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    カメリアローズの物語 夜になると、一人でに鳴り出すフルートがあるのだという。
     その調査のため、西の国のとある貴族の屋敷に向かうことになったのは、ラスティカとファウストだった。賢者は申し訳なさそうに、近頃依頼が立て込んでいて、手が空いている魔法使いがこの二人だけだったと言った。けれど、音楽に精通しており、西の国の貴族の生まれであるラスティカと、自身の家業である呪いだけでなく様々な分野の魔法に詳しいファウストならば、きっと異変を解決してくれるはずだとも言った。ラスティカとしては賢者にそう言われれば悪い気はせず、そのフルートが鳴らす音色にも興味を惹かれ、お気に入りの東の魔法使いであるファウストと一緒の任務だと聞いて喜んだ。ファウストはといえば、この先の苦労を思ってため息を吐いたし西の国の貴族には嫌な思いをさせられた事があったので渋い顔をしたが、他ならぬ賢者の頼みであるので引き受けた。同年代のラスティカと話が合うわけではなかったが、西の魔法使いとはいえ一対一ならば比較的なんとかなるものなのだ。

     西の国の塔から箒で空を飛び、しばらくして着いたのは小さな街にある屋敷だった。明るい色の外壁に赤い屋根をした建物がいくつも並び、街中が花で彩られている。明るい雰囲気の、活気のある街だった。
    「この街は薔薇が名産なんだ」
    「訪れたことがあるのか?」
    「さぁ……あったかもしれないけれど、忘れてしまったな。この街の薔薇はよく香水やお菓子の材料になってるから」
     ラスティカはなんでもない事のようにそう言って、依頼を寄越した貴族の屋敷へと踏み行った。庭はよく手入れをされており、季節の薔薇が咲き誇って甘い匂いを漂わせていた。
     出迎えたのは品のいい身なりの、この屋敷の主人と思しき男だった。にこにこと人当たりのいい笑みを浮かべ、見たところ歓迎してくれているらしい。
    「ようこそ、遠いところをお越しくださいました。ラスティカ様は、私の何代も前の当主がお会いしたことがあるようで……高名な音楽家であられるラスティカ様に二度もこの屋敷にいらしていただけるなど夢のようです。どうぞおくつろぎください。お連れの方も」
    「ありがとうございます。こちらはファウスト、東の国の魔法使いです。とても優秀な方なんですよ」
    「そんな事はいい。問題のフルートはどこにあるんだ」
     ファウストが言うと、主人はにこにこと微笑んだ。人を食ったような、読めない微笑みでファウストは苛立った。西の国の貴族はこれだから。まだ、隣にいる魔法使いのほうがやりやすいというものだ。けれどラスティカもにこにこと人の良さそうな、言い換えれば読めない笑顔を浮かべていた。やりにくさという意味ではあまり変わらないかもしれない。
     主人はよく手入れされた古い屋敷を案内した。その間、当主とラスティカは話が合うのかずっと喋っており、ファウストは一人黙っていた。そして三人は奥まった部屋に辿り着いた。客間だろう、対になるように並べられたソファの間にローテーブルが置かれ、その上にケースがあった。古びた物だが、大切にされていたことがわかる、艶を帯びた木製の物だった。主人はそれを、わざわざ白の布手袋をして開ける。収められていたのは、美しい設えのフルートだった。
    「夜になるとひとりでに鳴り出すのです。なんとも美しく、哀愁を誘う調べなのです」



     主人は二人にそれぞれ部屋を用意し、また豪華な食事でもてなしてくれた。屋敷の中も自由に使い、見て回って良いという。いやに友好的な館の主人にファウストは幾分も警戒したが、ラスティカは主人のもてなしを心から楽しんでいるようだった。アルコールが入れば多少心も緩むけれど、ファウストはくつろぐ気になれず舐める程度しか飲まなかった。
    「ラスティカ、任務の最中なんだから羽目を外すな」
    「わかっているよ。ファウストは飲まないのかい?」
    「少しだけいただいた。もう十分だ」
     ファウストは渋い顔をしたが、ラスティカは悪気なくにこにこと微笑む。主人の厚意を無碍にする方が嫌なのだろうが、それにしてもこの男が酔って粗相をしたところなど見たことがない。せいぜい更に陽気になって歌い出す程度のもので、それは普段とあまり変わらないのだ。
