ファインダー越しの世界 ファインダー越しに世界を切り取れば、少しだけ息がしやすくなった。
幾度か瞬いたフラッシュの先。すらりと影を伸ばした男に向けて、手を挙げる。
はい。だいじょうぶ。ありがとう。撮り終えた写真を数枚。モニターで確認して言えば、途端に場の空気が和らいだ。
静まり返った空間が一変。お疲れ様です。次の予定ってどうだったっけ。今日はあと屋外で終わり。んじゃあとりあえず撤収。指定が夕暮れだから夕方まで自由時間で。仕切り手が柏手を打つのに合わせて空気が切り替わる。
雑踏にまみれた空間の中心。ひと際華やいだその場所から抜け出し重い扉を開いて外界へと身体を滑り込ませた。
とたん蘇る静寂に息を吐く。真新しい空気でまたすぐに肺を満たし、腕を突き出すとぽきぽきと小気味よく骨の鳴る音に、腹の虫が騒ぐ声が重なった。
脱力しながら腕を戻す。次いで腕時計を見れば、なるほど。腹が減っても仕方のない時間である。
首で振り返った扉はまだしかと重々しく閉ざされたまま。慌ただしい撤収作業の最中、自分のように抜け出す輩は他に居ないようだ。
まぁ、良いだろう。どうせ、撤収作業に自分が居ては邪魔なになるだけだ。
己の荷物はきちんと片してきたし。次の撮影予定まではまだ少し時間がある。
ひと呼吸の逡巡後、前へ向きなおり扉から離れる。行く当ては特に決めずに廊下を行けば擦れ違う幾人かに声を掛けられたけども、めぼしい誘いは特になかった。
仕方ない。今日の所はひとりで煙でも吹かしにいくか。
行き先を決め、歩調を少しばかりはやめる。屋上へ続く階段に足をかけようとしたところで、ふと降りてきた足音がはたと立ち止まった。
「律命さん?」
「パルくん?」
落ちてきた声には覚えがある。
名を呼び返して顔を上げれば、想定していた通りの顔が見えた。
さらりとした紫の髪は女性も羨むツヤを持ち、踊り場のはめごろし窓から射し込む陽の光を含んでいっそう艶やかに揺れている。小首をかしげるしぐさは歳のわりにあどけなく。はたと瞬く双眸を縁どる睫毛は、これまた黄色い声の現状でも聞こえてきそうな青年。
名だたる名門の後取りながらモデルとしても一級の美貌をもつ青年とは、この業界に身を投じた頃からの顔見知りで、はじめての被写体だ。
当時から注目株であった彼のおかげで、今の職に在りつけているといっても過言ではないだろう。それは、どうやら彼の方も同じようで。いくらこちらがそんなことはない。君の実力ならもっと腕の良いカメラマンが放っておかないさ。そう言って聞かせても、あなたとの出逢いがあったからこそ、僕はいまこうしてモデルを続けていられるんですよ、と殺し文句をその美しい顔に笑みを浮かべて言うものだから、たまったものじゃない。
「いまからお昼ですか?」
「ちょっと撮影が押しちゃって」
まぁ、次に食い込まなかっただけ御の字かな。なんて、続けながら肩を竦めて降りてきた青年と肩を並べる。
「一緒していいですか。暇してたんです」
丁度良かった。そう言って笑う横顔はやっぱり絵になる。
随分と懐かれたものだ。もちろんだと頷けば、行き場所は決めているのかと問われて首を振る。むしろ、行く当てもないからたばこでも吹かしていようとしたのだ。そう素直に告げるのはなんだか極まりが悪くて、踵を返して階段を下りゆく。
「なら店選びは任せてください。こっちのスタジオも時々来るんですけど、この近くに弟が懇意にしてる定食屋があっておいしいんです」
「僕の財布が耐えられるなら」
なにせ、相手は名だたる家のご子息だ。
人気モデルの顔も相まって、こちらの手持ちなど、おそらく小遣いのひとかけら程度の金銭感覚に違いない。
お道化た言葉に、大丈夫。財布に優しい金額ですよ、と特に気分を害した風もなく。どこか得意げに目を細めて見せた。
年相応の表情に思わず頭に手が伸び、わしゃわしゃとかき混ぜるように撫でてやる。抗議の声をあげもせず。それどころか弾む声はどこまでも楽しげで。なら、ごちそうするよ、なんて格好付くようなつかないようなこちらのセリフにも、人懐っこい笑みで頷くのだから、そりゃもう気分を悪くするはずなどなかった。
あぁ、まったく。どこぞの後輩もこのくらい愛嬌があれば、もうすこし可愛がってやろうものなのに。どうにも生意気さが先んだつ少年の顔が脳裏を過るのに鼻で笑う。
まぁ、可愛げがないところもまた可愛いところではあるのだけれど。なんて、当人が聞けば吐き気を催しそうな台詞は心の内だけに留めておく。
妙な感覚だ。
軍に顏を出す時にはどうにも居づらさが先に立ち、後輩のことなどたいして構いたいとは思わないのに。一歩離れてみれば、未練がましくもふとした時に、あちらのことを思い出す。
なんて単純で、わかりやすいことか。
──他人のことをとやかく言えたもんじゃないな。
軽やかに靴音を踏み鳴らし、鼻先で笑う。どうしたんですか、と振り向く青年になんでもないよと首を振り応え、ズボンのポケットに入れていたシガーケースを肩に掛けたバックの中へと仕舞い込んだ。