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    燃える心の来し方1. BURN IT TOGETHER2. BURY MY HEART1. BURN IT TOGETHERふと風の通りぬけた足先をすりあわせ、顔をあげると、山肌が夕陽をうけて赤く光っていた。長居をしすぎたようだ。シュリは読んでいた頁に指をかけ、膝のうえにひろげていた獣くさいブランケットを肩に羽織って立ちあがる。ジャバリ族の書庫に整然と並ぶ本の背は、かれらの棲家とは異質に、通路へと規則正しく影を返している。ワカンダ山奥の気温と湿度は本に適しているようだった。それにしても理路整然として居心地のよい、エムバクの博識を写しとったようなこの空間は、時間を吸いこんでしまう。書庫の持ち主にここへと通されてから、シュリは科学哲学を学びなおすためにかよいはじめ、やがてそれが尽きると手当たり次第手にとっては読む時間を求めては足繁くやってきていた。不慣れな責務、急がれる街の復興で忙殺される日々のなかで、それがなによりの楽しみだった。ここには中国の王朝時代の文献から、アメリカの文壇のはやりまで、地球上のありとあらゆる時代の書物がなんでもあった。まさしく、ボルヘスのいうところのバベルの図書館だと興奮ぎみにシュリがいったとき、エムバクは「科学者の王女はボルヘスをお好みか」と興味深そうに笑った。「なるほど」
    書庫を出て、見晴らしのよい執政室に顔を出す。読み物からおもてをあげたエムバクに、シュリはもってきた本を一冊軽くかかげる。
    「これだけ、借りていってもいい?」
    「前に本を借りていくよう勧めたときは、スキャンして持ち帰ったほうが効率的だといってなかったか」
    「これだけ、借りていってもいい?」
    エムバクは失笑しながら頷いて、手を伸ばすとそれを受けとる。
    「アウグスト・モンテローソか」
    「名前はいま知ったけど。面白そうだから」
    「20年ほど前に死んだグアテマラの小説家だな。──Cuando despertó, el dinosaurio todavía estaba allí.」
    「……有名な一節?」
    「これで『恐竜』という小説のすべてだ。──"目がさめてもまだ、恐竜はいた"」
    「それだけ?」
    「ああ、これだけだ」

    シュリはその晩寝室で、借りてきたモンテローソ全集を頭から読んだ。そして、ひとつの短篇にさしかかる。カルロス1世の時代、スペイン人の宣教師が先住民に捕まって生贄にされそうになり、そこでかれはこういうのだ。
    「わたしを殺せば、おまえたちの太陽を消してしまおう」
    シュリはページをたどるのをやめる。窓の外では、どこまでも濃い闇夜に王都が眠っている。キモヨビーズのないほうの彼女の手首を一周しているのは、編まれた部分が擦り切れないよう補修された、シュリらしくもなければワカンダの伝統らしくもない装飾品だった。──これをシュリの手首に迷いなくむすびつけた男の太陽は、燃えていた。輝くように燃えていた。あのうつくしい、バベルの図書館のようにうつくしい海底都市を照らしだすために燃えていた。深い海のなかで、熱く、燦々と。Let burn it together, とかれがいったとき、シュリはそれを、うつくしい誘いだと思った。

    兄を亡くしたシュリは、世界を燃やしたいと望んだのではなく、正確には、じぶんの望むと望まざるにかかわらず、世界の側が燃えるべきだと思ったのだ。兄を亡くした世界は燃えるはずだった。すくなくとも、シュリの心は燃えていたから。わたしの心が燃え尽きたとき、次に燃えるのは世界の側であるはずだった。
    共同墓地に火を放たせたウンジャダカのことを理解したのは、それからだった。かれの父を亡くした世界は、かれにとって、かれの心の次に燃えるべきだったのだ。シュリは孤独だった。あるのは、じぶんの側と、世界の側とのふたつのみであるように感じた。兄の死からの一年はまばたきのあいだに過ぎ去った。だから、すべてをともに燃やそうといってくれるだれかを、喪失から際限なく噴き出すこの破壊衝動を肯定してくれるだれかをどこかでずっと待っていた。たしかに、待っていたのだ。

    ネイモアもまた、母を亡くして降り立った地上で、入植者の屋敷に火を放った男だ。そのときにスペイン人宣教師からかけられた侮蔑のことばを、悪趣味な剥製のようにみずからの名前としてかかげながら、かれはかれの人びとのために、海に太陽を昇らせた。──わたしはあの太陽がすきだ、とシュリは思う。ウンジャダカはワカンダを太陽の沈まぬ国にするといった。ウンジャダカのいった太陽の沈まぬ国とはかつて、ネイモアの愛する人びとを地上から追い立てた帝国のことだった。太陽の沈まぬ国から逃れたタロカンの人びとはいま、ネイモアのつくった太陽の沈まぬ国にいる。沈まぬ太陽が暴力の象徴と不可分だとしても、わたしはあのときたしかに、ネイモアの太陽をうつくしいと思った。それは掛け値なしのうつくしさだった。暴力と不可分の、かれの誘いがまた、うつくしかったように。

