朝食野営地の朝
明け方にふった短い雨が、木の葉のあいだからゆっくりと滴り落ちてくる。
体をつつんだ油紙をほどいて払うと、しぶきが散った。濡れた髪を前髪ごと後ろにくくり直し、ともかくエスティニアンは火をおこすことにした。
落ちている太い木の枝をひろい、湿気た皮を小刀でこそげおとす。大き目の石を一か所にまとめ、水気をふくんだ地面より一段高い台のようにしてから、小さな油紙にしっかりとくるんで水気から守ってある、白樺の皮を中央に重ねた。断エーテル素材の容器からファイアシャードを3つほど取り出し、白樺の皮のそばに置く。シャードと皮を囲むように、太い木の枝を組む。軽くふれた指でシャードに魔力を流すと火花が散り、表面が熱した炭のようにあかく燃える。油分をたっぷりふくんだ白樺がたちまち燃えあがり、湿気た枝をあぶってぱちぱちと音をたてた。しっかりと枝に炎が移るのを確認する。
背嚢から小さな鉄鍋をふたつ取り出す。昨日のうちに皮袋に汲んでおいた川の水をそれぞれに注ぐ。細い鉄の棒を簡単に組んで火の上にわたし、鍋をかける。
湯が沸くのを待つ間に、野宿でこわばった体をほぐしていく。首、肩、関節、腕、腰、大腿。脛と足。それぞれをゆっくりもみほぐし、筋を伸ばしながら、異常がないか、いつも通りに動かない箇所がないか、ひとつひとつ確認していく。朝のうちに己の体を把握しておくこと。アルベリクに叩き込まれ、神殿騎士団にいるときも、竜騎士としてひとりニーズヘッグを追う中でも消えなかった習慣である。
足の指の可動域をたしかめたところで、小さいほうの鍋が沸いた。背嚢の底から、密閉した缶を取り出す。中には粗くよじった茶葉と岩塩が入っている。ふたかけら塩を削り取る。ひとさじ分ほどの葉を鍋に放り込み、またしっかりと密閉しなおして、しまいこむ。沸いた湯の中で茶葉が踊り、紅い色が染みだす。琥珀をもっと濃くした色になるまで待ち、火から降ろす。背嚢の横にぶらさげている鋳物のカップにゆっくりと上澄みを注ぐ。一口すする。舌が少し痺れるほどの渋さと熱さが、寝起きのくすんだ視界をさっと洗った。ゆっくりと口に含み、嚥下する。ぼうっとしていた体の芯が目覚めていく。
そうこうするうちに、もう一つの、やや大きな鍋も沸きはじめた。背嚢から保存食の包みを取り出す。干し肉を何枚かと、干し飯。先ほど取り分けておいた岩塩を湯に放る。一瞬おさまった沸騰が、またしっかりと起き上がるのを待ってから、干し飯をほぐして、千切った干し肉とともに加える。少し枝を動かして火力を下げて、湯が米と肉をゆるめるのを待つ。あたたかい飯の匂いが立ちはじめる。エスティニアンは少し考えてから、荷物から香草の葉を取り出し、一枚加えた。ラザハンへ長く逗留したせいか、こうして野を歩きながら食べるものについても、香りを欲するようになった。かつては口に入れば、歩き続けるための糧になれば、なんでもよいと思っていたのに。そのような自身の変化を、今のエスティニアンは少しおもしろがっている。
米が煮汁を吸ってまるくふくらみ、干し肉がほぐれた頃合いを見計らってこちらも火のそばに降ろし、熱された底面をかるく土で冷やしてから、布で取っ手をつかみ、匙で口に運ぶ。月桂の葉の香りが、干し肉のくさみを飛ばす。溶けた塩と肉汁を吸った米は、少し芯が残る。強く噛み潰して滋養を逃さぬように摂る。
時折茶をすすりながら粥を食い、エスティニアンは今日歩くべき道を頭の中でたどる。昼までに峠を越えたい。そうすれば夕方、門が閉まる前に宿場へ入れるだろう。今夜は宿をとって、明日は糧食や薬を買い足す。
また、小雨が降りだした。この茶をすすり終えたら、火の始末をして歩き出そう。そう考えながら、エスティニアンは雨にけぶる道の先を見ている。
海都の朝
窓ガラスを叩く雨の音で冒険者は目を覚ました。海から立ちのぼる雲によって、年中雨の絶えない海都の空だが、秋になると風を伴った強い雨が続くことがある。降りだして三日目、そろそろ晴れ間が見えておかしくないころだ。