     主人は更に酒を勧めようとしたが、遠慮することにした。なにせ、調査の本番は夜なのだ。ファウストは眠るつもりはなかったが、ラスティカはどうだろうか。酔い覚ましの紅茶を飲みながら、二人はラスティカにあてがわれた部屋で打ち合わせをすることになった。
    「僕は眠らずに見張っていようと思うが、君はどうする」
    「僕も起きているよ。眠ってしまうかもしれないけれど。ファウストは大丈夫なのかい?」
    「少しくらい平気だ。それなら二人で見張る事にしようか。それにしても、お前は以前にもこの屋敷に来たことがあるんじゃないか」
    「うん、そのようだね。忘れてしまったけれど」
     先程の晩餐でラスティカがそう告げたとき、主人はわずかに顔を曇らせた。すぐに取り繕ったが、さすがに残念ではあったのだろう。主人は音楽を好むようで、その話で盛り上がっていた。ファウストとて好まない訳ではないが、あまりに専門的な話になり過ぎるとついてはいけない。だから話は適当に聞き流しながら、この館の気配を探っていた。
     悪い物がありそうな気配ではなかったが、どこか違和感がある。至る所に咲き誇り飾られた薔薇の花の華やかさに隠されているような、そんな心地がした。きっと、何かはあるのだろう。

     二人は客間に移動し、フルートの様子を見張ることにした。ぽつりぽつりと話をしながら長い時間を過ごすと言うのは、この二人という取り合わせではあまり無いことだったし、不思議な感じもした。ラスティカは、ファウストが喋らないのならば、その静けさや沈黙を楽しんでいるようだった。ファウストとしてはありがたくはあったし、だからこそ、その時が訪れたときは驚いた。
     夜半を回った頃、フルートが淡く光りを帯びた。そして、音が鳴り始めた。ラスティカも目を見張っている。巧みな演奏であることがわかる、澄んだ音色と滑らかな旋律。まるで誰かが奏でているように、キーが動いている。どこか懐かしい気持ちにさせる、哀愁を感じるメロディーだった。ファウストが気配を探ると、先程感じた違和感が強まっている気がした。けれどそれ以外に特に異常は無く、しばらくすると光は収まって演奏も止まった。
    「素晴らしい演奏だったね」
     ラスティカは心底感心したように言う。そんな呑気な事を言っている場合かと突っ込みたくもなったが、西の魔法使いにそんなことを言っても仕方がない。ファウストはため息を吐きたいのを堪えた。
    「何かわかったことは?」
    「うーん、音階が西の国の古い民謡でよく使われているものだね。節回しも独特だけれど……」
    「では、出来たのはそれなりに前ということか?」
    「そうかも。懐古趣味ならわからないけれどね」
    「まあそうだが……とにかく、手がかりにはなるだろう。何か気づいた事があったら教えてくれ」
    「うん。わかったよ、ファウスト。君に頼ってもらえるなら頑張ろうかな」
    「ああ。専門家の意見を頼りにしているよ」
     ファウストが微笑むと、ラスティカも笑った。そのまま話していると、ラスティカは段々と眠そうに目をしょぼつかせ、うとうとし始めた。ファウストはそれをなんとなしに見守りながら、フルートの監視を続けた。もう明け方も近いだろうか、空も白み始めている。薔薇の芳香がいやに鼻を突いた。


     その時、ラスティカは夢を見ていた。向かいに置かれているソファに誰かが座っている。そこにいたのはファウストだったはずなのに、素朴なドレスを着た女性に替わっていた。彼女がフルートのケースを開け、それを手に取る。美しい所作で構え、滑らかな指遣いで音色が流れ出した。先ほど聞いた曲と同じものだ。その美しい音色に聞き惚れながら、ラスティカは奏者を見た。
     彼女は首から上が無かった。虚空にフルートをあてがい、どこからか息を吹き込んで演奏しているのだ。彼女はラスティカに気付いたのか、演奏を止めた。
    「見つけた」
     そして、確かにそう言った。


     目を開けると朝だった。ラスティカは、ソファに寝そべっていた身体を起こすと、大きく伸びをした。あのまま寝入ってしまったのだろう。ファウストは昨日と変わらず、向かいにあるソファに腰を下ろしていた。
    「起きたか」
