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    not long ago16時34分、おれは彼女に会った。
    1時間おれを待たせた彼女は、紺色のサマーニットに、ライトブルーのデニム姿で店内を見渡しながら、手早く髪を整えた。それから、テラスの低いソファに腰をおろしているおれのほうを見た。ぼんやりそっちを見ていたおれは、予感を確信に変え、ちょっと笑いながら首を傾げた。
    足元に影が長く落ちはじめていた。彼女はちょっと瞠目して、ばったり会った同僚にやる顔で目くばせをしたあと、手元に目線を落とした。古いかたちのショルダーバッグからスマートフォンを取りだし(たぶん彼女の仲介人からのメールを何度も何度も読み返して)、そのあと、万が一のためにと知らされていたであろう番号に電話をかけた。
    おれの目の前で、テーブルに放りだしていたスマートフォンが震えた。おれは、上目遣いで彼女のほうを見やる。16:30をすぎたら変えることになっていたのか、店内の照明がじんわり明るく切りかわる。彼女はスマートフォンを右手で耳に当てたまま左の腕をくみ、上半身をねじって店内の奥のほうを覗きこんでいる。右の肘を支える左の指先が、祈るように、あるいは焦るようにリズムを刻んでいるのが見える。おれは目がいい。目の前のバイブレーションは続いている。おれは、彼女を眺めながら手をゆっくりと伸ばす。彼女が観念したようにテラスのほうへ向きなおった。それで、着信を知らせて光るスマホを、いま手にとろうとしているおれを再び見つける。
    彼女があごをしゃくった。
    おれは電話にでた。
    「本気?」
    彼女の声は耳元で言った。てらいのない声だった。
    「デート相手を1時間待たせるのはよくないな」おれは返した。「フェニックス」

    ・・・

    「本気?」
    おれは言った。目の前の祖母は厳かに頷いて、「本気だよ」と言った。「ジェイク」
    「その、」おれは手のひらを開いて、合わせて、肘掛け椅子の上で太腿をゆする。おれの幼いころからこの癖を厳しく矯正してきた祖母は、冷めた目でこちらをじっと見ている。祖母の後ろに開いた窓からは午後の日が差し込んで、書斎内の埃をきらめかせていた。
    「結婚の世話を親族がするなんて、おれの周りじゃ聞いたことないよ。子どものテニスシューズじゃないんだし」
    「わたしの孫は、ことを難しく考えすぎてるんじゃないかと思うよ」
    「この場合、ことを難しくしようとしてるのはあなただ」
    おれは上目遣いで微笑んだが、祖母は黙ったまま頬杖をついて身を乗り出した。
    「さっきおまえは、じぶんが結婚しないのは、空ばかり飛んでて機会がなかったからだと言ったね」
    「うん」
    「ほんとうはいますぐにでも結婚したいと。すべてをすっ飛ばして、この人だと思った人と、35の誕生日を待たずに、いますぐにでも」
    「そのとおりだ」
    「この先もそこそこ長い人生で正直ひとりはもう寂しいと」
    「うん、まったく」
    「けど自分で築くことのできる関係は、性格のほか仕事のこともあって、いつも長続きしない。──じゃあ、わたしが一肌脱ごうかと、こういう流れ」
    おれはもみあげを掻いて、唇をひねって、黙る。
    恥ずかしいなと思った。祖母のことは大好きだったから、久しぶりに会った興奮で話が弾みすぎた。彼女の前に立つといつも、少年のころ、夏休みにこの田舎町へ帰省していたじぶんに舞い戻ってしまう。ぶ厚い筋肉のない細い足で、泥だらけで、マットレスを汚すなと叱られているおれ。そのあと、『で、きょうはなにを見つけたの』と訊かれると勢いづいて早口で喋りだすおれ。ポケットからは次から次へと石やら虫やら草やらが出てくる。カエルが出てくる。飛び跳ねたカエルを捕まえて、祖母はおれを振り返る。『これ、どうするの?』おれはそこでようやく慌てる。『ただ……つかまえたってだけ』
    祖母は呆れたように言う。『で、どうするの?』
    「これだけは満たしていてほしい条件をきいておこうか」
    祖母はやわらかい声で話を切りあげるようにそう言う。おれは足をゆするのをやめて、両手で腿をつかむ。下を見たまま「人間がいい」と口にした。
    「それだけでいいんだね?」
    「……女性がいいな。あんまり歳が離れてないほうがいいから、30代」
    「うん」
    「……同業者だと話が楽だな。あ、これはべつに必要条件じゃないよ、難しいってことおれがよく知ってるし」
    万年筆を走らせた祖母は、よし、昼食にしようかと言って、立ち上がる。書斎に取り残されたおれが机を覗きこむと、次のことが達者な右肩上がりの字で記されていた。

