日々 営み 祈り
1.
「あんたの好きな料理を教えてくれ」と訊くと目の前の男は怪訝な顔をした。サム・チザム、我らがリーダー。寡黙で銃の腕が立ち、知恵が回り、寄せ集めのがらくたのような連中の中で一番まともなように見える。でも実はそうじゃないんじゃないかと俺は踏んでいる。
各々の手にはぱさついたパンと、ほとんど形のない豆煮。あと一週間しか生きられないかもしれない状況で食糧を節約するのか、いっそのこと毎食豪勢にいくのか。町民の間でどういう合意が為されたのかは知る由もない。俺達は供されたものを胃に入れるだけだ。
「皮肉か?」
「おっと」
そんなんじゃないぜ、と身体を揺らす。本当にそんなつもりはない。この干からびたパンと水っぽい豆煮だって、俺にとってはかなりまともな部類の食物だった。
「ただ単に好きな質問なんだ。これまでで一番美味かったものでもいいよ」
食事は生きるのに必須あり娯楽でもあり、日々の糧にありつく為に誰もが右往左往していて、何も食ったことがない奴というのはまずいない。この質問をすると好物を答える者も故郷の味を答える者も、人生で一番豪勢だった食事を挙げる者もいる。別に相手を試したい訳ではないが、俺にとっては興味の尽きない話題だった。
「美味いかどうかよりも状況じゃないのか。死体の傍で食ってちゃ味もせんだろ」
思いがけず出会い頭の状況を皮肉られてけらけら笑う。俺たち皆――ミセス・エマも含めて、下手したら仲良くあの死体と並んでたかもしれないな。
「あれだって悪くはなかったぜ。身の安全の味がした」
チザムは呆れたように眉を上げたが、やや渋い顔をして緩やかに頷いた。黒人とメキシカン。食事中に見知らぬ人間から悪態を投げかけられることも、食事を邪魔されることも、そこから命懸けの面倒事に発展することも珍しくない異端者である俺達には、確かに重要な要素のひとつであると認めるかのように。尤もチザムは俺よりも遥かにトラブル回避に長けているのだろうが。
まともに考える気になってくれたらしく、やや遠い目をしながら「そうだな……」と顎をさする。
「鹿の心臓かな」
「本気か?あれ生だったろ?」
「生き延びられた味がしたよ」
ああ、それは、と思う。極度の緊張状態からの解放。この町に辿り着く前にあわや全滅かと思われた窮地からの。
「違いねえな」
2.
「釣れるか?」
湖のほとりにテントを張り、釣り糸を垂らす大男に声を掛ける。ジャック・ホーン。サルーンには泊まらず、鉱山から解放された元兵士達の野営地からもやや距離をとり、一人きりでここに寝起きしている。長年山に篭って生活してきたこの男には町よりもこちらの方が気楽なのだろう。
「微妙なところだな、小魚ばかりだ。昨日は釣れたんだが」
「魚もダメか?獣もここ数日とんと見かけねえ。鹿でも獲れれば豪勢になるんだけどな」
「動物は鋭敏だ。町のただならぬ雰囲気を感じとって逃げたのかもしれん」
「俺達も本能のまま逃げられりゃ気楽なのにな」
ホーンが振り返り、焼いた魚を差し出しながら俺をじっと見詰める。
「興味深いな。逃げたらいい。本能のままに生きて来たろう」
ホーンの座る倒木の隣に腰掛け、差し出されたものに頭から齧り付く。確かにこれまで危機を察知する本能や、他人と深く関わらずともやっていける性分によって俺は生き延びてきたと言える。しかし風向きは変わった。
「そうも行かなくなってきた。わかるだろ」
「人間の精神の芽生えだな」
「面倒なもんだな」
それも神の御心だ、とホーンは言い、俺の首に下がるメダイに目をやった。「神の思し召しなら仕方ねえか」と答えて残りの尻尾を口に放る。本当に小さい魚だ。
「神が与えたもうた糧はサルーンにもあるぜ。ほとんど水みたいな豆煮だけどな。食いに行こう」
ホーンは釣り竿を見遣り、これ以上の釣果は臨めないと踏んだのか肩をすくめて立ち上がった。
野営地を抜けて町へ入る道すがら、チザムにしたのと同じ質問を投げかけてみる。ホーンは特に訝しがるでもなく、すぐに迷いのない答えが返ってきた。
「ミートパイだ。挽肉と玉葱のソースの下にマッシュポテトが敷いてあって……昔妻がよく作ってくれた。俺がまだ人間だった頃に」
「そうかい。美味そうだな」
「美味かったとも。あれこそ人間の糧だ」
3.
