりだね」
     陽はすっかり落ちきって、窓の外は群青色の闇が侵食している。遥の顔はそれでもうっすら赤かった。



     いくら親しげに振る舞っても、遥は電車に乗ると離れてしまう。二人の間にできた暗黙の了解。今日も遥は隣に座らない。ただ窓越しに七星を見つめている。
     こうしてぼんやりしていると、七星を見ている遥と遥を見ている七星のどちらが優位かわからなくなる。ガラスに映った二人は細部を失い、似通った色になった。七星と遙の瞳が混じりあって、七星の目にも遥の恋慕がそっくりそのまま映るような気がする。
     愛は契約だ。交際も結婚も、別個の存在がお互いを尊重する手段だ。でも世界は七星に欲望を強要する。進むことを求める。もちろんそういう欲求を持たない人たちもいるだろうけど、メディアから発信されるメッセージはべとついた情を肯定するものばかりだ。
     キスが怖い。その先が怖い。空想を舐めて腹を満たし、上澄みだけを掬って喉を潤すのは、おかしいだろうか。
     数田遥は自分のどこが好きなんだろう。井波七星にはわからない。七星が母の言い分を理解できないのと同じだ。七星の胸が膨らんだように、初潮を迎えたように、何かが変わってしまっても、数田遥は井波七星を慕うだろうか。取り留めない思考は七星をふるい記憶に引きずり込んだ。


    「でも、好きだから、手をつなぎたくなるのかもしれないね」
    「……そういうのやめてよ」
     ぞっとするほど冷たい声が出て、遥を拒否するつもりは無かったけれど、発した言葉を訂正する気にはなれず、七星はただ俯いた。二人きりの帰り道、ドラマかなにかの感想を言い合っていたはずだ。その時七星の脳裏に浮かんだのは、画面の中の甘く柔らかい恋人同士の触れ合いではなく、父と母のことだった。見てしまったから。普段あんなに相反する感情で互いを傷つけているのに、唇をすりあわせて交わっていた。獣じみた呼吸音がおそろしく、布団を被って眠ったこと。七星の意思に構わず溢れ出た経血が、白いシーツを濡らしたこと。翌朝の母親の顔。父親の顔。すべてがざらついて、七星の脆い部分を削り取っていく。
     あの後彼とどんな会話をしたのか、七星はなにも覚えていない。ただ殆ど身長差の無い遥のローファーが、自分のものより大きかったことだけを、鮮明に思い出す。


     鈍く大きい音と急停止で七星は我に返った。

     なにかにぶつかったらしい。車内のざわめきをかき消すように踏切の警告音が響いた。ちょうど七星の座席の車窓が交わる道を切り取る位置で停止しているので、夜を切り裂くそれがひときわ大きく聞こえる。
     しばらくぼうっとしていた七星は何かを見付け、脚が座席に当たるのにも構わず、勢いよく立ち上がった。窓に張り付くようにして、反射の向こうを凝視する。

    「い、井波さん、大丈夫?」

     闇の中に光るものがある。踏切の赤い明滅に晒されるそれは、艷やかなエナメルパンプスだ。母が父に買ってもらったものとよく似た。

     君の軽やかさが好きだって、パパはそう言ってママに靴をプレゼントしたのよ。素敵でしょう? これを履くと、どこへでも行けそうな気がするの。

     母の甘ったるい声が頭の中で反響する。そんなはずはない。だってママは、迎えに来てくれるって言ったから。女の子が夜道を一人で歩くのは危ない、心配だ、と。母は七星を愛している。
     バイブレーションに気づいて、七星は慌てて携帯電話を掴んだ。サブディスプレイには母からのメールを知らせる文面が浮かぶ。心配した母が連絡を寄越したのかもしれない。震える指でボタンを押す。青白く光る画面に、たった一行の返信が表示される。

    『どうして?死ね』

     井波さん、大丈夫? 井波さん……

     自分を呼ぶ遥の声は霞んで遠い。七星は自分の中の何かが決定的に損なわれるのを感じていた。母は七星を愛していた。七星も母を愛していた。でも隣には誰もいない。指先は冷え切っていて、もうぴくりとも動かない。荒い息だけがきこえる。それは母になり父になり、七星になって、いつまでたっても消えなかった。
    さしもすすせそ Link Message Mute
    2022/07/12 3:01:56

    【はるなほはる】私は良い子

    ID:INVADEDの二次創作です
    左右は観測していません

    批判されない差別的な発言、母親と父親の性行為を目撃する子供、母親の自死を目撃する子供の描写が含まれます

    #二次創作  #はるなほはる

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