    読書灯のあかるさを調節したシュリは、モンテローソの短篇を読むことにもどる。太陽を消してしまおうと先住民を脅すスペイン人の宣教師は、かれらが日蝕を知らないだろうとたかをくくっている。かれらのなによりたいせつにする太陽がすこしずつ消えてゆくとなれば、かれらは慌てふためいて宣教師を開放するだろうと。しかし、宣教師は呆気なく殺され、生贄となる。だってかれらは、かれらのなによりたいせつにする太陽について、とうぜんよく知っている。日蝕のことも、それがどういう規則でいつ起こるのかも、すべて。
    目がさめてもまだ、恐竜はいる。太陽を消すと脅されても、先住民は動じない。ネイモアの太陽は沈まない。シュリは、この短篇に書かれているカルロス1世の時代を生き、そしていまもなお生き続けているネイモアのことを考える。そのくるしみを。その、いまなお燃えつづける心を。不変で、普遍の炎を。地上に愛はないといいきったその怒りを。

    「──We’re not in Kansas anymore」
    つぶやいた声は、機能的な床の薄暗がりに吸い取られる。シュリはさいきんよく、アメリカ人の真似をして、こうやって肩をすくめる。ワカンダにとってもう、住み慣れて居心地のよい場所にこもる時代は終わってしまったのだと、アメリカのイディオムを借りてとぼける。オコエにいわせればこれは「趣味の悪い笑い」。水によって破壊されたわたしたちの都市。鉱物をもとめて血眼になる国々。トト、ここはカンザスじゃないみたい。
    シュリは笑う。目元を覆って、肩を震わせて笑う。寝床に倒れこむと、布の擦れる音がする。いまなお燃えているのはネイモアの太陽、ネイモアの心だけではない。海辺で兄の喪服を火にくべたときから、ふたたびきざした炎はいまもわたしの心を焼いている。シュリは孤独だった。これは変わらなかった。父も兄も、母も、うしなわれ、かれらは二度とシュリのもとにはかえってこない。もう泣きわめいたりはしないが、かといってだれもゆるせそうになかった。ネイモアのことだって、ゆるせそうになかった。ゆるせないじぶんを、だからシュリは、ゆるすことにしていた。
    ただ個人の問題として、わたしはかれとともに燃やしている。その心を、燃やしている。
    2. BURY MY HEART海底都市から浅いほうへとのぼっていくにつれ、水圧がゆるんでいく瞬間を、ネイモアはいつも好きになれない。沖合の透明な波からさしこむ昼の光のあいだに、ちいさな舟底の影が揺れている。海面から顔を出すと、小舟のうえで本を読むシュリの姿があった。あいかわらず機能的な服に身をつつんだその背筋は、まっすぐ伸びている。
    わざと飛沫と音を立てながら半身を現す。シュリはおもてをあげ、ネイモアのほうに目をやって、それから本を閉じた。どう切り出してよいのか迷っている仕草だった。ネイモアは貝をかかげ、これが伝達した内容について直接訊ねる。
    「"個人的な" 用、とはなんだ?」
    今日は海が穏やかだ。古来の形を模してはいるが、技術の感じられるその微動だにしない小舟のうえで、シュリは黙ったまま、彼女の片方の手首を、他方の指でたどった。する、とはずれたブレスレットが握られ、海のうえに突き出される。
    「これを、返したくて呼んだの」
    ネイモアが黙る番だった。
    「……5世紀生きてきた」
    「知ってる」
    「5世紀近く生きてきて、そのあいだずっと大切にしていた母の形見を譲ったんだ。あなたにはわからんかもしれないが、王女、やすやすと譲れるものじゃなかった」
    「だから、返す」
    「だから、やすやすと返されるものでもない」
    シュリは拳を引っ込めて、それを両手で握りなおすと、宙を睨みながら切り出した。
    「あなたが母を殺したとき、いったことを覚えてるよ、ネイモア。Bury your dead. Mourn your losses. You are queen now──そういった」顔の険しさのわりに、穏やかで静かな声だった。灼けつくようなリズムだけが、彼女の唇から溢れでる。
    「だから埋めた。母を。水のなかで息たえて、じっとり湿って、死んだ母を。埋葬して、悼んだ」
    彼女がさいごの家族だった! シュリはささやいた。わたしを真に知る、さいごの人だった!
    「わたしはあの人を埋めたとき、わたしの心もともに埋めたんだよ、ネイモア」
    ──わたしの心はあれからずっと、母とともに地中にあって、そこで燃えているように感じる。