窓のとなりにおいた寝台で、冒険者はうううんと足を延ばす。トラルの旅がひと段落し、居を構えた海都に戻って数週間がたっていた。即位の儀の旅路とその後の顛末まで含めた「護衛」費として、一年は食うに困らない報奨金が出ていたし、新大陸で仕入れた珍しい食材や香辛料は、海都の市場で飛ぶように売れた。家を空けている間に風雪で傷んだ屋根やチョコボ舎を修繕しても懐はあたたかいままだった。なので、天気が荒れていることを理由に家にとじこもっても、少しも不安なく暮らせる。故郷を捨てて海都に来たころからは考えられない贅沢をかみしめ、冒険者は足の指先でさらさらとした上掛けの感覚を楽しむ。
もう一度眠ってもよかったが、くうと腹が鳴った。何か美味しいものを口に入れたい気持ちが眠気に勝った。
冒険者は身を起こすと、髪を簡単にくくり、もうひと伸びしてから、まず家の裏口に向かった。チョコボ舎の相棒は、もうとっくに目を覚ましていたようで、きゅっきゅっとくちばしの奥で甘え鳴きする。そもそも種としてチョコボは長雨を好かないが、一日中走ることに慣れた脚が、久しぶりの休息にむずむずしてならないようだった。飼い葉おけにたっぷり青草を重ね、土つきの根菜をもりもりと積んでやる。家にいるときにしか食べさせてやれないとっておきの朝ごはんに、羽のある相棒は大喜びでかぶりつく。喜びでばたばた動く羽を撫でてブラシをかけてやりながら、羽の根本を手で探り、湿気でかぶれたり赤くなったりしているところがないか調べる。明日はきっと外を走れるからと声をかけると、承知していますよ、という風情でチョコボは目をぱちぱちさせた。
さて、自分の飯だ。家の中に戻り、食料品を詰めた棚をあける。少し前に奮発して買った、アイスシャードの仕込まれた貯蔵棚は、卵や野菜、乳のたぐいもある程度貯めておける優れものだ。雨が降る前、道すがら引き受けた簡単な依頼の報酬でもらった、塊のバターもある。
少し考えて、スキレットを火にかけた。バターをかるく回したあと、半分ほど残っていたライ麦パンを薄く切って両面を焼いていく。日持ちするように固く焼きしめられた褐色のパンが、溶けたバターを吸ってじゅわじゅわと音を立てる。焼き目がついたところで皿にとり、小さく切ったベーコンを端に並べて卵を落とす。新鮮なままのたまごはぷっくりと黄身が張っていて、見ているだけでうれしい気持ちになった。たまごはやや固めに焼くのが好みだ。黄身がまだほんの少しやわらかいところで取り出し、パンにのせる。サラダ菜を千切って何枚か重ね、もう一枚のパンで挟む。
海が見える窓際にすえつけた書き物机に腰かけて、冒険者は贅沢なサンドイッチをむしゃむしゃ食べた。バターの香りとベーコンの香ばしい脂がパンにしみて、たまごのふくよかな味が広がる。庭チョコボの卵がこんなにうまいのだということも、旅を始めて知ったことだった。火にかけていたやかんが背後でしゅんしゅん鳴く。適当に入れた茶に、たっぷりの乳を加え、塩もひとつまみ足す。アジムステップで教わった飲み方で、疲れているときや体をほっとさせたいときはいつもそうするようになった。
窓の外の雨はまだまだ止む気配がない。が、明日にもなれば晴れ間がやってくるだろう。つかの間の、静かな海都に耳をすませて、冒険者はもう一口乳茶をすすった。
雪降るところの朝
珍しく雪がやんだ朝でも、ガレマルドの──ティルティウム駅の朝はひどく冷える。
昨夜も分厚い綿入りの外套を着こんだまま寝袋をつかった。もぞもぞと這い出て、体のわずかなぬくもりを逃がさないよう(またほかの理由もあって)アリゼーは服を着替えず、多くの者にならって毛織の風よけを巻く。襟と首を覆い、耳をくるむようにして頭まで巻き上げると殆ど人相はわからない。寝床に借りていた片隅から、まずは駅構内をぐるりと歩く。皆、入り口から吹き込んでくる風をなるべく避けるように、壁や柱のくぼみに入り込むようにして眠っている。まだ目を閉じている人々の眠りを妨げないように、足音を立てずに歩く。何か、もめ事や乱暴の気配がないか。寒い場所にはじき出されている人がいないか。ついでに、転がっている大きな石をいくつか拾って脇によける。