    「うん……ふぁ、ねむい……」
    「寝るな。僕はクロエではないから君を丁寧に起こしてやったりしないぞ」
    「うう……」
     そう言いながらも、ファウストはコップに水差しの水を注ぎ、差し出してくれた。その気遣いに心を和ませながら、ラスティカは水を飲む。少しずつはっきりしてきた頭で、思い出したのは今日見た夢のことだった。
    「ファウスト。君は何か見た?」
    「何も起こらなかった。君がうとうとし始めたのが四時過ぎくらいだったが、それからは何も」
    「そう。ところで今は何時?」
    「十時過ぎだな。そんなところで随分と熟睡していたようだが」
    「寝心地が良くて。僕はね、夢でフルートを演奏していたご婦人に会ったよ」
    「は!?」
    「でも彼女、首がなかったんだ」
    「どういうことだ」
    「そのままの意味だよ。この辺りから上が無くて。そのフルートを吹いて聴かせてくれた。そして、僕に『見つけた』と」
     ラスティカが喉仏の辺りから上を指し示すと、ファウストは怪訝そうな顔をした。
    「顔が無いのにフルートを吹いていたのか?」
    「そうだね。かなり腕の良い奏者であることは間違いないよ。例の曲を作ったのも彼女かもしれない」
    「それは……そうだな。まだ調べる必要がある。とりあえず、朝食を食べてきたらどうだ」
    「君は?」
    「もういただいたよ」
    「そう。でも流石に着替えないと……手伝ってくれる?」
    「僕はクロエじゃないんだが!?」
     ファウストは憮然としたが、それでも更におねだりしたら朝食の前にラスティカの身支度を手伝ってくれた。ファウストは優しい、とラスティカは思う。シャツのボタンをかけ違えていたのや寝癖を直してくれて、結局ファウストはラスティカの朝食の席まで付き合った。然程量を食べるわけではないラスティカは、香りのいいクロワッサンをのんびりと口に運ぶ。そこへ、屋敷の主人が顔を出した。相変わらずにこにこと人の良い笑みを浮かべていて、ラスティカも笑顔を作った。
    「おや、お二人とも。昨夜はご無事でしたか?」
    「ええ。例の音色も聴かせていただきました。異変とはおっしゃいますが、素晴らしい演奏でしたね」
     ラスティカが言えば、主人は苦笑する。
    「ええ、そうなんです。勝手に鳴り出すのでなければ聞き惚れてしまう程なのですけれど」
     音楽好きとあらば、あの奏者の腕はわかるだろう。それだけに、夢に見た首のない女性はどこか暗示的で不気味ではあった。
    「少し訪ねたいのだが、女性のフルート奏者に心当たりはあるか?」
     ファウストが割り込むと、主人は穏やかな視線を彼に向けた。
    「と申しますと?」
    「ラスティカが、そのような女性を夢で見たのだと言っていた。そして彼女には首が無かったと」
    「首が……」
     主人はしばし考え込んでいたようだったが、はっと目を見開いた。
    「フルート奏者には心当たりはありませんが、首が無いとなると、魔法使い狩りでしょうか」
    「やはり、そう思われますか」
     ラスティカは眉をひそめ、ファウストは顔をしかめた。
    「なんだ、それは」
    「昔、西の国では魔法使いが人間に擬態することは罪だったのです。そして罪人とされた魔法使いは、斬首刑となった、と」
     主人は二人を気遣ってか、気まずそうな顔で言う。ラスティカは頷いて、手元に視線を落とした。
    「あれは本当に酷い時代だった……」
    「それはいつくらいの話だ」
    「二百年ほど前でしょうか。ラスティカ様はご存知なのですね」
    「ええ。僕は魔法使いとして生きていましたので免れたのですが。人間としてしか生きていけない魔法使いもいましたから……」
     曖昧ながら、その時感じた恐怖は残っている気がする。弱い魔法使いたちが次々に石にされた時代の話だ。ファウストは険しい顔で黙り込んでしまった。彼もきっと、様々に思うところがあるのだろう。
    「では、彼女は魔女だったということか。人間のふりをしてこの屋敷に出入りしていたということか?」
     ファウストがぽつりという。