    ・人間
    ・女性
    ・30代
    ・(できれば)同業者

    こりゃ難しいぞとおれは思った。

    ・・・

    わたしが腰をおろし、ウェイターがわたしの前を色々と整えているあいだ、向かいのハングマンはずっとそっぽを向いて水を飲んでいた。
    「で」わたしは向き直り、右手をかれのほうへやる。「あなたがジェイク?」
    ハングマンは片方の口角を変な位置まであげて、「いかにも」と言った。
    「で、きみはナターシャ」
    「……フェニックスでいいよ。それかトレース」
    「助かるね」ハングマンは眉をあげた。
    ワインがきて、ウェイターの注いだそのうつくしいグラスでわたしたちは乾杯する。
    前菜を慎重に口へと運びながらポツポツと仕事の話をして、心配な噂の話をして、共通の知り合いたちの近況の話をして、次々に出される皿を食べ進める。
    メインディッシュが終わったところで、あの10月の任務のころの話になった。ハングマンがマーヴェリックの声色を真似しながら、やがて調子に乗ってかれが言いそうにもないことを言いはじめ、わたしは笑いすぎて頬杖をつき、肩ごと震える。
    ハングマンが身を乗り出して、声をひそめる。
    「おいトレース、静かにしたほうがいいかもしれないぞ。周りはみんな大人だ」
    ナプキンでハングマンの腕をはたき、「学生気分で騒いでるのはあんただけ」と言う。
    アナポリスあがりのわたしたちは、ある点ではずっと学生気分だ。ハイスクールを卒業し、同世代とアナポリスに入ったわたしたちは、そこでも学年によって結託し、あるいは敵対し、寮生活を生き抜き、そのまま少尉となり、戦闘機乗りになった。おまえらは外の世界を知らないな、とROTC出の同僚は言う。たしかに、アナポリスあがりの上官たちの飲みかたは一目でわかる。生え抜きだから。わたしも、目の前のハングマンも、いずれああなるのだ。それを開き直って、楽しみだとすら思う。
    ハングマンは機嫌が良さそうだ。いつのまにウェイターに持ってこさせたのか、楊枝を咥えている。爪楊枝が上下に揺れる。わたしはグラスに口をつける。皿が進むごとに注がれる色も濃くなったワインの味は、よくわからない。
    「ハングマン」そう呼びかけると、かれは満面の笑みで応じる。
    「結婚するの?」
    爪楊枝がとまる。すごい顔だ。わかりやすい。茶化すようなことばかり言うこの男は、じぶんが真剣だとばれたとき、こんな顔をするのだ、と知る。おかしかった。おかしかったけど、なぜかちょっと悲しくもあった。人間的にとても問題があるようにも、ただ素直すぎるだけのようにも思えるかれが、"結婚をする意志" をもっていることが。
    目の前のジェラートは冷えていて甘かった。小さなスプーンだったのに、一瞬でなくなった。
    ──その響きだけで心に暗雲がたちこめ、全然興味がないと強がるほどでも、したいのに!と道化になるほどでもなくて、なんとなく笑って、『まだかな』と肩をすくめる。人の式で美味しいワインを飲み、たらふく食べて、なんとなく肩身の狭さを感じて、一生慣れることのないであろうピンヒールをときどき排水溝に嵌らせながら帰途につく。次の日には燃料の匂いを鼻に感じながら船に乗っている。
    「……うん」
    ハングマンは頷いた。
    「相手は決まってないけど、すると思う」

    ・・・

    全然興味がないと強がるほどでも、したいのに!と道化になるほどでもなくて、なんとなく笑って、『まだかな』と肩をすくめる。人の式で美味しいワインを飲み、たらふく食べて、なんとなく肩身の狭さを感じて、一生慣れることのないであろうピンヒールをときどき排水溝に嵌らせながら帰途につく。次の日には燃料の匂いを鼻に感じながら船に乗っている。
    ハングマンもきっとそうだろうと思っていた。物事を茶化しすぎる癖のせいで、器用なのに、肝心なところでいつもうまいことやれない男だ。
    結婚を前提としたデートに興味はないかと持ちかけてきたのは、アナポリス時代の先輩だった。彼女はいま民間で飛んでいて、一年前に結婚したばかりだった。その話が出たのは真昼のフードコートだった。
    わたしは詳しいことも訊かずに、なんとなく頷いた。本当にいいのか何度も確かめられたあと、先輩は『トレースが頷くとは思わなかった』と笑った。じゃあなんでわたしにこの話をもってきたんですか、と訊いたら『わたしのせいにならなそうだから』と先輩はいった。
    「ほかの友人と違って、トレースなら、わたしが誘う前から答えが出てるだろうと思った。わたしがこの話をしようがしまいが、トレースはもうすでに選択してるんじゃないかって」
    ジェイクという名前の同業者だと聞いた。年は34歳。あと電話番号。会う前にメッセージを送ったりはしなかったし、向こうからも来なかった。向こうも軍人だからか、待ち合わせ時間は早かった。当日ギリギリの時間まで行くかどうか迷った。わざとデニムを履いた。ジェイクとかいうその男に呆れられればいいと思った。納得してもらいたかったのかもしれない。32歳、独身、戦闘機乗りの女。デニムを履いて、待ち合わせに1時間遅れて来る。
    店について、店内の数々の人びとのなかにハングマンがいるのを見つけた。ジェイクという名前の同業者だと聞いていた。年は34歳。頭のなかで一気にはまっていくピースを無視する。メールをもういちど確認する。ハングマンなわけがなかった。"結婚を前提としたデート" の相手が?物事を茶化しすぎる癖のせいで、器用なのに、肝心なところでいつもうまいことやれない男だ。もっと大人にやればいいのに、組織じみた振る舞いをばかにばかりして、上官から嫌われる男だ。かれはそういうやつで、仲間の首を吊りがちな男であり、結果としてじぶんの首も吊られがちな男なのだ。
    先輩からのメールに記載された電話番号にかける。視界のはじで、ハングマンがスマホへと手を伸ばすのが見えた。
    はやる息をおさえ、唇を舐め、わたしが言えたのはこれだった。
    「本気?」
    ハングマンは遠くで、それから耳元でも笑った。

