いつかの話 朝起きたら、シーツにべったりと血が付いていた。クロエは青ざめて小さく悲鳴を上げた。それはクロエ自身から流れ出た物らしいことが、下着が濡れている事でわかったからだ。何故こんな事になったのだろう。シーツを汚してしまって、この分だとその下のベッド本体も汚れているかもしれない。恐ろしくて、どうやって綺麗にしたものかと考えて、血の汚れが落ちにくいことを思い出して泣いた。こんな事をして、ラスティカに嫌われてしまうかもしれない。出て行けと叩き出されるかもしれない。身体に染み付いた恐怖がクロエをじくじくと苛んだ。なんとか片付けようとして体を起こすと、どろりとまた何かが流れ出る感覚がした。このままうずくまっている方がいいのだろうか。更に汚れを広げてしまうかもしれない。なんだかお腹も痛くなってきた。どうしたらいいかわからなくてパニックになっている。涙が止まらなくて枕に顔をこすりつけていると、隣のベッドの膨らみがもぞりと動いた。
「……クロエ……?」
クロエの気配に、ラスティカが起きてしまったのだ。いつもはいつまでも寝ているくせに、クロエが泣いていると起きて抱きしめてくれる。そんなラスティカの優しさが、今は見つかってしまったという恐ろしさに変わる。けれどラスティカは怒らなかった。赤い血の色を見てはっと目を見開いた。そしてクロエのパジャマの、ちょうど股のあたりも汚れているのを見て取って、ラスティカは微笑んだ。
「クロエも大人の身体になったのね」
「……へ?」
「おめでとう」
「あ、え?」
目を白黒させるクロエの体をふわりと抱きしめて、ラスティカは言った。柔らかで温かい体温を感じ、追い出されなくて済んだらしいことに安堵してクロエはまた泣いた。
それからのラスティカは案外てきぱきしていた。宿の女性を呼んで、クロエが汚してしまったシーツを取り替えてもらった。更には心付けを渡し、それ専用の下着と、血液を吸収するパッドを買ってきてもらった。パジャマと下着を取り替え、クロエはラスティカからその使い方を習うころにはだいぶ気持ちも落ち着いていた。幸い血液はベッド本体には染みていなかったので、クロエは安堵した。
「女性の身体は大人になると月に一度、こうやって血が出るの。子供を生むための準備をして、妊娠しなかった時にこうやってね、外に出してしまう。だから、これはクロエが大人になった印で、病気ではないから安心して」
ラスティカのベッドで一緒に毛布にくるまって、そんな話を聞いた。クロエの下腹部は鈍い痛みを訴えており、それをラスティカに言ったらそうされたのだ。ラスティカの温かく柔らかい身体を感じ、毛布の柔らかさに包まれていると少し痛みも和らいだ。
「子供?」
「うん。クロエも子供を産める身体になったという話。でもまだ早いかな? 結婚も出来ない歳だしね」
「子供……」
「どうかしたの?」
「生むの?」
「生みたくない?」
「うーん、わかんない。男の人、怖いし……」
「そうね……。魔法使いは長生きだから、いずれ生むかもしれないでしょう? その時のための準備と思えばいいんじゃないかな?」
「そう……だね……」
「私はクロエの子供会ってみたいなぁ、きっととっても可愛いよ」
「どうだろう?」
ラスティカはとんとんと優しく背中を撫でてくれた。甘く柔らかな香りがして、守られているという安心感に満たされる。お母さんってこういう感じなのかもしれない、とクロエはぼんやり思った。
「ラスティカも、これあるの?」
「月経のこと? 私は止めてるの。魔法を使ってね」
「止めれるの?」
「止めたい?」
「お腹痛い……」
「うーん、そうね。本当ならもう少し安定してからの方がいいのだけれど……。終わったら、止めようか。クロエが辛いのは嫌だもの」
その言葉に安堵した。もうこんな思いをしなくて済むのならそれがいい。せっかく作ったお気に入りのパジャマだって汚れてしまって、クロエは悲しかったのだ。実感の沸かない子供の事よりも、クロエはそちらの方が大切だった。少し心が上向きになってきた。
「ラスティカも、子供産めるんだね」
「ええ、そうね」
「じゃあ、花婿さんが見つかったら、きっと可愛い子供が生まれるね」
話の流れでクロエはそう言った。ラスティカの子供ならば、きっと天使のように愛らしいだろう。ラスティカの子供を想像して、どんな服が似合うんだろうかと夢見たとき、ラスティカは首をこてんとかしげた。
「私が生むの?」
その声の調子が、本当にわけがわからないといった調子だったからクロエは逆に驚いてしまった。ラスティカは瞳に困惑を浮かべて、そしてふっと視線がクロエを素通りした。
「え?」
「子供……花婿との? 私と、彼の幸せな結婚に、子供……?」
「ラスティカ?」
「子供といっても、私は育てないし……」
「どういうこと?」
「乳母を探さなきゃ。でも、子供?」
何かがおかしい。前に花婿の事について訊ねた時と似ていて、クロエは言ってはいけない事を行ってしまったと思った。
「ラスティカ、ねぇ」
クロエが軽く肩を揺すると、ラスティカはハッとしたように目を見開いた。柔らかな微笑みが、少し遅れて戻ってくる。
「おや……ごめんなさいね。クロエの痛いのが良くなるように、温かいお茶を淹れるね。少し待っていて」
そしてラスティカはベッドから出て行った。少し寒くなった毛布の中で、先程の事を思い出して、少し背筋が寒くなった。明らかに何かおかしかったのだ。けれど楽しそうに鼻歌を歌いながら茶葉を選んでいるラスティカには、絶対に言えない。あの柔らかなぬくもりの事を考える事にする。ラスティカの優しさを、心を、守りたかった。