    「そういうことになるかな。可哀想に……。西の国の魔法使いは、人間のふりをするのが苦手だから。魔法使いとしてしか生きていけないんです。あのときはギロチンの音がたくさん聞こえて……」
     青ざめた顔でラスティカが答えると、ファウストは立ち上がった。
    「少しフルートを調べてくる。彼女が魔女なら、魔力の痕跡が残っているかもしれない。屋敷も調べる必要があるだろう。何か呪いでもかけているのかもしれないし。君は?」
    「僕はこの紅茶を飲み終わったら」
     ラスティカが返せば、ファウストは小さく息を吐いた。
    「わかった」
     それはラスティカがよく見るファウストの表情で、どこか温かくて好ましい物だった。少しだけ心が落ち着く気がする。ファウストと一緒の任務で良かった、とラスティカは思った。

     朝食を食べ終えたラスティカは、ファウストが待つ客間に向かった。ファウストはフルートをケースから取り出し、調べているようだった。
    「ラスティカ」
     ファウストはラスティカを見た。サングラスの奥の瞳は、冷静な色で何かを見定めようとしていた。
    「これに例の魔女の魔力が残っていないか調べていたんだが」
    「二百年前の魔力が?」
    「可能性は低いが、非業の死を遂げたのなら強い呪詛が残る事もある。そうしたら、奇妙な発見をした」
    「なんだい?」
    「君の魔力の名残がある」
    「……僕の?」
    「ああ。他の魔力は見つけられなかったが、弱い魔法使いだったのなら君の魔力で上書きされてしまった可能性もあるだろう。ただでさえ、息を吹き込むような楽器は魔力が移りやすいし。君はここに来たことがあるんだろう。その時に例の魔女に会っているんじゃないか?」
     ファウストは静かにラスティカを見据える。幾分か低い位置にある紫色の瞳が冷たく輝いた。
    「……さぁ、忘れてしまった」
    「そうか……。それならば、仮定の話として。君がこの屋敷に訪れた時、彼女はまだ生きていた。音楽家の君と、フルート奏者の彼女、話をする可能性は?」
    「それは……きっと声をかけるよ。素晴らしい演奏だと称賛を贈る」
    「そうだろうな」
     そう言ってファウストはフルートをケースに仕舞う。ラスティカはどこか胸騒ぎがして仕方が無かった。何か大事な事を忘れてしまっているのではないだろうか。それも仕方のない事なのだけれど、彼女のような素晴らしい音楽家に出会った事を覚えていないのは酷く口惜しい事のような気もした。
    「調べたところ、ケースに名前のようなものが彫ってあった。これだ」
     覗き込むと、確かにそこには、消えかけているが文字が彫ってあった。
    「ローザ?」
    「彼女の名だろうか」
    「そうなのかな?」
    「思い出せない?」
    「うん……」
     ラスティカはそっと名前をなぞり、フルートを取り出した。丁寧に作られた物であることは見ただけでわかる。そして、大切にされてきた物である事も。随分古い型の物で、確かに『魔法使い狩り』があった二百年前に流行した物のように見える。彼女の持ち物であることは間違いないだろう。
     フルートを構える。その瞬間、何か脳裏に閃く物があった。感覚が何かと繋がったような。ラスティカはファウストを見て微笑んだ。
    「このフルートの記憶を引き出せるかもしれない。僕が演奏するから、君は援護してくれないかな」
    「は? どういうことだ」
    「演奏することで、このフルートの伝えたいことが聞けるかもしれない。元来、音楽は記憶を伝える物でもあるから」
    「吟遊詩人のような、か」
    「そう。ファウスト、君なら出来るだろう?」
    「……やってみよう」
     ファウストが魔道具の大鏡を構える。ラスティカはそっとフルートのリッププレートに唇を当てた。息を吸い込む。
    「《サティルクナート・ムルクリード》」
     ファウストの静かな声が聞こえる。まるで音楽のようだとラスティカは思った。そしてそっと、魔力と共に息を吹き込んだ。
     演奏したのは昨夜聞いた曲だ。一度聞いた曲を再び演奏するのはラスティカにとって難しい事ではなかったが、演奏の通り忠実に再現するのは、アレンジを加えようと動く指を意識して抑えねばならなかった。しばらくすると、客間の景色が揺らいだ。ファウストの魔力とラスティカの演奏が混ざり合う。一瞬まばゆく光ったかと思うと、再び客間に戻っていた。
