【dnkr】天国は祈りでいっぱい「駄犬が静かだと調子が狂うな」
「くくっ、それは君なりの愛の告白かな?」
「ブラッディ・ヘル! そんなわけないだろう」
「駄犬だって? もしかして、俺のことをそう呼んでいるのかい? 美しい俺に嫉妬するのはわかるけれど、それはちょっといただけないね」
「……アキラ、どうした?」
「晶……今日はやけにつっかかるね。愛しのノエルの言葉なら、なんでもしっぽを振って喜ぶのにさ。100年の恋も冷めてしまったのかな?」
「恋? 俺が? この少年に?」
「……晶?」
「……それは予想できなかったなあ」
よく知った――いや、知っていた顔でそうつぶやくものだから、蛍はすぐにわかってしまった。これは、中等部の頃の晶だ。
「だって、俺が恋をするなんて、誰が予測できるんだい。仕方ないだろう」
晶はベッドに腰掛け足をぶらぶらさせながらぼやいた。
曰く、朝起きたら3年後だったらしい。そんなわけはない。タイムリープなど、非科学的なことがあるはずない。大方、記憶が混濁しているのだろう。外因性か内因性かはわからないけれど、どちらも有り得そうなことではある。ダンキラでは頭を打つことも少なくないし――強いストレスも、心当たりが無いわけではない。昨夜のショーケースは特に酷かったから。
「そんな状態で、よく授業に出ようと思ったね。なんだか妙だとは感じていたけれど」
「成長痛がないぶん、普段よりやりやすいくらいだったよ。さいわい今日は基礎科目ばかりのようだったし」
「いちにち無事に終わったのは奇跡だよ……病院に行くつもりはないわけ?」
「なんとなくだけど、ひと晩眠ればもとの世界に戻れる気がしているんだ」
「もとの世界ね」
「蛍、信じてないね?」
「いやいや、信じているよ。晶は本当のことしか言わないからね」
「そうだろう」
不毛な会話だ。本人が医者にかかるつもりがないのならどうしようもない。蓮太郎が帰ってくる前に寝かせてしまうほうが良いだろう。蛍はそう判断して、晶の背を叩いた。促された晶は大人しく布団に入る。口元まで掛け布団を引っ張り上げ、数度まばたきしたあと、静かな声で囁いた。
「キングダムは解散してしまったんだね」
凪いだ声だ。
「……誰も悪くないよ」
自分が発した言葉に内心驚く。晶に気を使うつもりはなかった。けれど、傷つけようとも思えなかった。
「創真も、僕も。勿論晶もね」
「わかってるよ。創真は俺たちを見捨てる男じゃない。なにか、のっぴきならない理由があったんだろう? 大丈夫、きっと俺は幸せだ。蛍とダンキラができて、こんな幸福なことはない。……蛍もそうだろう?」
潤んだ眼が透明すぎて、蛍は何も言い返せない。エトワールは絶対王者で、美しくて、その美しさゆえに汚される。蛍にとってダンキラは自己を確立する手段だ。手放した途端、自分は脆く崩れてしまうだろう。きっと、晶が踊る理由と蛍が踊る理由は、交わっていない。
伏していた晶の手がそっと伸びてきて、蛍の手首を控えめに掴んだ。そのぬくもりに、蛍はぼんやりと過去を思った。ああ、そういえば中等部の頃は、潔癖もそこまで酷くはなかった。悪化したのはキングダムが解散してからだ。
「俺は蛍がいればいいよ。たったひとりの幼馴染じゃないか」
晶は本当のことを言わない。あの月の晩、恋に救われたのは晶ひとりだけだ。しかし責める気にもなれず、やはり蛍は無言を貫く他ない。
晶もそのまま黙ってしまった。肌を重ねたところが、ほんのりと熱を持っていく。しかしそれも晶が手を離した途端、消えていった。何事も無かったかのように。
「じゃあ蛍、おやすみ。そして……さよならだ」
そう言って晶は目を閉じた。タイムリープなど非科学的なことがあるはずない。この晶はどこに行くのだろう。自分たちの王国を信じていた、恋を知らない少年は、ふるい星のように夜の向こうへ消えてしまうのか。ならば、それは死ぬのと何が違うのだろう。
「晶……また明日」
傷つけようとは思えなかった。なかったけれど、唇から溢れた言葉はもう戻せない。
晶はなにか言いたげに口を開いた後、蛍と同じ言葉を返した。それきり黙って、もうぴくりとも動かなくなった。
蛍は静かに部屋を出た。スイッチに手をかけ電気を落とす。暗闇の前の一瞬が、やけに瞳に焼き付いていた。