    シュリの健康的な頬が小刻みに震えるのを、ネイモアは見ている。ネイモアもまた、まだちいさなころ、かれの母親を埋葬した。そのために地上にでたとき受けたことばを、討ちとった首のように名としている。El Niño sin Amor. 母をなにより愛していたのに、愛していたがためにでた地上で、"愛のない子ども" と呼ばれるのは皮肉なものだ。母を埋葬し、入植者の屋敷に火を放った。ネイモアの心もまた、あれからずっと、母とともに地中にあって、そこで燃えているように感じる。
    「謝罪はできない」ネイモアはかたい声でこたえる。「──タロカンは、もう二度と逃げないと決めたのだ。ワカンダが先にタロカンの民を殺した以上、タロカンは逃げないことを選んだ」
    「ネイモア、今日は "個人的な" 用で呼んだんだよ」
    「わたしとわたしの民は不可分だ」
    「5世紀生きて凝り固まっちゃっただけじゃない?」
    ネイモアがおもわず母語で悪態をつくと、シュリは笑った。
    「あなたたちは、わたしたちがコサ語を使いつづけているように、ユカテコ語を使いつづけてるよね」
    シュリはそういいながら、いま読んでる小説を思いだす。19世紀アメリカの南部の農園で奴隷としてはたらかされている黒人の少女が、ひたすら北に、北に逃げる話。さっき、ネイモアが来る前にちょうど読んでいたところは──"昔、母親に教わったことがある" だ。"半分ずつの混成言語が大規模農園の声なんだと。遥かアフリカの故郷の村から拉致されてきた奴隷たちは、複合的な言語を使う。大洋を渡る以前の言葉は、時とともに身体から叩き出されてしまう。主人にわかりやすいように、身元を忘れさせるために、反乱を起こさせないために。残るのはただ、自分が誰だったかまだ覚えている者の、身体の奥深くに鍵を掛けて仕舞われた言葉だけ。"
    数年前、昏睡状態から目をさましたCIAが「ここはどこか」と問うのに、カンザスと冗談めかして答えたことがある。じっさい、同じことばを使いつづけていられるタロカンはここ5世紀、わたしたちはもうずっと、"カンザス" にいたのだ。逃げず、攻めず、住みなれた国のなかにいたのだ。

    黙ったまま、その聡明な頭でいまもなにかを考えているシュリに、ネイモアは手を伸ばす。握りこんだ手からブレスレットを抜きとって、彼女の手をとり、そこにまわすように結える。シュリは、ネイモアによってもういちどブレスレットのつけられてゆくじぶんの手首をぼんやり眺めている。
    「"どのように" ではなく、問題は "なぜ" だ。目的は手段にさきだつ。科学者ならわかるだろう。わたしの目的はタロカンをまもること。手段はそのあとだ」
    「5世紀もそれじゃ、疲れない?」
    シュリは首をかしげた。あたたかい潮風が鼻先を抜けてゆく。
    「わたしがブラックパンサーになる儀式のとき、伝統的な手順のひとつだったけど、土で埋められるのを断ったんだ。その必要はないと思ったかったから。さっきいったみたいに──わたしはすでに土のなかにいたから」
    でも、あのとき土で埋めてもらってたら?ちゃんと伝統どおり、共同墓地で儀式をやってたら?
    「目的はだいじだけど、それだけじゃ、手段を間違うかもしれない。生きるってのは科学じゃない。間違ってもエラーは返されないから、間違いを確かめることすらできない。それでも、目的は手段にさきだつの?」
    ネイモアは、この短命種のまっすぐな輝きを、ときとして羨ましく思う。
    「──そういうなら、言い直そうか」その瞳は、ネイモアが次になにをいうか、食い入るように見つめてくる。「目的は手段にさきだつが、目的でも、手段でもないものもある。わたしはそれこそを大切にしたい」
    ネイモアは紐を結びおえた。その手首をシュリのほうに返す。
    「たとえばこれは、目的でも、手段でもないものだ。わたしがあなたにブレスレットを贈るのは、なにかの目的でも、手段でもない。だから、目的でも手段でもないものとして、持っておいてほしく思うのだ」
    シュリは吹き出す。ネイモアが眉をしかめると、シュリはブレスレットのつけられた手首を、他方の手で触りながらしんそこ可笑しそうに笑った。
    「あのね、それを "個人的な" 用っていうんだよ、ネイモア」




    本文中引用
    コルソン・ホワイトヘッド, 谷崎由依(訳) (2020)『地下鉄道』早川書房, p.148.
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    2022/12/07 21:11:18

    燃える心の来し方

    人気作品アーカイブ入り (2022/12/08)

    #ネイシュリ こういった表記を用いるのに両者間の恋愛感情・性的感情いずれも必要条件ではない人間が生成しています ネイシュリ、そこにあるのは心の炎!炎だ!

    MCU作品群のうち前作と今作のみを視聴した勢いのままでいるため、さまざまな無知と捏造を晒していますがご容赦ください。誤りはご教示ください。ふたりはそれぞれで幸せでいてください。

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