     傍らにはファウストがいて、彼は警戒するように周りを見渡していた。演奏はやめるわけにはいかず、ファウストに目配せをする。ファウストは小声で、成功だ、と囁いた。
    「家具が今よりも新しい。これはこのフルートの記憶だろう」
     ラスティカは演奏に響かないよう、そっと頷いた。安堵しつつも、注意深く吹き続けた。ファウストが客間を見渡し、ドアを開けようとしたところで、そのドアがひとりでに開いた。
     若い女が駆け込むようにして入ってきた。そのドレスに見覚えがある。きっと、このフルートの持ち主であろう。ローザ、と心の中で呼びかけた。
    『ああ、旦那様、どうして……どうしてそんな恐ろしい事をおっしゃるのですか……私を処刑しろだなんて……』
     ローザはそう言って大粒の涙を流した。ファウストが緊張したのがわかる。ラスティカは強いて平常心を保った。
    『私は……貴方を愛していただけだというのに……旦那様がおっしゃるからどんな仕事もしたというのに……何故……』
     そして、ローザはテーブルに出されていたフルートのケースを撫でた。涙が磨き上げられたケースを塗らし、滑っていく。
    『ラスティカ様はただ、私の演奏を褒めてくださって、共に演奏しただけだというのに、指一本触れなかったというのに……私の仕事を知りながら……! 私に娼婦紛いのことをさせたのは旦那様なのに……』
     心臓が締め付けられる心地がして、わずかに演奏が乱れた。景色がぼやけ始める。演奏を必死に立て直すが、修復は不可能だった。
    『でも、私は旦那様を恨んでない。私に音楽を教えてくださったのは旦那様だから。あの方を愛している、でもこの子が……』
     ローザの姿が、客間の景色が、渦に飲みこまれるようにして遠ざかる。そして気付いたら二人は、元の客間に立ち尽くしていた。ラスティカはフルートを下ろし、リッププレートをハンカチで拭う。そして、ソファに座り込んだ。
    「……ラスティカ」
     ファウストも苦しげに息をしている。かなり集中を必要とする魔法だろう、消耗も激しいはずだ。けれど、ラスティカには今、ファウストを気遣う余裕は無かった。
    「ローザ……」
     涙が溢れ出る。彼女の嘆きが、悲しみが、一気にラスティカの中に流れ込んで来たのだ。フルートをそっと胸に抱き、反対の手でハンカチを目元に押し当てた。そうしていると、隣に誰かが腰を下ろした。見れば、ファウストが沈鬱な面持ちで座っていた。背中を撫でるでも、何か言葉をかけてくれるでもないが、それでもファウストの優しさが伝わってきた。普段、ラスティカの隣に積極的に座るなどしないのだ。そんなファウストの気遣いが、ラスティカの悲しみにそっと寄り添ってくれた。じわりと温かな気持ちが広がる。そして、ローザが言っていた事を思い出した。
     恨んではいない。ただ子供の事が気がかりだと。
     頭の中でもう一度メロディーをさらう。そして、ふと思い至った。
    「子守唄……」
    「は?」
    「子守唄のようだと思わない? 西の国の、民謡のようだとは言ったと思うんだけれど。土地に伝わる子守唄ってあるだろう?」
    「そうなのか?」
    「うん。西の国にもいくつかあるんだけれど……あの曲はそれをアレンジしているように思う。だから、きっと彼女は」
     その先の言葉が出てこなかった。唇を開けて、閉じたラスティカの言葉を、ファウストが引き取った。
    「ただ、産まれるはずだった子供の魂を案じて、この曲を作った。そして、その思念が、《大いなる厄災》の影響で暴走しているだけだ」
     ラスティカは、口を手で覆った。そうしないと嗚咽が漏れてしまいそうだった。彼女の思念が、そうだと叫んでいる。その感情が流れ込んできて、息が苦しい。
    「大丈夫か」
     ファウストの優しい声がする。けれど、ラスティカはその優しさに甘えることは出来なかった。
    「歌わないと」
    「え?」
    「歌って、彼女の魂を弔うんだ。僕はただ、彼女の魂を正しく弔いたいだけ」
     ファウストは、サングラスの奥の目を一度閉じて、もう一度開けた。長い睫毛が瞬き、紫の瞳がじっと見定めるようだった。