「目の前の野郎を引っ掛けながら呑む酒より美味いものなんかないね。勝利の美酒ってやつだな」
大酒飲みのギャンブラーは我が意を得たりとばかりに大仰に答えた。ジョシュ・ファラデー。小指を立てて酒瓶を煽り、にんまりと猫のような食えない笑みを浮かべている。
「へえ。それってイカサマ勝ちでも美味いもんなのか?」
「勝ちは勝ちだろ。この町が勝利に酔いしれる時お前にも分かるさ」
「そりゃ是非とも体験したいね」
あと数日で生きるか死ぬか、どちらかというと限りなく死に近付いている今、それこそイカサマ、騙し討ち、奇手妙手ほど歓迎されるものはない。この男の本領発揮の状況だと言えるだろう。
「そっちは?最後の晩餐には何が食いたい?」
「質問が変わってる」
「人の好きな料理なんか興味ねえ。もう最後に食うもんも決めちまったってくらいシケた面だぜ」
「そんな事ねえだろ」
「そんな顔だ」
そう言いながらパンを割き、分厚いベーコンとピクルスを挟んでかぶり付いた。どこからかくすねてきたのか口八丁で貰い受けたか。小器用な男だ。
「まったくどいつもこいつも辛気臭いな。ロビショーが言ってたろ?『町を死の箱に』。奴等を引っ掛けるおもちゃ箱を作るんだ、もっと楽しく行こうぜ」
ついさっき二人で無人小屋を丸ごと巨大な爆弾にする仕掛けを作ってきたばかりだった。こいつだって奴等を出迎える準備に心から浮かれているわけではないだろうが、とうに吹っ切れたのか一か八かの状況には慣れっこなのか、こうして会話していると全く動じていないように見える。本当は手が震えているのだとしても、それを隠しおおせるのもまたギャンブラーの本領なのだろう。
「最期に口にするものくらい決めといた方が却って覚悟が決まったりするのか?故郷の味とか?教えろよ」
無遠慮に煽り倒されてつい笑う。出会い頭からこの男はこうだった。無礼で飲んだくれで、そのくせ隙がない。戯れる相手は選んでいるようだが、俺の温厚さに甘えるなよな。「Cabrán」と呟いて笑いの収まらない肩を揺らす。
この状況に弱気になっていたつもりはないが、確かに深刻ぶっていてもふざけていても今ここにある危機は変わらない。泣いても笑っても、生きるか死ぬかも。準備に万全を期し、来たる時には死力を尽くし、あとは呑んで食って楽しまなくては。いつどうやって死ぬかなど誰にも分からないのだから。
「そうだな、とびきり旨い煙草は欠かせねえな」
「いいね。死ぬ時はそれで決まりだな」
4.
