BPM200の鼓動「先生、ちょっとこれ見て」
ネロがそう言ってファウストに声をかけたのは、リハが終わり自分たちの出番を残すのみとなった待ち時間の楽屋での事だった。年下の二人が飲み物を買いにコンビニに行った時に話す物だから、てっきり悪いことだろうかと思ってしまった。吸っていた煙草の灰を落とさないように気をつけながら、ファウストはネロが差し出したスマートフォンの画面を覗き込んだ。
今時、どんなバンドだって自分の動画配信アカウントを持っている。ファウストたちのバンドも例に漏れず、動画サイトのアカウントにMVとライブ映像を載せていた。所属するインディーズレーベルが作ってくれた、ライブ映像を繋ぎあわせCDの音源を載せたMVとスタッフの私物のスマートフォンで録音した音割れのしているライブ映像だ。駆け出しのバンドによくある動画の内容だ。
ネロのスマートフォンには、その動画配信サイトの管理画面が表示されていた。動画の再生回数などが見れるのだが、その数を見て違和感を覚える。
「やけに増えていないか」
「そうなんだよ。どっかでバズったとかかね」
再生回数がやたらと増えているのだ。今までは特別多くも少なくもなく、バンドの規模とチケットの捌け具合からしてこんなものだろうと思っていた程度の再生回数だった。しかし、それが今日見たら倍以上になっているのだ。これは、何か別の力が作用したとしか考えられなかった。
「誰かが紹介でもしてくれたんだろうか。ありがたいことだが……」
「ちょっと調べてみる事にするよ。お子ちゃま共には知らせない方がいいな」
「ああ、そうだな」
そう言うのも無理はない。四人いるメンバーのうち、ネロとファウストは二十代の半ばで、ある程度の経験もある。しかし、年下の二人はまだ学生で、それ相応にメンタルがパフォーマンスに影響してしまうのだ。繊細なヒースクリフはこの話を聞いたら緊張してしまうかもしれないし、シノは逆に張り切り過ぎて空回りする可能性もある。下手に動揺させない方がいいだろう。ちなみに、二人にはエゴサーチも禁止している。
そう思っているうちに、シノとヒースクリフが戻ってきた。
「戻ったぞ」
「ただいま戻りました。二人とも、飲み物買ってきましたよ」
そう言ってヒースクリフはファウストとネロに水を手渡す。軽く礼を言うと、彼はマスクを着けた上からでもわかるほど、にっこりと嬉しそうに笑った。
「あ、これ美味い」
対してシノは腹が減ったのか、コンビニのホットスナックに齧り付いている。新しい味が出たと宣伝しているのを見たからそれだろうか。唐揚げの匂いに混ざって、ほんのりとレモンの香りがした。
「本当? 俺も買えば良かったかな」
「ヒースもなんか買ってただろ」
「あ、うん。お菓子。食べる?」
「いいのか?」
「良いよ。溶けちゃいそうだし」
そう言ってヒースクリフはシノへ菓子の袋を差し出した。見たところチョコレート菓子のようで、シノは嬉しそうにその袋から一粒取り出して頬張った。
「美味い! ありがとう、ヒース」
「これ、よく買っちゃうんだよね」
そんな年相応の、幼馴染らしい会話を聞いているとどことなく心が和む気がした。シノがホットスナックを食べ終わり、ジュースまで飲んで一息ついた頃、ライブハウスのスタッフが楽屋に入ってきた。
「出番です」
「おし、いくか」
そう言うのはシノだ。彼はいつだって先陣を切りたがる。そんな所も微笑ましいけれど、ヒースクリフは少し呆れた顔をした。
「手洗ってからにしろよ。食べ物の油が付くだろ」
「袋の上からしか触ってない」
「さっきチョコ食べたくせに」
「わかったよ」
む、とあからさまにむくれ、しかしちゃんと手洗い場で手を洗っているのは微笑ましい。ヒースクリフも同じように手を洗い、さあ行くばかりと思った時、ネロが小さく、あ、という声を上げた。
「どうかしたのか」
「あ、や、なんでもない。ほら、行こうぜ。スタッフも客も待たせちまう」
そう言いながら、先ほどからずっと弄っていたスマートフォンを楽屋の隅に置いた鞄に仕舞った。大方、先程の動画の件で何か発見したのだろう。しかし、今はライブが優先だ。ツーマンの先攻、それなりに歴の長いバンドのリリースツアーに呼んでもらえたのだ。きっとそのバンドのファンばかりであろうけれど、アウェイでやるのも悪くはない。シノの歌と、ヒースクリフのギターと、ネロのドラムと、そしてファウスト自身のベース。上手く噛み合い、相互作用によって互いを引き立て合い調和するバンドサウンドで、自分達の事が眼中にない客たちも魅了してやればいい。そんな熱苦しい事を思うなど、年下の二人に影響されたのだろうか。自嘲しながら、シノがやりたいと言ってやり出した円陣を組む。
「落ち着いて、一瞬を大切に。さあ、行こう」
やってくれと言われて渋々だったが、これを言わないとなんだか落ち着かない。ファウストがいつもの円陣の台詞を言うと、肩を組んだメンバーが、おう、と答える。そして、四人でステージに上がった。