見回りを終えると、朝の炊き出しの準備を手伝う。供給の目途が立ち始めたとしても、青燐水は貴重な資源だ。ただ幸いにして薪は、ある程度余裕をもって使うことができた。分厚い雪の下に芯の乾いた木材が見つかったことと、ラピス・マナリスの周囲の針葉樹林を伐採しはじめたことが大きい。常緑の木々は樹皮に油分をたくわえていたし、松の葉はほくちとして有用だった。火打ち石を借り、薪を組んだ焚火に着火して回る。
珍しい雪のとぎれに、久々に地上での炊き出しだ。制御を離れた機械たちや獣に注意する必要はあるが、薄い雲からうっすらと差す光に、みんな嬉しそうに頬を染め、わずかな陽光をたどるように空を見上げる。
瓦礫から掘り出したり、放棄された機械から取り出した鉄板を打ち出して作った、炊き出し用の大鍋は、今この土地で暮らす人々の命を支える大切な器だ。昨日は、正式に物資のやり取りをはじめたラザハンを経由して、森都産の豆の大袋と保存の効く野菜を数種類入手できた。今朝は久しぶりに、たっぷりの具を入れることができるだろう。
アリゼーは大鍋のうち一つの調理を任せてもらえた。どこまで行っても、この土地にとっては異物である自分に、こうして皆の食事を任せてもらえること自体が、ここで踏ん張りつづけるに足る、人々からの得難い信頼の証だった。なべ底に牛脂を薄く引いて焦げつきを防いでから、玉ねぎを炒める。軽く全体に脂が回ったら、一口大に切ったポポトと、干し肉、ルビートマトの缶詰、数種類の豆をたっぷり加える。雪を煮沸して作った水を満たして、しばらく蓋をして煮込む。野菜を炒める香りと、焚火のぬくもりに、構内で眠っていた人々はゆっくりと起き出して地上に出てきた。めいめい近くの焚火と鍋のそばにより、手をかざして暖をとっている。
ふたをとると、豆と野菜から少しアクが出ていたが、そのまま火にかけてスープに溶かしてゆく。この土地で共に踏ん張り、復興を一歩一歩目指す人々の暮らしは、一滴の栄養も無駄にできないものだった。仕上げに、ラザハンからの物資にあった、体のぽかぽかする香辛料をいくつか、辛くなりすぎないように気を付けながら加える。こっくりとした色合いの、香りのよい豆煮込みができあがった。当初は食べなれない味に不評も出たようだが、都市の機能を失い、凍った鉄のかたまりとなった元帝都で暮らすうえで、体の熱をいつまでも逃がさない、辛みのある食べ物は重宝されはじめている。
さあ、できあがったよ!炊き出しを仕切る人の声掛けで、深皿を持った皆が並ぶ。配膳を別の人にお願いして、アリゼーは風よけ布をしっかりと巻いたまま、列に加わった。立ちのぼる湯気と、豆とトマトの香りに、今日も生きて朝を迎えた人々の口はやわらかくなる。めいめいの皿にたっぷりと湯気の立つ煮込みをよそってもらい、人々は焚火のまわりで談笑しながら食べ始める。アリゼーも、布の口元だけを降ろし、匙で少しずつ口に運ぶ。豆の滋味がトマトにとけたスープは素朴な味だが、この寒気の中では、口の中をやけどしそうなほどに熱いというだけでも何よりのごちそうだった。周囲では、さまざまな話題が飛び交う。ようやく差した薄日をよろこぶ声。ラザハンとの通商で届いた物資の話。しかし劇的に改善はしていない暮らし向きへの不安、特に、まともな寝床で眠っていない病人や子どもたち、老人たちの体調について。せめて彼らだけでも、ちゃんとした断熱のある建物の中で安心して寝起きさせたいのだが。
おそらく異国人のアリゼーが堂々と顔を晒している中では、口にされない話もあるだろう。とはいえ、炊き出しを共に行う人々には当然とっくにばれている。なので、アウトサイダーとして、その上で彼らとともに抗うアリゼーの、これはささやかな気づかい――もとい、自己満足にすぎない。人々の輪を静かに回りながら豆煮込みを食べ終え、食器を返すと、アリゼーは自分の小さな寝床に戻り、顔から外した風よけを首にしっかりとまき、髪留めの赤い細布を高い位置に結ぶ。今日も一日が始まる。赤い色は、困っている人がどこからでも見つけやすいように。やるべきこと、やりたいことが、今日も山のようにあった。