    ・・・

    途切れた会話を埋めるようにわたしがなにかを言いかけたとき、ジェイク?と声がした。横を見ると、先ほどまでわたしたちの奥の席に座っていた男が、通りすがりにこちらを振り返っている。帰り際なのだろう。同伴者が所在なさげに立っている。
    ハングマンは一瞬にしてあの笑顔を浮かべ、その男の名前を呼んで応じた。近づいてきた男の尻あたりを叩き、元気かと尋ねる。ハングマンはちらとわたしへ目線をよこしながらも、かれとの話を切りあげるつもりはないようで、再会を喜んでいる。ハイスクール時代のスポーツクラブの友人らしい。わたしはエスプレッソを飲み干すと、立ちあがる。
    「どうした?」
    ハングマンが声をあげる。わたしは「きょうはありがとう」と言って、男とその同伴者に笑顔を見せると、荷物をまとめて席を引く。
    テラス席から店内に入ると、音楽がかかっていることに気がつく。カウンターで会計を頼むと、もう済んでいた。わたしは拍子抜けして外に出た。霧のような雨が降りはじめていた。

    ・・・

    容赦ない交通量の横断歩道を渡っていくフェニックスが、ショルダーバッグをかけ直して小さくなっていく。
    「フェニックス!」
    大声で呼びかけると、当の彼女を除いて何人もの人が振り返る。おれは車の切れ目を見計らって道路を渡ると、目に入る雨を何度も拭いながら「フェーニックス!」叫ぶ。雨だっていうのに、広場では学生の吹奏楽団が演奏をしている。「ナターシャ!」前につんのめり、胸を張って歩く。吹奏楽団の演奏に拍手が起きる。「トレース!」
    突然フェニックスが立ち止まると、振り返り、おれのほうに歩いてきて「個人情報を叫ばないでほしい」と言った。
    「おまえ、あんな立ち去り方ってすごく礼儀知らずだぜ」
    おれがそう言い返すと、フェニックスは腕を組んで、おれのつま先から頭の先までを舐め回すように見た。
    「それだけ言いにここまで付いて来たわけ?」
    周囲を通りすがる人びとは皆足早だ。傘をさしている人もいる。彼女の髪は額に張りついていた。
    「もちろん違う。……いまあいつらが演奏しているのは『錨を上げて』だってことを──言いにきた」
    広場の吹奏楽団は、1906年に海軍中尉が作曲した行進曲のジャズアレンジを演奏しはじめていた。ここは基地が近い。耳が腐るほど聴いてきたメロディだった。おれも、フェニックスも。それで、
    「さっきの話だよ」おれは言う。「おまえはどうなんだ?」
    おれが訊くと、フェニックスはまっすぐこっちを見つめ、
    「わからない」
    そう端的に言った。あの10月の任務中にも、こんな顔をする彼女を時々見たことを思い出す。
    「わからない」
    彼女はもういちどそう口にした。
    そうか、とおれは返した。またこうして会ってもいいかな?
    つい先ごろまで同僚だった男からこうやって伺われているのがおかしいのか、フェニックスは変な顔をしたまま頷いた。それからおれの肩を叩いて、「ほかの人とも会いなよ」と笑って続けた。
    「Anchors Aweigh!」

    彼女を見送って、おれは祖母とのメッセージ画面を開く。文字を打つたび、スマートフォンの画面に雨の小さな水滴がびっしりついた。
    『結婚はすぐってわけにはいかなそうです。できないかもしれない』
    おれはすこし考えてから、こうつけくわえる。
    『でも、相手は決まったと思います』


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    2023/05/29 17:17:08

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    #TGM #ハンフェニ
    見合いに引きずりだされたらヤツがいたんですけど…なハンフェニ すごく面倒な男 vs すごく面倒な女 というかんじです!

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