    「それなら、僕はその舞台を援護しよう。頃合いを見計らって、浄化の儀式を行う。古来から、歌は弔いや浄化の作用があるから」
    「ありがとう、ファウスト。君とならきっと上手く行く」
     ラスティカはそう言って、笑おうとした。その笑みは、ファウストが今まで見たことのないような歪な笑みだった。


     ラスティカはしばらくすると落ち着いて、それから構想を練ると言って自ら与えられた部屋に引きこもってしまった。ファウストは、その間に浄化の儀式に使う道具を揃え、準備を進めた。主人に話をすると、是非その歌を聞かせてほしいと言われた。ラスティカも聞いてほしいと言ったので、鎮魂の儀式は屋敷の者たちの前で披露することになった。
     『魔法使い狩り』について、ファウストとて腸が煮えくり返る思いだった。人間の傲慢さで弱い魔法使いが犠牲になったことは、自らの為せなかった事を思い知らされるようでもあった。しかし、ラスティカの見せた動揺は驚いてしまった。芸術家というものは、得てして神経が細やかで、感受性が強い生き物だ。その感受性を弱めて気持ちを楽にする魔法をかけることも出来たが、ラスティカは言外に拒否をした。歌うと言い出した時の彼の強い意志を宿した瞳は、たとえ自らが傷付いても、それをしたいと叫んでいた。それは、西の国の魔法使いの目だった。彼らは、自らの求める物のために、自らの命すら顧みない者たちなのだ。
     ラスティカが部屋から出てきたのは夕刻になった頃だった。泣いた痕跡は一切無い、いつも通りのラスティカの装いで、ファウストは少々拍子抜けをした。しかし、その目にはいつもと違う光があるような気がした。
    「歌劇にしたよ」
    「歌劇? ただ歌うのでは無いのか」
    「うん。一人だし、あまり作ったことも無いけど、それが一番かなと思って。ファウストの役もあるよ」
    「は!? 舞台に立つのか!?」
    「立って欲しかったけど、君の歌は聞いたことがなくて。君にぴったりの物を書けなかったから、演出係。僕が合図をしたら花びらを振らせたり、照らしたりして欲しいんだ」
    「ああ、そういうことか。そのくらいなら」
     ファウストはそう言ってほっと息を吐いた。人前で歌ったり踊ったりする経験が無いわけではないが、同志ばかりの酒の席と、全く知らない者たちの前とでは話が違う。哀れなローザの為、どうしても必要と言うのならやれないことも無かったが、やらなくていいのならその分本業に力を注げるというものだ。

     舞台は、屋敷の者たちが用意してくれていた。広間にあったテーブルをどかし、椅子を並べただけの簡素なステージだったが、ラスティカは十分だと言った。ファウストはそのステージへ、儀式のための準備を施していく。ラスティカも手伝ってそつなく終えたあとは、ただ時間になるのを待つばかりだった。
     屋敷の者たちには最初から説明してあった。この場で披露するのは、このフルートの持ち主だった女性を弔うためのものだと。そして、浄化の儀式を行うため、何か怪異に巻き込まれる可能性もあること。最大限努力をするが、承知の者のみ見学を許すこと。西の国の人間達に言っても仕方ないかと思ったが、やはり世界でも随一の音楽家の演奏と、起こるかわからない怪異とでは、どう考えて演奏を聞きたい気持ちが優先されるらしい。わらわらと集まる屋敷の者たちには使用人と思しい者たちも混ざっていて、主人もそれを咎めなかった。そんな家で何故あんなことが起きたのだろうか、と考えても詮無いことだ。己の過去を思い返し、ファウストは苦い顔をした。
    「さあ、そろそろかな?」
     ラスティカはおっとりと微笑み、舞台として仕切られた前方の空きスペースへと立った。彼が優雅にお辞儀をすると、途端にそこが本物の舞台のように見える。拍手が起こり、ゆったりと顔を上げた。
     その時の顔は、普段と明らかに何かが違っていた。魔法で顔立ちを変えたわけでは無いだろう。しかし、まるで別人のような心地がした。
    「お集まり頂き光栄です。只今から演じますは、哀れなフルート奏者のローザの物語。演じるのはこのラスティカ。どうぞ、皆様お楽しみください」
     よく通る声が場の雰囲気を作り変えた。ファウストは注意深くは気配を探る。今のところなにか異変が起こったわけではないが、場の空気が変われば状況も変化する。ローザの思念が溢れやすくなるように、今からラスティカが作り変えるのだから。