「良い質問だな。信頼度合いを測ってるのか?」
大勢で賑わうサルーンでフランス系カナダ人の男が言う。グッドナイト・ロビショー。今夜は機嫌が良いようで、一言目を皮切りに流れるように話し出した。
「文字通り好物を答えるのか、故郷や思い出の味を語るのか。己の情報は弱点にもなり得る。どのくらいお前に気を許してるのかが見える」
「そんなんじゃないよ。ただの世間話ってやつだ」
「そうか?なかなか的を射た問いだと思ったけどな。ビリーにも聞いたのか?へい、おまえ何て答えた」
すぐ隣にいる寡黙な東洋人をつつく。ビリー・ロックス。無法者共の中でも特に腕が立ち、器用にどんな事でもこなし、意外にもいち早くこの町に溶け込んでいた。高潔さを示すチザムや全てをかわす俺とはまた違った処世術があるのだろう。
「干し肉のスープ」
「C'est bien! 俺との初めての食事だな。そうだろ?嬉しいね」
「そこまで話してない」
「怒るなよ。あの味は俺だって忘れがたいさ」
「たった今まで忘れてたろ」
仏頂面を決め込んでいたビリーがグッドナイトの言葉にふっと笑い、「俺があのスープを好きなのはあんたが寝込んでる時もあれだけは食えるからだ」とやり返す。ここ数日は俺やファラデーが夕飯の席で披露する馬鹿話にも笑顔を見せるようになっていて、案外陽気な性格なのかもしれないと思う。彼もまた異邦人であり、警戒を解くのに時間を掛けるのは無理からぬ事だろう。
サルーンは町民達の活気と喧騒に包まれていた。この町に来た当初は俺達に給仕する者しか寄り付かず、しかし日毎に人は増えて賑わいを増し、今では店内にも往来にも大勢の町民が出てきていた。いつでも騒がしい俺達に触発されたか、戦う覚悟を決めたことで楽しむ気持ちが蘇って来たのか。怯えて身を守ることしかできなかった者達が抵抗する手段を得た、その雄叫びのようだと思う。
酔いの回った頭で人々を眺めていると、声を落としたグッドナイトが喧騒の中でそっと耳打ちしてきた。
「なあ、その質問サムにもしたのか?何て言ってた」
チザムが答えた通りの事を教えてやると、その瞳がさっと翳るのが酒場の光でも見てとれた。
チザムの答えは俺との会話を経た上での良い返しだと思ったが、ある種煙に巻かれたのも事実だった。ロビショーはその辺りの事情に心当たりがあるのかもしれないが、俺としてはそこまで深く訊くつもりはない。黒人の身で委任執行官を務めるような男に事情がない訳がないからだ。ただの流れ者である自分にだってそれなりに事情はある。こんな会話はただのじゃれあいで、何かを詰問するものでも示唆するものでもないのだ。
「深く考えるなよ。さっきあんたが言ったばかりだろ、故郷の味なんかを教えて貰うには親密度が足りねえのさ」
ロビショーは溜息を吐き、「それもそうだな」と応えてショットグラスを空にした。
「この寄せ集めの縁に敬意を払って俺は故郷の味を答えよう。子供の頃初夏になると食べたリュバーブのタルトが好きだったよ。カスタードとアーモンドクリームが入ってるやつだ。今や遠く思い出の彼方だな」
5.
