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    黒洞 なにがあっても、諦めないと、歩き続けると道を決めていて、だからグ・ラハ・ティアは絶望することができない。

     アニタの赤ん坊は今夜が峠だといわれていた。医者も薬も治癒魔法も満足になかった。それ以前に、その小さないのちは傷や病でなく、ただただ弱いまま生を受け、生まれたその時から命をすり減らしてしまっていたのだ。だから、薬も魔法も効果はなくて、望みをかけるものがあるとしたらその赤子の生命力だけだった。アニタは、乳を吸わないぐったりとした小さな体を、なんども布で包み直してはさすり、かきいだいてあたため、名を呼んで、やさしい唄を歌ってやり、そして今は静かにただゆらゆらと、虚ろな顔をして揺れている。先ほどまで弱々しく泣き声をあげていた赤ん坊は、泣き疲れてしまったのか、今は時折かすかにむずかるばかりだった。もう泣く力すら残っていないのかもしれなかった。

     (天体の上からリンゴを投げ上げるとする。もしそのリンゴの速さが、その天体の重力を振り切ってしまうほどの速さであれば、リンゴは落ちてこずそのまま飛んでゆく。その速さを、脱出速度という。惑星ハイデリンの脱出速度は秒速1200ヤルムといわれている)

     シェルターと呼べるほどの施設もないここは、ガーロンド・アイアンワークスがいくつか作っている拠点の一つだった。防壁がなくとも、物資の備蓄がなくとも、暴力と簒奪がないというだけで行き場をなくした人々は集まる。アニタと夫のミックもそうした人々のなかのふたりだった。ここにたどり着いたとき、アニタの腹は大きく、それでも彼女はやつれた顔に確かな笑顔を浮かべていた。この子のためにも絶望などしないと、周囲が安静にしてやすんでいろと止めるのも聞かず、こまごまと立ち働くアニタの明るさに、拠点の人々が救われていたのも確かだった。
     妻とよく似た笑い方で、大物をしとめて帰ってくるといって狩に出たミックが音信を絶ってから、3ヶ月と少しが経つ。

     (この脱出速度が光の速さより大きな天体を想定する。その天体の上から、どんな速さでリンゴを投げ上げても、リンゴはかならずその天体に落ちてくる。なぜなら、物体の速さは、光の速さ以上になることはできないからだ。そして、光でも同じことがおこる。その天体の上で光を出したとしても、出た光は天体の重力で引き戻され、天体から逃げだしていくことはできない。このような天体を、ブラックホールという)

     生命力の問題だとわかっていても、赤ん坊が弱っていくのをただ見ていることなどグ・ラハにはできなかった。拠点中を走って毛布を集め、少しでも清潔な布と湯を用意し、アニタの手を握って励まし、野菜くずと干し肉を煮たわずかなスープを分け与え、少しでも赤ん坊への負担を減らそうと周囲への清浄魔法を絶やさなかった。それでも、それでも小さないのちは弱っていって、泣き腫らした目のアニタが、小さな声で、この子とふたりにしてください、とつぶやいたとき、できることはもう何もなくなっていた。だから、アニタが声をあげればすぐに気づけるが、彼女の視界に入らない場所で、突き刺さる夜の静かさに耐えるしかなかった。

     (ブラックホールは空間の“ゆがみ”と考えることもできる。平らに張った目の細かい網の上に、リンゴを置くと、置いたところが少しへこみ、へこみはリンゴの周りにも広がる。これが“ゆがみ”である。ブラックホールのあるところは、非常に強い重力で空間がゆがみ、空間にあながあいたようだと言える。あなにさしかかった天体は、その強い重量にとらえられ、あなに落ちてゆく。光でさえも逃げ出すことができないほど強い重力で切り立ったあな、それがブラックホールだ)

     グ・ラハはアニタと赤ん坊の未来を救わない。過去を変え、第八霊災を防いだとして、すでに霊災が起きた世界であるこの時空がどうなるかは、いくつかの仮説はあれど、誰にも確かなことはわからない。そして、塔と共に時空転移するグ・ラハが、その成否がどうあれ、この時空に再び戻ることはないのだ。
     希望を、明日を託してくれた人々を、そして希望を失った人々を、すべて踏みつけ、足場としてグ・ラハ・ティアは塔とともに跳ぶ。
     もうそれを選んでいた。その道を歩くと決めてしまっていた。耐えられなさを捨ててしまった。グ・ラハが掴みたい光のために。その答えを歩いてゆくのだと、ただそれだけが前にあった。
     だから、グ・ラハ・ティアは石の冷たさを背中に感じながら、ずっとずっと遠いシャーレアンの学舎で学んだ星の理を繰り返し頭の中でなぞっている。人は、人のあこがれは、星と宇宙の編み目にさえ届いていた。自由のための技術は、どこまでも続いていた。その翼を託されて、ただ歩いていく自分の杖をたしかめるようにして。
     光さえ逃げ出せない暗黒から、すべての法則を捻じ曲げて、光を引き摺り出してみせる。まっすぐに跳ぶリンゴになって、懸けられた祈りを全てつないでみせる。どうか自分がそのための、もっともよく編まれた機構となれますように。歩く足が砕け、道を見つめる目が凍っても、ただ前に進むことができますように。
     いつのまにか路地には、夜と同じ色をした沈黙が降りていた。アニタのかすかな啜り泣きが、路地を吹き抜ける凍風の、おおん、おおんという嘆きに掻き消されてしまう。

    なにがあっても、諦めないと、歩き続けると道を決めていて、だからグ・ラハ・ティアは絶望することができない。
    Hatake_ager Link Message Mute
    2024/10/08 12:18:06

    黒洞

    ※漆黒のヴィランズ後半終盤の情報を含みます。

    第八霊災時空のある夜。お題メーカー「さみしいなにかを書く」より
    <グ・ラハ・ティアさんは霜月ついたち、赤ん坊の泣き声が聞こえる路地でブラックホールができる理屈についての話をしてください。>
    #グ・ラハ・ティア  #FF14

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