    「昔、とある貴族の屋敷にローザという女性がおりました。彼女は貧しい生まれながら、その美貌と美しい声を見初められてその貴族に迎え入れられたのでした。その屋敷の当主は彼女に歌や楽器を教え、日々彼女に演奏させ楽しんでおりました」
     ラスティカがぱっと笑顔になる。そして歌いながら踊りだした。西の魔法使いたちが突然踊りだしたり歌いだしたりするのはよく見かけるものだったが、それとは少し違っていた。声は同じはずなのに、どこか女性的な色気と艶かしさがある。ダンスだってそうだ。視線の動き、指先の角度、ラスティカの仕草一つ一つが女性としての雰囲気を作り出していた。ファウストより背の高い男性であり、女性に姿を変えたわけではないのに、ラスティカは今ローザとして踊っている。そう、見ただけでわかるダンスだった。
    「彼女の仕事はそれだけではありませんでした。客人を、その芸を持ってもてなすこと。それも大切な仕事だったのです。次第にそれは色を帯びました。主人が命じたからです。彼女は逆らえるはずもなく、客人とベッドを共にすることもありました」
     ラスティカが目を伏せる。途端に色香を纏う。観客の中には顔を赤らめる者もいた。
    「彼女は、仕事を誇っていました。そして、主人を愛していました。彼に体を任せることもありましたが、それは彼女にとって幸福な時間でした」
     恋をする少女のようにラスティカは笑う。そして、この屋敷の今の主人に手を伸ばした。主人は狼狽したようだったが、それも致し方ないだろう。見立てただけで、今の主人はなにも知らないはずだから。
     バレエのようにターンをし、優雅に歌い踊るラスティカに皆が見入っていた。指先一つ、視線一つで彼は観客たちの心を操っているようで、ファウストは苦笑する。素晴らしい演技だと思う。けれど、同時に、西の魔法使いの戦い方そのものだとも思ったからだ。
    「ある日、その屋敷に一人の男が訪れます。その男は音楽家で、ローザと意気投合します。語らい、合奏をしました。今までのように一方的にもてなすのではなく、互いに楽しむための物でした。彼女はいままでになく演奏を楽しみ、別れを惜しみました。彼とは指一本触れ合う事なく、心の交流をしたのです」
     男とはラスティカの事だろう。彼は恍惚と微笑み、それから一瞬で笑みを消した。
    「しかし、程なくして彼女はお腹に子が居ることに気が付きました。あり得ない事ではありませんでした。主人に報告すると、主人は血相を変えました」
     ラスティカはしかめつらしい顔を作る。普段の柔和さが消え、恐ろしい形相になった。
    「『魔法使いの子を孕んだだと!? あの音楽家は魔法使いだ、お前も魔女なのだろう!』」
     その怒鳴り声はよく響くのもあり、思わず身震いする程の迫力があった。
    「『いえ旦那様、違います、あの方は私に指一本触れませんでした』
    『魔法使いは嘘つきで好色だ、そんな訳がない! 人間のふりをして私達を騙していたな! この魔女め!』
    『違います、お願いですから』
    『この女を処刑しろ!』」
     男の声音と女の声音を使い分け、ラスティカは恐ろしいやり取りを演じてみせた。額に、首筋に汗が伝っている。それでも、声や表情、ステップに疲労が出ることはなかった。ラスティカと一瞬目が合う。その目に燃え盛るのが何かを、ファウストはその時初めて気付いた。
     怒り、だ。
    「ローザは魔女ではありませんでした。元より人間として屋敷に勤めていたのです。しかし当時、魔法使いが人間を騙ることは罪でした。彼女は捕らえられ、広場に引き出されました。恐ろしい刃が、彼女の首を断ち切ります。彼女はマナ石になることも無く、ただ、その場に崩れ落ちました」
     ラスティカがフルートを取り出す。ファウストは魔道具の鏡を構えた。気付けば辺りを黒いもやが立ち込め、ラスティカの周りを取り囲んでいた。
    「ああ、哀れなローザ。彼女は無実の罪でした。彼女と、その子供は命を絶たれてしまったのです。しかし彼女は、主人を恨みませんでした。産まれなかった彼女の子を案じて、このフルートで美しい曲を作りました」