「バイソンのシチュー」
言葉を交わせると知って嬉々として絡む俺達にコマンチ族の青年は淡々と、しかし根気強く一つひとつ質問に答えていた。レッド・ハーベスト、若く聡いコマンチの狩人。白人の言葉は物々交換の取引や領地争いなんかで必要に迫られて学んだのかもしれないが、自ら俺達に近付いて来たということは好奇心旺盛なのだろう。詳しくは聞いていないが、その辺りが部族の者達とは道が違うと言われた所以なのかもしれない。
「木をこういう形に立てて……」とレッドが指を組み、テントの土台のような四角錐の形を作ってみせる。
「頂部を結って固定して、そこにバイソンの胃を吊り下げて鍋代わりにする。中に具材と焼石を入れて煮込む。最後に胃も切り分けて食べる」
「コマンチの伝統食だな。お前は部族を離れたからもう食えないか?」とホーンが尋ねた。
「それもあるが、数年前仲間が大勢白人と戦って別の土地に移された。馬も沢山殺された。昔のような大規模な狩りはできなくなって、だから子供の頃にしか食べたことがない」
レッドリバーで起きた戦いのことだろうとホーンが囁く。何千頭もの馬が殺されたと噂には聞いていた。強靭すぎる彼らを切り崩すにはまず足からというわけか。
「バイソンの数も減った。大昔は平原一帯を埋め尽くすほど巨大な群れがいたらしいが、今はもうほとんどいない。鉄道ができてから更に減った」
「生活の足も獲物も減って今の食糧はどうしてんだ?」
「他の動物を狩ったり作物を育ててる。トウモロコシや豆なんかを」
それに俺達の数も減った、とレッドが言うのを聞いて口の中に苦いものが広る。噛み煙草とは別の嫌な味だ。
大陸横断鉄道。以前ビリーもその工事に従事していたとグッドナイトが零し、隣に立つビリーが「あれは最悪だった」と眉を顰めていた。鉄道によってこの大陸の東西の果てはたった七日で結ばれるようになった。その恩恵は当然大きいのだろうが、ビリーのような異人の労働者を使い捨て、レッドのように元々いた者共の土地を踏み躙り、と考えるとどこかすっきりしないものがある。俺自身は生まれ育った地などとうに捨ててしまっていたが、いざこうして土地を守る戦いというものに身を投じてみると、なるほど替えの効かないものなのだなと思い知らされる。土地には生活と文化が根付き、生活と文化は人間を形作る。
「集落で作るトウモロコシのパンや煮込みも好きだ。でもあのシチューは特別だった」
「そうまで生活を変えさせられてもお前は白人のために戦うのか?なぜ我々と来た」
レッドは少しの間押し黙り、ホーンの問いへの答えを考えるというよりは俺達に伝わる言葉を探しているようだった。
「部族から離れて、どういう道が俺の生き方なのか考えていたところにお前たちが現れた。物事には流れがある。大いなる意思には逆らわない」
レッドの言葉を噛み締めているうちに一瞬会話が途切れる。明日は早く、明らかにお開きにすべきタイミングだったが席を立つ者はいなかった。こうして話ができるのは今が最後かもしれないとこの場にいる全員が分かっており、この夜の終わりを惜しむかのように。
俺達は各々の意思、各々の理由でここに寄せ集められたと思っていたが、俺も何か大きな流れに導かれたのだろうか。
6.
エマやテディや町の人間にも同じことを訊いてみたかったが、日常を失っている彼等にする質問としてはあまり良いものではないと思い直してやめた。共に食卓を囲んだ相手の不在を思ったり、もう戻れない日々を思い出したり。流れ者をしているうちに希薄になった機微がそこにはきっとあるだろう。
二人と別れ、まだ起きていたファラデーと鉢合わせたので飲み直す。したたかに酔って自室に戻るさなか、自分達の手で直した教会が目に入った。声に出さずに短く祈る。教会の前に集っていた町民達はとうに家へ帰り、周囲は静まり返っていた。
これまでの人生で最も死に近いところにいるのだが、流れ者ならではの図太さで数時間深く眠り、起きたら陽が昇りかけているところだった。部屋が徐々に白んでくる。ベッドの上に積み重なっていたベルトや銃は各々の輪郭を取り戻し、役目を果たす時が来たのだと主張する。
ローズクリークの夜が明ける。
チザムとの会話を思い出す。生き延びられた味、身の安全の味。今日を終えたとき無事に食事ができているとはあまり考えられなかったが、それでもしぶとく退かない望みが自分の中にあるのを感じる。これまで他人と深く関わらずともやっていける性分によって生き延びてきた俺が、逃げずにここに留まる理由になるだけの望みだ。
主よ。俺があなたに祈るのは願いを叶えてもらうためではなかったが、しかし今だけは縋りたい。
どうかこの町に加護を、祝福を。
どうか人々に変わらぬ食事を。