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    Here to there


     冷たく張り詰めた空気が毛布を剥いた肌を刺す。じきに夜明けだ。
     呼吸するたび、しんと澄み切ったものが肺の奥に入り込むような心地がする。清涼なものは時にこちらを突き刺すほどの鋭さを持っている。
     昼間のサルーンでの賭け試合で、よくある事だったが東洋人のくせにと言い掛かりをつけられ、ひとしきり揉めた末にビリーが相手を殺した。一触即発のひりついた空気をグッドナイトがいつもの口上で収め、かえって盛り上がった観客達はビリーを称え、次々に酒を注ぐのだった。酒より飯をくれとビリーが言えば、大笑いして気前良く肉を寄越した。
     あいつらは暇を持て余してるのさ、刺激を求めてる。ビリーにそう耳打ちしたグッドナイトはその場では余裕を見せていたが、街を出てからはずっと落ち着かず、野営の準備を整えても一睡も出来ずにいた。お前が先に休めと言い、ビリーが数時間眠って目覚めてからも横になろうとはしなかった。
     躊躇いながらビリーは懐に手を伸ばす。これまで外で吸わせることはしなかったが、夜の闇の先、何も無いどこかを一心に見つめて震える彼を放ってはおけなかった。まるでこの世ならざる場所を見ているかのようだ。
     マッチを擦り、先に一口深く吸って渡す。周囲に甘苦い香りが漂う。重く甘い煙。グッドナイトは受け取るときに口元だけで微かに笑い、その表情を見るたびビリーは、どちらの方が楽なんだろうか、と思う。考えたところで分からない。自分にはあの闇の向こうに、何の影も見えはしないのだから。
     刹那的な安らぎ。一瞬の穏やかさ。それでもグッドナイトの目元がとろりとして、強張っていた身体の力が抜けるのが分かった。
     「眠れそうか」
     「いや、いいよ。このまま起きてる」
     「少しでも休んだ方がいい。持たないぞ」
     グッドナイトがふうっと煙を吐き出す。先程からグッドナイトの一挙手一投足に注視しているビリーの方を見遣り、「そんなに見つめられると照れるな」と可笑しそうに言った。
     「起きたらすぐに俺の心配か?大丈夫だよ」
     「平気そうに見えるなら心配してない」
     「面倒見が良いな。俺のママは一人で十分だよ。美人だったしな」
     「あんたが自分のことに無頓着だからだ」
     「大丈夫だ。苦しんでたって、もうじき死ぬさ。この世にいる間だけの事だ」
     急に思いがけない事を言うのでぎょっとする。素面の時には絶対口にしないような事を、しかしこれが彼の根底にある諦めなのだろうか。あるいは願望か。
     普段はそう思い切れないからこそ、毎晩何かを見つめて震えているというのに。
     「心配性なのはグッディの方だ」
     ぽつりとそう呟くと、グッドナイトは言葉を受け止めるように静かに目を閉じた。このまま眠ってくれたら良いが、身体が弛緩する代わりに思考は冴えている筈でそうもいかないだろう。
     焚火を挟んで向かいに座っていたが、立ち上がって傍に行く。隣に座る気配でグッドナイトが閉じていた目を薄く開き、彼の方から身体を傾けて来た。

     賭け試合で返り血を浴びた後、いつもビリーは祈った。
     神を信じているわけではなかったし、祈る行為自体に意味があるとは思えなかったがそれでも、この血がグッドナイトをさらに追い詰めるものにならないよう祈った。彼の罪を思い起こさせない事を祈った。神よ、この男をこれ以上苦しめる事は許さない。もう良いだろう、と色々考えている内に段々恫喝に近くなって行き、それで漸くやめにした。
     いつからそうしていたか思い出せないが、ある日賭け試合で血に塗れたばかりのナイフを黙って磨き、順にきちんと並べているのを見たグッドナイトが、「まるで祈ってるみたいだな」と冗談半分に言った。これをそう呼ぶのか、と答えたら、互いの宗教が違う事を慮ってか「そう見えたってだけだ」と言葉を濁して、少しばつの悪そうな顔をした。彼にはこういう、変に真面目なところがある。
     ビリーはグッドナイトほど自分の神に対して敬虔な訳ではなかったので、それからナイフを磨く度にその言葉を思い出し、そのうちグッドナイトの祈りの真似事をするようになった。これといった理由があった訳ではないが、単に彼について祈るなら彼の信じる神にした方が良かろうと思った。心の内だけの事で、正しいやり方は今でも知らないままだったが。

     焚火にくべた枯木が爆ぜる音がする。他に聞こえるのは自分達ふたりの息遣いと衣擦れだけで、山々は静まり返っていた。あまりにしんと澄み渡り、かえって音を立てにくい。
     グッドナイトが怯える梟の声はいつもビリーには聞こえない。今は怯えているわけではなさそうだったが、快楽にどうにか安らぎを見出そうとする彼を見ていると、やはり祈りに意味なんてないんじゃないかとビリーは思う。祈る事そのものが救いになるのかは、自分で試してみても分からなかった。いまここにあるものを拠り所にすれば良いのにと思うが、縋るものというのはそう簡単に変えられるものでもないのだろう。
     グッドナイトの冷えた肌を撫でる。意味がないと知りながらも、きっと自分だってこれからもままごとのように祈り続けるのだろう。彼にも彼の神にも届く事のない祈り。別にそれでも構わなかった。

     ひとかたまりの闇のようだった山々の輪郭が、日が出るごとに少しずつ浮かび上がってくる。辺り一面が夜明けの薄い青で染まり、焚火の火だけがやけに赤々と光って見えた。
     先程よりも空気が冷たく冴え冴えとして新鮮な空気に満ちている。グッドナイトが短い眠りから目を醒ますまでビリーは彼の眠りを守り、彼の神が梟で眠りを妨げない事を祈り、そして、これからふたりが行くであろう遥か遠い地について考えている。





      
    くこ𓄄𓆠𓃲 Link Message Mute
    2025/04/12 2:12:03

    Here to there

    マグニフィセントセブン/ビリー×グッドナイト
    18年発行の個人誌より抜粋。あちこち旅する二人の日々の瞬間です。

    初出 2018,10,20 発行「ふたりきりの庭」

    #マグニフィセントセブン #ビリグディ

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