     ラスティカがフルートに唇を当てる。黒いもやが、一瞬ラスティカを覆い隠そうとした。今だと思い、ファウストは静かに呪文を唱えた。
    「《サティルクナート・ムルクリード》」
     瞬間、舞台が円形に光る魔法陣で包まれる。滑らかな音が流れ出した。ラスティカが吹いているのは、例の曲。しかし今の演奏は、ラスティカのアレンジが効いている。漂うのは哀愁ではなく、子どもたちが跳ね回るような、心躍る楽しさだった。黒いもやが収束し、人の形を取る。ラスティカはその影に笑いかけた。まるで、歌って、というように。
     影は女の姿をしていた。くるりとターンをし、口を開ける。声は聞こえない。けれど、歌いながら楽しそうに踊っていた。それをラスティカのフルートが導く。ラスティカはフルートを吹きながら身体を揺らし、まるで一緒に踊っているかのようだった。しばらく二人のダンスが続いた。そして、満足したのだろう。彼女はくるりとお辞儀をする。ファウストがもう一度、力を込めた。淡い光が舞台を包み込む。彼女はキラキラと輝きながら消えていった。
     舞台にはラスティカ一人が残された。魔法陣の光が消えると、ラスティカはフルートを下ろし、丁寧にお辞儀をした。
     一瞬の間の後、割れんばかりの拍手が起こる。涙を流している者もいた。この屋敷で起きた出来事だと気付かぬものは居ないだろうに。
    「ラスティカ様、素晴らしかったです。しかし、このような事があったとは……胸が締め付けられました。可哀想に……このフルートにはそのような謂れがあったのですね。なんとも酷い……そのような時代とはいえ、許されていいものではありませんね。きちんと弔ってやりましょう。そして、彼女とその子供は、今は……? 無事に天国へ行ったのでしょうか?」
     主人が涙を拭きながら言う。ラスティカは微笑んだ。
    「わかりません。天国というものはしばしば語られますが、行ったことのある者はおりませんから。しかし、彼女は楽しそうでした。浄化の魔法もうまく行ったようですから、このフルートが勝手に鳴り出すことは無いでしょう。代わりに、皆様が鳴らしてください。それが弔いになるでしょう」
     そう言い切ると、拍手が起こる。それに応え、ラスティカが舞台として設えられたスペースから出てファウストに近寄ってきた。かなり濃い疲労が見えるが、ラスティカはいつものように微笑んだ。
    「ありがとう、ファウスト。君のおかげでローザを弔えた」
    「君の功績だよ」
     ファウストはそう言って、ラスティカにいくばくかのシュガーを握らせる。ラスティカは驚いたように目を見開いて、それから嬉しそうに笑った。一つ口に含み、あまい、と笑うのはいつもの少しぼんやりした西の魔法使いの姿だった。



     結局はラスティカが物語にした通りだったらしい。ローザは魔女ではなく、この屋敷で使用人のような主人の愛人のような事をして暮らしていた。そして妊娠した。誰の子かもわからないような、そしてもしかしたら主人の子かもしれないような子を産ませるわけにはいかず、魔女だということにして処刑した。そんな身勝手で傲慢な人間たちの話なのだという。ラスティカは、籠もっていた部屋で偶然彼女の手記を見付けたと言った。二百年も誰にも見つけられずにいたというのは不思議な気もするが、何気なく開けた引き出しが二重底になっていて、開けてみたらあったのだという。
    「まるで彼女に導かれたみたいだね」
     ラスティカは屋敷からの帰り道、連れ立って箒で飛びながら、そんな事を打ち明けた。あの街で貰った両手一杯の薔薇の花束の香りをかぐ。
     舞台で見せた激しい怒りは、もうどこにも面影はない。けれど、その激情を芸術に昇華するのは、まるで魔法みたいだとファウストはひっそりと思った。


    夕景 Link Message Mute
    2022/07/17 21:42:27

    カメリアローズの物語

    6/18「謎めく厄災のミステリオ」にて展示の小説。
    ラスティカとファウストが西の国の貴族の屋敷に「夜になるとひとりでに鳴り出すフルート」という異変を解決しに行く話。

    #魔法使いの約束
    #まほやく
    #ラスティカ
    #ファウスト

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