歪んだギターの音が空間を切り裂いていく。俯いたままのヒースクリフが鳴らすギターは、同年代のギタリストと比較しても頭ひとつ抜けた腕前だったけれど、その技巧以上にどこか切迫した感情を呼び覚ます。そして、シノはそんなヒースクリフのギターに呼応するように、激しくバッキングを重ねた。低めの歌声で、その大きな瞳で真っ直ぐ前を睨みつけながら、がなり、叫び、歌う。そんなギター二人の音を、ネロの荒々しくも安定したドラムが支える。二人の持ち味であるどこか未完成で荒削りな勢いを損なう事なく、どっしりと構えているのだから流石だと思う。そして、ファウストはネロとギター隊の間を繋ぐようにベースを奏で、グルーヴを生み出す。最初は様子見だった客が次第に身体を揺らしたり、前の方に来て飛び跳ね拳を振り上げるのを見て、自分たちの痛みを分かち合えたような、そんな心地がする。バンドが出すエネルギーと、観客のそれが一体となり、何か別のものになれたような気すらした。
「今日はツアーに呼んでくれて、ありがとうございました。でも、俺らのファンじゃない人たちにも、俺らを認めさせてやるから」
シノの大言壮語なMCに、ヒースクリフがマイクを通さずに窘める。それをどこか嬉しそうに、にんまりと笑ってシノは返した。
「じゃあ、最後の曲。今日は、ありがとう。夢中にさせてやるよ」
そんな言葉どこで覚えてくるんだか。ネロも苦笑しているがファウストだって同じだった。しかし、ネロがカウントを入れ、一度音を鳴らせば、そんな空気は霧散する。爆音のギターが、全身を削るような叫びが、身体に直接響くビートが、うねりながら頭をかき乱すベースが、全てを支配する。この高揚感は、何にも変え難いものだった。
ライブが終わると、対バン相手が良かったと声をかけてくれる。それに礼を言って楽屋に戻ると、ファウストはソファに倒れ込むように座った。流石に、以前バンドをやっていた時のような体力はない。三十分ほどの持ち時間だったが、若い二人やネロのエネルギーに負けないようにするには体力が要るのだ。あの頃は無茶なスケジュールを組んで身体や喉を壊しそうになる相方をいさめ、自分達の音楽を世に知らしめることで精一杯だった。そのバンドが「音楽性の違い」で解散してからは、音楽教室の講師なんていう職を得て細々と暮らしていたというのに。人生とはわからないものだ、と少しだけ感傷に浸った。
「ファウスト! 今日のライブはどうだった?」
しかし現役高校生たちに体力など関係ないのだろう。シノがキラキラした目でこちらを見ながら訊ねてくる。ヒースクリフだってそわそわとして、ファウストの評価を気にしているようだった。
「悪くはなかった。しかし、最後の方はサビの音程が甘かったな。最初に飛ばし過ぎるから最後がダレるんだと何度も言っているだろう。それと、ヒースクリフはもう少し感情を乗せた方がいい。シノのボーカルに負けてしまうよ。ネロは勢いと手癖に頼りすぎているから、もう少し丁寧に」
シノは少しむっとしたが、思い当たるフシもあるらしく、素直に頷いた。ヒースクリフも同様のようで、思いつめたような顔でがんばります、と言うものだから心配になってしまう。ヒースクリフはファウストが講師をやっている音楽教室の元生徒ということもあり、ファウストの言うとこを必要以上に真面目に捉えてしまうところがある。難しい、と思いながらも、ファウストは対バン相手の演奏がもうすぐ始まるのに気付いて口元を緩めた。
「二人とも、見るのも勉強だよ。いいお手本が居るから、フロアで見てきたら良い。音楽を楽しむ事が大切だからね」
そう言うと、二人は子供らしい笑顔で頷いて、フロアの方に出ていってしまった。元気のいい事だと思いながら、ずっと感じていた視線の方に振り向く。ネロが居心地悪そうにしながらファウストを見ていた。
「俺にもダメ出しすんのかよ……」
「当然だろう。二人のお手本になってほしいくらいなんだから」
「ブランク長いんだって」
「僕だって人前に出るような柄じゃないんだ」
そう言いながらも、ネロは満更ではなさそうだったし、ファウストとてリズム隊として息があってきている事も自覚しているのだ。
するとネロは、ファウストにスマートフォンの画面を差し出した。ライブ前の話の続きだろうか、と思い覗き込むと、ラジオ局のSNSアカウントが映し出されていた。
「これっぽいな。ラジオでかけてくれたらしい」
「へぇ。ありがたい話じゃないか」
「まあ、そうだな。アイドルのラジオにしちゃ選曲渋くないか?」
「アイドルなのか……。誰のラジオ?」
「ラスティカ・フェルチって、知ってるか? ちょっと前にグループでデビューしたけど前からやってる……」
「ああ……なんとなく知ってるよ。曲を作るんだろう、彼は。音源も聴いたことがある」
「やっぱ先生は色々聴いてんのな」
「君はパンク以外も聞きなさい」
そういえば、ネロは苦く笑って頭をかいた。着ているTシャツの袖が上がって、刺青があるのがちらりと見えた。
「まぁ、そのうち? 先生教えてくれよ」
「音源貸してもいいけど、感想文を提出する事」
「ええ!?」
「冗談だよ」
そう言って、ファウストは煙草に火をつける。紫煙を深々と吸込めば気持ちが段々と落ち着いていく。ネロはけらけらと笑って、スマートフォンをソファに放り投げた。